ついらく「帰国したら連絡しろよ。また、打ちあおうぜ」
「おう!今度は決着つけようぜ!」
「ははっ、望むところだ!俺様は絶対に負けねえ!」
あいつの家族は引っ越しの準備を完全に終え、アメリカへと旅立った。見送りには、行かなかった。あの会話以上のものは必要ないだろう。今頃俺様からの手紙を開けて感動で打ち震えているであろう武蔵を思うと笑みがこぼれる。
アメリカへと行くことなんて跡部にとってはコンビニエンスストアに行くことのように容易で気軽なことではあるが、自分と決着を付けられるまで成長した武蔵と会えたらそれ以上のことは無いと思っているため会うのは辞めることを決めている。それよりもいずれ来たる再会の時までに自分を磨きあげなければ、そう跡部は思っていた。
明くる日のニュースを見るまでは。
「では次のニュースです。
昨日夕方、羽田空港から出発したニューヨーク行き飛行機の墜落事故が発生しました。
この飛行機は離陸前点検で不備等は見られておらず、関係者からの取材でも未だ原因は明らかになっていません。
事故による死傷者数は____」
昨日。夕方。ニューヨーク行きの便。
墜落。
頭の中で情報が纏められない。ニュースキャスターの声が遠くなる。飛行機墜落、死傷者、死、んだ、?アイツが?昨日俺と軽口を言い合って未来を約束した、あの、武蔵が?
そんな訳が無い。そんなことあってたまるか。あいつは俺と、俺様とまたテニスをする男なんだ。再会して試合をして慣れないダブルスをしてそして勝って誰にも負けないくらいに強くなって、強く、なって
ニューヨーク行きの便なんていくらでもある。アイツが乗ってる便と決まってはいない!他人を犠牲にすることを願っているようで悪いが、俺はあの男を失う訳にはいかない。
あちらに着いたらきっと武蔵は手紙を送ってくるはず。恥ずかしいことばかり書きやがってなんて照れ隠しを綴った手紙にまたアイツが言うところの恥ずかしい言葉で返してやろう。
そうだ、会いに行ってみてもいい。当初の予定では会う予定では無かったが、とにかく顔を見て安心したい。あいつはどうせそんなすぐに会いに来るくらい寂しかったか?なんて冗談を言うだろう。ああ、あの声をあの顔をあのテニスを。早く、早くこの目に収めたい。
跡部がその気になれば事件の概要など直ぐに分かることであった。死傷者数、死傷者の名前、つまりは武蔵の安否。だが跡部はそれをする気になれなかった。知るのが怖くなってしまった。きっと、おそらく、ぜったい、大丈夫。そう信じることしか出来ない、跡部らしくもない状態に陥っていた。
それから何日が経ったのか、数えてはいなかったが待ち望んだ手紙が遂に届いた。アメリカからの手紙であった。柄にもなく急いた様子で封を切っていく。やっぱり武蔵は無事だったのだ。会いに行こう。この手紙を持って、おそらくあちらも自分が送った手紙を持ってくるであろう。そういう確信がある。なんで持ってきているんだなんてお互いに笑い合いたい。早く、早く!そう浮き足立つ跡部を現実は許さなかった。
手紙の内容は、鏡見武蔵の死を確定させるものであった。
武蔵は死んでいた。あの日跡部と別れた後、墜落事故に巻き込まれて。
鏡見武蔵の遺体は墜落時外に放り投げられており、他の遺体より損傷が少なく見つかったようだ。そして彼の手には手紙があった。跡部景吾から送られた手紙が。そこから辿り今跡部景吾に手紙が送られていると手紙は告げている。武蔵が握っていたものはそれだけではなく跡部宛ての手紙もあったと続けられていた。武蔵はあの時、跡部に返事を書いていたのだ。
景吾へ
手紙ありがとう。散々な言われようだけどな!
あの時のお前にそんなこと思われてたなんて知らなかったよ。でも俺もあの時偉そうなやつが来たなあと思っていたからお互い様だよな。
お前とテニス出来なくなるのは、正直かなり寂しいよ。
自家用機で出向いてくるとかお前らしいけど、それには甘えないでおく。長期の休み日本とアメリカじゃ時期が違うだろうし、これから会う機会は減るだろうな。
でも覚えておいて欲しい。お前と俺は最高のパートナーだ。……と俺は思ってるよ。
俺はお前と肩を並べて世界と戦いたい。
一緒に世界の頂点を取ろう。
じゃあ、またいつか
鏡見武蔵
手紙に同封された武蔵の手紙に目を滑らせながら、跡部の頭は白んでいった。この手紙を書いた男が、俺の望む男がこの世に居ない。信じたくない。
同じく同封されてあった紙には武蔵の葬儀の日取りが記されていた。顔を出さない訳にはいかない。
黒い衣服に身を包んだ人々が悲しげな表情を称えて列を成す。僧侶が唱える経と啜り泣く音が響く葬儀場で焼香の順を待つ。日本にまだ慣れていない跡部にとって単調な声と煙が漂うこの場はどこか現実離れしていてこの空間の現実味を薄めさせる。
列が進みついに煙が立つ香炉が目の前に来る。人に習うように焼香をあげていく。慣れない弔いは跡部を現実から離していく。
人の歩みに沿うように進むと遂に、棺の前に立つ。
棺を覗く。
顔が、見える。
棺に横たわるのはたしかに、鏡見武蔵であった。
ガツンと頭を殴られるような衝撃が響く。現実が跡部を襲った。鼓動が早まる。自分の心音が耳元で刻まれる。他の音が何も聞こえなくなっていく。
震える手で白菊を武蔵の身体に添える。あまりにも普通の顔で横たわる武蔵であったのでそっと身体に触れてみた。
冷たい。冷たくて、こちらの体温が底無く奪われていくような、引きずり込まれるような、えも言われぬ恐怖に覆われる。温めなければいけない。こんなに冷たくては辛いだろうに。温めなければ。そう思うのに、どれだけ触れても武蔵はただ冷たいままであった。
武蔵は正しく、遺体となっていた。
そこから先は覚えていない。気付けば自室のベッドの上に居た。己の足で帰ってきたのか、誰かによって連れ帰られたのか、わからない。
ただ武蔵を触った感覚だけはその手に残っていた。
耳元で煩く響く己の心音と上がる体温を嘲るように武蔵の身体は何も無かった。心音も、温度も。
跡部は悔いていた。あの時無理矢理にでも日本に留めさせれば、武蔵は今も自分の隣にいた。
跡部は恥じていた。武蔵の身体に触った時少しでも恐ろしさを感じてしまった自分に。
跡部は悲嘆した。あれだけ自分を輝かせるパートナーを、無二の親友と言える男を、心躍るテニスをする武蔵を、失った。
若干15歳が抱えるには相応しくない、まだ幼さを残す心身に、この事実たちは容赦なく重くのしかかった。
跡部は、壊れていった。
「武蔵、」
「俺様と会えない間に腕、鈍らせてねえだろうな?」
「今からの試合で俺との差があったら承知しないからな、待っててやるつもりはねえよ」
「俺と共に世界を取るんだろう?」
「なあ、武蔵よ……」