SS(アスキラ)リーマン「ごめんなさいキラ、別れて欲しいの」
それはまさしく青天の霹靂。
恋人からの思ってもいない言葉だった。
昼休み。
いつも彼女と食べる食堂へ向かった。
職場では秘密の交際、というやつだが食堂で一緒になるなんてことは別に不思議でもなくて。
ただ部署は違うから、本当に偶然を装って、ここで仲良くなったフリをして。
キラはいつもの日替わりランチを注文する為に券売機で買おうとして……胸元のスマホが振動したことに気がついた。
社用ではなく個人のものだ。
見ればメッセージアプリが新着を告げている。
(……フレイ?)
それは今しがた考えていた恋人の名前。
開けると第二会議室に来て欲しいというもの。
何かあったのかと、券を買うのをやめて食堂を後にした。
ここから第二会議室まではすぐだ。
フロアが一つちがうだけ。
エレベーターがどちらもほかに動いていたため、キラは階段を使った。
中廊下に出れば会議室はすぐそこだ。
鍵が開いているか半信半疑だったが、電子錠は青になっている。
開いているようだ。
そもそも使用予定の時以外は施錠されているはずだが、フレイは鍵を管理する秘書課務めだから、開けておけたのかもしれない。
けれどこんな所を使うなんてーーー。
「フレイ?」
中は暗くて、キラはもしかしてまだ来ていないのかと思ったが、けれど鍵は開いているし……と静かな声で会議室に入り、固まった。
「……んっ」
甘さのある高い声。
それはキラがよく知る声。
「だめよ、まだ。キラが来ちゃうわ」
「フレイが悪いんだろ」
彼女の揶揄するような声にあわせて聞こえるのはそれより低い、男性のもの。
2人してクスクスと笑っているような声音だった。
思わずキラは後ずさりーーーー何かに当たった。
がたんっ
物音に気がついた奥にいた二人ははっとしてキラの方を振り返った。
赤い髪が印象的なーーー恋人のフレイと、メガネをかけた青年。
確か今キラと次回の企画会議でプレゼンをしあっているチームの責任者。
「アーガイル、さん?フレイ?」
信じられない気持ちで二人の名前を呼ぶ。
フレイは「ほらぁ」と言いながらはだけた胸もとを直していた。
頬を赤く火照らせてキラに向き直る。
「呼び出してごめんねぇ、キラ」
サイの方は少しバツが悪そうだが、フレイはいつものフレイだ。
今キラが目にしたものが何かの夢だっかのように。
あのね、と赤いルージュを引いた彼女の唇が動く。少し落ちかけているのは、きっと。
「ごめんなさい、キラ。別れて欲しいの」
キラは本日、青天の霹靂のごとく失恋した。
※
落ちる時はどこまでも落ちるもので。
秘書課に務めるフレイはこの会社ーーー連合商社の専務の一人娘だ。
要は生粋のお嬢様。
その為ただの一般社員のキラからしたら、付き合っていたこと自体不思議なことだった。内緒にしていたのはフレイの希望だったのだけれど。
そして知らなかったが、今日フレイといたサイ・アーガイルの父親も会社の重役で、なんと婚約しているらしい。
それも学生の頃から。
じゃぁなんで自分と付き合ったのだろう?と思うが、だから内緒だったのかと合点がいった。
そして驚くべきことに。
ランチを食べる気になんて到底ならなくて、フラフラと自席に戻ればなぜか部長に呼び出された。
しかも内容がアルスター専務のお嬢さんを婚約者がいると知りながら寝とったのかとかそんな、大企業の部長が聞くとは思えないものだった。
キラとしては婚約者がいるなんて知らなかったし、フレイから告白して来たし、で全てが寝耳に水だったが、タイミングが良すぎる。
だからそういう事なのか、と妙に冷静に思った。
その後は部長になんて言われて、自分がなんて返したかも分からない。
とりあえず「辞表を出します」と言った事だけは覚えていて、気がついた時にはデスク周りの片付けをしていた。
「ちょっとキラ?!」
同期のミリアリアが驚いたように声をかけてきた。
彼女ともう一人、ミリアリアの恋人のトールだけがフレイとのことを知っている。
「何があったの?!」
「正直僕にもよく分かんないんだけど……」
社内一斉メールでサイとフレイの婚約のお知らせが回ってきていた。
恐らくミリアリアはそれを聞いているのだろう。
それにキラが今しているのは……。
「とりあえず振られて職も失ったってことかなぁ」
「はぁ?!」
ついでに言えば家も、だ。
キラは会社の寮に住んでいるのだ。
辞めるなら出ていかないといけない。
仕事は嫌いではなかったが、恐らくいや、ほぼ確実にプレゼン中の企画もサイの物が通るだろう。
これから悉くそんな事が起こるのであれば。
何故か自分が肩身の狭い思いをするのであれば、ここにいる必要は無いと思った。
それに部長の言い方は「自己都合の辞表」を求めていたようにも思えた。
「そんなのまかり通るわけ……?」
「通るみたいだね」
社長はどちらかというと穏健派だが、理事長がなかなか強硬派で、フレイの父はそちら側だった。
簡単に人なんて切り捨てる。
「ごめんね、ミリアリア。仲良くしてくれたのに」
思えば相談にもたくさんのってくれた。
なにせキラはフレイが初めて付き合う人だったのだ。
「私はいいけど……ごめん、悔しいのに何もできない……」
「それは仕方ないよ。ミリアリアはまだここで働くんだし」
そう言ってくれるだけで嬉しく思う。
今は席を外しているトールもきっとそう思ってくれるだろう。
「今日付けで辞めるから、本当は引き継ぎしないといけないんだけど、今してる企画のはきっとアーガイルさんのになると思うから、削除しとくね」
「キラ頑張ってたのに……。これからどうするの?」
「貯蓄は少しはあるからまぁ仕事はおいおいとして、住むところかなぁ。でも実家に戻るのはなぁ」
実家はそう遠くは無い。
けれど帰るにはいささか気分が重かった。
正直に話したとして。
恐らく憤慨される。
キラはもうどちらかというと関わりたくなかったので、それはそれで困るのだ。
心優しい姉はキラに関する沸点が恐ろしく低い。
「ま、なんとかなるかな」
「本当なのー?」
「大丈夫だよ。ありがとう、ミリアリア。トールにも言っておいて」
「ってあいつどこ行ってるのよ?!」
てっきりトイレかと思っていたが、待てど暮らせど帰ってこない。
トールとて暇ではないのだから、仕方ないとキラは笑った。
連絡先も知っているし、会おうと思えばまた会える。
会社に置いていたのはほんの少しの私物だ。カバンとエコバッグに詰めてキラは会社を後にした。
そのまますぐ近くの寮へと向かう。
寮も家具家電付きだったから、基本的には着替えとかだけだ。
それも洋服とかにはまるで興味がなかったから、ほんの少し。
それでも両手に抱えてリュックに背負って。貴重品だけ服に忍ばせて。ノートパソコンはリュックの背中側へ。
わりと、なかなかの荷物に見えるのはキラが同年代に比べて小柄だからだろうか。
「大丈夫なの?キラくん 」
寮母のマリューが心配そうに聞いてくれる。
それに笑うしかできなかったが、荷物ごと手を振ってキラは寮もあとにした。
朝出勤した時にはいつもと同じ生活サイクルを送るのかと思っていたのに。
180度どころか世界さえ変わってしまったかのようだ。
ひとまず思い浮かぶのは寝泊まりのできるネットカフェだろうか。
駅まえにあったはず、とキラは駅までの道のりを歩いた。