あなたと悪手 そこを通ったのは偶然だった。
エージェントとしての任務か、赤目からの依頼だったか、もしくは、また別の用事だったかもしれない。今となっては思い出せないような些事ではあるが、とにかく桐生はその場にいた。
視界は薄暗く、首周りがしっかり覆われたシャツは少し窮屈だ。我慢できずに脱ぎ捨てたくなるほどではないものの、煩わしいことには変わりがない。それでも桐生はおとなしくサングラスをかけ、エージェントスーツに身を包んでいた。疲れたな、と正直に思う。ネクタイの結び目に人差し指を引っ掛けて、少し緩めた。セブンスターの、紙の焼けた味を舌に思い起こす。一服したい気分だが、早いところアジトに戻らなくてはならない。さっさとこの路地を抜けて、タクシーにでも乗ろうかと思い、革靴の音を響かせる。立地からして、きっとここを抜ければ近道だろう。ふとそう思って、目の前にあった建物と建物の隙間の隘路に足を向けた。
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