悪夢暗闇の中に響く声でふと目が覚めた。意識が浅瀬に引き寄せられ閉じていた瞼を開き身体の向きを音のする方へ向ける。
「先生?」
声を掛けるが反応は無い。少し長い休みの夜、二人の家に響くは青年の唸り声。
共に暮らす教師の苦しげな声だった。
「――っ、まる…きり…まる…!」
声の中に自分の名前が含まれていることが耳に届き今度は身体を起こす。
改めて声の主――土井の方へ目を凝らした。闇に視界が慣れ、ぼんやりとであるが表情も窺えてきる。その表情は荒く険しい。
「せんせ、先生…?」
すぐとなりの寝床へ今度は四つん這いで近寄った。
じっとりと汗が浮かぶ顔を覗きこみ、改めて声をかけるとうっすら瞼が開かれる。自分を映しているかいないか。
まだ意識がはっきりしていない夢現の様子だった。
「、きり、まる…?」
「います。ここに。」
「よか、った…きり丸……」
苦しそうな吐息に混じる自分の名前。
傍に居ると返せば安堵したようなほっとした表情を浮かべる。
歳上に、教師に対して気が引けるが額に触れ、そのままゆっくりと頭を撫でるとその手に大きな手が重なる。
すり、と頰を擦り寄せてくた。
「おまえを、斬ってしまって…血が、赤が…」
「…大丈夫です…っと、ほら。ね?」
寝言と今の状況を整理すると自分を斬ってしまう悪夢を見ているようだ。
まだうなされがちな土井を宥めるように優しく声をかけるが、覗き込む体勢が辛くなり横へと寝転がった。同時に土井の表情がふにゃりと和らいだかと思えば抱きしめられる。
さすがにタイミングがよくもう覚醒しているのかと顔を上げるが肝心の土井は肩口に顔を埋め様子がわからない。離れるようにと口を開きかけたが抱き締めてくる手が、身体が僅かに震えていることに気付けば口を閉ざした。
「大丈夫、ぼくは居ます。生きていますよ。…傍に居ます。」
「よかっ、たぁ…生きてる…」
「ん、大丈夫、だいじょうぶ…」
戸惑いながらも背へ腕を回し、アルバイトで赤子にするように背をとんとんと優しく叩くと強張っていた身体から力が抜けていくのを感じた。
触れ合った身体から伝わる心音。それが土井にとっても心地良いのか心からの安堵の声と、少しの間が有り穏やかな寝息が聞こえてきた。
「…もう、気にしなくて良いのに。」
土井が眠りについたのを見れば手の動きを止める。
――今、自分は此処にいるのに。
もしもなんて考えなくて良いのにという呆れたような感情を抱く一方でこの人の夢でも自分が意識占領しているのだという状況に、得も知れぬ満ち足りた気持ちになる。
それは、何かを独占したいと思ったことがない自分がこれまで自分が抱いたことのない感情だった。
誰にでも優しい人。それが自分のことで頭がいっぱいになっている。
しっかりと抱きしめられ離れることが出来ず、今度は自分が胸元へと顔を埋めた。
「ずーっと、一緒です。先生。」
眠りについている自分の居場所に届かないくらいの呟きは闇へと消えていった。