いつか当たり前になる最初の日「ここは……?」
見上げた先にある店の看板には『Color's collar』の文字。店先にあるのはシンプルなチョーカーから、一見するとネックレスのようなもの、いかにもといった雰囲気の首輪の数々。
ここは国内でも有名な首輪専門店だった。さらにいえば、全国にチェーン展開をしていて、カジュアルさが売りで、極めて入りやすい方に分類されるような。
とはいえ、こんなところに来るのはパートナー同士くらいのものであり、それを意識してしまうと気恥しさや気まずさを覚えてしまう。
何を言えばいいかと思案している様子の冬弥に、やはりまだ早かっただろうかと彰人は店先まで連れて行ってしまったことを後悔していた。
ダイナミクスに分類されない人からすれば特殊性癖の類かと思われるかもしれないが、Domである彰人とSubである冬弥にとって、首輪を選ぼうとするのはごく自然な流れだった。
それは例えば、結婚する時に指輪を送ったりするのと同じこと。いや、もっと日常にありふれているかもしれない。そう、たとえばバレンタインに好きな人にチョコレートを送るのと同じくらい、一般的で自然なものだ。
ましてや、彰人は冬弥が時折首元を気にするように触れていたのを知っていた。それなりの期間パートナーでいるのだから、ちゃんとした首輪がほしいのだろうと彰人は気がついていた。冬弥からすれば、きっとそれは無自覚で無意識だろうけれど。
冬弥はSub性だ。Domに支配され、尽くされることに喜びを感じる。けれど、冬弥は自身の感情と同じように、自身の欲求にひどく疎いところがあった(何せ、初めてプレイに至った経緯だって、無自覚的にサブドロップに陥っていた冬弥を引き戻すためにおこなったものだったくらいだ)。そんな冬弥の欲求を汲み取るのはパートナーの責務であると彰人は考えていた。
だから今回もこの店に連れてくることに決めたのだが。
「よく首の方触ってるから、欲しいのかと思って」
「首……俺が?」
「お前以外誰がいるんだよ」
「そうか……無意識だった」
こてん、と小首をかしげる様子にそうだろうな、と彰人は頭をかく。せめて一言言ってから連れてきてやるべきだったな、と今更になって考えた。なんだか、一人で勝手に浮かれて舞い上がってる痛いヤツのようでいたたまれない。
そもそも首輪というのは公然とパートナーがいます、と宣言するようなものだ。人によるとしか言えないが、首輪を嫌がる人もいる。
ましてや、冬弥の家はその手のことにはかなり厳しそうだ。どういう関わり方にせよ、育った環境の影響というのは大きい。冬弥自身、本能とは別のところでそういうことに抵抗があっても不思議ではない。
それになにより、あの冬弥のことだ、本当は気乗りしていなくても、きちんと問い質さなければそうとは言わないかもしれない。
「嫌なら別にそう言って構わねーから、遠慮すんなよ」
「……俺は嫌そうにしていたか?」
「いや、わかんねーから訊いた」
「そうだな……嫌では、ない」
含みのある言い方に彰人は冬弥の続きの言葉を待った。冬弥は時折、こうやって時間をかけて感情の整理をする。元来はどちらかと言えば多感で繊細な感性を持っている冬弥は、少しばかりそういった側面に鍵をかけてしまっているところがあった。
それは生きていく上で必要な処世術というやつなのだろう。彰人が人付き合い用の顔を持っているようなものと方法は違えど同じことだ。
そんな冬弥の鉄仮面っぷりには彰人自身苦い思い出があるが、今は冬弥の方から開示しようとしてくれている。そんな時は決まって、彰人はどれだけ時間をかけても冬弥を待つことにしていた。
しばらく考え込んでいた冬弥は、たとえば、と話を切り出す。
「これを俺がつけているのを想像してみたんだが、」
そう言って、冬弥は装飾の少ないシンプルな首輪を手に取った。たまたま目の前にあったものだから、特に何か気になっていたとか、そういうことではないのだろう。けれど、冬弥は僅かに眉を下げ、まるでその首輪が大切なものであるかのように、愛おしげに微笑んでみせる。
「お前のものになれたような気がして、気分がいい」
「…………おう」
とんだ殺し文句だ。
ここが店先じゃなければ手が出ていたかもしれない。熱くなった顔を冷ますように深く息を吐く。冬弥は自分の発言には無自覚のようで、しばらくは商品を何となく眺めていたが、そうだ、と商品の首輪を置いて彰人の方に顔を向けた。
「俺よりも、彰人の方はどうなんだ?」
「どうって?」
「俺がよくても、お前が良しとするかは別だろう」
「嫌だったら自分からここに連れて行こうとは考えねえよ」
彰人の言葉に、冬弥はそれもそうか、と短く返して再び興味深そうに首輪を眺めはじめた。その瞳は商品を吟味するというよりは、よく分からないものを観察するような、好奇心からくるような色をしている。子供のような純粋さは少しばかりこの場には不適切な気がしないこともない。冬弥らしいといえば、らしいのだが。
「どういうのがいいとかあるか?」
「……彰人はどれがいいと思う?」
「お前の好みを聞いてるんだっての」
「そう言われても……ああ、ああいうしっかりとしたやつは、校則違反になるだろうから駄目だな」
「そこかよ。うち緩いし、校則とかあんまり気にしなくてもいいと思うけどな」
クソがつくほど真面目なところがある冬弥は、やはり校則違反は看過できないらしい。
彰人としては、気にするほどのこととは思えなかったが、パートナーのご所望はご所望。それを叶えるなら、とあまり目立たないものを探す。
「これとかなら目立たないんじゃねーか?」
そう言って彰人が手に取ったのは細いネックレスタイプの首輪だった。どちらかと言えば普段冬弥が身につけているアクセサリーに近いようにすら思えるそれは、ちゃんとした首輪とは言い難い。しかし、制服に隠すならこういったものだろう。
けれど、なんだかしっくりこない。暫定版の首輪がアクセサリーだから変わり映えしないように感じるのか、それとも首輪らしさのせいだろうか、と考えながら、とりあえずその首輪を冬弥に預けて他のものを物色する。
「あ、でもこっちの方がそれっぽいか?」
次に目に止まったのはチョーカータイプの首輪だった。黒い細身のそれは、飾りとしてのバックルが付いていて、辛うじて首輪の体をなしているようにみえる。
「制服に合わせるとなるとさすがに少し変だけど、まあアクセサリーじゃなくて首輪だしな、許容範囲内だろ」
「俺にはよくわからないが……ファッションに詳しい彰人がいうなら、そうなんだろうな」
「オレだって首輪選ぶのは初めてだからよくはわかんねーよ。とりあえず、ひとつ付けてみねぇ?」
ちょっと待ってろ、と言いながら、彰人は店舗内をざっと見回し、近くにいた店員の元へ向かう。
試着希望を伝えれば、店員はにこやかに微笑んで快く了承してくれた。
「お客様、首輪ははじめてでしょう? もし宜しければしばらくモール内を歩いてみるというのはいかがでしょうか?」
「え、いいんですか?」
「はい、もちろん! 試着されるのはこちらでお間違いございませんか?」
Sub性というのはややこしいもので、Sub性の欲求が満たされない状態が続くことのほか、ストレスなんかでもドロップしてしまう。ストレス要因は色々だが、もちろん、望まない首輪を嵌められることだってそうだ。だからこそ、店側はそうならないように気をつかっているのだろう。
ショーウィンドウの魔力というやつだ。店で気に入って買ってみたはいいが、実際家に帰ってみると思っていたのとは違った、なんてことはファッションが好きな彰人の経験上もそう珍しいことではないから、理解の難しい話などではなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
店員にそう告げて、手持ち無沙汰にしている冬弥の元へ戻る。先ほどの会話を伝えれば、当然の流れとして、じゃあ試してみようかということになった。
「ん、よく似合ってる。違和感とかはないか?」
「少しくすぐったい気はするが、問題ない」
見立て通り、冬弥にその首輪はよく似合っていた。冬弥本人は慣れない感覚のせいか、首をぺたぺたと触って少し難しい顔をしているが。
「ならちょっと店の外歩いてみるけど、変だと思ったら我慢せずにすぐに言えよ?」
「……俺はそんなに信用がないか?」
「ばーか、信用してねーんじゃなくて、心配してるんだ」
そう言って彰人は冬弥の手を取って店を出た。普段ならあまりしないけれど、なんとなく、そうしたくなったのだ。
店の外に出れば、すぐさま観衆の注目を集めた。一見ただのアクセサリーに見えるチョーカー型の首輪だが、ダイナミクスを有している人には明確に首輪に見える。
だからつまり、首元にあるそれは、冬弥がSubだと主張しているのも当然のことで。
これは、予想していたよりも。
そんな風に彰人が眉を顰めれば、握っていた手を少し強く握り返された。ちらりと見れば、僅かではあるが表情が強ばっている。
別にGlearをかけられたわけではない。でも単純に、冬弥は長らくダイナミクスを自覚しないで生きてきたから、そういう目で見られることには慣れていないのだ。
「冬弥、とーや、大丈夫だから」
耳元で小さくそう言えば、冬弥はこくりと頷いた。それから、落ち着かせるように息を吸って、吐いて。
それを二度、三度繰り返した頃には、冬弥はもういつもの冬弥だった。
「いけそうか?」
「ああ……彰人がいるから、平気だ」
***
翌日。
結局、ものの30分ほどで首輪には慣れたらしい冬弥がこれがいいと言うので、試着した首輪をそのまま購入し、そのままつけて帰ることになった。
首輪を初めてつけた日に一人で家に帰すのは少々忍びなかったが、家まで送らなくてもいいと冬弥が言うので、彰人はその言葉に頷いた。明日それ付けてこいよ、と首輪を指せば、冬弥はなんの疑問もなく、わかってる、と頷いて。
ーーだから、今日の学校で冬弥に会うのが、ほんの少しだけ、特別なことのようで。
子供じみた感情だとは理解していても、やっぱり緊張と、少しの優越感を止められそうにはなかった。
本当なら、一緒に登校したいところだったのだが、生憎今日はサッカー部の朝練に付き合う予定があるから、冬弥に会えるのはその後だ。
彰人の選んだ首輪をつけて、冬弥が登校する。
やっぱり、気分がいい。
「……って、顔に書いてある」
「げ……」
突然声をかけられたと思ったら、すぐ側に杏が歩いていた。どうやら風紀委員の仕事がある関係で、早めに登校しなければならなかったらしい。
彰人があからさまに嫌そうな顔をしても、慣れている杏はどこ吹く風で話を進める。
「げ、はないでしょ。で、何があったの? どうせ冬弥絡みなんだろうけど」
「なんでお前に言わなきゃならねーんだよ」
「えー、つれないなあ。まあいいや、今日服装チェックあるからピアスくらい外しといてよ?」
あとそのにやけ面もなおしといてよね、なんで余計な一言を加えると、言いたいことは一通り言い終えたとばかりに校舎へと走り去っていく。それを適当に見やりながら、彰人もサッカー部の部室へと急ぐことにした。
その後、風紀委員の仕事を終えた杏とばったり会って、「そういうことだったんだ」とにやにやした視線を向けられることになるとは、今の彰人は考えもしていなかった。