たこ焼き一人暮らしを始めてから、勘兵衛はいつも食事を一人で済ませている。実家を出る前から家族揃って食卓を囲む機会は少なかった。両親は共働きで忙しく、勘兵衛が小学生の頃から夕飯は置き手紙と共にラップをかけられた皿が一人分テーブルに用意されているだけ。温め直して黙々と食べる。そんな日常が当たり前で、中学、高校と進むにつれ、部活で帰りが遅くなる日も増えた。コンビニで買った弁当を自室で食べることも多くなり、美味しいものを誰かと分け合うことを、勘兵衛は長い間知らずにいる。
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秋晴れの午後、試験が終わった開放感に包まれた勘兵衛は唐突に腕を引かれた。やってきたのは赤い看板を掲げた屋台。清右衛門は三舟注文し会計を済ませると、待ちきれなかったのか一口ぱくりと食べてしまう。湯気と共に立ち上る香ばしい匂いに勘兵衛の腹が小さく鳴ったが、我慢しなければならない。隣の建物から漫才を見終えた観光客がどっと押し寄せ、あっという間に近くのベンチも立ち飲み用の台も埋まってしまい、仕方なく勘兵衛が熱々の舟を両手に持つことになったからだ。観光客の列へ目を向けて、隣の──美味そうに食べる灰桜色の頭へ急かす。
「清右衛門。早くくれ」
むぐむぐと頬を膨らませていた清右衛門は、ああそうだったと言わんばかりに手の舟に一つ刺した楊枝を勘兵衛の口元に近づけた。
「……ん、あふッ!」
「勘兵衛、今食ってる所で噛み切れ」
熱さに辟易しながら何とか噛みちぎって清右衛門の舟に落とした。慌てて口の中で転がす。その齧りかけを清右衛門が掻っ攫う。
「あっ、俺の食いかけ食べるなよ! タコ食えてなかったのに!」
「俺には分かるぞ。ちょっと齧って冷ましたつもりで次は一口でいこうとしただろ。火傷するだろ〜? 猫舌なのに」
「俺は熱々のうちに食いたい」
むむむ、と勘兵衛は不満げだ。
「じゃあ次は俺と半分しようか」
清右衛門は二つ目のたこ焼きに楊枝を刺し、半分に切り分けた。少しいびつに割れた半身に取り出したタコを乗せ、息を吹きかける清右衛門の顔をじっと見つめる。
「ほら、あーん」
差し出されて素直に口を開ける。
外はカリッと、中はとろりとした生地が舌の上で踊った。弾力のあるタコの食感が噛むほどに旨味を広げていく。ソースの甘辛さと青のりの風味が絶妙に絡み合って、勘兵衛はほうと熱い息を漏らした。
「うまい」
その一言に、清右衛門の表情が綻ぶ。
「やっぱあいつのおすすめって当たるなあ」
「あいつって?」
「俺の後輩。最近食欲の権化になってるみたいでさ。恋人を連れ回しているんだと」
清右衛門がスマートフォンを取り出すと、画面を勘兵衛に見せる。トーク内のアルバム。そこには美味しそうなクレープの写真と、隠し撮りしたのか、頬張る恋人──綺麗な男がこちらを見て吃驚した顔が写っている。残りは同じ風景だからその男が撮ったのであろう、クレープ片手に照れた後輩を激写した写真。さらにスクロールしても延々と続く後輩の写真に、勘兵衛は思わず苦笑いを浮かべた。
「随分と可愛がってるんだな」
「まあな」
清右衛門は誇らしげだ。
「あいつ、昔は自分の食べたいものも言えなかったくらいだったのに、最近は変わってきててさ。見てて嬉しくなるんだよ」
そんな清右衛門の横顔を見つめる。彼は丁寧にたこ焼きを半分に分けながら、ふぅと息を吹きかけてから勘兵衛に差し出す。
「いっぺんお前と来たくてさ。来れてよかったよ」
たこ焼きを食べる口が止まる。声を掛けられて慌てて飲み込み、あ、と開けた。三つ目、四つ目。周りの喧騒が遠のいて、まるで二人だけの時間が流れている。五つ目のたこ焼きを食べ終えて、勘兵衛はふと清右衛門を見つめた。
「なんだ?」
「いや、なんでも」
いつもは一人で食事を済ませることが多い勘兵衛にとって、大学で清右衛門と知り合い、そういう関係になってから誰かと分け合って食べる温かさはまだ慣れないけれど、心地良い。八つ目は、最初より上手く半分に分けられた。清右衛門が先に半分を口に入れ、もう半分に息を吹きかける。その仕草を見つめながら、勘兵衛は心の中でそっと思う。
こんな当たり前の時間が、実は一番の贅沢なのかもしれない。
「ほら、最後」
差し出された楊枝の先に刺さったそれを、勘兵衛は目を細めて、口に含んだ。
勘兵衛の脳裏に、先ほど見せられた後輩の写真が浮かぶ。あの照れた表情は、きっと今の自分と同じなのだろう。