てんびんてんびん、傾くのはどっち?「なぁ、きり丸。おまえ、本当に命より銭が大事なのか?」
「へ?何すか、また。」
園田村での出来事から数日。
少し長めの休みに土井家へと戻りご近所付き合いの溝掃除を終えた晩、造花の内職をしていた時だった。
いつものごとく先生の分もと渡された仕事を進めていた土井の手が突然止まり、きり丸へ質問が投げかけられた。
質問を受けたほうはというと、鳩が豆鉄砲をくらったかのように間の抜けた声をあげ目を瞬かせる。
――銭と命、どっちが大切なんだ!
――銭!
つい先日の出来事だ。
土井がかけてきた問いに対してついうっかり本音を答えてしまった。その答えを聞いた教師の反応を見た瞬間、対応を間違えたと後悔したが遅かった。
どうしてだとか考えを改めろと土井との攻防が続いたものの、結局結論は出ないまま村での戦いに突入しその時は終わった。
「またその話ですか?さんざその時言ってきたんですし、いいじゃないですか。」
せっかく話が有耶無耶になって追求されなくて済んだのにと半ば溜息混じりで話題を打ち切ろうとする。
きり丸は顔も上げずに自分の内職の手を進めた。
――この人は何故こんなにも拘るのだろうか。
生きていく上で、銭ほど大事なものは無い。
食べ物ももちろん大切だが、銭は裏切らない、取られない、使わない限りは消えることも無い。
だって、所詮自分のだって、他人のだって、吹けば転がる生命なのだから。
だからこそ、必死にしがみついて、生きようと、銭を稼ごうとしているのに。
綺麗事としか考えられないことを言うこの人も結局周りの人間と同じなのだろうか。
そう考えると知らず知らずの内、腹立たしさも湧いて出て、放った言葉の語気もやや強いものとなっていた。
「きり丸は本当にえらいな。」
再び諌めてくるだろうかと構えていたが、少しの間があった後の土井から発せられた台詞は予想もつかないものだった。
落ち着いた声色。心の底からの言葉のようだった。
その反応にきり丸は動かしていた手を止める。
「私はきり丸のようには生きられなかったからな。」
ぼやくような、自嘲の音を含んだ言葉が続きそれが耳に届くとようやくきり丸は顔を上げて土井の方を見た。
燭台の灯に照らされた顔は園田村のときの怒りとは異なり、眉尻が下がった、どこか弱々しい表情で、普段は見せぬ一面から目が離せなくなった。
そんなきり丸と目が合うと土井は肩を竦め、困ったように笑いかけてきた。
「すまない、今のは忘れてくれ。――ただ。」
それまでの眉を寄せた笑みから一転し、ふわりと柔らかなそれへと変わり言葉が続けられる。
「…今はいい。いつか、おまえが銭よりも自分の事も、他の誰かを大切に思うようになってほしいんだ。私がかつてそうだったように。」
優しく、諭すように。
脳裏に過るのは、過去のやりとり。目の前の教師が、時分と同じ育ち方をしていると話した事だった。
叱るものとは違うその言葉は、きり丸の心の奥に染み込んできた。
「何より、私はおまえが大事なんだ。それは、忘れないでくれ。」
「…そんな日が来るといいですね。」
最後には恥ずかしげもなく、気持ちを伝えてくる男に気恥ずかしさすら感じて顔を俯けた。
――なぜ、この人はこんなに自分のことを思ってくれるのだろう。
金にも繋がらぬ言動は未だに慣れず戸惑うばかりだ。
向けられる優しい声も、言葉もすべてじわりと蝕むように侵入してきて、胸のやらかいところを掴んでくる。
辛うじて絞り出した声で言葉を返しながら正体のわからぬそれを確かめるように胸元へと手をやり、くしゃりと服を掴んだ。
いつかは、わかるのだろうか。
わかったとき、あなたはどういう反応をしてくれますか?
―――――――――
今、眼前には教師と同じ顔、同じ形の男がまさに振り下ろさんとする刃があった。
乱太郎としんべヱが声をあげると、動揺を見せ、その切っ先は僅かに震えている。
脳裏にはあの日の言葉が蘇る。
「己の命より銭大事…!」
縋るように口を出た科白。
――ねぇ、土井先生。
あなたが、教えてくれたことでしょう?
銭よりも大切なモノを見付けたんだ。
だから。
「先生…一緒に帰ろう」