きつねのかみさま はい、そうです。私です。ちいさな、ちいさなかみさまに助けていただいたのは私です。もう40年も前になりますか。もちろん覚えていますよ。春の夕方でした。タマがなにかくわえて帰ってきたので、食べられるものかどうかを確認しようとしたんです。タマの口元に手をやるとすぐにポトリと落としてくれて、なんだかとても軽くて温かくて、鳥の雛かと思いました。でも雛ではなくて、とてもちいさな子どもの姿をした狐だったんです。今でもよく覚えています。大きな耳も、ふさふさのしっぽも、二つ結びの髪も、なんてかわいいのだろうと思ったんです。少し変わった白い着物に紫の被布という装束でしたが、よく似合っていました。
きつねの子は私の手の上でふるふる震えて、しきりに自分の背中を見ようとしているので代わりに見てあげると、帯が破れてしまっているようなのです。タマがくわえたときに牙にひっかかったのなら申し訳ないので繕わせてもらおうと思い、シロツメクサが密集しているところに私の前掛けを広げて、そっときつねの子をおろしました。
「ここで待っててね。そうだお腹すいてない?イチゴ食べる?」
「……」
きつねの子は何も答えてはくれませんでしたが、逃げようともしなかったので敷いた前掛けのポケットからその朝摘んだイチゴをだして渡すと、ちいさな手で受け取ってふんふん匂いをかいでいます。私は急いで裁縫道具を持って戻り、イチゴをかじっているきつねの子に針と糸を見せ、怖がらないでほしいとお願いしました。いちごを口いっぱいに頬張ってこくりとうなづいてくれたので、持っている中でできるだけ近い色の糸を選んで針に通し、帯の裂けたところを縫い合わせました。終わるころには、お腹がいっぱいになったのか、ちいさなきつねはうとうとしていました。前掛けごと持ち上げて家の中に戻りながら、このままずっと一緒にいてくれたらいいなあと思ったものです。
その日の夜、夢を見ました。桜色の髪をした若い男の人が、私とタマに笑いかけて、かみさまを助けてくれてありがとうと言うのです。その人の隣には、きつねの子と同じ装束の、その人より少し年上の男の人がいました。大人なのに髪を二つ結びにしていましたが、なぜか少しもおかしくなくて、きれいな人でした。
「帯直してくれたから、飛べるようになったんよ。あんがとね。お礼に教えてあげるから、みんなに知らせて。」
「2日後の朝に大きな地震が来る。山を下りたところに平地があるからそこまで逃げろ。」
教えられたことよりも、あの子はかみさまだったのかという驚きと、一緒には暮らせないのだという寂しさで私の心はいっぱいでした。目が覚めて、やはりきつねの子がいなくなっているのを見て、少し泣きました。
昔この島には人がたくさん住んでいましたが、悪い呪詛師が人々をひとつの呪霊にしてしまって、どうにか逃げのびたほんの少しの人たちで生きてきたのです。呪詛師と戦った人たちもいましたが、呪霊が巨大すぎて勝てないとわかると自分たちの命と引き換えに呪霊を封印したのだと言われています。かみさまはそのときに生まれました。呪霊の封印を守り、いつかまたこの島に人が戻ってくるように島中の残穢を清めてくれているのです。
私は夢の内容を大人に言いましたが、信じてくれたのは村の半分もいませんでした。親も祖母も亡くしてひとりぼっちの子どもの夢の話なんて、なかなか信じてはもらえないのです。翌々日の朝、本当に大地が激しく震えて山は崩れ、堰き止められた川があふれて村を襲いました。村から逃げてこられた人はほんの数人で、昨日から避難していた私たちと合流するとその恐ろしいさまを語ってくれました。もしあのときタマがかみさまをくわえてこなかったら、私達も皆そこで死んでいたでしょう。あの若い人はタマを玉犬と呼んでいました。私ですか?私は、マリといいます。私の家では、女子が生まれると必ずマで始まる名前をつけるのです。