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    tyoko_hi2

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    tyoko_hi2

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    gntm tksg夢
    「隣にいる」20話
    ※最終話

    「どういう、こと」
     ナマエの声は震えていた。銀時はただ、視線を伏せるばかりだった。
    「銀ちゃん、どういう、こと」
     銀時が、息を吸い込んだ。
    「アイツは、死んだ」
     銀時の言っていることが分からなかった。ナマエは突然、深い穴に突き落とされたかのように、ぐるりと視界が暗転した。
     気づいたら、晋一がナマエの顔を覗き込んでいた。泣きそうな顔をして、ナマエを見つめている。
    「かか様、大丈夫……!?」
    「……晋一、」
     そばには銀時も腰掛けていた。ナマエは震える声を、絞り出した。
    「銀、ちゃん。晋助が、死んだって……どういう、こと……?」
     銀時が、ゆっくりと話し始めた。
    「……俺もお前を探してた。高杉から、何にも、聞いてねえんだな」
    「……なんにも、聞いてないよ」
     はあ、と銀時は大きなため息をついた。ガキがいるなら言えよ、と呟く。
     ナマエは、銀時から全てを聞いた。戦争のこと、松陽先生のこと、アルタナのこと。晋助の体のこと、そして晋助が一人でしたこと、果たしたこと。
     全て、初めて聞いたことだった。晋助は何も言ってくれなかった。晋助が二年間、そんな体になってまで松陽先生を救おうとしていただなんて、知らなかった。
     晋助は、ナマエ達に全く何も知らせず、この世から、いなくなっていた。
     ナマエは何も理解できなかった。晋助が死んだ、と言われても、何の実感も得られなかった。あの日、いつものように家を出たのに。「とと様大好き!」と言う晋一を抱きしめて、穏やかな顔をしていたのに――。
     ナマエは、呆然としながら、言った。
    「――しん、すけ、」
    「アイツは地球を――お前らを護って、死んだ」
     ナマエはわっと声を上げて泣きかけた。その時、かか様、と何も分からない晋一が、ナマエの着物を引っ張った。
    「とと様は? とと様はどこ?」
    「とと様は……」
     父親に会えると聞いていた晋一は、不安げな表情をしていた。ナマエは言葉に詰まった。そんな二人を、銀時は悲痛な面持ちで見つめていた。
     この子に、なんと説明したらいい。まだ死という概念を理解できない幼い我が子に、ナマエは咄嗟に、嘘をついた。
    「……少し、ご用事があって遠くに行くんだって。まだ、帰ってこられないみたい」
    「とと様……」
     晋一が、目に涙を溜め始める。それでも晋一は、ぎゅっと口を一文字に引き結んだ。
    晋一は、父親が大好きな子どもだった。ナマエは晋一を抱き寄せた。
    「大丈夫。晋一には、かか様がいるから。だから……だから……」
     ナマエは泣くまい、と天井を見上げた。そこにあったのは、見知らぬ万事屋の天井だった。
     この子が泣くのを必死に堪えているのに、母親である自分が、無様に泣き喚くことはできなかった。
    「かか様が……かか様が……」
    「かか様?」
    「かか様が……晋一を護るからね」
    「かか様……痛い痛い?」
     自分だって心細いだろうに、晋一は、ナマエの心配をしていた。ナマエの目から一粒、涙がこぼれ落ちた。唇を噛み締め、さっと涙を拭う。
    「痛い痛い? かか様?」
     ナマエは、晋一を安心させるために笑顔を作った。
    「大丈夫よ、どこも痛い痛いじゃ、ないよ」
    「かか様、ぎゅう」
     晋一が、小さな腕でナマエを抱きしめる。ナマエがいつもするように、晋一が、ナマエの頭を撫でてくれる。
    「とと様とお約束した。とと様がいない間、僕が、かか様を護る」
    「晋一……」
    「かか様、泣かないで。僕がかか様をお護りするから」
     晋一、とナマエは晋一に抱き着いた。小さな温かい体が、必死にナマエを抱きしめていた。
     その後、依頼に出ていた神楽と新八が帰って来ると、晋一は大きなお兄さんとお姉さんに歓声を上げた。神楽はナマエの顔を見て何かを言いたそうにしていたけれど、何も言わなかった。
     二人に遊んでもらい、晋一は万事屋で眠りこけてしまった。眠っている晋一を抱き上げ、ナマエは銀時と共に、万事屋から新幹線のホームに向かった。
     銀時は、新幹線が来るまでナマエ達を見送ってくれた。新幹線の到着を告げるアナウンスの中、銀時が口を開いた。
    「……無理すんなよ」
    「銀ちゃん……」
    「また、万事屋に来い」
     ナマエは涙腺が潤んだ。小さく、笑みを作って見せる。
    「ありがとう、銀ちゃん」
    「……本当に、無理すんな」
    「……うん。私には、晋一がいるから」
     新幹線が到着する。ナマエは晋一を抱いたまま、新幹線に乗り込んだ。
     家に帰ると、布団で眠る晋一のそばで、ナマエは晋一の手を握っていた。まだ小さな小さな手。その手で何度「とと様!」と晋助の手を握っただろう。
     ナマエは事実を、どう受け止めたらいいか分からなかった。きっと晋一がいなければ、気を狂わせ、叫び続けていただろう。それでも手のひらには晋一の温かい手があって、晋一はすやすやと、穏やかに眠っていた。それだけがナマエを、この世に繋ぎとめていた。
     晋一は辛抱強く晋助が帰って来るのを待っていた。ナマエも心のどこかで、銀時が言っていたことはすべて勘違いなのではないか。ある日突然晋助が帰って来るのではないかと、ありもしない希望を抱いていた。
    けれどその淡い希望は、時間と共に、打ち砕かれていった。
    待てども待てども、晋助は帰って来なかった。
    ナマエが現実を受け止めたのは、銀時の元を訪れてから、しばらく経ってからだった。晋一を風呂に入れようとしたら、晋一が「とと様にアヒルさんしてもらいたい!」と泣
    き喚き始めた。
    「とと様がいい! ととさま、どうして帰ってこないの!」
     晋一はアヒルを掴んで振り回していた。ナマエは、晋一にどう説明したらいいか分からなかった。
    「とと様はね」
    「とと様! とと様! とと様、どこにいらっしゃるの!!」
    「とと様は、ね……」
     もう帰ってこないの、と言いかけて、ナマエは口をつぐんだ。そんな残酷なことを、口にして言えなかった。
    けれど晋助が帰って来なくなってから、すでに何ヶ月も経過していた。
    その時、ナマエは晋助はもう、この世のどこにもいないと、はっきりと悟った。
    もう玄関を開けて帰ってくることはない。晋一を抱き上げることはない。自分を抱きしめてくれることもない。志を果たして――ナマエに晋一を残して、本当に何も言わず、一人逝ってしまった。
     その途端、ナマエは膝から崩れ落ちた。どうしたらいいか、途端に何も分からなくなった。これから晋一と、どう生きていけばいいのか。晋助のいない世界で、自分は、どうしたらいい。
     あんなにそばにいたいと思っていたのに。地獄まで一緒だと、誓ったのに。背中の刺青が、今でも掻きむしりたいほど疼くのに。
     晋一がいるから、ナマエは後を追って死ぬこともできなかった。
     ナマエは泣き崩れながら晋一を抱きしめた。晋一はなおも「とと様! とと様!」と泣き叫んでいた。
     ナマエは流れる涙が止まらなかった。暴れる晋一を、抱きしめることしかできなかった。
    「とと様は、ね……」
    「とと様ぁ! とと様ぁ!」
    「とと様は、とと様は……」
     もう――この世のどこにもいなかった。

     それから度々、ナマエは万事屋に遊びに行った。銀時や神楽、新八はいつも、心よくナマエ達を迎え入れてくれた。
     万事屋にお泊まりする日の夜だった。その日は神楽と新八が晋一を遊園地に連れて行ってくれて、晋一はぐっすりと眠っていた。
     ナマエはそっと寝床を抜け出して、万事屋の玄関の手すりにもたれかかった。大きな月が出ている夜だった。こんな夜には、背中の刺青が、疼いた。
    「……ナマエ」
    「銀ちゃん」
     振り返ると、銀時がそこに立っていた。ナマエは慌てて涙を拭った。
     銀時はナマエの横に立ち、同じように手すりにもたれた。月を見上げ、頭をぼりぼりと掻く。
     銀時が、ぽつんと口を開いた。
    「お前が、よかったらなんだけどよ」
    「……銀ちゃん?」
    「よかったら、うちに引っ越さねえか。親子二人より、俺も神楽も新八もいるしよ、何かといいだろ」
    「……銀ちゃん」
     銀時はそれだけ言うと、まあ考えといてくれや、と言って万事屋に戻っていった。
     ナマエは晋助と晋一で暮らしていた家を出るつもりはなかった。けれど、銀時の言葉はいつも、胸に残っていた。
     銀時の提案から半年も経たない頃。晋一は、大風邪を引いた。その風邪がナマエにも移り、ナマエも、高熱を出していた。隣の老夫婦はあいにくにも不在で、ナマエは熱に朦朧としながら、吐き下しを繰り返す晋一の、看病をし続けた。
     それでも、一人では限界だった。ナマエは電話機まで這い、教えられていた電話番号に電話をかけた。
    「もしもし、万事屋ですけど」
     銀時の声だった。ナマエは、涙が滲んだ。
    「ぎん、ちゃん」
    「……どうした、何かあったか」
    「……助けて」
    「……すぐに行く」
     銀時達万事屋は、すぐに新幹線でナマエの家にやってきてくれた。銀時も神楽も新八も、三日間、つきっきりでナマエと晋一の看病をしてくれた。一週間経ってナマエと晋一がすっかりよくなると、銀時達は依頼代も取らず颯爽と「またなんかあったら呼べよ」と帰っていった。
     ナマエの心は、迷っていた。母子二人暮らし。隣に親切な老夫婦がいるとは言え、いつまた誰かの助けが必要になるか、分からない。
     かあ様、と元気になった晋一が、ナマエにじゃれつく。何が晋一にとって一番いいのか
    ――ナマエは、考え続けた。

     晋一が寺子屋に通い出す年齢になると、ナマエは晋一の進学のことも考え、万事屋に引っ越した。晋一は神楽にも新八にも慣れていたから、晋一はここにずっといられると大喜びだった。
     ナマエは夜はスナックお登勢で働き、午後は万事屋の仕事を手伝った。お登勢はいい人で「別嬪が働いてくれるから助かるよ」と言ってくれた。ナマエはせっせと働き、きちんと万事屋の家賃を納めた。ナマエが働いている間、万事屋は一度も家賃を滞納することはなくなった。
     神楽も新八も、本当にナマエ達によくしてくれた。晋一が寺子屋で虐められていると分かった時、真っ先に寺子屋に乗り込んだのは神楽だった。そして銀時と新八が続き、晋一をいじめていたいじめっこを懲らしめてくれた。
     晋一が年頃になると、銀時は新八の道場で晋一に、剣術の稽古をつけるようになった。当然ながら、銀時は晋一にとって、巨大な壁だった。晋一は倒れても倒れても、銀時に挑みかかっていった。その度に晋一は傷を作って帰り、ナマエは晋一の手当てをした。
     銀時が晋一に剣術の稽古をつけている時。ナマエはお昼のおにぎりを持って、道場を訪れた。銀時は子どもの晋一にも容赦なかった。晋一が倒れるたびに「お前の父ちゃんは、そんなもんじゃなかったぞ」と晋一をけしかけた。
     晋一は叫び声を上げながら銀時に切り掛かった。それを一刀両断すると、銀時は、晋一に言った。
    「この世でお前のかあちゃんを護れんのは、お前だけだ」
     晋一の目には、まだ闘志が燃えていた。額の汗を拭き、また立ち上がる。
    「とうちゃんの代わりに、お前がかあちゃんを護れ」
    「うおおおおおお!!」
     晋一は再び、銀時に挑みかかった。ナマエはおにぎりを胸に抱きながら、晋一と銀時を見守っていた。
     万事屋では、色々な依頼ごとが舞い込んできた。子どもの面倒を見てほしい、というものから危険なものまで。危険な依頼の時は、ナマエは万事屋で銀時達が帰ってくるのを待った。そのうちナマエは立派な万事屋の一人として町に認められ、ナマエに指名して依頼が舞い込むこともあった。スナックお登勢も、ナマエ目当てにやってくる人が多くなった。
     晋一はやがて、十二歳になった。十二歳の誕生日を、万事屋で盛大にお祝いした後。ナマエは寝床を抜け出して、万事屋の玄関の手すりにもたれていた。肩には晋助の羽織をかけ、晋助の煙管を手にしていた。煙管の煙が、細く夜空に登っていた。
     晋助を偲ぶ物は、悲しくなるからずっと仕舞い込んでいた。けれど今では、晋助を感じさせる、ナマエにとって唯一のものだった。 
     煙管をふかしていると、晋助の匂いが、するようだった。
     がらがらと、玄関が開かれる音がした。銀時がナマエの横に立ち、ナマエの顔を覗き込んだ。
    「……笑いながら、泣いてんじゃねえよ」
     ナマエは笑いながら泣いていた。他にどうしたら泣けるのか、分からなかった。ナマエは晋一やみんなの前では、涙を見せたくなかった。
     銀時はナマエの肩を抱き寄せた。
    「泣きたきゃ、泣けばいいだろ」
    「……銀、ちゃん」
    「俺しか見てねえよ。思いっきり、泣け」
    「銀、ちゃん」
     ナマエはわっと泣き出した。震える肩を、銀時がしっかりと抱きしめてくれていた。
    「晋助に、会いたい」
    「……ああ」
    「晋助に会って、抱きしめてほしい」
     銀時は何も言わなかった。黙って、抱いているナマエの肩に力を込めた。
    「……ねえ、銀ちゃん、晋助は自分の志を果たして……松陽先生を救って、死んだんだよね……?」
     銀時が、一瞬黙り込む。そしてやがて、口を開いた。
    「……アイツは先生を救って、死んだよ。やらなきゃなんねえことをして、死んだ」
     アイツらしい最後だったよ、と銀時が呟く。ナマエはますます、涙を溢れさせた。
    「そっか……」
     それならよかったと、まだ思える自分ではなかった。どうして置いていったのと、今でも叫びたかった。それでも叫びは声にはならず、ただはらはらと、涙になるだけだった。
    「……かあさん?」
     背後から、晋一の声がした。ナマエは涙を、乱暴に拭った。
    「母さん、泣いてるの?」
     ナマエは振り向いた。月明かりの下、晋一は晋助とそっくりな顔をして、そこに立っていた。
    「泣いてないよ。どうしたの、晋一」
    「目が覚めたから、母さんがいなかったから」
    「ちょっと、銀ちゃんとお話ししてたの」
    「……そっか」
     晋一はナマエの横に並んだ。そして泣き腫らしているだろうナマエの目を見て、言った。
    「……僕は父さんを、許さない」
    「晋一……」
    「母さんを置いて勝手に一人で死んでいった父さんを、許さない」
     晋一が、力強くナマエを見つめる。その顔は、立派な青年になろうとしていた。
    ナマエはそっと晋一を抱き寄せた。手を引いて歩いていたのが、つい最近のようだったのに。それなのにいつのまにか、父親が死んでいった事実を理解するほど、大きくなっていた。
    「僕は母さんを、誰かを泣かせるような男にはならない」
    「晋一……」
    「僕は立派な、銀ちゃんみたいな侍になる」
    「あなたのお父さんは、立派な侍だったよ」
    「……でも、母さんを今でも、泣かせてる」
    「母さんは……大丈夫。晋一がいてくれるから」
    「……僕じゃあ、母さんの心の穴は埋めてあげられない」
    「晋一……」
    「僕は父さんを……母さんを一人にした父さんを、許さないから」
     そう言う晋一の顔は、全てを壊すと言っていた時の晋助の顔と、似ていた。晋一の顔には、憎しみがあった。
     親子とは、どうして変なところで似てしまうのだろう。



     ぴこん、ぴこん、とナマエは音を立てる機械に囲まれて、横たわっていた。ベッドのそばには銀時と晋一がいて、ほとんど泣きそうな顔でナマエを見下ろしているのを、ナマエはかろうじて視界に捉えていた。
     ナマエは、六十になっていた。五十の時、大きな病気が見つかった。治療も手術もしたが、病は進行し続けた。
     死ぬんだ、とナマエは銀時と晋一の顔を見て、悟った。両手を晋一と銀時が、強く握っていた。
     母さん、と晋一が叫ぶ。ナマエは応えたかったのに、応えられなかった。
    「母さん、母さん」
     晋一は早くに結婚をして、万事屋を出た。去年は、晋一の子どもを抱いた。絵に描いたように、その時ナマエは幸せだった。それでもこの場に晋助がいてくれたらと、思わずにはいられなかった。
    「ナマエ、死ぬな、死ぬなよ」
     銀時は晋一が出ていっても、ナマエを万事屋に置いてくれた。一緒に歳を重ね、晋一の子どもを抱いた。まるで自分のことのように、晋一の結婚も、孫の誕生も、喜んでくれた。銀時は晋一を、我が子のように共に育ててくれた。感謝しても、しきれない。
    「ぎん、ちゃ……。しん……」
     ばたばたと、病室に駆け込む音がした。神楽と新八だった。二人とも、すっかり中年になっていた。二人にも感謝してもしきれない、とナマエは思う。
     みんながいなければ、とっくの昔に、自分は晋助を追って死んでいただろう。
     ここまで生きてこられたのは、晋一の、みんなのおかげだった。幸せな、人生だった。色々なことがあったけれど、最後に幸せだと思えたのは、晋一やみんなの、おかげだった。
    「死ぬなっ、ナマエ、死ぬなよ、晋一も、孫もまだいんだろうが」
     それでも――とナマエは思う。
     ――ごめんね、銀ちゃん。
     ――私はもう、晋助と離れ離れのまま、十分生きた。
     ――だから、もう。
     ――だから、もう。
    ――だから、もう、頑張らなくてもいいよね。
     そろそろ、もう――死んでも、晋助に会いに行っても、いいよね。
     ナマエは全身から、ふっと力を抜いた。
     晋一が声を上げて泣き始める。晋一は立派な大人になった。自分がここまで、晋一を護り、育て上げた。きっと一人ではできなかった。万事屋のみんながいたから。晋助がナマエに晋一と覚悟を授けてくれたから、できた。
     母親としての人生を、送れた。
    「母さん、母さんっ、置いてかないで、まだ父さんのところに、行かないで」
     ――ああ、ごめんね。
     ――晋一、ごめんね。
     ――最後まで母親でいられなくて、ごめん。
     ――最後は女になって、ごめんね。
    「母さんっ、母さんっ……どうして母さんまで、」
    「ナマエ、死んじゃダメアル、」
    「ナマエさんっ……」
     ――ああ、ごめんね、みんな。
     ――本当に、最後まで、ありがとう……。
    「ナマエ、死ぬな、まだ生きろよ。晋一も、俺も、みんないんだろうが、」
     ――そうだね、銀ちゃん。
     ――でも、ごめんね。
     ――私、晋助に会いたくて、たまらないの。
     ――ずっとずっと、離れ離れだったから。
    「ナマエ、死ぬな、まだ行くな。高杉、コイツを、連れて行くな……!」
     ――晋助。
     ――晋助。 
     ――晋助。
     ――私に晋一と覚悟を授けてくれて、ありがとう。
     ――晋助はきっと、自分が死ぬのを分かってて、私に晋一をくれたんだね。
     ――晋助はきっと、あの世で待っててはくれないよね。
     ――晋助、それでもまたあなたに、会いたい。そこが地獄の果てでも、いい。
     ――会いたい、あなたに、ただ会いたい。会って、また抱きしめて欲しい。
     ――もう来たのかって、いつもみたいに、笑って欲しい。
    「ナマエっ、ナマエ……!」
     ――ごめんね、銀ちゃん。
     銀時がナマエの名を呼ぶ。ナマエは静かに、瞼を閉じた。



     はっと目を覚ますと、ナマエは仄暗いところにいた。周囲を見渡しても、何もない。ふと手を見ると、二十代の頃の白い手に戻っていた。それに何故だか、重たい白無垢を身につけていた。
     最後の記憶は、銀時と晋一の泣いている顔だった。それらのことから、ナマエはここが、あの世だと分かった。
     とうとう、来てしまった。銀時や晋一を置いて、来てしまった。
     ――晋助。
     とはいえこれからどこに行けばいいのか、何をすればいいのか、全く見当もつかなかった。ナマエは白無垢の打ち掛けの裾を引き摺りながら、とりあえず一歩進み出た。お化けにはなっておらず、足はあった。とにかく、ナマエは前を向いて歩き続けた。
     何日間、歩き続けただろうか。時間の感覚がなく、それは数日にも、数年にも思えた。あてどなく歩き続け、やがてナマエの耳に、微かな川のせせらぎが聞こえ始めた。三途
    の川だろうか。本当にあの世とこの世には三途の川があるのだな、とナマエは思った。
     ナマエはせせらぎの方へ歩みを進めた。川の音が大きくなるにつれ、べろん、べろん、と聞いたことがある三味線の音も聞こえ始めた。誰か弾いているのだろうか。三味線の音は、まるでナマエを誘うかのように、遠くから聞こえていた。
     次第に、三味線の音が近くなる。はっきり聞こえるようなると、ナマエはそのメロディに、思わず胸を突かれた。
     それは、晋助がよく弾いていた、三味線の曲だった。
     もしや、という思いがナマエの脳裏をよぎる。ナマエは足を早めた。小さな人影が、だんだんと大きくなる。
     男は男は川のほとりでナマエに背を向け、座り込んで三味線を弾いていた。派手な着流しを着た、黒髪の男だった。
     ――もしや、もしや。
     ナマエはその名前を、呟いた。
    「しん、すけ」
     ナマエの声に、男が振り向く。懐かしい、何度も目にした、気取ったあの笑みだった。
    「晋助――!!」
     ナマエは打ち掛けを脱ぎ捨て、走り出した。足がもつれ、白無垢の裾がはだけても、走り続けた。晋助はナマエをじっと見つめていた。ああ――とナマエは思った。ああ、ああ、ああ――。
    ナマエは晋助の腕に、飛び込んだ。左目の潰れていない、あれほど焦がれた晋助が、自分を抱いていた。
    「晋助、晋助、」
    「……よォ」
    「晋助、待ってて、くれたの――?」
    「どっかの誰かさんに、考えといてやるって、言ったからなァ?」
    「ずっと、ずっと待っててくれたの、ここで。あれから、ずっと――」
    「待ちくたびれたぜ?」
    「晋助――」
     ナマエは晋助の胸に顔を埋めた。懐かしい胸、懐かしい体温、懐かしい腕の感触、懐かしい晋助の匂い。あの時の、最後に会った晋助のままだった。ナマエは大粒の涙をこぼした。子どもに戻ったように、泣きじゃくる。
     ナマエは晋助の胸元の着流しを掴みながら、叫んだ。
    「どうして、何にも言わずにいなくなっちゃったの。どうして、どうして――何にも教えてくれなかったの」
    「……悪かった」
    「悪いなんて、ちっとも思ってないくせに!!」
     ナマエは拳で晋助の胸を叩いた。そんなナマエの背中を、晋助は優しく、撫で続けていた。
    「会いたかっ、た」
    「……あァ」
    「ずっとずっと会いたかった……! 晋助、晋助ぇっ……!」
    「……あァ」
    「いろんなことが、あったんだよ。晋助が死んじゃってから、本当に、たくさん、たくさん、」
    「置いていって、すまなかった」
    「本当にたくさん、いろんなことがあったんだよ――」
     ナマエは晋助をきつく抱きしめた。話したいことは、たくさんあった。何から話せばいいか分からないほど、たくさん。
    けれど何も――何も言葉にならなかった。言葉にした途端、全てが嘘になってしまうのではないかとさえ、思った。
     ナマエは晋助、晋助、と名前を呼び続けた。
     晋助はずっと、ナマエを抱きしめていた。
    「……晋一は、立派な男の人になったよ。孫も産まれたんだよ」
    「……あァ」
    「私は……最後は銀ちゃん達に見送られたの。みんなに見送られて、ここに辿り着いた」
    「……そうか」
    「きっとこの白無垢も……銀ちゃん達が着せてくれたんだと思う。ねえ、晋助」
    「……んだよ」
     ナマエは顔を上げた。晋助の頬を、両手で挟んで視線を合わせる。
    「……私、綺麗?」
     晋助は目を細めた。ナマエの白無垢を見て、微かに微笑む。
    「……あァ」
    「ちゃんと、言って」
     晋助は不意に視線を逸らした。こんな時でも、晋助は素直じゃなかった。
    「……どこぞのおひいさんかと思った」
    「晋助……!」
     ナマエは顔を覆って泣いた。嬉しくて、どこか悲しくて、色んな感情がせめぎ合って、泣いた。
     晋助がナマエの頬に手を伸ばし、ナマエの涙を拭った。
    「晋助、」
    「……すまなかった。何も言わずに、逝っちまって」
    「本当に……何も言わずにいなくなっちゃうんだから。……信じられない」
     けれど口ではそう言いつつも、ナマエはもう、笑っていた。
     晋助はきっと、頑張ったのだ。昔から晋助は頑張り屋さんだった。晋助は松陽先生を救うために、身を投げ打って全てを捧げた。
     ナマエはその時初めて、晋助を許せると思った。
    「……頑張ったね、晋助」
     晋助が目を見開いた。ナマエは晋助の頭に、手を伸ばした。そっと、髪を撫でる。
    「本当に……頑張ったね」
    「……お前も、な」
    「……うん」
    晋助が、ナマエの手を握った。もう離さないと言わんばかりに、しっかりと握りしめられる。数十年ぶりの、剣だこのある、大きな晋助の手だった。
    「……行くか」
     どこに、とはナマエは聞かなかった。晋助と一緒なら、地獄でも天国でも、どこでもよかった。
     ナマエは、晋助にそっと尋ねた。
    「ねえ晋助、これからは、ずっと一緒……? もう、離れなくていいんだよね」
     晋助は、ナマエの手を握る手に力を込めた。
    「……そうだよ」
    「ずっと、ずっと、一緒……?」
    「ずっと、一緒だ」
    「もう、離れない? 突然どこかに行っちゃったり、しない?」
    「しねえよ。どこに行くっつうんだ、地獄だぞ」
    「……晋助」
    「お前のそばを、もう離れねえよ」
     ナマエは心の底から、笑顔になった。幸せだった。こんなに幸せなことが、今まであっただろうか――。
    「晋助、私のこと……晋助のお嫁さんにしてくれる? あの時私のことを娶るって言ってたのは……本当?」
    「……あたりめえだろ」
    「晋助、」
    「……地獄で祝言、挙げてやらァ」
    「……うん!」
     行くぞ、と晋助に手を引かれ、ナマエは歩み出した。二人は寄り添いながら、三途の川のせせらぎがする方へと向かった。
     ナマエは強く、晋助の手を握り返した。
    「これからはもう、ずっと隣にいるね」
    「……あァ」
    「やっと……やっと辿り着いたんだね」
     だんだんと、二人の目の前に、勢いの強い一本の長い川が見えてくる。
     二人はもう二度と、手を離さなかった。



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