krkゆめ本サンプル幼なじみの男の子がいる。
黒木屋の長男で、しっかりしていて、頭が良くて、運動もできて、今は忍術学園に通っている、自慢の幼なじみだ。
お互いの家柄や将来のことなんかなんも考えてなかった今より幼かった頃、その幼なじみと「大きくなったら結婚しようね」なんて約束を交わした。
そしてその約束を、十歳になった今でも信じてわたしもできるだけの努力をしている。
頭が良い彼と対等の会話ができるように、本を読んで勉強を頑張った。
運動ができる彼についていけるように、たくさん遊んで木だって登れる。
料理も洗濯物も片付けも掃除も、困らないようにたくさんお手伝いをして、最近は黒木屋さんのお手伝いだってしてる。
笑顔が可愛いと言ってくれたから、笑顔だって欠かさない。
時々帰ってくる幼なじみを待ってる間そうやって過ごしていたし、彼と並ぶのに相応しくあれと振舞っていた……のに。
「あの約束、忘れていいからね」
「え……?」
一瞬何を言われたかわからなくて、ぱちぱちと瞬きをしてようやく帰ってきた幼なじみの庄左ヱ門を見る。
前帰ってきた時とそんなに身長は変わらなくて、大きな目と立派な眉は動かずわたしをしっかりと見返していて、それがまた虚しく思えてしまう。
前帰ってきた時はこんなこと言わなかったのに、授業でなんかあって一緒にいれないとか、そういう風に考えることがあったのかもしれない……忍者のことは、あんまりわかんないから、わたしには理解ができない。
「…………だ」
「ん?」
何か言った?と身体をこちらに寄せてきた庄左ヱ門を押し返して、黒木屋の前でみっともないほど大きい声を出した。
「やだ!庄ちゃんのバカ!」
身体中熱くて、顔も目も熱い。
わたしが押しても倒れなかった庄左ヱ門は、困ったような驚いたような、そんな顔をしてこっちを見てるから、なんでわかってくんないのと自分勝手に腹が立った。
「ねえ、」
名前を呼ばれたのを振り切るように家へと向かう。といってすぐ近くだから、行先もバレバレだけどそんなこと構うもんかと普段気をつけてるのに音をドタドタ立てて家の中へと入って、勉強するための小さな部屋へとこもる。
お母さんがノックをして「庄ちゃんお迎え行ったんじゃないの?」と声をかけるから、知らない!と声を出したらそのまま涙が溢れてきて机に顔をつっ伏す。
(庄ちゃんのバカ!)
むしゃくしゃしたまましばらく泣いて、ぼんやりした頭でやっちゃったなあとようやく自分の言葉を後悔する。
忘れてもなにも、これじゃあ呆れられたよなあと机に頬をつけて目の前に積まれた本をぺらぺらと適当にめくって、閉じる。
(いやでも庄左ヱ門だって悪いよ、急にあんなこと言うなんて……)
もしかして他の人好きになっちゃったのかな……それはやだな。
扉をノックされて返事をすれば、お母さんが庄ちゃん来たわよと教えてくれたけど会いたくないと返す。
きっとひどい顔してる、ひどいことも言ったし、今会いたくないし、頭の中でいくつも言い訳を並べて目を閉じた。
「外で待ってるって」
そう言付けをしたお母さんに、返事ができなかった。
庄ちゃんは優しいから謝りに来たんだと思うけど、もうすぐ暗くなるからおじい様に家に戻されるだろうと思って、そのままにした。
開いてた本の文字が追えなくなって暗くなったな、と部屋の小窓からちらりと外を確認して、思わず木枠を掴んで立ち上がった。
また音を立てて家の扉を開いて飛び出ると、身体を縮こまらせて本を開いてる庄左ヱ門がすぐそこにいる。
「……なんで待ってるの」
「ちゃんと謝りたくて」
「……」
本を懐にしまった庄左ヱ門が、眉毛を下げて聞いてくれる?と言うから、本当は嫌だって言いたいけど頷く。
「忘れてなんて言ってごめんね、色々理由はあるんだけど」
言い淀む庄左ヱ門に、謝りに来たんじゃないの……とやっぱりまだささくれた気持ちになってしまう。だから、わたしの方から言ってやろうと息を吸った。
「……庄左ヱ門はさあ」
「うん?」
「わたしがどこかの城主とか偉い人の息子とか、町の人とか、庄左ヱ門の知らない人のとこに嫁入りしてもいいんだ」
わたしは女にしてはきっと学がある方だ。他にも庄左ヱ門の隣に立ちたくて頑張ってきたものは、きちんと武器になることをわたしは知ってる。それでも庄左ヱ門がいいって言うなら諦めよう……
静かになった庄左ヱ門に、やっぱりそうなんだと下を向きかけて……
「嫌だ!!」
聞いたことのない声量にびくりと肩が震えて、目の前の庄左ヱ門を見れば怒ったような、泣きそうな、悲しそうな、なんとも言えない顔をしている。
「しょ、庄ちゃん……?」
近所迷惑になりそうで声をかけると、庄左ヱ門は眉を下げてからわたしの手を掴んでそのまま引き寄せた。冷えてる身体に驚いて、そのまま腕を回して抱きしめると庄左ヱ門はごめんとなにかに謝った。
「君が誰かと一緒になるのは、嫌だ。でも、僕は忍者になりたいし、忍術学園を卒業するまでに無事でいられるかはわかんない」
最初の言葉は嬉しかったのに、続いた言葉にゾッとして、慌てて身体をさらに抱きしめる。
「僕と会ってない間に、君は出会いがあるかもしれない。僕は無事じゃないかもしれない……君は約束をちゃんと守る人だから、僕との約束は邪魔になると思ったんだ」
だから、忘れてほしかった。そう掠れた声にさっき枯れるほど泣いたのにまた目の奥から熱くなって、涙が溢れてきた。
「庄ちゃんのばかあ」
「うん」
「忘れないでいい?」
「…………」
「そこはいいよって言うの」
「ほんとにいいの?」
その言葉に顔を上げて正面から庄左ヱ門を見る。不安そうな姿なんて、いつぶりだろう。二人で迷子になったときだってこんなに不安そうな顔も声もしてなかったのに。
「いいよ。約束」
庄左ヱ門が忍者になっても、帰ってこなくても、忍者にならずに家を継いでも、多分こんなに好きな人はできないと思うから……
「……そろそろお家入ってほしいなあ」
「「わっ」」
後ろからかけられた声にびっくりすれば、お母さんと黒木のおじい様が困ったような顔でわたしたちを見ていた。
「十歳なんだから、そこまで考えなくていいじゃろ」
そう言ったおじい様に連れられて、庄左ヱ門が家へと帰っていくのを見送ってからお母さんと家の中に入る。
「心配かけてごめんなさい」
「いいのよ、でも外で喧嘩はだめよ」
「はあい」
明日は、庄ちゃんとゆっくり話そう。
そんなことを考えながら、お風呂に入って早く寝ることにした。
それから八年。
無事に忍術学園を卒業してプロ忍者になった庄左ヱ門は、中々帰ってこない。
約束を守ってずっと庄左ヱ門を好いていて相手がいないわたしは、この度ろくでもない城主の息子に無理やり嫁がされようとしていた。
無理やり連れ出されてどこかもわからない城に一人。逃げることは難しそうで、仕方がないから積まれた本を読んで過ごしてもう一週間になろうとしている。
わたしと庄左ヱ門は、約束があってもそれらしい関係ではない。
プロ忍者になったからには余計だろうし、優秀な彼のことだ。務めてる城で縁談なんかももらってるかもしれない。帰ってきてない間にもう結婚だってしてるかもしれない……そんなことを考えてもキリがないのに。
どうにか出れないかなと窓の方に目をやったとき。
「昔の啖呵、本当にすることないだろ」
呆れた声が降ってきた方を見上げると、結わえられた長い一本髪をぷらんと下げて天井から庄左ヱ門が顔を出していた。
「……遅いよ」
「仕方ないだろ、城ひとつ相手にするにはやることも準備も、よっと……大変だったんだ」
床に降りてきた庄左ヱ門が、わたしに向かって手を差し出す。
二年くらい見てなかった気がするから、すごく大きくなったし、カッコよくなった。
「早くしないと、ここ爆発四散するよ」
「え、待って本気で言ってる?」
「僕の同級生が集まって、僕が作戦決めたからね。本気も本気」
ゆうに見上げる身長になってた庄左ヱ門のその発言に固まってたら、仕方ないなというように息を吐いてからよいしょと軽く身体を持ち上げられて、そのままさっきの天井へと飛ばれて、必死にしがみつくしかできなくなる。
「そのまま目閉じて掴まっててね」
走る振動を感じながら聞こえた声に頷いた途端、身体に浮遊感と落下の感覚があって叫びそうになるのを必死に堪えててたのに、爆発音までしてきてとうとう叫んでしまった。
ようやく到着したのか、降ろされた先には何人かの忍者がいて「彼女だ」「許嫁だろ」とわらわら囲まれて庄左ヱ門の後ろへと下げられる。
「ほら、みんなまだやること残ってるだろ」
「庄ちゃんったら冷静ね」
「まさか、庄ちゃんが冷静だったらこんな無茶作戦立てないよ」
「めちゃくちゃ怒ってたもんね」
「誰に喧嘩売ってるんだとか言ってたよね」
「いいから作戦続行!」
怒るような庄左ヱ門の声にびびるでもなくはあいと笑ってそれぞれ走る忍者たちを唖然と見送るしかないわたしに、庄左ヱ門がようやく振り向いて頭を撫でてきた。
「僕はもう少しやることあるから、先に町に戻ってて」
「えっと」
「団蔵、頼んだ」
「お任せあれ。庄ちゃんのお姫様だからね、大事に運ぶよ」
「そういうのいいから」
話に混ざれないわたしを馬に乗せながら庄左ヱ門がゆるりと笑いかける。
「すぐ合流するから。待ってて」