『1/7の純情な感情』部室のドアを開けると、すでに歩夢さんと侑さんが中で談笑していた。穏やかな時間が流れるいつもの部室だが、今日は少しだけ空気が違う気がする。歩夢さんは私を見つけると、いつも以上に嬉しそうな笑顔を浮かべ、すぐに話しかけてきた。
「栞子ちゃん、聞いたよ!フィギュア化おめでとう!」
「ありがとうございます……」
やはりこの話題か。内心、嬉しい気持ちはある。けれど、この何とも言えない複雑な感情は何なのか。
自分のスケールフィギュアが発売されるなんて、普通の高校生では考えられないことだろう。でも、スクールアイドルとして活動している私にとっては、それが「普通」なのだと嫌でも思い知らされる。
「そういえば、なんで私たちのグッズって、知らない間に商品化されて売られてるんだろう?」
侑さんが少し首をかしげながら問いかけてくる。その無邪気な疑問に、私も少し考え込んでしまう。
「確かに……こうして考えてみると、私たちのアクリルスタンドやスケールフィギュアが、あちこちで売られている光景は不思議ですね。しかも、私たちには無許可で……」
「まあ、ファンのみんなが喜んでくれるなら、それでいいんじゃないかな?」
歩夢さんが明るく笑って言う。それに対して、私も自然と微笑み返す。歩夢さんの言う通り、あまり深く考えすぎるより、ファンのみなさんの応援の形として前向きに捉える方が、私自身も楽しめそうだ。
「そうですね……それに、私のスケールフィギュアが誰かの元で大切にされるのなら、きっとそれも素敵なことかもしれません」
そう言いながらも、少しだけ顔が熱くなるのを感じる。やはりスケールフィギュアとして、自分の姿が忠実に再現されるなんて、まだ、慣れない。
「栞子ちゃん。もしよかったら、私、予約しようかなって思ってるんだけど……その、いいかな?」
歩夢さんが恥ずかしそうに尋ねてくる。その言葉に、どう答えたらいいのか迷ってしまう。
「え、ええと……もちろん、ありがとうございます。でも、少し……恥ずかしいです。」
そう答えるのがやっとだった。尊敬する先輩である歩夢さんに自分のフィギュアを買われることが、なんだか照れくさい。
「でも、まあ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃないかな。こういうグッズって、スクールアイドルの活動の一つの形でもあるし、きっとみんなが普段から栞子ちゃんを応援してくれてる証だよ。」
侑さんが、優しくフォローを入れてくれる。確かに、そういう見方をすれば、少し気が楽になるかもしれない。
「そうかもしれませんね……でもやはり、少しだけ違和感があります。いまいち現実味がない、というか……私自身、スクールアイドルを始める前は、このような文化や市場に疎かったので」
軽く笑って言った私の言葉に、二人も微笑んでくれる。この部室での何気ない会話が、私にとっての大切な時間になっているのだと、改めて感じる。
「そうだ!せっかくだしさ。ここで栞子ちゃんフィギュアの試作品、みんなで見てみない?」
前言撤回。侑さんがなにやらとんでもないことを言い出した。
「えっ、今ここで、ですか……?」
驚きと恥ずかしさが一気に込み上げる。自分のスケールフィギュアの試作品を他の誰かに見せるなんて、そんなこと考えたこともなかった。勿論、いずれファンの皆さんが手に取ってくれることは、嬉しい。でも、せめて心の準備をさせて欲しい。急にこんな間近で、それも尊敬する先輩達の前で見せるなんて……。
「うん!みんなで一緒に見たらもっと栞子ちゃんの魅力が伝わるかな、って……だめ、かな?」
ずるい。そんな上目遣いで子犬のような目をされたら断れるものも断れない。これで、わざとやっていないと言うのだからタチが悪い。
「あ、でも栞子ちゃんが嫌だったら無理にはしないからね」
歩夢さんが優しくフォローしてくれるが、もう私の気持ちはぐるぐると混乱している。拒否したい気持ちと、ふたりの期待に応えたいという気持ちがせめぎ合う。結局、私は小さく頷くことしかできなかった。
侑さんが嬉しそうにフィギュアの箱を開け、中からソレを慎重に取り出した瞬間、部室の空気が変わった。そこにあったのは、まさに私自身─────いや、それ以上に精巧に作り込まれた「私」だった。
「わぁ……」
歩夢さんが小さく感嘆の声を漏らす。私も思わず言葉を失ってしまう。スケールフィギュアは、私がステージで着たあの華やかな衣装を身にまとっている。白を基調とした上着は、袖口にかけて美しい金の刺繍が施され、まるで本物の織物のように見える。肩から伸びる袖は広がり、動きに合わせてひらひらと揺れるような軽やかさまで感じさせる。
さらに、腰に巻かれた青い帯には、細かな模様が描かれており、その上からは重厚感のある装飾が施された紺色のスカートが広がっている。スカートの裾には緻密なゴールドの模様が入り、フィギュアが静止しているにもかかわらず、今にも風に舞い上がりそうな動感を感じさせる。
そして、私の目を引いたのは、フィギュアの足元だ。足元は特に美しく作り込まれており、その繊細なデザインに驚きを隠せない。パンプスの細かなステッチやソックスのシワの表現までが忠実に再現され、まるで本物の衣装を見ているかのようだった。
「……す、すごいですね……」
ようやく言葉を絞り出したものの、その声は自分でも聞き取れないほど小さかった。心の中では、嬉しさと同時に、強烈な恥ずかしさが渦巻いている。頭には小さな羽飾りが付いた帽子が丁寧に乗せられており、その下に広がる髪の毛は一房一房が丁寧に造形され、光を受ける角度によって輝きが変わる。目元の繊細なグラデーションや、口元のわずかな微笑みまで、まるで生きているかのように表現されていた。
「本当に栞子ちゃんそっくり……!この衣装、初めてのソロの時のだよね?」
歩夢さんの指摘に、私は頷くことしかできない。彼女の視線は、フィギュアの各パーツへと移動する。すべてがまるで職人技のように作られており、その精巧さにただただ驚かされるばかりだ。
「すごいなぁ……細かいところまで、こんなに再現されてるなんて。まるで本物の栞子ちゃんみたい」
侑さんが感嘆の声を上げると、私の恥ずかしさは頂点に達する。フィギュアを見つめる二人の視線が、まるで私自身を見透かしているかのようで、居心地の悪さが募る。
「……ありがとうございます。でも、こうして間近で見ると、やはり少し……恥ずかしいです」
顔を覆いたい気持ちを抑えつつ、私は二人に向かってそう言った。侑さんと歩夢さんは、お互いに微笑み合いながら私の言葉に頷いた。
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夜、自宅に戻ると、姉さんが何やら考え込んでいるような様子でリビングに座っていた。少し気になって声をかける。
「姉さん、どうかしましたか?」
「え、いや……なんでもない…けど?」
明らかに動揺している。どうやら何かを隠している様子。
「もしかして、姉さんも例のフィギュアを購入しようとしているのですか………?」
直感でそう尋ねると、姉さんは驚いたように目を見開いた。
「え、いや、その……やっぱり妹のグッズなんだから、そりゃ気になるじゃない?」
姉さんが照れながら言う姿に、思わず笑みがこぼれる。姉さんも私と同じように、このフィギュアに対してほんの少しの気恥ずかしさと嬉しさを感じているのだと知ると、何だか安心する。
「姉さん……そんなに無理しなくてもいいんですよ。私も、まだ少し慣れていませんから。」
「そっか……でも、こんなグッズが出るってことは、栞子がファンのみんなから愛されてる証拠よね。私も、なんだか嬉しい。」
いつものようにカラッと笑う姉さん。その言葉に、胸が温かくなる。姉さんが私を心から応援してくれていることが伝わってきて、何とも言えない嬉しさが込み上げる。
「ありがとうございます、でもまだまだです。私も、もっと努力して、姉さんみたいな、胸を張れるスクールアイドルになりますから。」
「そっか……慣れるよ、栞子も。応援してるから」
姉さんの顔が少し赤くなったのを見て、私もまた、同じように顔が熱くなるのを感じた。
やっぱり、姉さんには敵わない。
今だけは、この顔をフィギュアのパーツのように取り替えられたら、どんなに楽か、そう思わずにはいられなかった。