とりあえずさっきの続きといこうか からりとした日差しが照り付ける。先日いたドラゴンスパインでは冬国育ちだからか特に寒さに凍えることもなかったが、その分暑さには弱く額にはじわりと汗が滲む。同乗している者は暑いと口にはするものの表情は涼しげで今の暑さはまだ序の口だと言うことに気付かされた。ぐいと乱暴に拭えば、視界に広がった鮮やかな街並み。半日ほどの距離だったものの今すぐにでも船を降りたい衝動に駆られる。離れる時はもう帰ってこないかもよなんて飄々としていたが、いざ長く離れてみるとホームシック…とまではいかないがどこか落ち着かなかったことは内緒だ。
ようやく会える。手紙も出したけれど読んでもらえただろうか。徐々にスピードを落としていく船は港で手を振る者たちの側で止まった。肩に掛けていた上着を手に取り、まってましたと言わんばかりに足早に船を降りる。きょろ、とあたりを見渡せば、目的の人物がゆるやかに手を振っていた。尾のように長くグラデーションがかった髪、切長の目を彩る石珀色、璃月人の中でもすらりと伸びた手足は久しぶりにみた姿にこくりと喉が鳴った。
「先生!」
「久しいな、公子殿」
「迎えにきてくれたんだ」
「当然だ。大切な者が帰って来るとなるとやはり出迎えなくては」
「はは、手紙も読んでくれたみたいで嬉しいよ」
今すぐにでもその体を腕の中に収めたい衝動をぐっと抑え、握手を交わす。そういえば初対面の頃は俺が手を伸ばせば一瞬警戒するような素振りを見せていたなと脳裏によぎる。あの頃の近寄りがたい雰囲気もかなり好きだったが(好意より好奇心寄りで)、関係がステップアップした今しか見せてくれない表情もたまらなく好きだ。勿論こちらは好意として。
「今日は仕事?」
「いや、急遽休みをとった。堂主からも休めと何度も言われていたから快く頷いてもらえた」
「そっか、俺も今日はオフにしてるからゆっくりできるね」
立ち話もなんだしとどちらかともなく歩き2人肩を並べて歩き、他愛のない話を交わす。立場上仕事の話なんて当然出来ないから家族から連絡があったやらあそこで食べたものが美味しかったやら面白みのない話しかできないが、それでも耳を傾けて相槌を打つ先生の優しさが嬉しかった。俺は俺で先生は意外と表情がころころと変わるから見ていて飽きないし、そんな鍾離先生が作り上げてきた璃月の街並みをくぐっていると第二の故郷に戻ってきたような感覚になり心身がじわりとあたたかくなる感覚に浸っていた。そんなじわりにつられて、また額に汗が滲む。
「璃月も暑くなってきたね」
「そうか、そうだな」
「他人事…もしかして感覚がないーとかそういうやつ?」
「いや、暑さは感じる。だが体温調節をしなければ外からの熱や寒さにあまり影響を感じないようにできている」
「それを感覚がないって言うんだよ」
「む…?」
頭に疑問符を浮かべるこの男は初夏の暑さなんて微塵も感じられない厚着で、やっぱエセ凡人だなと笑った。付き合うにあたって色々先生のことを知っていったけれど、それでもまだわからないことだらけだ。
「今からどうする?行きたいところでもある?」
「あぁ、そのことなんだが。公子殿、家に来ないか?」
「あー家……え!?」
家。鍾離先生の家。ここまで驚くには訳があった。
付き合う前を含めても2人で会う時は先生御用達の店か景色のいいお気に入りスポットとかなり場所が絞られていて、俺の立場も含め気を遣ってくれているのだと感心していた。が、なぜか家には頑なに招待されなかったのだ。その後めでたくお付き合い。そして付き合ってまだ日が浅い時特に下心も何もなく家にいっていいかと聞いた事があった。答えはNO。理由を聞いても話を逸らされる始末。ここまであからさまに逸らされたのは初めてで、触れてほしくない事情なら仕方ないと自己完結してしまっていたのだ。もちろん気にならないと言えば嘘になるが、長く生きてきた分俺にはわからない隠し事もあるのだろう。そこを無理矢理こじ開けるほど、もう子どもではない。
だからこそ、かなり驚いた。
「い、いいの…?」
「あぁ。他に行きたい場所があるなら別だが」
「全然!ごめんびっくりしちゃって…2度と行けないと思ってたから」
「大袈裟だな」
鍾離先生は笑う。動揺を見せないよう俺も同じ顔をして笑ったけれど、夏の暑さと突然舞い込んできた恋人の家に訪問するチャンスによって噴き出る汗は隠しきれなかった。
「ここが…」
鍾離先生の家は、今まで何度も側を通ってきた場所にあった。なんとなくもっと山奥や辺鄙な場所に住んでいるイメージだったから拍子抜けた声が漏れてしまったが、想定内だったのか慣れなのか先生は特に何も言わなかった。街並みに溶け込んでいるけれどどこか真新しいそれは、鍾離先生が住んでると言われても今ひとつ実感が湧かないほど何の変哲もない家だ。
許可を得てそっと扉を開く。お香が焚かれていたのかよく知る匂いが鼻を掠める。中は書物はかなり多いもののテーブルやカーペットも使用感が殆どないまるで倉庫のような家だった。え、これ本当に先生の家?といよいよ疑いを持ち出したが、俺の上着をハンガーにかけ、さっさと台所に行き鍋に火をかける姿を見るとぐっと現実味が増した。
「適当な場所で掛けて待っていてくれ。もう仕上げだ」
「えっ!先生料理出来るの?」
「嗜む程度だがな。口に合えばいいが」
「絶対合うよ。楽しみだな」
まだ硬さの残るソファに腰掛けると、お香の香りに混じって食欲をそそる匂いが流れ着いてきた。ひと息つくと共にゆっくり部屋を見渡す。壁に備え付けられた棚に並ぶあれは…茶葉の瓶だろうか?さまざまな茶を好む鍾離先生らしい。おそらく俺がプレゼントしたものもあのコレクションに並んでいると思うと少し嬉しくなる。けれどそこを除けばやはり生活感のない家だ。忙しさのあまりここに帰ってくることは少ないのだろうか?それとも神ってやつはみんなこんな生活なんだろうか?浮かぶ疑問は増えていく一方で、そこに気を取られてか抱えていた緊張は姿を消した。
「公子殿?」
は、と我にかえる。声のした方を振り向くと、様子を伺うように鍾離先生がこちらを見ていた。
「長旅で疲れが出たか?」
「いや、なんだかふわふわしちゃって」
「ふわふわ」
「ほら、付き合いたての頃…覚えてる?俺家行きたいって言ったらはぐらかしてきたでしょ。だからようやく来れたなーて」
「はは、期待を裏切っていないといいが」
裏切った裏切ってない以前の話だが、そんなこと目の前に用意された鍋を見ると頭から吹き飛んでしまった。湯気立つそれは厚切りにされたハムや豚肉、筍がつやつやと輝き、丁寧に煮込まれたことが一目でわかった。
「腌篤鮮!」
「以前新月軒で美味いと言っていたから用意してみた」
「すご、本格的」
「だが外の暑さまで考慮していなかったな。部屋は幾分涼しいと思うが、空調が合わなければ言ってくれ」
「そこまで気を遣ってくれなくていいから!ね、食べていい?」
こくりと頷く鍾離先生を確認すれば、これまた気を遣われてか箸はなく用意されたスプーンで一口啜る。途端、以前食べたものは別物じゃないかと思えるほどの旨味が口いっぱいに広がった。かなり時間をかけて煮込んだのかスープには肉の旨みが凝縮していて、スプーンで飲むのが煩わしく思えてしまう。船の上で軽く食べてしまったことを後悔するぐらいの出来に、俺は感想を述べることを忘れ堪能した。
「はは、口に合ったようならなによりだ」
「合うどころじゃないよ、これかなり時間掛けてない?すごく美味しい」
「時間などいくら掛けても惜しくない。恋人の誕生日だからな」
「へへ……え?誕生日?」
「?公子殿。忘れているのか?今日はお前の誕生日だろう?」
今日。今日って何日?先日先生に出した手紙の内容を思い浮かべる。簡単な挨拶をつらつら。近況をつらつら。20日にそっちに行くから、もし予定が無ければ港まで迎えにきてくれると嬉しい。その他口にするには少し恥ずかしい気持ちをつらつらと。……あっ。
「誕生日だ…」
「本当に忘れていたとは思わなかった」
「はは…もしかしてこれ誕生日プレゼント?」
「あぁ。これだけじゃないが」
気も遠くなるほど長く生きてきた鍾離先生が、俺の誕生日に何をしようかと考えた結果がこれなら喜ばないほうがおかしい。なのに、にこりと笑う鍾離先生に素直にありがとうと言えない自分がいた。だってその顔、絶対特大なサプライズ残してるやつだ。これだけじゃないが、じゃないでしょこれ前菜感覚で出してるでしょ。なに、こういう時の先生何してくるかわからないから怖いよ。なのにスプーンと横並びしていたフォークでハムを口にすれば、また疑いが吹き飛んでしまうほどの旨さについ声を上げた。
「はー、ごちそうさま。すごく美味しかったよ」
デザートに杏仁豆腐まで出されてしまいかなり満足感で満ち溢れていたタイミングで、鍾離先生は「さて。」と声を上げた。喜ばしいはずなのにどきりと心臓が跳ねる。
「なに、なになに。さっきのプレゼントの話?何がくるの」
「そうはしゃぐな。公子殿も持っているものだ」
「はしゃいでるというかびびってるんだけど…て、俺も持っているもの?」
持っているものをくれるってどういうことだろう?被っても問題ないと判断したから用意してくれたのだろうけども、いまいちピンと来ない。まさか武器とか?いや俺との戦闘を断り続けている時点でそれはなさそうだ。ううんと頭を悩ませても一向に出てこない答えに、鍾離先生は楽しげに笑う。よほど俺が驚くものを用意しているのだろう、内緒だよと言われたけれどつい口を滑らせてしまう子どものようにうずうずしている。そんなさまでさえかわいいな、なんて思ってしまうのはおそらくこの世界で俺だけだ。
「降参。全然わかんない」
「はは、まぁ当たることはないだろうと思っていた」
「うわ意地悪だ」
「喜んでもらえるかどうかはさておき、俺が送りたかったものだ」
そういうと鍾離先生は俺の隣に腰掛ける。密室で肩の触れる距離にいることが殆どない分どきりと心臓が跳ねる。そんなさまを見透かしたような瞳が俺をうつせば、吸い寄せられるように唇を重ねた。会う時間も会う場所も限られている為こうして触れ合ったことは数えるほどしかなく、いい大人がお互い探り探りな口付けをするのが少しだけ可笑しい。存在を、想いを確かめ合うように何度も唇を重ね、やがて小さく開いた口内に舌を滑り込ませた。そのまま一人暮らしにしては広めのソファにゆっくりと押し倒す。首の後ろに手がまわされて、受け入れる体制ができている先生にハッとした。これって、もしかするとそういうこと?
「プレゼント…もしかして鍾離先生?」
「……?」
「あ、違ったなこれ」
「……あぁ、そうだな。俺もある種プレゼントだ」
「いよいよわかんないや」
ソファに散らばる長髪が扇情的で、思わず手を止めてしまった自分に後悔する。けれど鍾離先生は良いタイミングだと感じたのか、俺の頬に手を添えて口を開いた。
「ここだ」
「え?」
「この家。ここが公子殿への誕生日プレゼントだ。誕生日おめでとう」
「は………は!?」
先程までの甘い空気はどこへいったのか、俺はつい飛び上がってしまった。ここ、ここってなに!?家がプレゼントってなに!?部屋をぐるりと見渡しながら頭をフル回転させても疑問ばかりが残り、冷静になろうとする自分が振るい落とされていく。そのさまがあまりにおかしかったのか予想通りで嬉しいのか、鍾離先生は楽しげに笑った。
「はは!やはり驚いたな」
「驚くどころじゃないから!」
「なに、公子殿も持っているだろう?」
「たしかに持ってるけど…!」
それはあくまで実家だったり、ファデュイで用意された仮住まいだったり。少なくとも恋人から誕生日プレゼントとしてもらうような規模のものではない。断じてない。
不意に鍾離先生の言葉が頭をよぎる。「家に来ないか?」と言っていたけれど、そういえば「鍾離先生自身の家」と言っていただろうか。真新しい外装、家具はあるが殆ど使われていないさま、生活感のなさ。不審な点はたくさんあったはずなのに、どうしてこの答えに行き着くことができなかったのか。それはそうだだって彼は
「まって、どうやって買ったの!?もしかして俺にツケ…」
「落ち着け、たしかに俺は支払っていない」
「やっぱり…!」
「そもそもここは往生堂のものなんだ」
「へ…」
曰く。胡堂主が書物を保管するために往生堂で購入した家…の形をした倉庫の整理係に鍾離先生を任命したらしい。やけに書物があると思っていたがそういった理由だと納得だ。じゃなくて。
「じゃあ俺にあげちゃダメじゃん」
「安心しろ、それは建前だ。本当は、俺の家は別の場所にあって、そこから往生堂に行き来するのは正気じゃないと堂主が用意してくれた。まぁどちらにせよあまりここで過ごしていないが」
「へぇ…いや、いやいや。話がうまく行きすぎてない!?」
「ははは!」
「はははじゃなくてさぁ!」
思わず頭を抱える。鍾離先生は飄々としているが話の内容は『付き合って数ヶ月の恋人の誕生日プレゼントに家を用意した』ってあまりにも規格外すぎる。
「公子殿」
くいと服を引かれる。まっすぐに俺をとらえる石珀色に言葉が詰まった。
「からかってすまない。公子殿に家をプレゼントした、とは伝えたが少し言葉足らずだったな」
「?」
「正しくは俺と一緒に住む家、だ」
「先生と一緒に住む家…?」
「お前が璃月の街に戻ってきた時、少しでも心休まる場所があればと思ったんだ。一部の部屋は書物の倉庫となっているが、そこ以外なら好きに使ってもかまわない。どうだ、少しは嬉しく思ってくれるだろうか…?」
様子を伺うように話す鍾離先生に、俺はようやく意図を理解してあぁ、と声を漏らした。
璃月に着いて街並みを2人で歩く時に感じる安心感は自身の故郷だと錯覚させてくるほどで、そこまで思えるのもおそらく鍾離先生の存在があるからだ。ここを離れても彼が待っていてくれるから、彼がいってらっしゃいとおかえりを言ってくれるから、いつのまにか俺はここの居心地の良さにどっぷり浸っていたようだ。そんな中唯一持っていなかった家まで得たらいよいよ後戻りができなくなる。
「…先生さ、自分のしてることわかる?気持ちはありがたいけど、次無事に帰ってくるかもわかんないんだよ?」
「ほう?その考えなら今こうして関係を持っていることも無駄ということになるが」
「それは…」
「…長い年月を過ごしてきたが、短命な人間と特別な関係になろうなど思わなかった。そんな俺が1人の男に恋焦がれ少しでも引き留めようとここまでしているんだ」
「簡単に死ねると思うなよ、公子殿」
ガツンと頭を殴られた感覚に陥る。完敗だ。この人もし俺が死にかけても手を出してきそうなほど本気だ。なんなら俺を先生と同じぐらいの年月生かそうとしてくるんじゃ?とこのエセ凡人が途端に怖くなった。なのに、どこか嬉しいなんて俺も狂ってるかもしれない。ファデュイとして生きている以上いつ死んでもいいように心構えはしている。けれどその意思をひっくり返してきそうなほど鍾離先生も腹を括っているということだろう。なら俺が出す答えはこれだ。
「俺、先生の淹れるお茶すきだよ」
「…?ありがとう」
「璃月の食べ物だってだいすき。箸はまだ難しいけれど」
「あぁ」
「でも、たまには温かいミルクが恋しくなるし、スネージナヤの料理も先生と味わいたい」
「公子殿…」
「ね、一緒に住むならそれぐらいのわがままは言っていいよね?」
甘えるように先生の手に自分の手を重ねる。温度調節がどうこうと言っていた男にしてはやけに熱くて、重なった手からじわじわと熱が移ってくる。あぁ、すきだな。闘いの中で命の灯火が消えていくのが本望だと思っていたけれど、いつか最後の日にこうして手を繋いで眠るように人生を終えるのも悪くないかもしれない、なんて。
「そういえばベッドはあるの?」
「残念ながらここに住んでいなかったからな、簡易の布団はあるが」
「ならあとで買いにいこうよ。こういうのって住むまでは気付かなくても店に行ったら足りないものに気づいたりするから」
そう言うと先生は数回の瞬きのちに嬉しそうに微笑んだ。先程神の片鱗を出してきた人と同一人物とは思えないほどあたたかい空気をまとっていて、どちらの先生も好きな気持ちは変わらない自分の愛の重さと深さを実感させられた。おそらく今後こんなにも想える相手は鍾離先生しかいないだろう。断定するには、まだ月日が足りないけれどそう思えるほど俺を好きでいてくれている。なら同じように応えたい。
「…ありがとう、鍾離先生」
「こちらこそ。これからもよろしく頼む」
どちらかともなく口付けをして、笑い合う。鍾離先生の誕生日プレゼントには気合いを入れないとな、と、有名なジュエリーショップを脳裏に浮かべた。