無題***
──死が怖いと思った。さっきまで全てがどうでもよくて、死んでも構わないなんて思ってたのに。
まだ先ほどまでのステージの熱気を帯びた会場の音を遠くに感じながら、ティルは椅子に腰掛けていた。……いや、正確には座らされているの方が正しいかもしれない。ほんの少し前に立たされたあのステージ上から離れることが出来ずその場に呆然と立ち尽くしか出来なかったティルを会場運営をしているセゲインに無理矢理下ろされ、ここに連れてこられて、濡れた身体を拭かれ、簡単な服に着替えさせられ、そして素直に腰をかけているのだから。普段のティルならセゲインたちの思い通りになるまいと暴れて抵抗するものだが、今はその気になれない。そんなティルの様子を周りのセゲインは不思議そうに見てきたがその視線に反抗する気力なんて湧かなかった。湧くはずもなかった。
次のステージの準備を進めているのか、セゲインたちの出入りが激しい。でも、それすら今のティルにはどうでもよかった。
***
──イヴァンが死んだ。それも自分の目の前で。
人間がセゲインに支配されているこの世の中、人が死ぬなんて普通だ。アナクトガーデンにいた頃でさえ、一緒に活動していたはずの同期が忽然と姿を消すなんてことはよくあった。姿を消した同期に関しては、「転校した」だの「体調を崩して暫く来れない」だの尤もらしい理由をつけられて、何処かで元気にやっているという程にされていた。でも、きっとあれはセゲインたちに殺されたのだろう。いや、十中八九そうだ。なんせ消えた同期は音楽を主流にするアナクトガーデンで音楽の成績があまりよくなかった。セゲインの飼い主たちが人間ペットに高い金を出して音楽を専門に力を入れるアナクトガーデンに入れるのには理由がある。それなのに、だ。高い金を出して目的を果たせない人間ペットはどうなるか。そんなの考えなくてもよく分かった。自由のない人間ペットの命なんて、奴等の気まぐれで簡単に潰される。小さい頃からそんな環境に置かれていれば死は常に身近にあった。ただ。かと言って、見せしめなりなんなりで目の前で人間ペットが殺される現場を見せられたということはなかった。なんなら死んだと思われる同期についても実際に死んだのを目の当たりにした訳ではなかった。それでも、セゲインたちの人気娯楽オーディション番組のために音楽を学ばされ、ゆくゆくは生きるか死ぬかのステージに立たされる。そんなことは分かっていても、「死」という概念は何処かふわふわと曖昧な形していて現実味がなかった。でも、実際自分の身近な存在が──それも自分の目の前で死んだとなると途端に「死」が現実味を帯びてきた。死という曖昧だった存在が、急に実体を持って凶器のようにティルの身に襲いかかるのだった。死ぬは怖い。死ぬのは嫌だ。繰り返し巻き起こる恐怖と焦りがティルを蝕む。そんな恐怖から逃れるように無意識に首に手を添えた。添えた首元から先ほど死んだはずの友の感触が残り続けているのを感じ、ティルはどうしようもない吐き気に襲われ呻いた。
……イヴァン。
死んだ友のことをまた思い出す。アナクトガーデンの同期で、いつも何故かティルに付き纏っては揶揄ってきたりムカつくような行動をわざととったりするような人物だった。そんな様子にティルは酷く腹が立ち、怒って追い払おうとした。しかし、何故かそんなティルの態度すらイヴァンは楽しそうに見ていた。そして、鬱陶しいくらいの意味不明な行動を取ってきたかと思えば、ティルに邪魔や危害を加えることなく気付けば何もせずに横にいるなんてこともあった。どう考えても理解不能で変なヤツではあったが、ティルにとっては「友達」と呼べる存在であった。しかし、こんな世界に於いては「友達」という存在をあまり作るべきではないということをティルは薄々感じていた。この場で仲良くなってもいつしか理不尽で唐突な「死」という別れが必ず来る。だから、ティルは「友達」のイヴァンとこれ以上仲良くなることを恐れた。仲良くなってしまえば、親しくなってしまえば、大事な存在になってしまえば、きっと失った時に苦しくなる。別れるのが怖くなる。だから、ティルはイヴァンから逃げた。イヴァンがティルに近づくのであれば極力目線を合わせず、そっけなくあしらうようにした。……ただし、イヴァンがあまりにもムカつくような行動を取ってくるとそんな抵抗も上手くいかずムキになってしまうことはあった。それでも精一杯、別れの苦しみや恐怖から逃れるように必死でイヴァンを遠ざけようとした。しかし、イヴァンは遠ざかってはくれなかった。寧ろ遠ざけようとすればするほどイヴァンは近づいてきた。なんでこんなに酷い仕打ちをしてるのにイヴァンは自分に纏わりついてくるのだろうと思った。そんなイヴァンの様子に疑問を抱いた。……疑問を抱いてしまったから、少しイヴァンについて考えてしまった。その時に、イヴァンが自分がミジに抱くような感情に似たものを自分に向けていることに気づいてしまった。自分がミジに向けるそれに限りなく近いように見えて、別のものが複雑に入り混ざりあって違うものである印象もあった。でも、自分がミジに抱いている感情とイヴァンが自分に抱いている感情が何が違ってイヴァンのその感情がどういうものなのかなどは分からなかった。そもそもそれが本当に自分がミジに抱いているような感情と同じだったのかも分からない。──いや、向き合う以前にティルは理解しようととしなかった。理解するのも怖かったから。だからイヴァンのそんな感情やそれを抱いているイヴァン本人に目を背けた。確かに目を背けた……筈なのに。イヴァンが締めた自分の首からイヴァンの感触を、痕跡を感じると心臓が誰かに握り潰されるような痛みに襲われる。痛みと苦しさが併せて襲い掛かりティルは思わず獣のような低い呻き声をあげた。そんな呻き声に反応したセゲインがティルが何かするのではないかと監視している視線を肌に感じる。それに反抗の意を込めて睨み返すなんてことをする余裕もなく、ティルは痛みに耐えていた。苦しいから怖いからと目線を逸らして逃げていたはずなのに、苦しくて息が詰まる。逃げていたはずなのに、別れとはこんなにも苦しいものなのか。苦しさから逃れるように大きく深呼吸をした。ハァ、ハァと荒い呼吸を繰り返すと幾分か痛みも楽になってきた。逃げてもこんなに苦しいのなら、向き合っていたらもっと苦しかったのかもしれない。ティルは酸欠で上手く回らない脳で必死に考えた。……でも、それでも。逃げてもどの道苦しいというのなら、イヴァンとしっかり向き合っていも良かったのかもしれない。いや、向き合うべきだったのかもしれない。結局逃げてきたせいで「友達」と思っているはずのイヴァンのことを何一つ知らない。イヴァンが自分に抱く感情の正体だとかも全く分からない。分からなかったけれど、イヴァンを遠ざけたせいでイヴァンが苦しそうにしていたことをティルは何となく知っていた。分かっていた。自分の勝手な都合で誰かを傷つけるなんてあってはならない。そんな自覚もあった。でも。それでも。ティルは怖くて目を逸らした。あぁ、どの道苦しいのであればイヴァンのこともう少ししっかり向き合っていれば良かった。もっと仲良くなっていれば良かった。そんな遅すぎる後悔の念がティルの頭を支配する。和らいだはずの胸の苦しさがまた一層強くなったように感じた。
***
──怖いと思う以前に死ぬことが許されていない気がする。
未だに消えることのない首筋の感覚をなぞりながらティルは考える。あの時のイヴァンは確かにティルの首を絞めた。それもパフォーマンスのような生温いものではなく息が出来ないくらい力が込められたものだった。今も鮮明に思い出せるくらいはっきりとした感触が依然と首に居座り続けていてそれがティルを苦しめるのだった。首を絞めるというのは相手の息の根を止める行為なのだから、当然絞める相手に殺意が向く。それなのに、それなのに……。何故かあの時イヴァンがやったそれは別の意味を持っているように感じた。勿論、強く絞められていたから息が出来ず苦しくて本当にイヴァンに殺されるのだとあの時は思った。そして、全てどうでもよくて生きるのもどうでも良かったから、イヴァンのそれを受け入れた。のだが、首筋に残るそれは首を絞める本来の意図と反対のものを訴えてくる。
──死ぬな。死んではならない。
殺されそうになったのに死ぬなと訴えてくる。馬鹿げた発想だと思う。気が狂ったと思われても仕方がないと思うし、都合の良い解釈をしているなんて思われるだろう。しかし、確かに首のそれは死ぬなとティルに訴えている。
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「生きろ」だとか「死ぬな」だとかは本来ならきっとプラスの意味合いのはずだ。救いの言葉として使われることもある。しかし、首筋のそれはそんな生優しいものではなかった。全てを諦めて、終わらせたいと思ってたティルに絶対そうなるなと縛り付けてくる。死ぬのは許されない。死んではならない。死ぬのは悪だ。そんな言葉がティルの頭に流れ込んでくる。ティルの気持ちが少しでも「死」へ傾いてくるとそれはいけないことだと糾弾してくる。もはや呪いだとティルは感じる。ここに座らせられてから何度も「死」が脳裏をチラついてどうしようもない恐怖に取り込まれそうになる。あまりにも苦しくていっそのこと死んでしまった方が楽かもしれないと思う時もあった。けれども、「またお前は逃げるのか」とか「ティルは俺を殺したのに、死のうとするんだ?」と首筋の感触が主張する。居ないはずなのにイヴァン見られているような錯覚に陥る。ティルが少しでも傾かないように常に監視をされているような気もする。姿が見えないのに、あの時首を絞めた時に見せたイヴァンの恐ろしい表情を浮かべてこちらの様子をじっと見つめてくる。
***
イヴァンは常にティルの側にいた。ティルの邪魔をしたり煽ったりすることも多いが、姿が見えないと思ったら隣りに静かに座ってるなんてこともあった。今日は隣りにすらいないと思うと ほんの少し離れた木陰からティルのことをじっと見ていたなんてこともあった。
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メモ📝
ティルの近くには常にイヴァンが居た。イヴァンが常に居るのが当たり前だった。
→けれども、イヴァンは死んだ。それもティルの目の前で。だから、イヴァンはティルの近くにはもう居ないはず。
→しかし、イヴァンが目の前で確かに死んだはずなのにイヴァンの存在が常に近くにあるように感じる。きっと死に際にティルに残した唇と首の痕跡がそう錯覚させてるのかもしれない。でも、いないと分かってるのにイヴァンの視線を感じる。ティルが死なないようにと監視されてるような気がする。ティルは生きることを諦めてるのにイヴァンはティルを生かそうと見てくる。だから、死のうにも死ねない。生きなくてはならないと思わされる。
気力が湧かずステージに立ってたから、本来なら死ぬのはイヴァンではなく自分だったはず。
→何故かイヴァンは死んだ。本来ならイヴァンが生きるはずなのに。イヴァンの代わりに生きてしまった自分は生きなければならない。
周りにいたセゲインがミジの話をしているのを偶々聞く
→ミジはどうなっているんだろうとふと考える。先程目の前でイヴァンが死んでしまったのを思い出し「ミジの死」がよぎり過呼吸気味になる。
→必死で考えを振り落とす。そんなはずがない。ミジはきっと生きてる。
→本来ならここを抜け出してミジを探したかった。でも、逃げられない状況に居るしなんなら自分の死も近いかもしれないということを悟り死の恐怖がまた過ぎる。
→ミジが生きてるかと確かめる術がない。ミジの安否を確認する望みを得るには勝つしかない。でも、怖い。
→ミジはどうしてるんだろう。ミジが無事だといいな。ミジが無事ならなんでもいい。……でも、一つ叶うとしたらミジを一目でもいいからもう一度この目で見たい。ミジに会いたい。会える望みは薄いけど、願わくばミジに……。
ざわつく辺りの声に気づく
→次のステージが近いことを悟る。次の対戦相手(ルカ)があの時ミジをあれほど怒らせた人物であることを思い出す。そしてルカの実力を思い出してまた死が過ぎり体が強張り震えてくる。でも、立たなければならない。イヴァンのためにもミジに会うためにも。けれども、自分を奮い立たせることや死と向き合う手段が分からない。イヴァンに対しても何に対してもずっと逃げてきたから向き合う方法が分からない。だから、向き合えない。ずっと逃げてきたから。でも、ずっと逃げてたから、目を背けて来たからこそそういった手段は分かる。だから、死の恐怖から目を背けて逃げてこの状況を切り抜けるしかない。震える体を無視して気づかないふりをして、そして今までやって来たように虚勢という鎧を纏う。これが逃げることしか出来ない自分が出来る精一杯の抵抗だから。
→歓声が絶え間なく聞こえるステージに深呼吸をしながら近づいていくティルの様子で締めくくる(描写はちゃんと考える)