夏の終わり 初めて浴衣を購入した。シエルと花火を見るために。
オレは藍色で裾に流水紋があり、シエルは白無地。
履物は、雰囲気を大事にするならば下駄が良いんだろうな。けれど履き慣れてない下駄で足を痛めたらまずいから、浴衣に合う和風のサンダルにした。一見すると草履のよう。鼻緒の色は、オレは黒でシエルは紺色。シエルの格好は涼やかで目に心地いい。オレも白にしようか迷ったが、落ち着いた色合いの方が合うだろうと藍色にした。
「なんだか、申し訳ないッス……」
「オレが好きでやっていることだ。気にするな」
店に行き、二人で一緒に選んで試着して。平日の店は客はオレ達二人だけで、落ち着いて買い物が出来た。シエルの分も合わせて支払ったとき、彼は随分と恐縮していたな。大した出費ではないし、気にする必要はないと思うが。そもそも二人で花火を見に行きたいと言ったのはオレだ。オレの希望に彼を付き合わせている、すまないと思うのはむしろオレの方だ。
彼と花火を見たいと願っていた。
シエルと二人で、落ち着いた時間を過ごしたかった。
オレ達が見に行く花火大会はXシティで何度か催されるうちのひとつで、打ち上げ数が5000発未満の小規模なものだ。大勢でごった返す人気の花火大会は既に行われて大衆の関心は失せているから、オレ達は静かに花火を見に行けそうだった。シティの外れの河川敷でのイベントは、出店もなく近隣住民が楽しむのんびりとしたものだ。まさかペンドラゴンの人間が来るとは思わないだろう、だからこそオレはその日をシエルと共に過ごす時間に選んだ。
シエルと過ごす特別な日。オレ達が付き合って初めての花火大会。
浴衣姿ならば普段と違って気づかれにくいだろうが、オレ達は念のためストールで髪を隠して河川敷への道を歩いた。
シエルはターバンのようにしっかりと頭に巻いて、まるで異国の少年のよう。オレは緩めに巻いて、ゆったりと頭に被せた。この日は風もなく、ストールが飛んでいく心配はない。どちらも白く軽やかな生地だ。
「クロムさん、すごく……かっこいいです」
シエルが顔を赤らめて呟く。‟シエルも似合ってるぞ”と言うと、彼はいっそう頬を染めてしどろもどろになった。
群青の空が広がる下を、シエルと並んで目的地に向かう。すれ違う人は誰も気づかず、オレは目論見が成功して嬉しかった。普段はペンドラゴンだ龍宮クロムだと騒がれるから、こうして静かな時間を過ごせるのはとても貴重だ。肩書が一切関係ない、ごくありふれた恋人同士としてオレ達は今、共に居る。シエルと共に居る時が、たまらなく愛おしくて。
河川敷。宵闇の中、シエルと並んで歩く。闇の中に見える白いストールと白い浴衣が、彼の存在をオレに教えてくれる。瞳にはぼんやりと見えても、彼は、シエルは確かな存在をオレに示して。
(ああ、なんて)
幸せなのだろう。
こんなにも満たされる日が来るとは思っていなかった。
シエルが宝物のように大切で、片時も離れずにいたいと思う日が来るなんて。
昔のオレはひどい男で、心に闇を抱えていたというのに。今ではその影はかけらもない。
こんな気持ちになれたのはシエルが居たから。彼がそばに居て、いつもオレを気に掛けてくれたから。
大切なシエル。オレも彼の気持ちに報いられるように。
「もうすぐ始まるっス」
「ああ」
温暖化の影響か、夏の終わりであろうと日中の暑さは厳しい。ただこの日は普段よりは気温が低く、耐えられないほどではなかった。浴衣にサンダルだからかもしれない。いつもの格好よりも涼しく感じられた。シエルと共に花火が打ち上げられるのを待つ。花火の音が響く前の無音の時間。静寂が、大切な人と居る時が、こんなにも胸を温める。
「始まったっス……!」
夜空に昇る光と音にシエルが目を輝かせる。少しして大輪の花が空に咲き、数秒を置いて大音が響いた。花を形作った光の粒がゆっくりと下りて消えていく。華やいだ空はすぐに元の黒に戻った。
小規模な花火大会は連続して打ち上がるわけではなく、皆が興奮する派手さはここにはない。だが余韻はあって、オレは次の花火までの静けさにふっと目を細めた。
「この間のイベントほど打ち上がるわけじゃない。退屈かもしれないが」
「そんなことないッス!」
オレが呟くとシエルは食い気味に言う。ぱあっと明るい顔は、花火と比べても劣らぬほどに明るかった。雷を抱く瞳が眩しく、表情も目が離せないくらい力強くて。
「クロムさんと一緒で退屈なわけないッス!」
嬉しいことを言ってくれる。
そんな君だから、オレは幸せなんだろうな。
「そうか……」
オレが口元をほころばせると、シエルは白い歯を見せて笑う。まるで太陽のよう。夜の闇にも消えない、オレを照らす光。
シエルが満面の笑みを見せたその直後、再び花火が昇る音が。昇り笛、というらしい。光が尾を引きながら高い音を鳴らし上昇する。か細い光は消え、次いで菊を思わせる光が夜空に咲く。
「綺麗ッス……!」
「ああ。そうだな」
目を輝かせるシエルに頷き、光の花を仰ぐ。
二人だけの大切な時間を噛みしめながら、オレは消える直前の盛りの光を、ただじっと見つめていた。