短くなった吸い殻を足元に落し、燻る緋色をサンダルの底で捻り消す。
そして片手の箱から新しい煙草を取り出そうとして、それが最後の一本であることに気付いた。
「…………はぁー……」
魂が抜けそうなため息と共にベランダの手すりへ頭を伏せる。煙草のストックはあるにはあるものの、それを取りに行くのさえ今の落ち込みで億劫になってしまった。
仕方ないので最後の一本を咥え、火を……。
「グレゴール」
着火の悪いライターに二、三度苦戦していたら口の煙草を取り上げられる。
あ、と思う間も無く隣に立つ男の咎める視線が俺の胸を刺した。
彼が何が言いたいのかも、分かった。
「貴方が煙草を好むことに異論はありません。ですが、いささか吸い過ぎではないでしょうか」
「……」
「一度に吸う量としては多すぎます。いくら貴方が頑丈でも、肺へのダメージは相当なものでしょう」
淡々と真正面から正論の説教。苦笑すらできない。
俺だって普段からこんなに吸うわけじゃない。
けど、吸わないとやってられない。そんな日だったのだ。
今日のお客さんは協会にとっては上客、俺個人にとっては嫌な客だった。
見積料金に大幅な上乗せをしてまでツヴァイフィクサーを何人も雇い——特に美女を選び——チップも惜しまずばら撒く姿はさながら成金、金の亡者、贅沢の奴隷。
そんな生理的に沸く侮蔑を胸にしまい込み、いつものように愛想よくしていると、急に腰に手を回されて引き寄せられた。
私のペットにならないか?
そう囁きながらおぞましく気色悪く腰を這う手。身の毛がよだつそれらに反射的に握った拳がそいつの顎を砕かなかったのが奇跡なくらいだ。
俺は止まらない鳥肌のままやんわりと脱出し、適当に理由を付けて最低限の距離に戻る。
幸い、女の子たちはここから離れた距離で護衛シフトを組んでいたから、これがもし彼女たちだったら……と思うと一層嫌悪感が増し、同時に被害者が男の俺で良かったと、ささやかな安堵をかき集めて心を無理やり落ち着かせたのだった。
そんな日だったから、どうしても吸う量が多くなってしまった。
こちらに訪れていたムルソーが寝入ったのを確認し、ベッドをすり抜けてまで。
「……ごめん。もう寝るよ」
視線に目が合わせられなくて足元を見れば大量の吸い殻が俺を責める。
彼がいるのに、余計な心配と不安を抱かせてしまった。
情けない。
「……貴方を苦しめるものを、私は全て取り除きたいと願っています。けれどそれが難しいなら、口の寂しさ程度なら喜んで満たしましょう」
私を頼って頂けますか? と。
思ってもみなかった言葉にはっと顔を上げる。
咎めるような鋭い視線はすでに消え、夜でも衰えない緑色の瞳が俺に寄り添ってくれていた。
俺への想いを、真っ直ぐに注いでくれていた。
……嗚呼、なんでだろう。
ちょっとだけ泣きそうだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
こみ上げるものを苦笑で隠して早速我儘を言ってみる。
勿論です。そう満足気に俺の頭を大きな手で包み、優しいキスを贈ってくれた。
甘くて優しい、俺だけのキスを。