if⑤――さむい
その日は、雪が降っていた。
しんしんと降る白が降り積もり、景色を真白に染めていく。
――さむい、いたい
はじめはあった感覚が徐々に消えていく。
指先はもう動かない。
体温が奪われないようにきゅっと身体を縮ませようとするがこれ以上はもう無理だ。羽織っていた僅かばかりの藁の羽織を引き寄せる力ももう無い。
音の無い、誰も居ない世界、自分と外の境界が、意識が薄れて、視界が閉ざされてゆく――
「…まる、きりまる…」
突然、男性の声が降ってきてうっすらと瞼を開いた。ぼやけた視界に飛び込むのは囲炉裏。
パチパチと音を立て炎が紅く揺らめいていた。
あたたかい。
ほうと息を吐くと当然吸う動作もついてくる。無意識に息を止めていたのか頭に酸素が回ってきてようやく辺りが見えてきた。
ここは自分の手を差し伸べてくれた人と隠れるように住まう場所。ところどころ隙間風が吹いてくる。
そして、自分は――
「あれ、なんでぼくこんなことに?」
寝ぼけ半分のような、やや間の抜けた調子で見上げ、頭上からの声の主に問い掛けた。
気付けば、自分の身体はあぐらを組んだ男――天鬼の足の上に腰を下ろしており、背中を預ける体勢ですっぽりと収まっていた。
男の腕はしっかりときり丸の腰にしっかりと回され引き寄せられている。
問われた方はきり丸が目を覚ました事にほっとしたのか常の硬く結んでいる口元を緩めた。一方できり丸が口を開いても腕を解くことは無かった。
「戻って来たら、おまえが部屋の隅で丸くなっていてな。声をかけても反応が無いから肝を冷やされた。」
そうだ。本当は今日二人で請け負ったアルバイトに行くはずだった。けど、雪だからと子どもであるきり丸担当分が無くなったのだ。
もっとも、きり丸が行かないなら行く必要は無いなどと天鬼はごねたが、せっかくの金蔓もといアルバイトなのだからと無理矢理見送り、自分は留守番となった。
見送って、日の当たらない薄暗い空を、部屋の中から眺めていた。
共に暮らす人の帰りを待っていた。何の変哲も無い筈だった。
きっかけは何だろう。
雪?静けさ?
――ひとりになったから?
「もう大丈夫なのか?」
ぼんやりと考え巡らせていれば再び掛けられた声に現実へと引き戻される。すっかり馴染んだ、少し低めのしかし優しい声色。こくりと小さく肯定のために頷いた。
「すみません…」
「何があったんだ?」
「何も、無いんです。本当に。」
伏し目がちな後ろ姿では表情は窺えない。だが、何処か無機質な声振りだった。感慨も、戸惑いも何も無い上の空のような音。話をしていても何処か夢見心地のようだ。本当かとついて出てきそうな追及の言葉を飲み込んだ。
二人して黙りこくる。
ただ、囲炉裏の薪が爆ぜるパチパチとした音だけが室内に響いている。
「…あったかいですね。」
凭れていた身体を擦り寄せるようにすればトクトクと心音が伝わり、温もりを、生を感じる。
少しの沈黙のあと、きり丸が先に口を開いた。
先程とは異なりしみじみとした声音で、硬かった身体もその強張りが緩んできていた。
「あったかい…」
再度口にすると腕の中の身体を捩らせてきた。少しばかり力を弱めてやるともぞもぞと身体の向きを変え、胡座をかいた足の上に向かい合うように座ってきた。そしてそのまま再び身体を胸板へと預けてきたので、天鬼からも腰元へ腕を回し引き寄せてやる。
「白、だったんです。」
「白?」
「はい、それしか思い出せません。」
「…そうか。」
ぽつぽつと零れだす言葉。
先の虚ろな声色とは異なり、ゆっくりではあるがしっかりと一語一語確かめるような物言いだった。
それが本当か話したくないだけなのかはわからなかったが、腕の中の愛しい存在が、話せないというのであればもうそれ以上は聞くべきではないだろう。
短く言葉を返し頭を撫でてやるときり丸からも擦り寄ってきた。赤子が、親を求めるように胸元へ額を埋める。
「おねがい、いいですか?」
「なんだ?」
「今日は、こうしててくれませんか?」
相変わらず顔は見えない。しかし、願いを伝えてきたきり丸の服を掴む手に力が入るのを感じればそれが切なる願いであることは推し量るには余りあるものであった。
「今日だけとは言わず、いつまでもこうしよう。」
元より、この子を離すつもりは無い。
まぁ、そのようなことは腕の中に収まる子には関係無いが。
「私がお前の傍を離れる事は無いよ。」
優しく囁くように、幼子に言い聞かせるように言葉紡ぎ頭を撫でてやると、もっとと言わんばかりにきり丸からも腰へと腕を回してきて顔を胸元へと埋める。まるで離れまいとするかのように。
雪は降り続ける。
けど、もう寒くはない。
共に居てくれる人が居るのだから。