燐ニキ② 「四駅だろ? 線路沿いに歩いてれば着くってぇ~せっかくだから飲みもん買ってこうぜ!」
光に飛び込むようにコンビニの店内に進み入った彼は、数十分前に同じような声色で「乗り換えが上手くいったらこっちのが早えんだよ」と言ってニキをいつもとは違う路線の電車に引っ張り込んだ。
結局二人が乗った電車は先に走る車両の人身事故のあおりを受けて路線図の中間にある駅で停止し、乗り換えどころかニキの自宅がある最寄り駅にたどり着く事すら出来なくなってしまった。
「仕事で疲れてるのに、これから数十キロも歩くんすか……」
ちなみにタクシーは規模の小さい駅では元々の車両数も少なかったのか、スーツを着た人々の列のはるか先だった。
左側に線路、車線の引かれていない道路を挟んで住宅街。とっぷりと暮れた深夜の町で、ニキのために自動ドアが開いた先は昼間のように明るかった。
耳に馴染むメロディに迎えられて店内を軽く見回す。
(ホットスナックはもうこの時間だとトレーが下げられちゃってるっすね)
栄養食は持ち歩いている上、現状は空腹までには余裕がありそうだったので冷蔵庫のおつまみコーナーに向かう。陳列の一番上の段に、目当てのパッケージがあった。
今日知ったばかりの商品を迷わず手に取り、店員が控える会計レジに置いた。
「なんそれ? あとこれも買って」
「うわっ!」
かなり近い後ろから燐音が手を伸ばし、オレンジ色の350ml缶を台に乗せてきた。
「お酒じゃないっすか! 僕は未成年だから買えません!」
「ここに成人した保護者がいんだろ。俺っち財布持ってきてねぇし」
「電車に乗ってたんだからICカード持ってるでしょ。あっちに自動レジもあるっすよ。あっ、レシートはいらないっす。お箸はください」
淡々と自分の分の会計を済ませれば、背後にいた燐音は無言で隣の自動レジの前に移動していった。店員がいるレジで、ニキに続いて買えば良いものをわざわざ避けたのは意地だろうか。ピッ、と駅の改札で聞いたのと同じ音が店内に響いた。
虚しそうな背中を無視して先に店舗の外に出る。一台も車が止まっていない駐車場の止め石を眺めて燐音を待っていると、彼は外に出てきた途端に缶のプルタブを開けた。ニキはアルコール飲料を摂取した事は無いが、この瞬間の音は好きだと思う。銀色のアルミに爪がかかる音、容器の内側に閉じ込められていた炭酸が外気に触れる圧力の音。
それから数秒後に、立ち止まったままの燐音が喉を鳴らして液体を飲み込んでいく音が耳に届いた。先を歩いて振り返らないまま、背後で満足げに両目をぎゅっとつむる燐音の姿を想像する。こくん、と自分の喉も小さく鳴った。
腹の底から響くような熱い吐息と、ずるずるとついて来る気配が近づいてくる。
「ニキ~が買ってたのは何だよ。貝か?」
「あかにし貝っす。今日話したスタッフさんが、『歯ごたえがあって美味しい』って言ってたんで~家に帰ったら食べるんす」
お酒のおつまみにも良いと言っていた事は伏せておいた。今言ったら間違いなく強奪されると思ったので。
「今開けて食えよ。そんでリレーしようぜ、コンビニリレー」
「は? リレー?」
「家まで歩くだろ? 途中でコンビニ見つけたらぜってぇ入んの。で、その度に俺は酒を一本買うし、ニキは何か食いもん買えよ。次のコンビニに入るまでに食い終わんの。ぜってぇ」
「いや、ちょっと知らないスポーツっすね」とニキが言えば、燐音は「俺っちがさっき考えた!」と高らかに宣言した。先程の説明で二回も出てきた「ぜってぇ」がルールなのだろう。
「めちゃめちゃ不健全な寄り道じゃないっすか……あとうるさいから大ききな声出さないで欲しいっす。今何時だと思ってるんすか」
騒ぎながら歩いていると線路の向こう側に煌々(こうこう)と光る薄緑色のコンビニの看板が見えたが、燐音が気付いていないようなのでニキも気付かないふりをした。さっさと帰ってシャワーを浴びて、それから何か腹にたまるものを食べて寝たい。
空になった缶をぷらぷらと揺らしながら歩く彼は、今夜ニキの部屋に泊まるのだろうか。
「半袖じゃちっと寒ィな……」
「冷たいもの一気飲みするからっすよ。歩いてればあったかくなってくると思うけど、僕の上着使うっすか?」
「ニキは寒くねぇの?」
「髪が長いから首筋がスースーしないんすよ。暑くなりやすくもあるんすけどねー」
「暑ィんなら、もっと上で結べばいいのに……」
まるでこの髪型にこだわる自分が愚かであるかのように言われたから、ニキは振り向いて叫んだ。
「燐音くんが! 尻尾みたいで良いって言ったんでしょうが! 燐音くんにはもうちょっと自分の発言に責任を持ってほしいっす」
「……ギャハハ覚えてんのかよ! ニキ~、ニキはよぉ~偉いなァ」
「ぎゃあっくっつかないで欲しいっす! 暑いって言ってるのにぃ」
前に向き直って歩き出そうとした瞬間、燐音に背後から抱き着かれてしまう。頭を押して離そうとするが、がっちりと抱きしめられていてびくともしない。
「なァ、もっとゆっくり歩けよ」
灰色の髪の毛を数束巻き込んで、ニキの首筋に額を当てたまま燐音が呟くから肩が震えた。
皮膚に届く熱い呼吸に何と返事をすれば良いのか分からなかった。赤髪の頭から手を離して、代わりにベルトのように巻き付いてきていた腕をゆっくりと撫でてやる。骨ばった手首を捕まえると、ようやく拘束は解かれた。
手を繋いで燐音の顔を下から覗き込めば、アルコールに融かされた水色の瞳が星を映した水面のように揺れる。何時までも寄り道をしたがる子供みたいな彼と向き合う。
「……担々麺が食べたいっす。汁無しのやつ。」
「ん……この前食べたレンチンの?」
「レンチンの、コンビニ限定の山椒がついてるやつっす」
「しゃあねーなァあれ売ってるコンビニ探すか! ニキの為に歩いてやんだから俺っちの分も買えよ」
「はいはい。……燐音くんの分もあっためて食べさせてあげるから。ちゃんと歯磨きして寝ましょうね」