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    フレがボヌとピィにホワイトデーのお返しをする話

    ワイズの鳥籠 1「どうしよう…」

    2月15日、バレンタインデーを終えたフレは自室で一人、真っ暗なモニターを前にして むむむ…と頭を抱えていた。

    「2人からプレゼントを貰えるなんて思ってもみなかったな…」

    2月14日はバレンタインデー。
    月の初めにその話題をボヌに振った際、彼は興味がなさそうだった。
    てっきり目を輝かせて食いつくと思っていたフレは拍子抜けしながらも(そんなものか…)と以降その話題は出さなかったのだ。
    …それなのにバレンタインデー当日…つまりは昨日、ボヌどころかピィまでもが彼女にプレゼントを贈ってくれた。
    …それはフレにとっては大きな誤算だった。
    プレゼントはもちろん嬉しかったし、2体ともバレンタインらしい衣装に身を包んでいて大層可愛らしかった。
    だからフレはバレンタインデー自体を大いに楽しむことはできたのだ。
    …しかし、バレンタインデーというのはある条件を満たしてしまうとその日だけでは終われない。
    そしてフレはその条件を満たしてしまっていた。
    そう、フレは…
    3月14日のホワイトデーにお返しを用意しなければならなくなったのである。

    フレには2つ懸念点があった。
    1つ目はお返しを準備する期間。
    一ヶ月近くもあれば十分と思うかもしれないが、内容を考え、準備のために開発者(佐佐城)とやり取りをし、実際に作ってもらってそれを確認する……と、考えるだけでも全く時間が足りる気がしない。
    しかし、足りないものはいくら考えたって増えはしないので、期限はこの際どうでもいい。
    問題は2つ目の懸念点であった。
    …それはピィへのお返しの内容。
    ボヌだけであれば色々考えようがある、というか今すでに思いついているのだが、ピィへのお返しとなると全く思い付かない。
    何を送っても「なにこれ?…お返し?……ふーん、いらないや」と突き返されそうな気がするのである。
    まあ、贈り物なんてただの自己満足でしかないので受け取ってもらえなくても気にする必要はないのかもしれないが……せっかくなら喜んで欲しいというのが本音ではある。
    なのでフレはウンウンと悩んで俯いてしまった頭をもたげ、意を決してモニターの電源ボタンに手を伸ばした。

    「ピエロならここにはいないよ」

    弱々しいノックに応え のそのそ…とかったるそうに自室の扉を開いたピィは、目の前で用件も言わずに立っている小さな小さな来客に対してそう言った。

    「いえ、ボヌ君を探してるわけではなくて…」
    「ならなに? 俺に用なの?」
    「はい」
    「なにさ?」
    「…」

    妙だな…? とフレを観察しながらピィは訝しんだ。
    普段の彼女はもっと無遠慮でこんな風にしおらしくモジモジしたりしない。
    (なにか言いにくいこと?俺に?…まさかね)なんて心の中で呟きながらも、根が真面目な彼は彼女を放っておけず「入れば?」とぶっきらぼうに言いながら彼女を室内へ促した。

    「お邪魔します」
    「ソファ、座りなよ」
    「はい」

    おずおず…と入室した彼女をソファに座らせた彼はそのまま右隣にドカッと座り、顔は正面の真っ暗なテレビの画面に向けたまま少し気遣うような声色で彼女に声をかけた。

    「…なにかあったの?」
    「いえ、なにも…」
    「…ふーん」
    「…」
    「…ま、話したくなったら言いなよ、時間だけは無限にあるからね、俺」
    「はい」

    (なにがあったかは知らないけど、言いづらいことってあるもんね…)とそれ以上追求はせずにピィはソファから立ち上がり、部屋の隅にある映画のDVDが入った小さな棚の前でしゃがみ込んで物色を始めた。
    その様子を緊張した面持ちで目線だけをやって眺めていたフレは、今後どうするかを頭の中でぐるぐると考え焦りまくっていた。
    フレはもちろんお返しのためにピィの部屋へ来たのだが、とりあえずで来てしまったせいでなんのプランも練っていなかったのだ。
    やみくもに辺りを見回してはみたが、以前にも入ったことのあるこの部屋はデザインの割に内装がシンプルで、やはりこれといったお返しの手がかりになるようなものはなにもなかった。
    そうこうしている間に物色を終えたピィがDVDのケースを片手に戻って来る。

    「今からこれ観ようと思うんだけど、アンタも観てく?」

    そう言ってピィはパッケージが見やすいようにひょいと持ち上げフレに向けてくれた。
    その映画はいわゆるキッズ向けで、パッケージにはキャッチーなマスコットがワラワラと描かれている。
    フレは真剣にそれを見つめる…がしかし、内容に興味があるわけではなかった。
    ピィの趣味は映画鑑賞。それはもちろん覚えていたし、お返しを何にするか考えたときには当然真っ先に思いついていた。
    しかし、ピィは自分の観たい映画は佐佐城に頼んで全て入手しているため映画を贈ることは叶わない。

    (難儀な…)

    フレは心の中だけでそうボソッと呟き一応「観ていきます」とピィに返事をしようとして…ふと気がついた。

    「あ」
    「ん?どうしたの?」
    「あ、いえ、その……それってピィ君の一番のお気に入りですか?」
    「俺の?…ああ、いや、違うけど…」

    意表をつかれたような顔をして、ピィはフレに向けたケースを自分の方へくるっと向け直した。
    これはなんとなくフレが好きそうだと思って選んだものであったが、それを口に出すのはなんだか気恥ずかしかったため、ピィは居た堪れなさで口ごもったのだ。
    しかし、そんなピィの心情をよそにフレは食い気味にこう続けた。

    「だ、だったら私、ピィ君が一番好きな映画が観たいです!」
    「…俺の一番好きな映画?」
    「はい!……その、ダメ、ですか?」
    「い、いや…ダメじゃないけど」

    ピィは頭をガシガシ掻きながら「一番好きな映画…?…うーん、一番かぁ…」と悩ましげに再び棚の前へと向かって行った。
    その様子を眺めながらフレはしめしめ…とほくそ笑んだ。
    一番好きな映画を観せてもらえれば彼の好きなものの傾向を掴めるのでは…? と思い至ったのだ。
    可愛いもの、格好いいもの、面白いもの、変わったもの…なんなら作品内に出てくる小物を再現してもいい。
    そうしてお返しのヒントを得られそうなフレはワクワクしながらピィの持ってくる映画を待った。

    「一番って言われるとだいぶ悩んじゃうね…まあ、でも、今はこれが一番かな?よく観るし」

    案外すぐに選び終えたピィは、今度はパッケージをフレに見せることなくテレビ台の中に置かれているプレイヤーにDVDを入れ込んだ。
    フレの隣に座るまでの間も「やっぱりあっちの方がよかったかな…いや、でもなぁ」と悩ましい様子ではあったが、結局はDVDの棚の上に置かれたリモコンを手に取り、流れるようにプレイヤーの再生ボタンを押した。

    映画が再生されると最初にオープニングロゴが流れる。
    フレは(見たことあるロゴだ!)と思いながらもこれから始まる映画に胸を高鳴らせていた。
    一通りロゴムービーが流れ終わると映画の冒頭シーンが始まる。
    薄暗い店の中に目出し帽を被った人間が一人…おそらく男だ、その男が店の奥の崩れた壁の穴を潜っていく。
    潜った先には大勢の仲間と一枚の大きな金庫の扉。
    男はその金庫の厳重な扉を開こうと仕掛けに手をかけ……ようとしたところで自身の携帯の、マヌケな着信音が鳴り響く。
    特に焦った様子もなく携帯を手に取った彼は、そのまま目出し帽を脱ぎ捨てあっさりと電話に出てしまう。
    作中に流れ始めた剽軽なBGMをバックに「俺は抜ける」とだけ言い残し、仲間も金庫もお宝も、全てを置いてもと来た道を引き返していった…。

    映画のジャンルはクライムアクション・コメディ、犯罪者集団がこれまた犯罪スレスレの事業をやってのける経営者たちから大金をせしめる軽快・痛快・爽快ムービー!
    フレは序盤(ふむふむ…ピィ君はこういうのが好きなのか…結構王道だな)と分析しながら観ていたのだが、話が進むにつれ映画の面白さにのめり込んでいき、最終的には目的をすっかり忘れて大いに映画を楽しんでしまった。

    「…どうだった?」

    本編が終わり、エンドロールも流れ終わった後、真っ暗な画面を前に少し気恥ずかしそうなピィはそう聞いた。
    自分が好きだと公言するものを他人に見られるというのは、なんだか内面をさらけ出すようで居た堪れない気持ちになったのだ。
    そんなことを言う子じゃないと思いつつも「こんなのが好きなんですか?」なんて言われたらと思うと……そんな不安を抱えながらピィは、伺うようにしてフレの顔を覗き込む。
    すると彼のそんな不安とは裏腹にフレは興奮気味にピィの方へぐるんと勢いよく顔を向けた。

    「とっても面白かったです‼︎」

    感想の言葉としてはごくシンプルでありきたり、しかしその勢いと声色から彼女がいたく興奮しているのが伝わった。

    「私こういった映画はあまり観たことがなかったんですが、すっごく面白いですね!なんていうジャンルの映画なんですかっ?」
    「え、ジャンル…?あー、なんだろ…アクション…?コメディかな?……あんまりわかんないや」
    「そうですか……いや、それにしても本当に面白かったです!出てくる人たちみんな悪い人ばかりなのにすっごく人間味があって……盗みの作戦だってあんなにも綿密に立てておきながら…ふふっ、途中ですごい脱線してましたし…っ」
    「あ、やっぱりあそこ面白かった?」
    「ふっ…、はい!ミイラ取りがミイラになるってああいうことを言うんですかね?スパイとして乗り込んだはずなのに現地の労働環境に異議を唱えてストライキを起こし…それを止めに行った仲間も結局…っ」
    「一緒になってストを盛り立ててね!…いやぁ俺もあそこはめちゃくちゃ好きなんだよ」
    「オチも最高でした!一人3万6千ドルかと思ったら全員で3万6千ドルだった、なんて…っ」
    「わかる!あの場面でのみんなの顔がね…っ、『え、マジで?』って感じですっごくツボるんだよっ」
    「はい、とってもっ!…他にも面白い場面がいっぱいあって、もちろんカッコいい場面も!テンポ良く話が進んで最後までずっとドキドキハラハラしっぱなしでした!」
    「良かったよそんなに楽しんでもらえて、勧めた甲斐があったってもんだ……、ね、この作品実は続編でさ、この前に2作品と続編のスピンオフがあるんだけど…」
    「えっ…!?」
    「観る…?」
    「はい!観たいですっ!…………って、あっ!」

    ビシィッッっと勢いよく腕を上げて返事をしたフレはふと自分の目的を思い出した。

    (し、しまった…っ、ピィ君へのお返しを考えなくちゃいけないのに私は何を楽しんで…っ)

    本来の目的を思い出したフレは「や、やっぱり今のはナシで……」と言うためにピィの顔を見上げた……が、しかし、結局その言葉が発せられることはなかった。
    なぜなら、見上げたピィの顔があまりにも穏やかに…まるで春のひだまりの中で小さな花を咲かせたように、ぽっ…と、暖かな微笑みを浮かべていたから。

    「うん…じゃあ、ナンバリング通りの順番で観ようか」

    そう言って少し伏せられた顔から覗く はにかんだような笑顔に見惚れて、フレは再び自分の目的を見失ってしまったのだ。

    その後二人は感想をはさみつつも、すでにそこそこの時間が経っていたこともあり、シリーズの一作品目だけを観てその日はお開きにした。
    もちろん、近々次の作品を一緒に観るという約束を取り付けて。

    「今日はありがとね、すごく楽しかったよ」
    「はい、私もです!ありがとうございました」
    「うん、ホントにね……俺さ、映画って一人で観るのが一番楽しいって思ってたんだ。ほら、他人がいると気が散って集中できなかったりするでしょ?途中で茶々なんか入れられたらたまったもんじゃないし…」
    「はい、その気持ちはよくわかります」
    「ね?……でもさ、アンタと一緒に観るのは全然嫌じゃない…というか、むしろすごく楽しかった」
    「はい」
    「……俺たち好みが合うのかもね」
    「…はい、きっとそうです」
    「…ははっ、……だから、改めてありがとう…こうして今日、会いに来てくれて」
    「…こちらこそですよ」
    「……ん、じゃあまた近々会いに来てね、時間なんかはホント気にしないでいいから、なんなら明日でもいいよ」
    「ふふっ…はい、私もまたすぐピィ君と映画を観たいです!」
    「うん…」
    「……」
    「…じゃ、またね?」
    「はい、また…」

    大きな充足感と少しの寂しさを残しつつ、二人はそこで別れを告げた。
    彼女を見送り自室に戻ったピィは、途端、大きな喪失感に駆られ、先ほどまでは二人で和気藹々と座っていたソファに一人浅く腰掛ける。

    「……ホント…明日と言わず、今からでもいいよ」

    なんて、ポツリと呟きながら。

    一方フレも先程の余韻に浸りつつ、しかし彼とは違って一人熱意に燃えていた。

    (今日は本当に楽しかったな……よし!またすぐピィ君と鑑賞会ができるようにお返しの準備を始めなくちゃっ!)

    忘れたり、思い出したり、また忘れたりしていた目的だったが、最終的にはあの映画鑑賞が功を奏し、彼女はお返しの手がかりを得ることに成功していた。
    早速パソコンのキーボードを手前に引き出し、モニターにはメッセージ画面を映す、相手は言わずもがな開発者の佐佐城である。
    今日得た手がかりを元にホワイトデーのお返しの案をまとめ、佐佐城へ送る。
    いくらこちらに案があろうがそれを作成するのは彼らなので、ここからは意見を擦り合わせていき最終的には実現可能な範囲を決定しなくてはならない。
    しかし、決定してしまえばフレにできることは何もない、つまりホワイトデー当日まで彼女は“もの”ができるのを待っているだけでいいのだ。

    (このやり取りがスムーズにいけば今月中……いや、数日中にはまたピィ君と鑑賞会ができるかも…っ!)

    そうして佐佐城からの返信を待つ間フレは、夢見がちにピィと映画鑑賞をすることばかり考えて期待に胸を膨らませていた。

    ──しかし、結論から言うとその鑑賞会は、今月どころか3月に入っても開かれることはなかった…。

    佐佐城からの返信は意外にも早く、フレがメッセージを送ってから一時間も経たないうちに画面内でピコン♪と通知が鳴った。
    内容は、まず一行目に『死ね』の大暴言。
    これを見たフレは「おぉ凄い…本当に罵倒から入るんだ……」と感嘆の声を漏らした。
    というのもフレはピィから佐佐城の取り扱い説明を以前に受けており、その際「アイツにメッセージを送ったらまず罵倒で返ってくるから。でも大丈夫、それは通常運転でアンタにはなんの非もない、頭語だとでも思って流してね」と言われていたのだ。
    なのでフレは言われた通りに一行目をスルーして、二行目以降の主文に目を通した。
    主文も主文でなかなかに罵詈雑言の嵐だったのだが、わかりやすく要約すると以下の通りである。

    『アンタの要求はわかった。けど流石に面倒くさい。ホワイトデーまでに作れと言われたらできなくもないけど……バレンタインの時みたいに物を送るだけじゃダメなの?』

    という具合だ。
    フレはこれを見て(やっぱりか…)と思った。
    それもそのはず、フレは「どうせ自分は素人でプログラミング?のことはわからないんだから、最初は要求をそのまま伝えよう」と相手の作業量のことは一切考慮せずに要望を送ったのだ。
    だから断られるのは百も承知、むしろ本題はここからだという気持ちで改めて返信のメッセージを打ち込んでいった…。

    ……ところでそもそもフレの最初の要求はなんだったのかというと、それはいわゆる《アトラクション》であった。
    ピィと映画の話で盛り上がった際にフレはあることに気がついたのだ。
    それは彼が意外とアクティブな性格であるということ。
    話を聞くに彼の趣味の映画鑑賞はただのインドアな趣味というわけではなく、現実では味わえない非日常を擬似体験するための一つの手段であったのだ。
    ピィ(この場合は元となった佐佐城というべきか)は神経質な性質であるため人と関わるのを避ける傾向にあるが、その実 好奇心旺盛で意外と体を動かすのも嫌いではない。
    そのことに気づいたフレは、ピィへのホワイトデーのお返しをちょっとしたアトラクションにしようと考えた。
    内容としてはウォークスルー・アトラクション。遊園地なんかにはよくあるゲスト自身が展示物の中を歩いて進むタイプのお化け屋敷や迷路、脱出ゲームといった具合のアトラクションだ。
    そんな数あるウォークスルー・アトラクションの中でフレは《宝探しゲーム》はどうだろう、と思い至った。
    ピィと観た映画は犯罪者が大金を盗み出すといった内容の映画……であればゲストがお宝を求めてステージを探索する宝探しゲームなんてものはまさに需要とドンピシャではないか!
    名案だと言わんばかりにキーボードを勢い良くたたき、打ち込んだ内容を送ったのが最初のメッセージ。
    しかし、今言ったアトラクションには、どれほど規模を小さくしたとしてもゲストが歩き回れるだけの空間を有する“ステージ”が必要であった。バレンタインデーの時のプレゼントとは比にならないくらいのサイズ感である。
    そりゃ作るのは大変だろうし、断られるのは当然だ、と、フレは思っていた。
    ……思っていたのだが。
    よく見ると佐佐城の返信には『できなくもない』と書かれていた。
    フレはこの言葉を見逃さなかった。

    「……これはもしや……押したらいけるか…?」

    そう思ったフレは、このメッセージのやり取りを《意見の擦り合わせ》から《我主張必通強行突破!》にシフトチェンジしたのである。

    『てっきり一蹴されると思ってたんですが、できなくもないんですか?』
    『ごめん、遠回し過ぎたね、ちゃんと一蹴はしてるよ。でもできなくもないっていうのは本当』
    『でも宝探しならステージを作らなくてはいけませんよね?あまりよくわからないんですが、それって一ヶ月程度でできるものなんですか?』
    『一から作るならもちろん時間がかかるけど、もし本当にアトラクションやるってなったらテンプレートを使うだろうから』
    『テンプレート?』
    『すでにできてるオブジェクトってこと。キャラクターなんかはオリジナリティが必要だから一から作んなきゃいけないけど、背景や建物だったらある程度使い回しができるんだよ』
    『なるほど…』
    『それに宝探しだったら最悪だだっ広いだけのステージで各エリア内に点々とお宝を配置してるだけでいいしね、変にギミックを作らなくていい分脱出ゲームや謎解きなんかよりよっぽどいいy』

    メッセージのやり取りの最中、佐佐城からの返信が変なところで途切れてしまった。

    『あれ、佐佐城さん?打ち損ねましたか?』
    ……
    『佐佐城さん?』

    そこまでスムーズに行われていたやり取りが一瞬の間を空ける。

    ピコン♪

    しかしすぐに佐佐城から『ねぇ』という返信が返ってきた。

    『ああ良かった、何か不具合でも起きたのかと心配しましたよ』
    『アンタって3月14日までのどこか2、3日予定空けれる?』
    『え?突然なんですか?』
    『さっきの要望は全部叶えるよ、だからさ』

    先ほどまでとは打って変わって随分と乗り気な様子で。

    『アンタもこっちに来て手伝って』



    ──ガタンゴトン…ガタンゴトン…
    線路の上を電車が走る、その振動を肌で感じる。

    『次の駅は——』

    車掌が次の停車駅を告げた。
    ああ、ここが最寄駅だ。
    彼女は座っていた座席から立ち上がり、扉の前に移動した。
    プシュゥゥゥ…
    電車が徐々にスピードを落とし、やがてゆっくりと停車する。
    一瞬の間の後に扉が開くと、彼女は足を一歩前に出した。
    駅に降り立つとすぐには歩き出さず、何かを探すように辺りを見回す。

    「えーと、北口は確か降りて右って…」

    そう言いながら教えてもらった通りの道を進み、改札へと続く階段を降りていく。
    階段を降り切るとちょうど、改札の向こうの柱の影に目的の人物が。暗い色のウィンドブレーカーを羽織り、これまたズボンも暗い色のナイロンパンツ、白いスニーカーは土埃を被り灰色によごれている。青みがかった黒の手入れされていないボサボサの頭は居心地悪そうに俯いており、前に突き出た首は彼の猫背をより強調させていた。
    そんな風に観察をして、ジッと視線を送っても相手は彼女に気づく気配がない。
    改札の前に来ても、切符を通しても、改札を抜けても。

    「佐佐城さん」

    声をかけると一瞬ビクッとした後彼女を振り返る。
    血色の悪い肌、目の下には隈、唇も乾燥しており少し皮が捲れていた。
    眉や目や鼻や口、全体的に全てのパーツは細く、薄い。
    端的にいうと人相が悪かった。

    「やっと来た」

    彼女の存在を確認した佐佐城は少し安心したようにボソリと憎まれ口を叩いた。
    その小さな口からは尖った歯が少しだけ見える、どうやら右には八重歯があるらしい。
    先ほどまで伏せられていた三白眼の瞳は今は彼女を捉えている。
    しかし困り眉は素であるのか、八の字に下がった眉は下がりっぱなしのままだ。

    「お待たせしました」

    そうニコッと笑って駆け寄ると佐佐城は少し驚いたようにたじろいだ。

    「どうかしましたか?」
    「い、いや、なんでも……、さ、早く行こ」

    人付き合いが苦手な佐佐城は彼女の人懐っこい笑顔にどう対応すればいいのかわからなかった。

    (……なんか変に緊張する、やっぱ来させるのは失敗だったか?)

    気まずさを誤魔化すために顔をふいっと背け、そそくさと歩いていこうとした、すると…。

    「あ、ちょっと待ってください!」

    あろうことか彼女が佐佐城の腕を掴み、静止するために軽くグイッと引き寄せたのだ。

    「え、あ、な、なな、なにっ?」

    異性はおろか同性にすらそんな接触をされたことのない佐佐城はひどくたじろぎ体をこわばらせた。
    しかしそんな佐佐城の心情など全く知らない彼女は腕を掴んだまま、空いてる方の手でバッグの中からガサゴソと何かを取り出し、彼に差し出した。

    「あの、これ……ホワイトデーのお返しにはだいぶ早いんですが、バレンタインの時には大変お世話になったので」

    赤いリボンで縛られた透明な袋の中には両の手のひらサイズの箱が入っていた。
    箱には可愛らしい包装とラベルシールが施されており中身は何かわからない。

    「!?!?!?!?!?!?」

    それを見た佐佐城は声にならない声を上げ、動揺した。

    (えっ!?こ、こここ、これってっ…!?)

    誕生日、クリスマス、バレンタインと、異性から贈り物などもらったことのない佐佐城は、白く小さい手から差し出されるその包みを凝視してさまざまな思考を張り巡らせた。

    (俺は今、青春を取り戻してるのか…?)

    思い起こされるのは学生時代、バレンタインデーが近づきソワソワと浮き足立つあの教室の雰囲気。
    どうせ俺には関係ないと思いつつも、少し…ほんの少しだけ期待してしまっていたあの日々。

    「他の皆さんにもお礼を用意したんですが…」
    (あ、俺だけじゃないのか…)

    そんな淡い期待は「他の皆さんにも」という言葉で儚くも打ち砕かれてしまう。
    そりゃまあ、あのバレンタインイベントで頑張ったのは決して佐佐城だけではないので、当然といえば当然のことである。
    …しかし、次に彼女が発した言葉は、佐佐城の心臓をとてつもない勢いで撃ち抜いた。

    「特に頑張ってくださったと聞いているので、佐佐城さんのは特別なんです…」
    「え…」

    ドンガラガッシャァーーーーンッ!!と脳天に雷が落ちたかのような衝撃が走る。

    ──佐佐城さんのは特別なんです……特別なんです……トクベツ………。

    (……は?俺のこと好きじゃん)

    何度もリフレインする“特別”という単語。
    この佐佐城という男はひどくマヌケであり…、

    「ストロベリーとホワイトチョコのお菓子なんですよ。いちごミルク、お好きなんですよね?」

    (あ、好き………)

    大変にチョロい男であった……。

    そこから会社に道案内をしている間、佐佐城は何を話していたのかをあまり覚えていない。
    必死に自分のことだけをしゃべり倒していたような気がする。
    覚えているのは彼女の「へぇ〜!」や「そうなんですね!」という相槌の声と控えめな笑顔だけ。
    会社に到着して話に一区切りがついたとき「佐佐城さんって実際に会うと印象が違うんですね、いっぱい話してくれてとっても面白い人!」と彼女はまたあの人懐っこい笑顔でそう言った。
    これに対して佐佐城は「ふーん、そう…」とそっけない態度で返事をしたが、心の中では(シャァッ…‼︎)と天を仰ぎガッツポーズをして、フフンと鼻の下を指で擦りながら得意になっていた。
    そんなこんなでオフィスの前まで来た佐佐城は少し早く訪れた春の兆しに高揚しながらも、外面だけはあくまで冷静に、落ち着いた様子でドアを開いた。
    中にいる有象無象たちに普段の調子で「戻ったよ」と声をかけると、いつもならまばらに「おかえり〜」だの「おー」だのと顔も向けずに返事をするみんなは、今日に限って揃って顔をバッとこちらへ向けてきた。
    もちろん目的は佐佐城ではなく、その後ろにいる来客だ。

    「貴方がフレちゃんだね!いらっしゃい!」

    誰かがそう言ったのを皮切りにワイワイと二人の周りに人が集まってくる。

    「ちょっと…っ、ただでさえ狭いオフィスなんだから、こんな一点に集まらないでよ、暑苦しいっ」
    「じゃあ坊ちゃんがあっちに行けばいいでしょ、うちらがフレちゃんもてなしとくからさ」
    「それはアンタらの担当じゃないでしょ、ほら散った散った」
    「なーに?迎えに行く時は『なんで俺が…誰か代わってよ』とか言ってたくせにー」
    「はぁ…厄介な野次馬たちだな…」

    うんざりとした顔でボソリと呟いた佐佐城は、道中彼女から預かった“みんな用”のお土産を袋からガサゴソと取り出した。

    「ほら、その“フレちゃん”から預かったお土産だよ、いいとこのチョコレート屋さんのだって。おっさんが来る前に早く分けちゃいな」

    そう言ってお土産の箱を高く掲げると、野次馬たちが一斉に顔を上げた。

    「えっ!?チョコ…ッ!?!?食べていいの!?!?」
    「っていうか今メシ狂い不在!?」
    「うぉー!助かるー!!フレちゃんありがとー!!」
    「早く早くっ!ヤツが帰ってくる前にっ」

    号令をかけた途端態度が一変した野次馬一同は、潮が引くように二人の周りから退散していき、佐佐城の手から奪うようにしてお土産を持っていったかと思うと、今度はそっちに群がっていった。
    ポツンと残された佐佐城とフレ。佐佐城は大して気にする様子はないが、フレの方は社員たちの異様な空気感に気圧され、ポカンとあっけに取られていた。

    「あ、嵐のような方たちですね」
    「はは、いい例えだね」
    「あの……チョコレート、持ってきちゃまずかったですか?」
    「ん?なんで?みんな喜んでるよ、ほら」

    そう言って佐佐城が指差す先には、怒れる猿のように暴れ回ってお土産を争奪している社員たちの姿が。

    「遠巻きに見る分にはいいよね、だいぶ滑稽で。後は音量調節ができれば文句ないんだけど…」
    「いえ、その……さっきおっさんがどうのこうの…って佐佐城さんが…」
    「ああ、そのことね!ごめんごめん…ただのバケモノの話だから気にしないで」
    「えっ、バケモノ…ッ?」
    「うん、うちにいるのはさ……ほら、まあ、あんな感じの変な奴らばっかなんだけど」
    「……」
    「2人…いやまあ正確には3人か、……人間じゃないのがいてね」
    「…人間じゃないの」
    「ん。で、その一人がおっさんなんだけど…これがまた酷くて」
    「どういう人なんですか…?」
    「…はは、………聞く?」

    口角は上げつつも目が全く笑っていない佐佐城は、フレにおっさんこと通称“メシ狂い”の話を丁寧にしてあげた。
    メシ狂いとはその名の通り、飯に狂っている男のことであった。
    その男はいつどこでどうやって調理したのかわからない料理を常に携帯しており(携帯と言いつつもコンパクトに収まる量ではなく、4〜5人前の料理を鍋などで常備している)、いつも誰彼構わず振る舞おうとするのだ。
    しかも厄介なことに、彼の目の届くところで彼が作ったもの以外の食糧を食べようとすると「そんなもんよりこっちの方がうめぇぞ!」と手料理片手になりふり構わず向かってくるのである、普通に恐怖。
    なので皆自然と彼の前では食事をしなくなり、昼食も必ず外でとるようになった。
    しかし未だに油断をして彼の前に食糧を出してしまう馬鹿もいる。
    案の定その場合は彼に捕まり、いつのまにか増築されていたダイニングルームへと皆に合掌で見送られながら連行されていく。もちろんその部屋からは彼の料理を完食するまでは出てこられない。

    「それは……なんだか壮絶ですね」
    「でしょ?」

    いつのまにか2人はその場にしゃがみ込み、内緒話をするかのようにコソコソと話し込んでいた。

    「でも、皆さんがそんなに嫌がるほど、その方の料理は不味いんですか?」
    「いいや、味は普通。むしろ美味しいくらいかな」
    「え、だったら…」
    「いやね、違うんだよ…味が問題なんじゃなくてさ……」
    「?」
    「おっさんの料理って常に出来立てなんだよ」
    「…?」
    「どんな状況下でも常に出来立てで5人分くらいストックがあって、いくら振る舞っても底が尽きないの…」
    「おぉ…」
    「でもみんなおっさんが料理してるとこ一回も見たことないんだよ……怖くない?そんな得体の知れない料理」
    「……恐怖の無限ご飯湧きどころ」
    「ね。……ちなみに食べ物はダメなのに、飲み物だったら連行の対象にならないんだ」
    「あ、そうなんですね」
    「うん、それでさ、そんなアウトセーフの境界線がどこにあるのか知りたくて、一回みんなで《判定スレスレ!チキチキチキンレース》をしたことがあるんだよね…」
    「え、なんですかそのちょっと興味をそそられる度胸試しは…」

    《判定スレスレ!チキチキチキンレース》とはその名の通り、メシ狂いの食糧判定ギリギリを攻める度胸試しである。
    社員たちは常日頃から彼のメシハラに恐怖していた。
    だから彼の食糧判定ラインはどこであるのかを見定めるため、各々が「これはギリギリセーフだろう」と思うものを持ち寄り、ある日の昼下がり、一斉に彼の前で飲食し始めるというチキンレースを開催したのだ。
    ほとんどの者たちは日和って普通の飲料を持ってきていたのだが、中にはちゃんとギリギリを攻める者もいた。
    一例としては、生のリンゴを用意してその場で搾ってジュースにした者。そいつはしっかり完成させた後に連行されていった。
    他には水筒にコーンスープを入れた者。コップ付きの水筒ではなく、容器に直接口をつけて飲めるタイプの水筒だ。しかしこいつも何故かちゃんとバレて連行されていった。
    変わり種でいえば《おくすり飲めたね》を持ってきている者。なんと意外なことにこいつは連行されなかったのだ。
    透明の容器にフェイクの錠剤一錠と《おくすり飲めたね》を全て絞り出しスプーンで食べていたのだが、メシ狂いはその様子をジッと眺めながら不意に近づき「ちゃんと飲めて偉いじゃねぇか」とだけ声をかけ、そのまま去って行った。その社員は恐怖と歓喜で涙し、固唾を飲んで見守っていた他の社員は拳を振り上げ歓声を上げていた。
    そんなことがありつつも、結局そのチキンレースは社員の1割ほどが連行されることで幕を閉じ、数名の勇者のおかげでメシ狂いの判定基準を知ることができた。

    「ちなみに俺は飲むヨーグルトの容器に普通のヨーグルトを入れて持ってった」
    「……それは、どうなったんですか…?」
    「………フッ(目を伏せ諦めたようにニヒルに笑う)」
    「あぁ…」

    そんな風に2人だけでコソコソ会話を続けていると、お土産を争奪し終わった社員のうちの1人がこちらへ近づいてきた。

    「なにさ坊ちゃん、その子の担当は自分だって顔しときながらまだ何にもしてないの?」
    「アンタらの獰猛さに怯えてたこの子の緊張を解してたんだよ、そっちこそもういいの?」
    「ああ、ちゃんと証拠隠滅も済ませた!」
    「そ、じゃあ休憩は終わりね、早速取り掛かろう」
    「へーい」

    どうやら今から作業に取り掛かるらしい佐佐城たちは「アンタもこっちおいで、色々説明しなきゃならないから」とフレにも声をかける。
    言われた通りについていくと佐佐城はとあるデスクの前で足を止めた。
    そこに置かれている紙の資料を手に取り「データで送ってもよかったんだけど、万が一にもピィに見られたら困るからね」と言いながらフレに差し出した。
    フレが「これは?」と聞きながらも受け取った資料をパラパラめくると、そこには《宝探しゲーム》の細かな設定が書き込まれていた。

    「アンタに頼まれた“ホワイトデーのお返し”の設計書……とまではいかないけど、色々と書き出したもの」
    「え、あ、ぱっと見の印象ですけど…結構しっかりしてませんかこれ?」
    「うん、いっぱいアイデア出したからね」
    「で、でも…前にやり取りした時は、広いステージにお宝を配置するだけ、って…」
    「言ってたね、でもやっぱりもっと凝ったやつにしたくなったんだ」
    「……」
    「……」
    「…何か企んでます?」
    「はは、…バレた? 実はピィをギャフンと言わせてやろうと思ってね」
    「…酷いことをするんですか?」
    「まさかまさか!ちょっと驚いてもらうだけだよ、色々ギミックを盛り込んで」
    「ギミック…?」
    「その資料の2ページ目読んでみて、そこ、真ん中らへん」

    そう言って指し示された箇所を見てみると『宝探し→条件を達成すると謎解きに仕様変更』と書かれていた。
    フレは(条件…?)と疑問に思いつつも資料を読み進めていく。
    そこにはアトラクションの大まかな流れが説明されていた。

    《導入》
    ゲストは貧乏大学生という設定で、ある日親戚の叔父さんから手紙をもらう。その内容は「所有している古い屋敷の片付けを手伝って欲しい」というもの「その際に出たガラクタは金に換えてもらってもいい」とも書かれていた。金のないゲストはその申し出を喜んで受けることに。(ここまではナレーション、もしくはテキストで説明)
    《ゲームの始まり》
    ゲストは屋敷の前からゲームを開始し、屋敷に入るとさまざまな宝を入手できるようになる。
    ゲームには目標金額が設定されており、宝を入手することでそれは貯まっていく。目標金額に到達するとゲームクリア。
    《分岐》
    屋敷の探索中ゲストは、宝とは関係のない“アイテム”を入手することがある。
    そのアイテムを一定数集めるとルート分岐が発生し、ゲームのクリア目的が変更される。
    《変更後のクリア条件》
    要相談

    (要相談…?)

    「佐佐城さん、ここの要相談というのは…?」
    「うん、“フレちゃん”に意見を聞こうと思って」

    そう言いながら佐佐城は目の前の女性をツイッと指差す。

    「え、私ですか?」
    「そ、アンタ。…この宝探しゲーム、当日はアンタも参加するでしょ?となると、どこまでやっていいか一応聞いておきたくて」
    「と、言いますと?」
    「ちょぉーっとだけ暗い雰囲気にしたいんだよね……端的に言うと君のホラー耐性が知りたい」
    「ホラー耐性、ですか…」

    フレはスン…と腕を組み天を仰ぎながら悩んだ。
    人並みに驚いたり怖がったりはするが、耐性があるかどうかわかるほどホラーコンテンツに触れたことがなかったのだ。
    しかし佐佐城はそんな彼女の反応を見て(お、これは…)という顔をする。

    「すぐさま拒絶しないところを見るに、大丈夫そうだね」
    「…どうなんでしょう?」
    「その感じなら大丈夫。ホラーって言ってもそれをメインに据えるわけじゃなくて、味付け程度のものだから」
    「むむむ…だったら、まあ」
    「よし、じゃあその資料と合わせてこっちも見て」

    コレキタと言わんばかりに佐佐城はデスクの上からまた違う資料を手に取り、フレに渡した。
    その姿勢は既に仕事モードへと入っており、真剣な面持ちでフレにあれこれと説明をし始める。

    「ネタバレになるのは許してね、今回アンタは“お客さん”じゃなくて“共同開発者”だから」
    「は、はい」
    「ここに書いてある通り条件が揃うとルート分岐するんだけど、ゲストにもそれを肌で感じてもらえるようにステージ内の明るさ調整をして、BGMも軽快なものから少し不穏なものに切り替えようと思ってる」
    「…ふ、ふむふむ」
    「その後はナレーションかテキストで『クリア条件変更』のアナウンスが入る。で、肝心の変更内容なんだけど…」

    息もつかせぬ勢いでハイハイハイとテンポ良く説明をしていく。
    フレは口を挟む間も無く(既にアイデアは佐佐城がほとんどまとめていたので挟む必要がないと言うのが正しいが)彼の説明をウンウン…と聞き続けた。
    2つの資料をパラパラと休むことなく捲り続け、途中理解が難しいところや覚えにくいところは佐佐城が丁寧に説明を書き入れ印をつけてくれた。
    そして、先ほどもらったばかりとは思えないほどに資料がクタクタにくたびれた頃、やっとこさ佐佐城の説明に一区切りがつく。

    「と、まあこんな感じかな……、あー、……どう?」

    一息に説明を終え、一旦素に戻った佐佐城は(…しまったな……同僚たちにするのと同じように話しちゃったけど、ちょっと詰め込みすぎたか…?)と不安そうにフレの顔を覗き込んだ。
    するとフレはワナワナと体を震わせバッと勢いよく顔を上げた。

    「とっっっても面白いです!!」

    キラキラと瞳を輝かせながら興奮を抑えきれない様子で佐佐城を見つめ返す。
    子どもが玩具をもらったような純粋なその笑顔にあてられて、佐佐城は一瞬たじろぎつつも目が離せなかった。

    「すごいっ、すごいですよこれっ!こんな凝ったお話が作れるだなんて…っ、…流石は佐佐城さんっ!AIでもゲームでもお話でもなんでも作れちゃうんですねっ…!!」
    「そ、そんな言うほど……?」
    「もちろんですよっ!こんなに面白い企画を考えちゃう佐佐城さんは天才ですっ!!」
    「へ、へぁ…」
    「あの…っ、私にできることがあったらぜひお手伝いしたいです…、買い出しでも雑用でもなんでも!この作品が出来上がっていくのを一緒に見届けたい…っ!!」

    興奮した勢いのまま佐佐城の手をパシッと両手で包み込み、熱量高くフレはそう懇願した。

    「ピェ…」

    女の子に迫られたことなどない佐佐城は、人生最大の山場を前にして小鳥のようにさえずることしかできなくなってしまった。

    「その……かまいませんか?」
    「ィ…(コクコクと震えるように首を縦に振る)」
    「…!、ありがとうございますっ!!」

    感極まったフレはさらに強く彼の手をギュッ…!っと握り締める。

    「ア゜……」

    ──瞬間。佐佐城は真っ白に燃え尽き、周りでその様子を見守っていた同僚たちは皆一斉に十字を切り手を合わせた…。

    「アーメン…」

    そうして宣言通り、フレは雑用でもなんでもやるために連日ここへ通うことになった。
    しかし、外部の人間に慣れていない&コミュ障である職場の人間たちは皆「い、いいよいいよ!フレちゃんは何もしないでさっ」だの「今日はそのデスクが空いてるから好きに使って!」だの「お、お茶飲む?あ、コーヒーもあるわよ…っ、好きなの無かったら私買ってくるし!」だのと逆にものすごく気を遣い、結局彼女に雑用は一切させなかった。
    見返り無しに『作品が出来上がっていくのを見届けたい』というお願いを聞いてもらえたフレは、毎回用意してもらえる飲み物を両手で持ち、オフィス内をトテトテ行き来しながら仕事を見学させてもらった。
    彼女にとってゲーム開発の現場というのは新鮮なことばかりで、こっちの画面で粘土のようなものを捏ねてオブジェクトを作っていると思ったら、あっちの画面では意味のわからない数字や文字を延々と打ち込んだりしていて、その作業を行っている人たちの顔も真剣だったり、死にそうだったり、もっと死にそうだったり…とさまざま。
    内容は理解できなくともフレは「すごいっ!」とか「わぁ…っ」とか「今のどうやったんですか!」とか…とにかく見るもの全てが面白くて仕方がないという様子であった。
    雑用こそさせなかった社員たちだが、彼らにとっては手伝いよりもその新鮮で素直な反応こそが作業効率向上に繋がっていた。
    というのも、ここにいる人間たちは皆自己肯定感は低いくせにプライドだけは鬼高の激厄介カス人間なので、他人の作業を褒めるということはまずしないのである。むしろカス人間らしく「それ、僕ならもっと効率良くできるけどね…笑」と最も要らない余計な一言を通りすがりに吐き捨てる始末。
    なので、フレのように純粋に驚いて素直に「すごい!」と褒めてくれる存在は彼らの自己肯定感を爆上げし、これまでにないほどのやる気を引き起こさせてくれていた。さしずめ広大な砂漠に突如発生した憩いの場、小さなオアシスである。

    「フレちゃん、フレちゃん!見てごらん!今日はここまで出来上がったよ!」
    「…! こんな素敵な場所を作ったんですか!すごい…っ!」
    「ひ、ひひ…っ(首をすくめた不気味な引き笑い)」
    「ふ、フレちゃんちょっと来て……動作テストすんだけど、エラー吐かないように一緒にお祈りしてくんない…?」
    「! もちろんですっ、一生懸命見守ります!」キュッ(空いてる方の手を握る)
    「きゃ…っ!(花の乙女のような反応をみせる32歳成人男性)」
    「フレちゃーんっ、こっちも今いいとこよー!」
    「ほんとですかーっ!」

    このように、暗く陰気で地獄の掃き溜めと化していたオフィスは一人の無邪気な女性のおかげでキャピキャピと明るい陽気をまとい活気だっていた。
    ……しかし、残念なことにこの『アットホームな職場!』の雰囲気を保てたのはせいぜい3日程度で、元々カス人間である社員たちは徐々に本性を曝け出していく。

    「キーッ!フレちゃんはアチシと一緒にこのステージの完成を見届けるのでしてよーッ!!」
    「うるせぇですわっ!んな誰でも作れるようなもん見届けて何が面白ぇんですの…ッ、フレちゃんはこっちでアテクシとデバッグ作業に勤しみますのよッ!!」
    「某乙ゲーでも全てのパラが下がる激萎えクソ苦行にリアルでフレちゃんを巻き込むんじゃねーよッ!?、……ですわッ!!」
    「馬鹿野郎ッ…!!苦行だからこそ彼女に居てもらわにゃ正気が保てねぇんだろうがッ!!!!」

    小さな会社とはいえオフィスには常に数人もの人間がいる、のに対してフレはたった1人しかいない……。初日の方こそ人見知りと遠慮で大人しかった社員たちだが、今はご覧の通り、宝石を略奪する荒くれ者のように日々怒号を飛び交わしていた。
    第三者がこの光景を見れば「ああ、歴史における女で傾いた国の様相というのはこのようなものだったのだろう…」と呆れかえることだろう。
    ちなみに彼らが気色悪いエセお嬢様言葉を使っているのは、フレちゃんを怖がらせないようにしようというせめてもの気遣いである。……まあ、後半はその気遣いすらも剥がれ落ちてしまっているが。

    「…はわわ……大変だ…」
    「…大丈夫? “フレちゃん”」
    「あ、佐佐城さん! ……私は大丈夫なんですが、皆さんが…」
    「ああ、あれはほっといていいよ。ああやってやるべきことほっぽり出して、結局納期迫って地獄を見るのはアイツらなんだから」
    「……(それならなおさら止めた方がいいのでは…?)」
    「ま、アンタに火の粉がかかってないならいいんだ。ほら、これ飲みな」
    「わぁ…!ありがとうございます……あ、コーヒー牛乳だぁ」
    「ついでにこれも……バレないようすぐに食べちゃいなね」
    「ワァ…!チョコ…!!」

    フレはキャッキャともらった一口大のチョコをすぐにパクリと食べてしまう。
    佐佐城の言う『バレないようにする相手』というのはもちろんメシ狂いのことである。
    本来は3日程度しか来る予定でなかったフレは今では時間があればここに顔を出しているので、当然メシ狂いと、もう1人の人外である妖怪妹製造ババアとも顔を合わせていた。
    過度な接触は他社員のカバディばりのディフェンスによって回避できてはいるが、油断はできない。相手は人間ではないのだ。

    「証拠隠滅完了しました!」
    「ん、よろしい。アンタもだいぶここに染まってきたね」
    「そうですか?…へへっ、なんだか仲間になれたみたいで嬉しいですね」
    「いや、ならないほうがいいけどね、こんな猿以下の知能しかない集団の仲間になんて」
    「もう、そんなことばっかり言って…」
    「でもアンタのおかげでみんなのやる気が上がってるってのは事実。俺もこんなに余裕のある制作は初めてかも」
    「そうなんですか?」
    「うん、いつもならこの段階だと作業は1割も進んでないからね」
    「えっ…」
    「みんなが常に手を動かし続けてる状況なんて納期の前日でもなきゃありえないよ」
    「おぉ……。それじゃあ今回は途中で仕様変更したり、色々内容を追加したりしてますけど…普段の仕事ぶりだったら…?」
    「ハハッ、ありえないね!むしろ色々バレないように中身削ったり、前に作ったもの流用して手抜きしする方向に舵を切ってるよ!」
    「オォ…」

    (いつもそんなやり方をしてるのか…)とフレはちょっとドン引きした。

    「…でもそうだね。これだけ余裕を持って進められると、自分のやりたいことをちゃんとつぎ込めて……なんか、楽しいや」
    「……」

    さっきまでの冗談を言っていた雰囲気からは一変して、佐佐城は遠くを見ているような目で柔らかくそう呟く。
    フレはそんな彼の横顔を眺めて(あ、なんだか…好きだな)と無意識にそう思った。

    「普段はさ、やりたいこと思いついても面倒だなってなかなか手をつけないで、結局間に合わなくておじゃんにしちゃうんだけど。今回はなんかずっとモチベが続いてて…」
    「それはピィ君をギャフンと言わせるのが楽しみだからじゃないですか?」

    フレが意地悪そうにそう言うと、佐佐城は「そうかも」なんてこれまた意地の悪そうな顔で笑って言った。

    「アイツをギャフンと言わせるために相当凝った仕上がりにしたからね」
    「……ピィ君、怒ったりしませんかね?」
    「どうだろうね。でもまあ、少なくともアンタに対してはないんじゃない?何かするとしたらうちにでしょ」
    「それはそれでなんか、責任を感じちゃいますね…」
    「いいのいいの。サーバー落とされでもしたら休む口実にするだけだから」
    「あ、もしかしてそれが本命ですか?」
    「ハハッ、さあね〜。でも休みなんてもんはいくらあっても困らない」
    「そういうところが余裕がなくなる原因なんじゃ…」

    そんな和やかな雰囲気の中で宝探しゲームは着実に完成へと向かっていく。
    佐佐城曰く「余裕を持って」作られた今作は今まで制作したどの作品よりもクオリティが高い。
    そんな作品がピィたちへ贈られるまであと数日。

    そしてそれは、フレがすっかり忘れてしまっている、ピィと交わした“約束”を思い出すまでの日数でもあった。



    ──3月14日 ピィの部屋の前にて。

    「びっくりしちゃった!『私もまたすぐピィ君と映画を観たいです!』なんて言うから数日のうちにまた来てくれるのかな、なんて思ってたら、なんと、今日で、1ヶ月!こいつぁすごい!」

    沓摺(くつずり)を隔ててあっちとこっち。
    わざとらしい笑顔を作ってそう言い放つピィを前に、とんでもなく居た堪れない気持ちでフレは言葉を探していた。

    「ご、ごめんなさいピィ君……でも、決して忘れてたわけじゃ…」
    「その言い訳は無理があるでしょ、めちゃくちゃ陽気に訪ねて来てたじゃないアンタ。あれは1ヶ月間約束を覚えてたのに来られなかったやつのテンションじゃないよ」
    「う…、ご、ごめんなさい」
    「……」
    「で、でもねピィ君っ、ピィ君のことを蔑ろにしてたわけじゃないんです」
    「……」
    「むしろこの1ヶ月はピィ君のために…」
    「……」
    「……う、」
    「………はぁ。……いいよ、どうせホワイトデーのことで佐佐城と色々あったんでしょ?」
    「…! な、なんでわかるんですか!?」
    「そりゃわかるでしょ、だってホワイトデー今日だし。……俺らのために準備してくれたんだ?」
    「…っ、はい!」
    「うん……ならいいよ、許したげる。…じゃ、部屋に入りな、それでお返し受け取ったら一緒に映画観よ?」
    「あ、映画は…」
    「ん?………あ、そっか。ボヌにもあるもんね、それじゃあその後で…」
    「いえ、そうじゃなくて…」
    「…?」
    「さ、佐佐城さん!お願いします!」
    「え、佐佐城…?」

    フレがそう言って佐佐城の名を呼ぶと2体の立っている空間に突然ザザッ…っとノイズが走り、一瞬にしてその場を切り替えてしまう。

    「!?」

    ピィは状況を理解しようと慌てて辺りを見回す。
    そこは自分の部屋ではなく、かといって部屋の外の何もない白い空間でもない。セピア色に包まれた20畳ほどの空間となっており、壁や天井、床には全体的に褪せたシミのような模様が施されている。まるでそれは、長い間 陽の光に当てられて日焼けしてしまった古紙のようであった。
    そして部屋の中央には宙に浮いたモニター。そこには現在何も映し出されてはいない。

    「…これ、どういうこと?」

    ピィは片目を細めて忌々しそうにそう尋ねた。横に居るフレにではない、おそらく会社のパソコンからこちらを監視しているであろう佐佐城に対してだ。
    するとその意図を汲み取った佐佐城が得意げな声色で返事をした。

    『どうもこうもないよ。さっきアンタが言ってた通り、彼女からのホワイトデーのお返しさ』
    「説明になってないっての……。俺が聞いてんのはそのお返しの内容についてだよ」
    『イライラするなよ、ちゃんと説明するって。彼女と映画観るのを邪魔されたのがそんなに嫌だった?』
    「……」

    図星をつかれたピィはさらに顔を歪めて黙り込んだ。
    佐佐城はその反応を見て(あらま、冗談のつもりだったけどこれは…)と意外に思いながらも説明を始める。

    『今言った通り、これは彼女からのホワイトデーのお返しだ。アンタはバレンタインの時みたいな何か“もの”を想像してたみたいだけど、今回はもっと大掛かりなイベントだよ』
    「イベント…?」
    『そ。アンタと一緒に映画を観て着想を得た彼女はアンタのために《宝探しゲーム》を企画したのさ、ここはゲーム説明のためのエリア……まあ、前室みたいなものだね』
    「はぁ!?宝探しゲーム…!?………まさかこの子に頼まれて作ったの?アンタらがっ?」
    『うん』
    「……」
    『頑張ったよ』
    「……通りで1ヶ月もかかったわけだ、俺はてっきりこの子がアンタを説得するのに時間かけてると思ってたよ」
    『そこは結構すぐだったよ。ねー、フレちゃん』
    「はい!」
    「……」

    (“フレちゃん”……ね)

    なんとなく佐佐城が攻略されてしまったことを察したピィは、なんとも言えない顔をしながらも諦めたように「はぁ…」とため息をついた。

    「わかった。話は理解したし、この子のお返しだってんなら喜んでゲームにも参加するけどさ…」

    そう言うとクイッと首を“彼”の方へ向け…

    「そこでさっきから話も聞かずにはしゃいでるピエロにも理解させてやらなきゃいけないんじゃない?」

    うんざりした顔で再び大きなため息をついた。



    「ホワイトデーだなんて、そんな素敵なイベントがあったんだね!」

    改めて、フレとピィと共にこの空間へ飛ばされていたボヌにも説明をしてやると、彼は興奮しきった様子で目をキラキラと輝かせた。

    「それでこれは君からのお返しなんでしょっ?僕すっごく嬉しい!大好きだよフレ!!」

    そう言ってぎゅうぎゅうとフレに抱きつき感謝の頬擦りをギュインギュインしてやった。
    その様子を若干引き気味の目で眺めていたピィは呆れたような声色で「コイツがいるといちいち長くなる」と呟き、続けて佐佐城に声をかけた。

    「もういいでしょ、さっさと先に進めてよ」
    『了解。…ほら、そこのちまこいのたちー、ピィの横に並んで一緒にモニター見てー』

    ピィと同じようにうんざりしていた佐佐城は急かすようにして2体へそう声をかける。
    そして彼らがちゃんと横並びに立ったのを確認すると、手元のキーボードのエンターキーをタンッと軽快にたたいた。
    それを合図に、彼らの部屋のモニターがキュィィーーン…と起動音を出す。

    ──《宝探しゲーム》の開始である。



    3体が見ていたモニターに突如、紙が焼け落ちるようなエフェクトが演出される。そして、その焼け落ちた穴からはゲームのタイトルが浮かび上がった。

    『─ワイズの鳥籠─』

    アンティークゴールドに輝くタイトルを、メラメラと焼け残った炎が照らし出す。反射して映る炎は不規則な光を演出し、赤いグラデーションとなってゴールドを彩った。

    (……へぇ、結構本気じゃん)

    タイトルの演出からその手の込み様を感じ取ったピィは、心なしかソワソワと…本人も気付かぬうちに期待で胸を膨らませていた。
    数秒間表示されたタイトルが土塊のように下からボロボロと崩れ落ちていく。すると次は水面から浮かび上がるようにしてテキストが表示されていった。どうやらゲストたちの現状、ゲーム開始時点までのあらすじを説明してくれるらしい。

    『──貴方たちは現在、夏季休暇中であるところのとある国の貧乏大学生である。
    せっかくの休暇だというのに金がない貴方たちは、どこへ遊びに行くでもなく友人数名で家に集まり、ダラダラと無為に時間を過ごしていた。
    しかしそんな退屈な日々を吹き飛ばすような出来事が突如貴方たちに舞い込んでくる。
    それは貴方の叔父、ナイジェルからの一通の手紙であった。』

    テキストがフェードアウトしていき、今度は画面上部から蝋で封をされた封筒がヒラヒラと舞い落ちてくる。
    中央で止まったそれはそのままひとりでに開封されていき、中から四つ折りの手紙がこれまたひとりでに取り出され、開かれていく。

    『やぁ、愛しの我が甥っ子!元気にしているか?
    休暇中のお前が暇を持て余していないかと思って手紙を送ってみたよ。……というのは冗談で、ちょっとお前に頼みたいことがあるんだ。
    実は俺が所有している古いお屋敷を今度解体することになってね、そう、お前もよく知ってるあのボロ屋敷さ。
    しかしあの屋敷、ずっと放置してたもんで家具やらなんやらが中に放置されたままなんだ。そのまま解体すると後の片付けでちょっとめんどくさい事になっちまう。
    で、ものは相談なんだが……あの中の備品を出来るだけ持ち出してってくれねぇか?持ってったものは全て金に換えてもらって構わねぇ、お友達との旅行代にでも使ってやってくれ。
    どうだ、悪い話じゃねぇだろ?
    引き受けてくれるってんならまた連絡してくれ、都合のいい日に車で迎えに行くから。
    いい返事を期待してるぜ?
    ─お前の愛する叔父さんより』

    手紙はナイジェルと思しき男の声で読み上げられた後、再び折りたたまれて封筒の中へと仕舞われる。するとそのまま画面下部へヒラヒラと舞い落ちていった。
    そして、最後のテキストがじわじわと浮かび上がって表示される。

    『貴方たちはその申し出を喜んで受け、すぐさま叔父に連絡を入れた…。』

    プツン…と画面の落ちる音と共に目の前が真っ暗になった。……かと思えば瞬間、目の前が眩しいくらいの真っ白な光に包まれる。
    その眩しさに耐えきれず3体がギュッと目を瞑り、次に恐る恐る目を開けた時…。

    「……ぅわぁっ!」

    目の前には荘厳と佇む、一邸の屋敷があった。

    「おっきいおうちだー!!」

    いたく興奮して瞳をキラキラと輝かせたボヌが、フレの手を引き屋敷に向かって駆け出していく。
    ピィはそんなボヌに構う余裕もなく、呆気に取られた様子で目の前の屋敷から目を離せないでいた。
    広大な森の中、しかしその広大さに負けないほどに立派な屋敷がそこにはある。
    今自分が立っている場所は屋敷までのアプローチとなっており、ふと後ろを振り向くとその道はまだまだ向こうへと続いていた。相当に広い敷地であるらしい。
    屋敷直前のアプローチからは短い階段が伸びており、先は広々としたポーチに続いている。ポーチの上にはそのままの広さのバルコニーが……。屋敷自体は横広のシンプルな形状だが、突き出た玄関部分が迫力を出しつつも上のバルコニーが解放感を演出しており、なるほど、来客に威厳と余裕の両方を感じさせる洗練されたデザインとなっていた。

    「驚いたな……こんなに凝ったもの作ってるなんて…」

    いまだ屋敷に目を奪われて動けないでいるピィは、腹の底から感心した様子でそう呟いた。
    するとその様子を画面外から監視していた佐佐城が急かすようにして声をかける。

    『いつまでそうやって立ち尽くしてるのさ、他の2体はもう扉の前まで辿り着いてるよ。ほら、アンタも早く行きな』
    「え…、あ」

    言われて我に返ったピィはハッとして玄関の方に目をやった。すると佐佐城の言う通りボヌとフレの2体はすでに扉の前に立っており、「入っていいのかなっ?入っていいのかなっ?」とワクワク!ソワソワ…していた。
    まずいまずい…とピィはすぐに後を追いかける。いくらゲームの中とはいえあの2体を野放しにしてはいけない、と彼の本能がそう告げていたのだ。

    「はいはいはいちびっ子たち、勝手にアンタらだけで入ろうとしないの。……それからフレ、アンタはこの中身知ってるんでしょ?なに一緒になって新鮮にはしゃいじゃってるのさ…」
    「…はっ!…すみません……完成したものを実際に目の当たりにするとこう、感慨深さからくる別の感動がありまして…」
    「あー…ね、わからなくはないな…」
    「ちょっと、フレを怒らないでよッ!君があんなところで立ち止まってるのがいけないんでしょ!」
    「うるさい、元はといえばアンタがこの子引っ張って向こう見ずに突っ走るのが悪い」
    「ッなにを〜!!」
    「…はぁ、もういいでしょ、こんなとこで時間かけてもしょうがない。俺も早く中を見たいしさ、入ろ」
    「…むっ、だからそれは君が…ッ」

    まだ反論を続けようとするボヌをスルーして、ピィは目の前に佇む立派な両扉のドアをギィィ…と押し開けた。
    遠くからはその荘厳な雰囲気で気が付かなかったが、一度近づいてしまえば叔父からの手紙にあった『ボロ屋敷』という言葉の意味をこれでもかと理解してしまう。
    立派といえども木製のその扉は全体的に色が褪せて腐っており、押し開けている今現在も上から木屑がパラパラと小雨のように降り注いでいる。
    その木屑を被りながらピィは(確かに…これだけボロいと修繕も間に合わないか、勿体無いけど取り壊すのが正解だね)などと心の中で呟いた。そして完全に停止するところまで扉を開けきり、屋敷の中へと入っていく。

    「……これは」
    「…わぁっ」
    「すごいすごいっ!!」

    順に屋敷へと入っていった3体は、口々に感嘆の声を漏らす。外観と同じように内装もそれは大層立派であり、目を見開いて辺りを見回さずにはいられないほどであった。
    まず目につくのは中央にある吹き抜け構造の大きな階段。玄関からまっすぐ進む位置にそれは設置してあり、途中踊り場を挟んで左右二股へと分かれている。
    その階段を目で追っているうちに、ふとこの広い玄関が電球もないのに随分と明るいということに気がつく。そうしてその明るさの元を探していると、目に入るのは今さっき入ってきたばかりの扉の上部に位置する何枚もの四角い窓。そしてそのさらに上にはアーチ状の一際大きいステンドグラスがあった。そのガラスたちが日の光を受けてキラキラと色を反射させていたのだ。
    3体は前に進みながらも階段、窓、ステンドグラス、と辺りを見回しているうちに体をぐるりと一回転させる。再び顔が正面を向く頃には階段がもう目前に迫っており、他2体より半歩前に進んでいたピィは無意識にその階段の手すりへと手をかけようとした。すると…。

    ウィィン──・・・。

    機械的な音と共に、3体の眼前に突如半透明のウィンドウがあらわれた。
    完全に心ここに在らずであった彼らは「ッ!?」と同時に体を強ばらせ、そういえばここは《宝探しゲーム》の舞台であったと改めて認識させられる。
    数秒の間の後、ウィンドウにはテキストが文字送りで表示されていった。

    『──貴方たちは屋敷に入ったそばからその豪華な作りの内装に目を奪われていった。
    屋内の雰囲気に圧倒されながらも貴方はふと「……これだけ立派なお屋敷なら本当に金になるものがそれなりにあるんじゃ?」と思い直す。実は本音を言うと、ここには肝試し程度のつもりでしか来ていなかったのだ。
    だが辺りを見回して微かな期待を抱いた貴方は次のような目標金額を定める。』

    表示されたテキストは5秒待ってからゆっくりとフェードアウトしていく。
    そして先ほどよりも大きなフォントで画面中央に次のテキストたちが続けて表示される。

    『《クリア条件》10,000ネカ(ゲーム内通貨の単位)相当のアイテムを入手する』
    『《攻略方法》手袋を装着した手で入手したいアイテムに触れる』
    『まずはチュートリアルです。右手のアイテムを左の手袋が装着された手で触れてみてください。』

    最後のテキストが表示されたかと思うと、突如としてゲストの両手がパァァァァ…!と光を帯びていく。
    驚く間も無くその光はすぐに消え去り、左手には鑑定士が用いるような白いミクログローブが装着され、右手にはチュートリアル用のアイテムである古びた指輪が持たされていた。

    「……なんか、一気にゲーム感が出たね」

    怒涛の展開で呆気に取られつつピィはそう呟く。他の2人も同じ気持ちだったようで、黙って首を縦に振り、彼の言葉に頷いていた。
    そして誰が合図するでもなく、指示通り彼らはそれぞれのアイテムに手袋をはめた手で触れてみる。すると触れられたアイテムはシュワシュワと光の泡になって、彼らの視界の左上部へと登っていく。そしてそのまま『00300/10,000』という数字に変化し、その場所に留まった。加えてその下には一回り小さな数字で『100』という表記も現れる。

    「わーっ!なにか変わっていったよ!?なにこれなにこれっ!!」

    ボヌは興奮した様子で訳もわからず今起こったことに驚いていた。そして隣に立っているフレも、ファンタジーのような演出と現実のような世界観のギャップに頭が追いつかず、静かに頭上でハテナを飛ばしていた。
    しかし、そんな2体に反してピィだけは、顎に親指を当てて冷静に、この数字の意味を分析していた。

    「なるほど、全員で共通なんだね」

    ピィはすぐに合点がいった顔ようなをして、コンと言い放った。
    脈絡のないその発言に他2体は「どういうこと?」と疑問を口にする。

    「左上の数字。アンタらにも出たんでしょ? これ、大きい方が全員の合計金額で、下の小さい方が個人の収集額なんだよ。今のチュートリアルではこれを教えてくれたってわけ」
    「…あ、なるほど!目標ゲージですね」
    「そういうこと」
    「えっ、なになに?どういうことっ?」

    納得がいった様子の2体。しかしボヌだけがまだ頭に疑問符を浮かべていた。

    「さっきウィンドウに映されてたでしょ『《クリア条件》10,000ネカ相当のアイテムを入手する』って。で、さっき全員で100ネカ相当のアイテムを入手したから合計して300ネカ。それがこの上に表示されてるんだよ」
    「???」
    「…え、待って。そんなに理解が難しいこれ?…それとも俺の説明が下手くそすぎるの…?」
    「ピィ君ピィ君、きっとボヌ君はゲーム自体が初めてだからそもそも基本の仕様がわかってないんだと思います」
    「え、…あ、そうか。そういえばコイツ赤ちゃんだった…」

    そう、ボヌが理解できないのは無理もない。なぜなら彼は生まれたてのエケチェン…なのだから。
    今の彼の状況は、いわば未就学児の子を上の兄弟の体育祭に連れて行っているようなもの……周りの大人が学生を応援している様をルールもわからずに一緒に応援…いや、そもそも競争しているという概念すらないのでただ一緒になってはしゃいでいるだけなのである。
    なので、ボヌに現状を理解させるにはまず“ゲーム”という概念そのものを一から教えなくてはならない。『クリア条件』という言葉も彼にとってはただの文字列でしかないのだ。

    「オーケー、ボヌ。…いいか?アンタの役目は今からその左手の手袋を脱いで、代わりにフレの手を繋いで離さないことだ」

    なのでピィは一瞬で説明を放棄した。そんなしちめんどくせぇことは御免こうむりたかったのだ。

    「いい?絶対に離しちゃ駄目だし、この子を引っ張って突然走ってくのも駄目だよ。フレのペースに100%合わせてエスコートするんだ、まるで絵本の王子様のようにね。王子様ってわかる?女の子なら誰でも好きになる素敵な人ってことね。上手くできたらフレもすっごく喜んでアンタをもっと好きになる。オーケー?」

    ピィはここぞとばかりに捲し立てる。本当に本気で面倒ごとは避けたかったのだ。必死である。
    しかしその甲斐あってボヌは「僕をもっと好きになる…!?」と目をキラキラさせて見事に丸め込まれた。

    「わかった!僕この子を完璧にえすこーとするよ、任せて!!ずーっとフレと一緒に居て、おんなじようにすればいいんだよね!!」
    「そうだ!物分かりがいいねボヌ、天才じゃない?」
    「ヌフフ…ッ、そう?」
    「うん、その調子で最後までフレのこと任せたよ!」
    「フフッ、わかった!!」
    「よし、いい子だ!!」

    心の中では(馬鹿めぇ…ッ!!)と罵りつつも勢いだけで押し切ったピィは、今度はフレに向き直り彼女へ ボソ…っと耳打ちした。

    「ボヌの操縦、任せたよ…」
    「サーイエッサーッ…」

    彼女もまたボヌに気付かれぬよう、粛々と言葉を返した…。

    「じゃあそろそろ探索に取り掛かろうか」
    「はい!」
    「ハイ!」

    ボヌはピィに言われた通りにフレとガッチリ手を繋ぎ、彼女の真似をするようにして言葉を復唱した。
    ゲーム内には陽気なBGMが流れているのだが、ピィは点呼を取っているかのようなその様子も相まって(なんか引率してるみたい……マヌケで気が抜けるな…)とへんなりしていた。

    「っと、違う違う……マヌケに流されそうになったけど、ちょっと試したいことがあったんだった」
    「……(マヌケ…?)」
    「試したいことってー?」

    ピィはハッと思い出したような顔をしてフレに向き直った。

    「フレ、そこに落ちてる瓦礫をさ、ちょっと左手で触ってみてくれる?」
    「…? はい」

    フレは疑問符を浮かべつつも言われた通り瓦礫に触れた、すると同時にピィも、階段横の台座に置かれているヒビ割れの花瓶に左手で触れる。
    チュートリアルの指輪と同じように瓦礫と花瓶はシュワシュワと光の泡となり視界の左上部に登っていく。
    ピィの視界では上下両方の数字が増えたが、フレと、そしてボヌの視界では上部の数字しか増えなかった。

    「どう?」
    「合計の金額は『00450/10,000』になりましたが個人の収集額は変化しませんでした」
    「ん、そっか。わかったよ、ありがとう」
    「…? 」
    「なになに?今のでなにがわかったの?」
    「今後の方針」
    「なにそれ?」

    ピィは今の行動で、今後どのように探索するかを決定した。
    今彼が確認したのはゲームのシステムである。収集できるアイテムとそのアイテムの設定金額。
    価値のないアイテムでも独立している物体であれば収集できるらしい、現にピィは床とくっついている台座部分に左手をついているがそれは収集される様子はない。
    そして先ほど収集した花瓶の設定金額は150ネカ、指輪とは50の差額だが大きくは違わない。アイテムに応じた金額をつけているというよりは、一アイテム100〜500程度の振れ幅の中で金額を決めていると考えていいだろう。

    「ちょっとメタ的な考察になるけど、このゲームは“宝探し”よりも“探索”に重きを置いてるみたい。だから一部屋に時間をかけるよりは次々部屋を探索していく方法を取るよ」
    「…???」
    「……」

    フレはその発言にひどく驚いた。なぜならピィの考察はその通り当たっていたから。
    佐佐城はゲーム難易度を『ピィがハマらなかった場合』のことも考えて設定していた。
    ハマらなかった場合は爆速で宝を集めてクリアできるように…ハマった場合は探索・やり込みの方向で楽しんでもらえるようにと…色々なことを考えてゲームバランスを調整し、整えていたのだ。
    …そんな彼のシステム構築を、ピィはたった一動作確認するだけで見抜いてしまった……。だからフレは(いくら同じ人格だとはいえ私ならそんなこと絶対できない…)と彼の鋭い洞察力に恐れ慄いたのだ。

    「というわけで、まずはこのエントランスから。ぐるーっと見回って適当に金目のモノを見繕おう」

    言葉だけ聞くと輩の発言である。

    「……はい」
    「はーい!みつくろおーみつくろおー!」

    フレはいまだピィの鋭さに畏怖していたが、ボヌは彼の発言の1割も理解していないので、まるで従順な子分のようにただただ言葉を繰り返すだけであった。

    ──こうして前準備を終えた今、彼らの《宝探しゲーム》は本当の意味で幕を開いたのである。
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