ⅱ
太陽の眩しい光が少しも差し込んで来ない、黒にどっぷり浸かった真夜中。其処に紛れる様に張られた天幕は本来なら受け入れないであろう人を受け入れていた。
星が綺麗だと思った。
ナタの地域では見られない素材で作られた青い天幕、その中には移動式の簡素な寝床が置かれているだけ。最も、地面に敷いただけのそれでは少年は寝付けなかった。元々の生活習慣の問題もあるかもしれないが。彼は何もする様子もなく、大人しく座っていた。
彼はじっと星を見ていた。天幕はぴったりと隙間なく閉じられ、室内の灯りも全て消えているのに光を見ていた。まるで生き物の様に動く気配がない青年。だが、彼の蝙蝠の耳だけはずっとゆっくりと動く。何かを探す様に、何かに引き付けられるように、彼は微かに何かの足音を捕らえていた。
「......寝ていないのか」
足音が彼がいる天幕の前で止まる。星の足音だった。「隊長」は天幕の外から静かに問い、中にいる青年...オロルンが僕は元々こういう生態なんだ、と返したことでそうか、と踵を返した。
(...やはり、あの泣き声のようなものの正体は彼だ。)
オロルンは静かに目を閉じた。気掛かりだが、別に問う気も、これ以上探る気も無い。僕たちは“ナタを救うため”に一緒にいるだけで、それ以上でもそれ以下でもないからだ。問うたところで答えてくれないだろうし、自分からわざわざ、探ろうとも思わない。僕たちがあの二杯目を越えてしまったら、きっと相手にしてもらえないだろうから。
この関係性を、僕も彼を壊すことを望んでいないから。
そうしてオロルンは目を閉じた。脳裏に自然と浮かぶ焚き火の音が、パチパチと爆ぜる音が、心地よかった。
×××
「......っつ!」
意識が急に覚醒し、今まで浸っていた生暖かいものがすーっと抜けていく感覚がした。まるで湯船から引き上げられたような気分だった。
オロルンは目を見開き、当たりを見渡した。
「こ、こは...」
見渡しながら、今まで自分は何をしていたか、どうして見知らぬ所にいるのかと色々思考が湧いてくる。
獣耳が静かな空気から僅かな一定の音を得る。加えて消毒液のような独特な匂い。清潔感のある白いシーツに、それと同質の枕、急に動かしたことでチクリと傷んだ腕を見ればそこから伸びる点滴。そして僕は今朝持っていたものがまんま置かれてある椅子。
「...病院か、」
「目が覚めたか」
そして、黒髪の男。
「......!」
オロルンはそこで飛び起きるように横を見た。落ち着いてきたはずの心臓が、再び、どっ、と音を立てる。
病室の一室、そこに横たわる自分の側に「隊長」(仮)がいたからである。嗚呼、そう言えば彼の前で倒れたんだったな...と思い出した。
「......すまない。勝手に俺がよく使う病院に連れて来させて貰った。」
何かを喋ろうとし、口が張り付いたまま何も言わないオロルンを察したのか、「隊長」(仮)は静かに謝罪を口にした。
「いやいやいや、君が謝る必要はない。」
オロルンは反射的にそう言った。
「謝るのは僕の方だ。すまない、とんだ面倒をかけたな。」
そうだった。
テイワットでのナタの記憶を思い出してしまった僕は、記憶を持たない君に出会ってしまったんだな。とオロルンは思い出した。思い出して、一瞬息が詰まる。胸があの時の後悔と感謝で満たされる。ここからどうすれば良いかと思った時、急に病院の扉が開いた。
『おや!起きましたか』
そこに現れたのは、白衣を着た老人だった。
「嗚呼、おかげさまで」
『スラーインさんが急患だと連れてきたから驚いたよ。でも目覚めたようだね、今の気分はどうだい?』
医者はオロルンにそう言い、オロルンは問題ないですと答える。その様子を“スラーイン”はじっと聞いていた。
『......君、今は治ったみたいだけど。心臓がすこし悪かったのかい』
「はい。生まれた頃は直ぐに入院していたようで、其処から孤児院に行くまでは病院にいました。でも、今は元気で健康です」
『だろうなぁ。君の検査の異常は無いし、目立った外傷も無い。倒れた時に頭を押さえていたとスラーインさんは言っていたけど、何か覚えていることは?』
オロルンは此処で少し悩んだ。
突然眩暈が襲ってきた、と答えればそれで終わるが、この眩暈と眩暈が引き連れてくる頭痛の正体は分かっている。けれど、それを口にすべきでは無いのも理解している。
「ええと、寝不足が原因だと思います...」
医者が寝不足?と少し半信半疑だが、オロルンはそれで押し通した。いや、でも、記憶の再上映により飛び起きたり、冷や汗をどっとかいて身体が冷えて起きることもあるから嘘では無いだろう。
そうして簡単な問答を幾つか繰り返し、オロルンは帰っても良いよと許可を出された。
「すまない、駅まで送って貰ってしまって」
「構わない。俺が勝手に連れてきた様なものだからな」
病院の案内口でやり取りを済ませ、当たり前かの様に自分を待っていた「隊長」と合流したオロルンは疲れ切っていた。いや、体調はすこぶる良くなったのだけど、それはそれ、これはこれである。
「...念の為、もう一回診せに来いと言われていたが、いつだ?」
「...?嗚呼、三日後だ」
「三日後...金曜日か」
そう言った「隊長」は微かに眉を顰めた。オロルンは頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「...金曜日は混むぞ。夕方から閉院までは特に」
「そうなのか」
オロルンは金曜の時間割を思い出そうとした。授業自体は四、五限しかない。その為授業終わりに向かおうと思っていたが彼からの助言を無碍にするわけにはいかない。なら、ちょっと早く起きて朝の時間帯に行くしか...いや起きてるか?でも、起きるしか...
「俺はいつも金曜の朝に行っている」
「金曜の朝」
「嗚呼、比較的空いているぞ」
「そうなのか。って、君はあそこの病院に通っているのか?」
オロルンは、嗚呼と頷く「隊長」を見上げた。
その時、確かに自分の病室に来た医者が”スラーインさん“と呼んでいたのを思い出した。
「...嗚呼、時々薬を貰いに行っている」
「なるほど」
オロルンは、現世で答えられたそれに少し驚いた。もし今が前世だったら何も答えてくれないだろうからである。
これも彼が運命に囚われていないことによるものなのかと思ったが、彼は嘘を吐かないところは変わっていないことに安堵というか心が温かくなった。人の魂・性質は変わらない。それこそ、シトラリやイファだって変わっていないし、とオロルンは思う。