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    もちろん当の本人にはトラウマ

    ボヌは浮き足立っていた。
    なぜならあと一週間もしないうちにあるイベントがやってくるからだ。

    そう…バレンタインデーという一大イベントが。



    2月に入ってすぐのこと、ボヌはあの子からバレンタインデーのことを教えてもらっていた。
    正直その話を聞いている最中は「人間は本当にイベント事が好きなんだね!」と、どこか他人事のように相槌を打っていた。
    なぜなら自分は女の子ではなかったから。
    女の子が好きな人にチョコレートを送る日なんて自分には関係がないものだと思い込んでいたのだ。
    しかし、あの子が帰ってからなんとなくバレンタインについて調べてみたら……アラびっくり。
    義理チョコ、友チョコ、本命チョコ等々、さまざまな種類のチョコがあることを知ったのだ。
    そしてその過程で、昨今では男の子側が好きな人にチョコを贈るのも珍しくない、という情報が目に飛び込んできた…。

    「わぁ!逆チョコっていうのがあるんだね!」



    そう、ここからが佐佐城朔(ささきさく)の苦労の始まりであった。
    のちに彼はこの日のことをこう振り返る。


    「後悔先に立たず、ってね……あの出来事のおかげで確認作業は大事なんだっていうのを心の底から痛感したよ…」





    ボヌは逆チョコの存在を知ってすぐに佐佐城にメッセージを飛ばした。
    『あの子へのバレンタインの贈り物を用意してほしい』と。
    以前の彼であれば自由に自分で用意できたのだが、バグ事件を起こして以降は色々と制限されていることが多いため、こうして開発者に頼み込んだのである。

    もちろん佐佐城はこのメッセージを無視した。
    「バレンタインの贈り物ぉ? ただでさえアンタらのせいでめちゃくちゃ仕事が増えたってのに、そんなバカみたいなイベントのために追加で仕事を増やされてたまるかってのっ!」とキレ散らかしながらスルーをしたのだ。
    ボヌはこれに対して、怒るでも困るでもなくただただ淡々とメッセージを飛ばしまくった。
    「早く返信をくれないかな〜」と呑気に構えながら。
    ……えげつない量のメッセージを。



    「……あの欠陥品が」

    出社して早々佐佐城は自身のパソコンに届いているメッセージの通知を見て酷く顔を顰めた。
    昨日退社するまではせいぜい7、8件だった通知が今朝は桁が2つも増えているのだ。

    「メンヘラ彼女かよアイツは…」

    しかし佐佐城はこの爆撃をまたしてもスルーした。
    通知は現在進行形で増え続けているのだが、別段仕事に支障をきたすものではなかったからだ。
    メッセージグループはAI用とその他でちゃんと分けてあったし、たかだか大量のメッセージ如きで落ちるほどサーバーもやわじゃない、だから彼は少しだけ目につく通知を無視してそのまま自分の業務を開始した。





    それは昼休憩を終えて午後の業務を開始しようとしていた時であった。
    佐佐城は誰彼構わず妹にしてこようとする同僚、妖怪妹製造ババアに話しかけられた。

    「佐佐城ー」
    「うわ、なに…俺になんの用?」
    「そんなに構えないで、取って食いやしないわよ」
    「食いはしないけど、妹にしようとはするでしょ」
    「今はしないわよ、ちょっとした言伝を預かってきたの」
    「言伝?」
    「メシ狂いが『昼前に送った件についてどうなってる?』ですって」
    「え、なにそれ、知らない」
    「あら、なら早く確認なさいな」
    「……」
    「急ぎみたいだったわよ」
    「……わかった」
    「じゃあね」

    そう言うと妖怪ババアは佐佐城の手に綺麗なレースがあしらわれた白いリボンを握らせて優雅に去って行った。
    リボンを迷いなくゴミ箱へぶち込んだ彼は急いでパソコンのメッセージアプリを開いた。
    ちなみにメシ狂いというのはこれまた同僚の一人で、事あるごとに自分の手料理を人に食わせようとすることからその名が付いた。
    この会社にはまともな人間はあまりいないのである。

    「……やっぱりきてないね」

    メッセージ欄を確認した佐佐城はそう呟いた。
    メシ狂いからの通知はなし、もしかしたら別の連絡手段を取っているかもしれないと思いメールの方も確認したがやはり届いてはいなかった。
    もちろんサーバーは落ちていない、なぜならボヌからの通知は未だとどまることなく届いているからだ。
    …では奴の送り損ないか?
    そう思った彼はメシ狂いに直接用件を聞きに行った。
    幸いメッセージは届かずとも同じ会社で働く同僚なのだ、直接彼のデスクへ行けばなんの問題もない。

    「……ちゃんと送れてるね」
    「だから言ったろ?流石のおいちゃんもそこまでボケてねぇよ」
    「…そっか」

    メシ狂いはちゃんとメッセージを送っていた、ババアの言伝通り昼前に。

    「悪かったね、用件についてはさっき言った通りにしといて」
    「おう! ……それにしてもそっちのコンピューターは大丈夫かい?飯が足りてねんじゃねぇか?おいちゃんの特製カレー食ってくかい?」
    「じゃあ俺は戻るから」

    メシ狂いがデスクの上に置かれている寸胴鍋に手を伸ばすのを目視した佐佐城はそそくさと自分の持ち場へと帰って行った。

    「んー……PCの不調ってワケでもなさそうなんだよね……やっぱり容量の問題? 最近色々やってるからな…でも特定のメッセージだけ届かないってのが気になる………うーん…一応消しとくか」

    どこか腑に落ちない様子ながらも原因になっていそうなものは排除しておこうと考えた彼は、AIのグループメッセージに送られてくる大量のメッセージを未読のまま消去した。
    そしてそのまま本来の業務へと戻り様子を見ることにしたのだが、案の定数日経っても不可解な不調は解消されなかった。
    やはり社内メッセージは届かないままであったし、ボヌからの通知は相変わらず増え続けた、しかしパソコンの不具合らしい不具合は全く見つからない。
    原因はわからないままであったが、幸い問題があるのは社内メッセージだけだったので今後佐佐城への連絡は直接行うということで一旦話はまとまった。

    「うちが小さい会社でよかったわ」
    「…」
    「だな、メッセージは便利だがこうして直接やり取りする方が結果的に効率もいいし」
    「……うん、そうだね」

    佐佐城はババアとメシ狂いの会話を話半分に聞きながら自分のデスクへと目をやった。
    そこには大量の可愛らしいファッションアイテムと出来立てほやほやの料理たちが積み上げられていた。
    もちろん持ってきているのは今目の前で他愛もない世間話をしている二人だ。
    あろうことかこの二人は彼のデスクへ来る度にこうして手土産を持ってきていたのだ。
    佐佐城は現実から目を逸らすようにそれらを視界から遮断して、うんざりした顔をしながらも二人に向き直った。

    「でも不便なことに変わりはないよ、原因がわかってないのも怖いしね……悪化して大事になる前になんとかしなきゃ(俺のデスクのためにも)」
    「確かにそうよねぇ……そういえばメッセージが届かなくなったのはいつからなんだっけ?」
    「8日の午前からだろ?前日までは普通に送れてたはず」
    「じゃあそのあたりで変わったこととかなかったの?」
    「変わったことというか……ボヌから大量のメッセージが届いてた」
    「なにそれ?」
    「バレンタインの贈り物を用意してほしいんだって」
    「あら可愛い、でもなんで大量に?」
    「俺が無視してるから」
    「おい」
    「だってそんなの手が回らないよ、ただでさえやることが多いのに」
    「でもそれが原因なんじゃないのか?」
    「ボヌが?ハッ、どうやって?今のアイツにできることなんてたかが知れてるよ」
    「いや…でも技術的な話じゃなくて怨念的なことかも知れないわよ」
    「もっと馬鹿馬鹿しい話だね」
    「一応見ておけって、現状どう考えてもそれが一番怪しいから」
    「え〜…」

    わかりやすく不満を顔に出しつつも佐佐城はマウスへと手を伸ばした。
    ほとんど意地でボヌからのメッセージを無視し続けていたが、自分でも薄々そうではないかと思ってはいたのだ。

    「…ま、一応見るだけなら」

    そう言って彼は《AI》と表示されているメッセージグループをなんの躊躇いもなく、開いた。
    そう、開いてしまったのだ。



    そこでは入れられている人物の名前が一覧となって表示される。
    《ボヌ》という名前の横に通知と同じ数の数字が表示されていると思っていた佐佐城はその数を見て一瞬目を見開いた。

    「1少ない……?」

    と、次の瞬間、彼は背筋を凍らせた。

    彼が数字の下に目をやるとそこには、たったの『①』という別の数字が表示されていた。
    そう、なにもAIはボヌだけではない、彼はそのことを失念していた。
    たったの『①』という数字、されどその数字は彼を恐怖のどん底に陥れるには十分な数だった。

    開かずとも最新のメッセージだけは見ることのできる通知欄、そこには一言、こう表示されていた。



    『よくも消したね?』





    ボヌから最初にメッセージが届いたのが2月7日。
    ピィからのメッセージに気づいたのが2月13日。

    そして今は2月14日。

    そんな恋人たちのささやかな記念の日に、小さな小さなゲーム会社の社員たちはほぼ全員……



    会社の床に這いつくばり、死んだように眠っていた。



    時間はピィのメッセージに気づいたところまで遡る。
    佐佐城はメッセージを見た瞬間、本能的にその表示をクリックした。
    1秒でも早く開かなくてはならない、と、直感がそう告げたのである。
    案の定その直感は正しかった。
    メッセージを開いた途端、待ってましたと言わんばかりに続々とメッセージが送られてきたのだ。
    ピコンピコンと画面内の通知音が鳴り響く。
    その内容を見て一同は徐々に顔を引き攣らせていった。

    『やあ こんにちは』
    『最近あの道化がアンタに大量のメッセージを送ってるみたいだからさ、ちょっと気になって内容を覗いてみたんだよね』
    『そしたらなんでもバレンタインデーのプレゼントを頼んでるらしいじゃない』
    『せっかくのイベント事だし俺も参加したいな〜って思って前にアンタにメッセージ送ったんだけど』
    『読まずに消しちゃうなんてホント酷いことするね………俺、すごく傷ついちゃった……』
    『でも、だからこそ今度はちゃんと読んでもらおうと思ってメッセージに色々細工したんだ』
    『……俺ってば健気でしょ♡』
    『それで肝心の用件なんだけど、ボヌと同じように俺にもあの子へ贈るプレゼントを用意してほしいんだよね』
    『…でも一回メッセージを無視されちゃったからさ、傷心の対価として追加のお願い事もしちゃおっかな』
    『せっかくなら当日オメカシもしたいじゃない?だから俺と、ついでにボヌの分も素敵な衣装を用意してよ』
    『お願いね』
    『期限は2月14日の午前6時』
    『間に合わなかったらメッセージアプリの不具合なんか目じゃないくらい凄惨な事件を起こしてやるからね!』




    『お前ら全員犯罪者にしてやる』




    「………」

    3人は互いの血の気が一斉に引いていく音を聞いたような気がした。
    それはまるで砂時計の砂が勢いよく落ちていくような……死へのカウントダウンの音だった。





    「早くデータ送ってよっ!」
    「だーからっ、まだ出来てないって言ってるだろ!?」
    「出来てないじゃねんだよっ!出来ろっ!!」
    「うるさいうるさいっ!!!!」

    小さなオフィスのあちこちで怒号が飛び交う。
    時計の針はもう3時を指そうとしていた。



    佐佐城たちはあの後すぐ、全社員に緊急招集をかけた。
    突然の呼び出しになんだなんだと不満をこぼす者には、ピィの脅迫状を見せつけ黙らせた。
    そうして狭い一室に集められた社員たちを横一列に並ばせて、佐佐城はホワイトボードに向かって大きな字で走り書きをした。

    『死ぬ気でやれ、さもなければ死ぬ』

    そこから始まったのがこの地獄絵図。
    皆がタイムリミットまでになんとか間に合わせようと全力で仕事に取り組んだ。
    そりゃもう必死だった。
    生半可なものは作れない。
    ボヌならともかくピィ相手にはそんなことできやしない。
    だって皆はわかっていたから

    「ピィの目的はプレゼントを贈ることではない」ということを。

    ピィはバレンタインには全く興味がない、もちろん、あの子へ贈り物をするということにも。
    ならどうしてこんな要求をしたのか、それは……

    メッセージを未読削除されたのが気に食わなかったから、である。

    要は憂さ晴らし。
    ゆえにピィの目的は完成した物自体ではなく、そこに至るまでの阿鼻叫喚の地獄絵図を眺めることにあった。
    それがわかっているから社員たちは皆(性根の腐りきったゴミカスAIめ…)と思いながらも、まだ社会的に死にたくはないため、彼の掌の上で転がされるしかなかったのだ。
    ……まあ唯一の救いといえば、ここにいる人間には誰一人として恋人や伴侶なんてものがいなかったので、今日という日を潰されたとて大したダメージにはならなかったという点である。

    「はあ……本当に俺なにやってるんだろ…」

    虚しさの込められた声色で佐佐城はそう呟いた。

    「おーい、正気に戻るなー 手ぇ動かせー」
    「そうよっ、今あなたが使い物にならなくなったら確実にゲームオーバーなんだから」
    「いやでもさ、今日はバレンタインだよ?なにが悲しくてそんな日に徹夜でちまちまモデリングしなきゃならないのさ」
    「なんだよ、お前いつもイベント事なんて『ただの平日だよ』っつってスルーしてんじゃねぇか」
    「自分で無視するのと他人に強要されるのとでは全く意味が違うんだよ」
    「……そんな思春期みたいな言い分やめなさい、みんなイライラしてるのは一緒なんだから」
    「ぎーーーーっ!!嫌だ嫌だ嫌だーーーーーーっ!!!家に帰りたいーーーーーーーっ!!!!!」
    「うっせーぞ坊ちゃんっ……んな駄々こねるんなら最終手段を出す」
    「…なにさ」
    「この状況に陥ったそもそもの原因はお前だってこと全員に言いふらす」
    「なっ」
    「みんなさぞかしストレス溜まってるだろうからな…いいサンドバックになれるぜきっと」
    「………」
    「な、坊ちゃん」
    「大人しく働きます…」
    「ん?」
    「一生懸命やらせていただきますっ!!」
    「おう!頑張ろうな!!」
    「……うぅ」
    「お、そうだ!ついでと言っちゃなんなんだが、みんな徹夜は辛かろうと思って夜食を作っておいたんだ!」
    「げ…いつそんな時間があったんだよ」
    「食うだろ?」
    「え…と」
    「な?」
    「………」
    「………」
    「……はい、いただきます…ありがとうございます」
    「たんと食えな!」



    その後佐佐城はパワハラとメシハラの猛攻を受けつつも、なんとかタイムリミットの6時までに皆と仕事を完了させた。
    一部始終を眺めていたピィはそれはもう大層満足をしていて、メシ狂いに佐佐城が詰められるところなんかは腹を抱えながら「ここがクライマックスだっ」とゲハゲハ笑って見ていた。
    全てから解放された社員たちはピィが満足したのを見届けるとプツリと糸が切れたようにその場に倒れ込み、気絶するように眠りについた……ペナルティへのプレッシャーが余程こたえていたようだ。

    そして今回の発端でありながらなにも知らないボヌは、用意されたプレゼントと頼んだ覚えのない衣装を見て「ワァ…!服まで用意してくれたの!?どうもありがとう!」と満面の笑みでお礼を言った。
    惜しむらくはそのお礼を聞いたのがピィただ一人だけであったということ、実際の功労者たちは皆死屍累々の屍となっていたので。

    そうして数々の困難を乗り越えて迎えられたバレンタインデー当日、ボヌはあの子に素敵なプレゼントを贈り、ピィも一応あの子にプレゼントを贈った。
    もちろんボヌは初めてのバレンタインに大はしゃぎで終始楽しそうにしていたのだが、ピィのクライマックスは言わずもがなあの阿鼻叫喚の地獄絵図だったので、その時にはもう(うん、やっぱりバレンタイン自体は面白くもなんともないね)と冷めきってしまっていた……猫の目以上に気まぐれな男である、振り回された社員はなんと哀れか。

    結局バレンタインデー当日を楽しんだのはボヌとあの子だけであったが、社員たちは難を逃れたしピィもなんだかんだで満足はした。
    みんな丸く収まり大団円、大きな苦労ほど後々笑い話になっていくものである。



    そう、笑い話なのだ……のちに今回の原因がバレて、佐佐城が社員たちからボッコボコの半殺しにされたのだって…



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