さぎょうしんちょく!!!魔女様は屋敷を氷漬けにしただけじゃ飽き足らず、世界すら飲み込もうとしていた。
最初はあのお屋敷を、その次にメイザース辺境伯の領地を、それからはゆっくりと、確実に何もかもを凍てつかせようと今なおその力を留めることを知らない…らしい。
噂話に好き放題に尾ひれ羽ひれがつき、いつの日にか彼女はナツキ・スバルを奪った世界を壊そうとする 、嫉妬の魔女と呼ばれるようになった。
皮肉なもんだ。先代の嫉妬の魔女に似ているから、という理由でエミリアを罵った人間を、ナツキ・スバルは決して許さなかったのに今や彼女が当代の嫉妬の魔女と呼ばれるようになってしまったのだから!
世界の視線が嫉妬の魔女に怯えている隙に、僕らはカララギへと潜り込んだ。
赤髪の剣聖は、他国に入ることを許可されていないらしい。けど、もう彼は騎士を名乗ることをしないし、僕らの入国を止められる門番はいない、ので好き勝手にさせてもらった。嗚呼、間違えないでくれ!!僕らはたまたま手が当たった瞬間に運悪く気絶した兵を介抱した、その後に礼として、入国させてもらっただけさ!本当にそれだけだよ、ふふ。
「お待ちください」だとか「お戻りください」とか
なんだか言っていた気もしたけれど、聞こえないふりをした。赤髪の彼は僕を止めようとしていたような気がしたけれど僕が強行突破した辺りで苦笑いをしていた。
それにしても不思議だ。
どうして彼らは、僕らに言うことを聞くと思っているんだろう。それってちょっと、横柄なんじゃないだろうか。
龍が人間の言葉を解したとして、言うことを聞くと思う?
僕はそうは思わない。ただ、こちらに守るべきものがある時。互いに理があると判じた時、尊重するものがある時だけに、ヒトを超越した種とヒトは是と頷くんだと思うんだよね。
僕はそう思ったってだけの話で、出来たはずなのに僕を止めきらなかったということは彼も同じ考えだったんだって思っておくことにする。それか、他国への入国を禁止されているにも関わらず、それを破る程彼の心にナツキ・スバルの面影が残っているかのどちらかか。
訪れたこともない異国の地は、僕が望んだとおりあたたかい場所だった。
足りずとも満ちることを知る僕は、無欲で清貧で、誰に縛られることもない平々凡々とした平和な生活を送る気だったのだけれど、結論としてそれは無理だった。
人の目に付かないところに2人で住もう!と嬉々としてはしゃぐ僕を、安易な笑顔で絶対にダメだと彼が釘を刺すくらいには、僕に生活力がなかった。
本当に仕方なく、何十回も我慢して、妥協した果てに、
世界の片隅にあるような、まだ魔女様の息吹すら届かない集落に身を寄せる。
彼がこの村に着いて、初めてしたことは手刀で僕の両腕を繋いだ鎖を切ることだった。
「これからは、僕たちの事情を知らない人たちと生活をするのだから、訝しまれ無いようにしなくてはね。…それに、きっとこれはもうキミには必要ないものだ。」「は…どうしてそう言い切れる訳?繋ぎ留めなくとも僕1人囲っておけるとでも言いたいのかな、随分と舐められたものだなあ。」
ラインハルトは少し困った様に笑うと、僕の両手を握った。吹雪の中、互いにはぐれないようにと握った時と同じ、温度のない僕にもじんわり伝わる、優しいあたたかさ。
「……冷たい鎖で縛らなくとも、僕がこうしていよう。キミは、悪事を犯さないと信じているよ。レグルス。」
舐められてると思った。
身体の芯から震えあがる様な怒り、頭の隅々まで真っ赤に染まって、自分自身じゃ抑えが利かない。ナツキ・スバルはもういない。僕を縛るものはもうない。足が竦み身体が凍り付きそうな昏い深淵の底のような瞳が僕を刺すこともないんだ。
「……ッ!!!」
腕を大きく振り上げ、風を巻き起こす。凶器となった斬撃を放てば、彼は、易々と避けては僕をただ静かに見つめていた。
「…おま、えさあ……!!!」
地に混じる砂を手に収まるだけ握って、投げる。たったそれだけの行為なのに僕が投げたそれは無数の投擲物となり彼の身体中を穿つはずだったのに、その全てを手刀で薙ぎ払い叩き落されては流石の僕も呆然とした表情を浮かべるしかなかった。
此処に来るまで、散々此奴に虐げられた怒りが唐突に胸を込み上げてくる。
両腕を繋いでいた鎖が壊れたと同時に箍が外れてしまったんだろうか。
とん、と地面を蹴るだけで僕の身体は目にも止まらぬ早さで彼の真後ろへと到達する。
さっきと同じように大きく腕を振り上げ気持ち悪いくらい真っ白な首筋を圧し折ろうと降り下ろそうとして
「レグルス。」
背後から不意打ちをかけるつもりだったのにあっさりと止められた。
掴まれた腕は権能を以てしても払うことが出来ず、余裕を崩すことのない彼を睨み付ける事しか出来ない。屈辱的な行為にぎりぎりと歯が音を立てるほど噛み締める。
「それ以上は僕も容赦出来なくなる。どうか堪えてほしい。」
身体に刻まれた痛みを思い出す。
此奴に毎日の様に教えられたことなんかもう思い出せないけど、
ナツキ・スバルが作り出した恒久的な平和の中で微笑んでいた此奴の顔を見ると思わず手が止まった。
此奴に絆されそうになっているという事実事態が僕には到底許せるもんじゃない。だってそれは、此奴が、ナツキ・スバルからの命令を聞いているんじゃなくて、此奴自身が僕の為を思って行動してるってことを認めるってことになる。
それは形はどうあれ僕へ愛情を向けてるってことだ。友愛であろうが敬愛であろうが僕を愛するってことは僕をなめ腐ってるってことだ。
始まりは最悪だったけど僕は日々の中で此奴を信頼していたよ?
僕は生まれながらに愛を知らない、与えられたこともない。
僕を愛するふりをして、押しつけがましい偽善を押し付けた奴、愛するふりをして自分の承認欲求をみた醜い奴。形は様々だったけど僕に与えられた愛は全て偽物だった。
信頼を置いていた此奴まで、僕に友愛を向けてくるってことは、それって最早僕への裏切りだってことだ。僕の権利を、僕の自我を、僕という個人を侵害するってことだ!。
それは、如何に無欲な僕でも、許せないなあ。
目立ってはいけない、なんて理性では分かっているのに心が従わない。
嫌だ嫌だなんて我儘ばかりでいつも何かを欲しがってばかりの、小さな王様。
随分自分のことを俯瞰してみることが出来る様になった気がするけれどしがらみが解け自由を手にした僕の胸の内は解放感に満たされ自制することなんて何一つとして出来やしない!
毎晩、彼が打った頬の痛みの事なんか忘れてしまっていた。
明確な敵意を以て睨み付けた僕を見て、彼は心の底から落胆した様な顔を見せた。
_____ううん、違う。落胆じゃない。それは僕が人生で初めて得られた気付き、だったのかもしれない。僕が不出来だと、落胆したわけじゃなくて、悲しんでいるんだ。自分の考えが伝わらなくて、心を痛めているんだと直感した。それは、今まで、自分が自分がと主張するばかりで、他人の痛みを顧みようとしなかった僕が初めて知った。悲しい痛みだ。
「レグルス。」
声は聞こえた、けど僕が彼を認識する前に視界が大きく後方に飛ぶ。
気付いたころには崖に身体ごと打ち付けられて、凄まじい轟音と共に石がぱらぱらと落ちていった。砂埃があたりに舞い、視界は悪いけど、彼が僕の方へ近づいてきたことだけは分かったから、厭味ったらしく声を掛けてやる。
「…お前さあ…!これが僕への友情だとでも言いたいわけ?」
僕の為に差し伸べられた手を払おうとして、だけど容赦なく掴まれ、瞬きの間にあれよという間にぎゅう、と抱きしめられていた。
「は……?」
あたたかくて、柔らかい。僕を抱きしめる腕は力強くて、良い匂いがする。
「僕はキミに言うべきことを、口に出来ていなかったね。…キミを理不尽な目に合わせたのは、僕だ。スバルの事ばかり聞くようになって、自分自身を見失っていたのは僕の落ち度だ。レグルス、今まですまなかった。……僕は僕自身の意思で、キミを大切にしたいと思う。だから、どうか他者を傷付けることは止めてはくれないだろうか。僕は、キミが誰かに悪く思われるのを良しとしたくない。」「何を……馬鹿な…。」「レグルス。」
彼の腕に力がこもる。身体中の骨を折るような強さじゃない。ヒトではない僕を、ヒトとして扱い、自分の強すぎる力で潰さないようにしながら、それでも僕を繋ぎ留めたいと、祈りに似た抱擁だった。「ちがう、違う…違うんだよ、僕は……。」
これは愛じゃない。胸を優しく満たされる感情が愛であってたまるか。
「僕は。利己的で、自己中心なバケモノだ。キミが望むような子には慣れないんだよ。」
この瞬間、僕は初めて自分自身と向き合ったのかもしれない。瞳が痛いと感じ始めたころには、大粒の涙が頬を伝い落ちて止まらなくなっていた。
僕は、この瞬間ばかりは自分がなにか、分からなくなってしまった。黒くてぶよぶよした塊みたいな、そんなものの塊が迷子になって、帰り道すら分からなくなって、わんわん子供みたいにないているみたいな、そんな気分だった。
「…レグルス。」「……っ。」
僕を呼んだ彼も、同じだと思った。世界に愛され、ヒトに愛され、誰からも望まれ続けるバケモノは、僕を見てにこりと愛らしい笑顔を浮かべた。愛らしいのだと感じてしまった。
「なれる、とは言わない。キミを僕の理想に付き合わせることも、本来ならばしてはいけないのだろうけれど。僕はキミと共に在りたいと思う…僕と共に、誰かと共存する道を、選んでくれたら、とても嬉しく思うよ、レグルス。」
悲しい時、悔しい時、頬を涙が伝った時がある、それらはどれも冷たく、僕の心を怒りで凍てつかせるものだった。
だから、嬉しい時に流す涙が、こんなにも熱く、100年もの間凍り付いていた心を溶かす程だとは知らなかった!
彼に抱き着き、何度も頷き泣きじゃくった。最後の方には泣きながら彼の両腕を握った。
頬の痛みを自分から思い出すことが愛なのかもしれない。
僕は心からそう思った。
_________
カララギでの日々は穏やかだった。
完璧で完成されている個だからこそ僕は出来損ないの料理なんて食べられない。
料理とは誰かを想い、食べてくれる人への配慮を完璧にしてこそ完成される。
こんな異国の地で、僕の口にあうような完璧な料理が提供されるだとかは思ってない!
僕への配慮が足りていない料理なんか出された日には、皿ごと割ってやろうかと思ったけど。
結果として僕は一日で餌付けされた。
世界に愛される彼奴は料理すらも完璧だった。
知らない国の、見たこともない料理の数々。生の魚なんて気持ち悪くて食べられないし野菜を甘辛く煮たものなんて見たこともないもの口に入れたくない!なんていう前に有無を言わさず口に突っ込まれた。どちらも唸ってしまうくらい、美味しい。
昔の妻たちの、料理上手な奴を連れてきて同じものを作らせたって此処までの品は出来ないだろう。
塩と砂糖を間違えるくらいのお約束の展開くらい見せてみろよ。と嫌味を込めて言ったのに平然と流された、昨日折角見直したのに、友達くらいには思ってやろうと思ったのに!やっぱり此奴は嫌な奴だ。
外に出てもっぱら働くのは剣聖…じゃなくなったラインハルトだった。
僕が働くわけないでしょう!そもそも僕がどうして働かなくちゃいけないわけ?
金銭の管理なんて知らない、全て妻たちに任せていたし僕はぺこぺこ頭を下げて、馬鹿みたいに汗だくになって働くなんてことしたくないんだ!だから魔女の因子と適合した時からもうそんなくだらない人生からおさらば出来たと喜んだのに、今更働けなんて冗談じゃない!僕は家で彼を待つ、彼が汗を流して働き金銭を得る。うん、完璧な構図だ。
仮に僕が働くとして、叱責された際に僕が、誰かの頭を跳ね飛ばすとも限らない。
此処で衝突をして騒動を起こせばどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
昨日は、癇癪を起しちゃったけど、身の程は弁えているつもりだ。
僕はラインハルトに与えられた場所で大人しく彼を待つ、それが最善。
それに……僕としても友人との約束は守りたいと思うからね。
ラインハルトはこんな世界の片隅の、地図にも乗らないような小さな集落の中ですら人気者だった。
老若男女問わず彼を慕い、毎日の様に誰かに頼られていた。性格は優しいし、なんてったって彼奴は誇張抜きで何でもできる!まあ、僕の次に完璧であろうとし、完成されようとする個だってところは認めてやってもいい。ただ、自分の力を安売りしがちなんだろうかなあ、とは思うよ。そんな風にほいほい誰も彼も力を貸してやるなんて…しかもやりかたを1から懇切丁寧に教えてやるなんて。善意をされているんだって僕がどれだけ言い聞かせようとしてもラインハルトはうんうんといつも頷くけれど決してやめようとはしなかった。
町一番の美しいとされる女すら彼に慕い一時期毎日のように会いに来ていたけれど、ラインハルトは穏やかにいなすばかりで僕ですら彼は女に対して興味がないのかな、ってちょっと心配になるくらいだった。烏の濡れ羽色に宝石みたいに輝く瞳、があんまりにもかわいらしいから、「要らないなら僕にちょーだい。」って強請ったことがある。それ以降女はぱったりと家に遊びにこなくなった。街で偶に見かけることはある、彼奴との逢瀬を重ねているのかどうかは知らないけどちょっかいかけたくらいで会う場所を変えるなんて彼奴にも人並みの独占欲があるんだと安心した。ああ、勿論故意的にけしかけただけで僕は誰かの手垢がついた中古品には興味はない。このくらいの気遣いは返してやれるようになった。彼奴が一日に近い時間を空けていたから(魔女様の偵察)ニヤニヤしながら「何処であの女とナニしてたの」なんて揶揄う様に聞けば珍しく少し怒っていたように感じた。…というか、多分滅茶苦茶怒っていた。
続きはえろがりを奏でるのでまた今度あげます。