わがままいってよ 待ち合わせよりも少し早い時間に到着してしまい、公園のベンチに腰掛けると年季の入った音が小さく響いた。ビビットストリートは音楽の絶えない街だが、夜の深さに比例して街も眠りにつく。今もよく耳をすませば遠くから聞こえるがおそらくそれも後少しで消えるだろう。
(知らない街みたいだ)
暗い所でスマホを眺めていると目がチカチカするからなんて理由と、そもそもSNSなどの類いを一切やっていない為スマホは連絡を取るだけの手段でしかないからという考えが重なり、時折時間を確認する以外はぽつりぽつりと点を打つ星を眺める。みんなでキャンプに行った時に見えた満天の星は手を伸ばせば届きそうな距離にあったのに、今はこんなにも遠い。だからといって寂しさや空しさがあるわけではなく、寧ろ体はそわそわと落ち着きなく揺れている。理由はわかっている。俺たちの関係に名前がひとつ増えたからだ。それに今日はもうひとつ理由があった。
「とーや」
いつもよりトーンを落とした声が耳に届きパッと振り返る。目線の先にはいつもと変わらない彰人が立っているのに、蛍光灯の灯りと深さを帯びてきた夜が彰人を知らない人のようにうつしていてどきりとした。
「おまたせ。よく出てこれたな」
「あぁ。かなり強引に出てきた」
「へぇ?」
「彰人こそ大丈夫だったか?」
「あんま遅くなるなとだけ言われた」
からりと笑う彰人につられて口角を上げる。瞬間、壊れ物を扱うように優しく抱きしめられたから俺はその背中に手をまわした。先程感じた知らない人のような感覚は伝わる熱が溶かしていって、いつもの彰人だと安堵する。普段なら恥ずかしさが勝って外で触れ合うことはしないけれど、こんなことができるのも夜が俺たちを隠してくれているからだ。
誕生日プレゼントなにがいい?と聞かれたのは1週間前。きょとんと彰人を見つめると同時にもうそんな時期かと驚いた。人の誕生日を覚えるのは好きだがどうも自分の誕生日は忘れがちだ。彰人もそれは想定内なのか呆れたように笑った。
プレゼント。物に限らず普段から俺の手のひらじゃ収まりきらないほど彰人からたくさんもらっているのに何を望めばいいのだろう。相棒として隣に立つことが出来るだけで幸せなのに、麦藁色の瞳が俺たった1人を写し出してくれるだけで浮き足立つほど嬉しいし、ストイックゆえに作り上げられた体に引き寄せられるとその熱が離れることが惜しく思うほど心地良い。これ以上は贅沢だ。思わず首を横に振ったが彰人はお気に召さなかった。そうだ、むしろ俺が彰人になにかあげた方がいいのではと口を開けば、思考を読まれていたのか彰人はじとりとこちらを見ていた。
「冬弥ー?」
「う、すまない…本当に浮かばないんだ。俺には勿体無いほどたくさんもらっているから……あ」
「ん?」
「そういえば蛍光マーカーが残り少なかったな」
「………恋人への誕生日プレゼントがそれはやばいだろ」
昼食のパンを齧りながら彰人はぼんやり空を眺めた。おそらく俺へのプレゼントを色々考えてくれているのだろう。もうその気持ちだけで十分なほどなのに、彰人はまだ俺に愛をくれる。真剣に悩んでくれている彰人には申し訳ないが、嬉しくてつい緩んでしまう口元を隠すのに必死だった。やがて彰人は再び俺と向き合った。
「あのな、冬弥。恋人になって初めての誕生日なんだからもう少しわがまま言っていいんだからな」
「わがまま…俺は十分わがままじゃないか?」
「どこが。むしろもっと甘えてこいよ」
それは、小豆沢のようにコロコロと笑って白石のように明るい女の子しか許されない特権だと思っていた分少し驚いてしまった。どこを切り取っても男以外の何者でもない俺が彰人にわがままを言って、少しでも顔を顰められてしまったらもう2度と適切な距離がわからなくなるだろう。けれど、もし許されるのなら。
「とーや、難しいならまた2人で出掛けた時にでも」
「彰人、物じゃないとダメか?」
「いや?内容によるけど叶えられそうなら。どっか行くか?」
「なら……」
そうしてお願いした誕生日プレゼント。それは『誕生日の日誰よりも最後にお祝いしてほしい』なんてものだった。
「これのどこがわがままなんだよ…にしてもこれでよかったのか?最初ならともかく最後って」
「あぁ。最後なら彰人と会った気持ちを抱えたまま布団に入ることができるだろう?」
「おまえ……よくそんなこと恥ずかしいこと……あ、そういえばこれ」
夏が近付いてきているといっても夜はまだ春を覚えていて肌寒い。そんな俺を見越してか彰人はここに来る途中で買ったらしい缶コーヒーを手渡してくれた。両手から広がる温かさにほうと息を吐いていると彰人は自分のものであろう缶ジュースを手に取った。
「前の誕生日もここでこんなことしたよな」
「ふふ、そうだな。もう一年経ったのか」
こつんと缶を重ねて、ベンチに2人腰掛けて。あの日と違うのは隣り合う手をどちらかともなく重ねていることだ。じわりと伝わってくる熱が俺達の関係性を改めて教えてくれているようで、嬉しくて恥ずかしい。
それからは心臓の音の方が大きいのではと思ってしまうほど普段より抑えた声でぽつりぽつりと言葉を交わした。時折クスクスと笑えばまたお互いにしか聞こえない声で話し出す。彰人は俺と2人で居る時に声を張ることは少ないが、こうして抑えながら話すのは新鮮で楽しかった。時間が限られてる分存分に楽しみたいという気持ちからか、話題は尽きることなく夜の空気を彩った。
すっかりぬるくなった缶コーヒーに口を付け、ひと息ついたタイミングで不意に彰人が紙袋を手渡してきた。
「彰人?これは…」
「流石に会うだけっていうのはやっぱり納得できねぇから、誕生日プレゼント」
「え…だが、先程白石達と」
「あれはチームとして。これは恋人として」
「……!あ、ありがとう彰人。開けていいか?」
「ん」
恋人という言葉に胸の奥に熱が灯る。俺としてはこれで十分幸せだったのに、こんなにもらって大丈夫だろうか?もつれる手で箱を取り出し、綺麗にラッピングされた青いリボンを優しく解いた。箱の中で眠っていたのはシンプルなバーがワンポイントとなっている…
「ネックレス?」
「ストリートやってるだけあってどうしても服装がそっち寄りになっちまうけど、これなら冬弥が選ぶ服装にも合わせやすいと思って」
「すごいな彰人。そこまで考えてくれるなんて」
「大袈裟だっての。ほら」
彰人は箱に眠っていたネックレスを手に取れば、俺の首にそっと通す。キスをするわけでもないのに視線がぶつかり合う距離に思わず息を呑めば、彰人は麦藁色を伏せて頬に口付けてきた。
「!!」
「かわいー顔してたから」
「そ、外だぞ」
「外じゃなけりゃいいんだな?」
「彰人……!」
からかうように笑う彰人をぐいと押せば、ネックレスに繋がった小さなバーが首元をくすぐる。それを見た彰人は満足げに笑った。
「似合ってる」
「! ありがとう…すごく嬉しい。大事にする」
「ん」
「……」
「……」
あれほど話題が尽きることなく話をしていたのに彰人のキスひとつで空気ががらりと変わり、少しの沈黙の間に心臓の音が漏れやしないかと焦りを覚える。どうにかしてさっきの空気に戻さないと。なのにどれだけ思考を巡らせても先程まで話していたのが嘘のように言葉が出てこない。キスは初めてじゃない、なんなら体だって重ねてきているのにどうしてこんなに緊張しているんだろう。彰人は不審に思っているだろうか。それとも同じ気持ちでいてくれているだろうか。隣を盗み見ても垂れた前髪が表情を隠してしまってよく見えない。どうしよう、どうしたら。
すぅ、と空気を吸う音が耳に届く。沈黙を打ち破ったのも、空気を壊さなかったのも彰人だった。
「……冬弥」
「あ…」
彰人の骨ばった手が頬を掠める。この先なにがあるかなんてわからないほど、もう初心じゃなかった。
「ん、」
触れるだけのキスを何度か繰り返して、視線がぶつかる。先に目を瞑ってしまったから彰人がどんな顔をしているかわからなかったけれど、こくりと息を呑む音は耳に届いた。重なる唇は深さを増していく。静けさが広がる夜に俺の漏れた息が響いて恥ずかしいのに止める術を知らない。足りないものを補うように、食らいつくようなキスに場所も忘れて彰人の背中に手を回す。指先で彰人の服に皺を作ればじくりと体が疼いた。
「っは……あ、あきと…」
「……はは、溶けてる」
「っそれは彰人が急に…!」
「嫌じゃなかっただろ?」
熱を灯したままの瞳に俺の姿が写っている。決めつけられて否定したいのに出来ないのは、写っている俺の顔を見てしまったから。先程まで肌寒いと感じていたはずなのにじわじわと汗が滲む。普段は彰人が首元に唇を這わせて、その指先で俺に触れて…と段階がある分もどかしさが募った。
不意に彰人がスマホを見る。何か言い淀んでいる様子だったが、深く息を吐けば俺の頭を優しく撫でた。
「さ、ちょっと落ち着いたらそろそろ帰るか。送る」
「あっ、彰人」
もうタイムリミットらしい。まだ成人もしていない俺達はあまり遅くまで出歩くことはできない。そんなのわかりきっているけれど、俺はここで終わりにはできなかった。
「すまない。先程嘘をついた」
「嘘?」
「かなり強引に出てきた、と言ったが嘘だ」
「…?」
「本当は、………彰人の家に泊まる、と…言ってしまった」
彰人が目を見開く。それもそのはず、今まで彰人の家に泊まるとなると手土産や着替えなどで荷物がいっぱいになっているのに、今の俺はスマホと家の鍵だけを持って来ている。完全に予想外だったんだろう。けれど彰人は茶化すことなく俺の頬に触れた。指先はこんなにも優しいのに、瞳は捕食者のよう。俺はこの先に起こることを想像して喉を鳴らした。
「……本当にいいのか?」
「いい。あっでも彰人のご家族は」
「付き合う前も時々泊まりに来てたしまぁ大丈夫だろ。なんならうちでも祝うかとか言ってたぐらいだし…ただ」
「ただ?」
「……恋人の家に泊まるってことがどういう意味かわかって言ってんだよな?」
ど、と心臓が跳ねる。どういう意味かなんてわかっている。だってそれを教えてくれたのは彰人じゃないか。
「わかってる。準備だって…」
「は!?」
「誰よりも、最後にお祝いしてくれるんだろう?」
「そういうことかよ……」
頬に触れている彰人の手に自分の手を重ねる。あぁ、やっぱりわがまますぎてしまったかもしれない。彰人の誕生日に少しでも返せるといいが。と、意識が他所にいったのはそこまで。彰人の低い声で名前を呼ばれ、俺は再び目を閉じた。
「誕生日おめでとう、冬弥」
夜は、まだ明けない。