ユディシャク 弊デア設定 仮初の肉体であるくせに足の古傷が痛んだ。
ヒマラヤよりも天に近いカルデアにいるせいだろうかと、足を引き摺りながらシャクニは思った。
シャクニはカルデアに召喚されて以来、ドゥリーヨダナ以外と交流を持つことが殆どなかった。「ギャンブルが好きな英霊も結構いるから新しいお友達を作れるかも⭐︎」と巫山戯た事を抜かしたマスターや、同時期に召喚された因縁深いユディシュティラとも。
だが今日は変な気まぐれが起きて、賭場や図書館を覗いてみる気になった。希望して当てがってもらった人気の無い区画の居室から出てきた彼は、暫く歩き続けて足に疼痛を覚えた。父に砕かれたほうの足だった。
痛みに引き摺られて気分が悪くなる。嫌な事を思い出す。一度たりともあの地獄を忘れたことはないと言いたくても、その相手は既に亡い。
部屋に戻ろうとしたシャクニだが、足が痛くてその場から動けなかった。数メートル先のベンチすら遥か遠くに感じる。
「あれ? シャクニさん?」
向かい側から名を呼ばれて顔を上げればマスターが歩いてくるところだった。
「大丈夫? なんか具合悪そうだけど」
心配そうな顔で近付いてくる青年に、男は煩わしげな視線を隠さなかった。傍までやって来た彼に向かってシャクニは社交辞令以上の意味を持たない笑みを見せる。
「マスター。いえ、何も」
「何も、って顔色してないですよ。取り敢えず座りましょ」
マスターはシャクニに有無を言わさずに肩を貸してゆっくりと歩き出した。サーヴァントが主人を殴るわけにもいかず、かと言って拒絶する元気も無いため彼は黙って支えられていた。
ベンチに腰を下ろして漸く一息つけたシャクニだが、まだマスターはその場に留まっていた。
「お医者さん呼ぶ? それか鎮痛剤貰ってくるけど」
「お気遣い無く」
「まあまあ。寒いと関節痛くなったりするもんね〜。俺もよく痛くなるよ」
マスターは手袋を外した両の掌を口に寄せて息を吹き掛け、擦り合わせて温めると跪いてシャクニの痛む足に当てた。その動作があまりにも自然だったので彼は青年の手を受け入れるしかなかった。
人の良さそうな、善良そうな顔のくせに掌は硬くて傷だらけだった。細かい傷と火傷の痕で元の紋様が分からない掌だった。その掌から、温かく柔らかな魔力が古傷に染み込んでくる。
マスターが悪属性の連中に好かれている理由を、シャクニはぼんやりとだが理解した。この青年は自覚はおろか理由も持たずに、何も考えずに善行を施す。法も徳も関係無いというか、思惑や意志すら無いというか。そういうところに毒気を抜かれてしまうのだろう。
ユディシュティラのことを思い出して不愉快になったシャクニはマスターを呼んだ。
「マスター、主人に跪かれるのは従僕として気分が悪くなる。隣に座れ」
「え〜……じゃあ、お邪魔しま〜す」
足から手を離して椅子に座ったマスターはトントンと自分の膝を叩く。その意図を理解したシャクニは笑いながら彼に体を向けるように体勢を変えて、尊大に足を置いた。古い傷を労るように掌が当てられる。
「マスターも古傷が痛むか?」
「寝てる時とかにね。もーあちこちいきなり痛くなるからさぁ」
「夜中に飛び起きるわけか、災難だな。ああ、そういえば似たような話を昔聞いたな……」
かつて宮廷でそうしたように、シャクニが青年に笑い話を語って聞かせた。マスターは反応が良いのでついつい興が乗る。
疼く古傷の痛みをシャクニが忘れる頃になって、二人きりの場に闖入者がやって来た。マシュに頼まれて主人を探しに来たユディシュティラだった。
巡回という名の散歩に出たはずのマスターはまだ昼食を取っていないのだと、盾の乙女が少し不安そうにしていた。マスターを一人にしておくと、突然眠り込んだり人目の無いところで襲われたりと良くない前例が幾つかある。
だから定期ブリーフィングの資料を纏めていた彼女の代わりに、ユディシュティラが探しに行くと名乗り出た。現界してまだ日が浅いため、カルデア内を見て回りたいという気持ちもあった。もしかしたら、同じ時期に喚ばれたはずなのに一切姿を見せないシャクニと会えるかもしれない、とも。
そうして、他の英霊達や弟達に挨拶をしながらカルデア内を歩き回った。殆ど人のいない区画までやって来た彼は誰かの笑い声を耳にして奥へと進んだ。其処で廊下に一定の間隔で置かれているベンチにいるマスターを見つけた。彼の隣にいるシャクニの姿も。
ユディシュティラにとって、シャクニは特別な存在だった。生前の大戦を忘れはしないし、幼い弟達と疲弊した母を伴って森から出てきた自分を唯一「子供」として労わってくれた彼の優しさもまた、忘れられないものだった。
慣れない王族としての生活に戸惑うユディシュティラに、シャクニは導き手のように助言してくれた。振る舞いから臣下達それぞれの力関係までを教師のように教えてくれた。
漸く自分だけの頼れる誰かを見つけられた気がした年若い彼は、自分の青臭い想いをシャクニに打ち明けた。歳上の男は驚愕しながらも受け入れた。ドゥリーヨダナの為にその関係はとても短い期間で終わりを迎えたが。ユディシュティラの恋はその一度きりだった。
カルデアは第二の命を与えられる場所だ。此処では運命のしがらみがほんの僅かだが低くなる。だから、シャクニとも新しい関係を築けるのではないか。そんな期待が彼の内にあった。
ユディシュティラがカルデアで初めて目にしたシャクニは、マスターの膝に足を預けて、古傷に触れさせて、若輩者を自らの話術で笑わせることを楽しんでいた。
その呪わしい傷に触れることを叔父は決して許してくれなかったのに。
「あ、ユディシュティラ。やっほ」
棒立ちになっていたユディシュティラに気付いたマスターが声を掛けると我に帰った。シャクニが露骨に嫌そうな顔を作るが何も言わなかった。
「マシュが心配していたよ、マスター。昼食をまだ取っていないそうだね」
「あ! すっかり忘れてた……シャクニさんのお話面白くて……ね、今度ナーサリーや式部さん達にも話してあげてよ」
「ん? まあ、気が向いたらな」
親しげな彼等にユディシュティラはじりじりと背が焦げ付くような思いだった。だからつい、相応しくない言葉を吐いてしまった。
「マスター、彼に気を許し過ぎないように」
善性の半神が突然そんな忠告をするので青年は目を瞬かせてしまった。無礼な甥をシャクニは鼻で笑い、見せ付けるように痩せた腕をマスターの首に巻き付けた。
「いつまで生前を引き摺っているのやら。女々しいことだと思わないか? マスター?」
「…………貴方という人は……!」
シャクニには密着され、ユディシュティラには目の前に立たれ、身動きできないマスターは「シャクニさんめっちゃ良い匂いする……」と現実逃避するしかなかった。