正解じゃなくてもいい(彰冬)「服を、選んでほしい?」
ちょっとした勇気だった。
今まで何となくそれらしい格好をしていたけれど、隣に立ってみた時に明らかに自分は見劣りがする……とは少し違うが、場違いというか、釣り合わないものがあった。
何とかしたいと思ってはいたけれど、『相棒』として活動したいという話に対して頷いてからこれまで、音楽以外の話は基本的にしてこなかったから。
いや、それも少し違うかもしれない。音楽以外の話といわれても、何を話したらいいのかわからない。間違えた話題を振っていたらどうしよう、選んだ言葉が失礼に当たっていたら、もしも怒らせてしまったら。いや、怒るだけで済むならまだいいかもしれない。いちばん怖いのは、見限られることだ。
だから、正解じゃないかもしれないその話題を振るのは、ちょっとした勇気だった。
「……まあ、」
目を合わせられない俺に対して、彰人の視線は足元に降りていく。静かな場所はそれはそれで嫌いではないのに、その僅かな沈黙が痛くて、思わず言い訳が口をついた。
「あ、その……別に、無理にとは言わない、ただ……」
「確かに、ストリートのイベントだって言うのにちょっとかたいよな、お前の格好」
焦燥を隠しきれない俺に対して、知ってか知らでか、彰人は納得したように、それでいて少しばかりの奇妙さを耐えられないとでも言うように小さく笑い声を交えながらそう答えた。予想外の良い返事に、俺は思わず顔を上げる。目が合うと、何かあったのかとなんでもないようにくつくつとした笑みをとめた。
「服、選ぶの手伝えばいいんだろ。別に構わねえよ、明日の練習終わりでいいか?」
「あ、ああ……助かる……」
トントン拍子に進む話に、思わず声が詰まる。上手く受け答えができていない気がする。
「なんだよ、嫌だったのか? お前から頼んできたのに」
「違う、嫌じゃない。ただ、駄目かと思って……」
「ダメ? なんで」
「勘違いだったみたいだ」
「……そ、まあいいけど」
案の定訝しむような問いが投げかけられる。けれど、それ以上の追及はなかった。
よかった、間違えてなかった。よかった。内心で安堵の息をもらす。
その様子を、物言いたげに見ている彰人に、どう失敗を誤魔化すかで手一杯だったその時の俺は気付きもしなかった。
***
そうして翌日。
「そうだな……冬弥は身長あるし、パンツはフルレングスのスキニー、アウターだけオーバーサイズにして、シャープな印象にして……」
早速彰人のよく利用している店へと連れて行ってもらい、彰人の服選びを、どこかぼんやりとした心地で聞いていた。自分のことで他人の手を煩わせているのに、彰人の話す人物像はどこか他人事のように遠く聞こえてしまう。
「……と、オレの好みばっかになっても仕方ねえ。冬弥、使いたい色とかあるか?」
「え、」
「え、じゃなくて。お前の着る服だろ」
「ああ、すまない……だが、俺には善し悪しとかわからないから、彰人に選んで欲しい」
色のあわせ方ひとつ取っても色々と難しいことは分かっている。だから、より確実性の高い選択をするなら、全部彰人に任せた方がいい。そう思っての言葉だった。
「でも、お前、今心ここにあらずって感じだっただろ」
「そんなことは……」
図星だった。彰人の構成する俺と俺の思う俺の姿がどこかちぐはぐで、だから上手くそれを一致させることが出来なかった。
「あるんだよ。あのさ、それってオレが今提案した服がしっくりきてねえからそうなるんじゃねえの」
「……それは」
そう言われて改めて彰人が用意した服をひとつひとつ確認してみる。言われてみれば、そのうちの一つであるシャツの色は、あまり好みではないかもしれない。少なくとも、自分で好き好んで買うものではなかった。
「……」
「そのカットソーがあんま好みじゃねえんだな」
「……だが、」
俺よりもずっとファッションに詳しい彰人が、俺に似合うと提示してくれた服なのだ。自分の好みに合わないかもしれないとはいえ、これが最適解ということなんじゃないのだろうか。
「これが、彰人の思う正解、なんだろう」
それなのに、好みじゃないから、何となくしっくり来ないから、そんな曖昧な理由で拒絶なんてしていいんだろうか。
シャツ(カットソーと言うらしい)を元の場所に戻そうとする彰人に戸惑ってしまう。すると、彰人は、はあ、と聞こえるような大きなため息をついて呆れたような顔で俺を見据えた。
「あのなあ、正解なんてあるわけないだろ。場に合う合わない、似合う似合わない、そういう問題はあるにはあるけど、好きで着てるかどうかが一番大事なんだよ」
「……すき、で?」
正解なんてない、究極的には好き嫌いという極めて主観的な部分での判断だ、彰人のその言葉を、俺はうまく飲み込めなかった。あまりにも、慣れない言葉だったから。好きとか嫌いとかじゃない、正解か不正解かという選択に慣れすぎていた。そのことに、ようやく思い至った。
「とはいえどういうのが好きとかもわかんねえから服選びって最初迷うんだよな……オレもそうだったし」
そう言いながら、彰人は色合いや柄の異なるものをみっつほど持ってきた。
「幾つかあるうちから選ぶならやりやすいだろ。ほら、この中だとどれが一番好きだ?」
そうして、彰人は再び俺に選んでくれたものを見せてくれた。けれど、俺の目に止まったのは、彰人が広げてみせた三着のカットソー……ではなく、すぐ側にある棚。そこにある紫のパーカーだった。
「……ええと、その」
「また正解がどうとか思ってねえだろうな」
言いにくい。せっかく用意してくれたのに、その中からではないものに目が止まったなどとはとても言えない。けれど彰人は、俺の泳ぐ視線を捉えて離してはくれなかった。
ほら言えよ、と促される。紫のパーカーを指さす、これがいいと答える、ただそれだけのことなのに、ひどくこわい。
「いいか、オレは正解が知りたいんじゃなくて、お前の考えてることが知りてえんだ。わかれよ」
ああ、そうか、これが正解を探しているということなのか。彰人の言葉に、すとんとつかえていたものがとれたようだった。
「……その、パーカー」
「パーカー? ああ、これか」
「ああ。その色、がいい……と、思う……」
それでも、少し声が震えていたかもしれない。自分のいいと思うものを、もしもおかしいと思われたらと、どうしてもそう考えてしまうから。間違えたくないから。
けれども。
「っし、じゃあこのパーカーに合うように組み立ててみるか」
俺の言葉を受けて、彰人はあっさり先程まで手に持っていた服を放してしまう。元の場所に片付けられていくそれは、きっと正解だった服たちで。
「いいのか……?」
「さっきも言ったけど、冬弥の着る服なんだから、冬弥が好きかどうかが一番大事だろ」
良いとか悪いとかじゃねえよ。そう言って笑う彰人は、俺の選んだパーカーに合わせたコーディネートをいくつか見繕いだす。そうして、俺のはじめて彰人に選んでもらった服は決まったのだった。