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    白いでかい犬

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    白いでかい犬

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    つづかぐ

    つづかぐ① 「都築さん、ちゃんとついて来てくださいね」
     手書きの地図を両手でしっかりと持った彼が、何度も振り返り、何度も同じ内容の言葉を言う。
     高い声に合わせて、深い臙脂(えんじ)色のローファーが煉瓦模様の加工を施された地面をこつこつと鳴らす。
     春のおぼろにはまだ遠い時刻。満開の桜が花びらを散らしていく歩道をゆっくりと歩いていた。
     今日のレッスンのために手配された貸しスタジオは、事務所からの距離が短いため、徒歩でも移動ができるそうだ。
     プロデューサーから同行はできないという説明と一緒に、スタジオまでの道のりが記された地図を渡された。受け取った麗さんは、「任せてほしい」と分厚いコートに包まれた胸を張って応えていた。
     (冬の小鳥はよく肥えている)
     勿論、彼の身を包むのは肉でも羽毛でもなく、布と綿の重なりなのだが。ふかふかとした襟巻を着けた姿は、春になっても未だ抜けきらない冬毛をこさえた小鳥のように見える。
     コートとマフラーで着膨れした上半身に対して、膝丈のショートパンツとソックスで包まれた下半身はすらりと細い。アンバランスな姿はますます小さな鳥を彷彿とさせる。
     背筋を伸ばして真っ直ぐに歩いているはずの小鳥は何故か足元に目線をやって――それでも前後に驚異がないかと気を配りながら――一歩ずつ、弾むように歩いている。
     ただ道を歩いているだけなのに何をしているのだろう、と考えて見ていると、どうやら足元に落ちている桜の花弁をなるべく踏まないように歩いているらしい。
     庭園に置かれた飛び石を渡るように、爪先の着地点を見定めて飛び歩くから、トン、トン、と拍子をつけて靴音が響く。繰り返される音の組み合わせはやがてリズムのもとになるのだろう。
     歩き続けなければならないのに、耳触りのいい音を見つけてしまったから、僕はいつものように彼が生み出す心地よい音色を捕まえようとする。すっかり慣れたやり方で体の力を抜いて意識を……どうやるのだったかな。余計な事を考えて大切なものを逃がすくらいなら、思考なんてしない方が良いのだろう。
     降り注いで照らすのは、いつかきっと忘れてしまうひかりの環(わ)だ。砂と、ほのかに甘い花の香りさえ柔らかい音となって世界を巡る。安らかに眠るように、むずむずと生まれるように、湧き上がる音を口ずさむ。
     たゆたう音のさざめきに浸りたくて瞳をとじた。風になりきらないあどけない空気の流れが髪を撫でる。日差しが頬を焦がしていく。
     (麗さん)
     まぼろしの中にいるのは自分ではなく、小鳥のような彼だった。一小節を歌えるだけの時間。目を閉じていたのは少しだけだったのに、まぶたを開いて再び見つめた現実の世界に、先ほどまであったはずの姿は見当たらなかった。
     「麗さん?」
     ほとり、とこぼれおちる様に呟くが、返事はない。桜は変わらず花びらを散らしているし、日差しも枝をすり抜けて、揺らめきながら地面を日向と日陰に分けている。
     世界は何も変わっていないのに、その存在だけが失われてしまった。
     「……置いていかれてしまったかな」
     あるいは、僕が取りこぼしてしまったのだろうか。辺りを見回して数歩進むと靴底が乾いた砂を引きずって音を立てる。視線を落として自分の足元を見ると、爪先にぽつぽつと、不思議な印象を得た。
     歩道に敷き詰められるように落ちていた桜の花びらが、僅かに散らされている。左右交互に均一の間隔で、煉瓦模様の地面が見えている。
     (小鳥の足跡だ)
     見つけた痕跡を追いかけて、自然と足が運ばれていく。僕が暖かそうな背中を見つけるのが先か、それとも慌てて戻って来てくれるのが先か。
     何にせよ、花の色を追えば君に辿り着く地図になるのだろう。
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