[甘い菓子をストロールに届けろ]「へぇー!美味そうだな。俺ももらってもいいか?」
大量に作った蜜菓子を並べてフン!と満足そうに鼻息を吐いたバジリオは後ろから掛かった声に振り返る。自分より少し低い位置にある綺麗な瞳と目が合った。そのままさらに視線を下にずらすとニッと薄い唇の端が持ち上がる。つられてバジリオも片側の口角を上げる。自分の作った料理をまた誰かに食べてもらえる。ただそれだけのことが嬉しかった。
「おぅ!自信作だぜ、味付けかなり甘いぞ」
「焼いてる時からいい匂いがしてきてたんだよ。せっかくだから茶でも淹れよう」
子どもみたいにはしゃいじまって…ご機嫌なお貴族様だ。心の中で呟きながら、バジリオは娯楽室でストロールを待つ。かくいうバジリオもご機嫌だった。数分後、ティーセットを持ってストロールがテーブルについた。沸かしたてのポットからは湯気が立ち込めている。
「その香りはジュナさんのお気に入りのやつだな」
「ご明答!匂いだけでわかるなんてさすが鼻が効くな…ってのは違うか、今うちにある紅茶はこれだけだったもんな」
うち、という言葉が指すのは鎧戦車のことでありストロールにとってもはや鎧戦車はホームと化しているらしい。今用意された紅茶は、渋みの少ない茶葉が使われたもので、カラメルのようなどこか懐かしい風味のする逸品だ。最初はジュナが好んで持ち込んだものだったが、勧められるうちに皆も気に入ってしまった。そのため鎧戦車には大抵誰かが買い置いたストックがある。この紅茶ならきっと洋菓子にもよく合う。
ぽと。ぽと。
何気ない仕草で片方のカップに四角い砂糖が落とされた。そのまま慣れた手つきでミルクを注ぐ。
もう片方のカップを差し出されたバジリオは一連の動作を見守った名残りでストロールの色の白い手元を見、目を丸くしていた。アフタヌーンティーを共にする相手が黙ったまま自分に視線を注いでいることにストロールも気がついた。
「ん?」
見つめられたストロールはカップに口をつけたまま、きょとんとした顔で上向きに視線を送る。そして少し思案した後に短く答える。
「…俺は紅茶はミルク派なんだ」
「いや…いいけどよ」
バジリオは内心驚いていた。
『甘いもんにそんな甘い飲みもん合わせんのか?』と喉から出かかっていた言葉をすんでのところで飲み込む。
しかもミルクも入れんなら尚更…。するとふと、バジリオの心に懐かしい感覚が流れてきた。胸焼けしそうなほどの量の甘ったるい菓子を頬張る横顔を思い出す。そんな感覚になるのはこの紅茶の香りのせいかと、バジリオはぼんやりと白い手元に視線を戻した。
戦いに身を置く日々の中のしばしの休息。ダラダラとティータイムを過ごす二人の話題はバジリオの買い出しの話になる。
「必要なもん計算してったはずがメモに書いたアルタベリー麦粉の量が一桁多くてよ…」
「…え?は、派手に間違えたな」
ストロールはバジリオの瞳を見つめたまま無言になり、ぱちぱちと高速で瞬きを繰り返す。雄弁な仕草だ。
「オレ、頭悪いし!」
吹き飛ばすように快活な笑顔をお見舞いした。気遣うように次の言葉を考えていたストロールもたまらず吹き出す。
「フッ!…しかしそんなに在庫を抱えてちゃあ、散々資金繰りで苦心してた隊長殿が怒るぞ」
「っ!!やっぱそうか!?そ〜なんだよなぁ〜」
バジリオは顔を青くしながら肩を落とす。ここのところのウィルは算盤を背負いながら荒野を駆けずり回っている──。放心するように斜め上を見上げて、どうにか誤魔化す方法はないかと考えていたバジリオは、ふと、ストロールがこちらの顔色を伺っているのに気づいた。
「なぁバジリオ、また今から菓子を作って在庫を自然な量まで減らすってのはどうだ?」
「おー!それは全然構わねえけどよ、そんなに食い切れっか?もうジュナさんらの分も作ってよけてあんだ」
自身ありげにストロールがバジリオの瞳を捉える。
「なら、提案だ。材料代は支払うから追加で俺にさっきの菓子を作ってくれないか?」
「いや、金はいいよ。余らせちまったのはオレだし食いもんの買い物は元々鎧戦車の予算だしよ…。でも何個ぐらいだ?」
「じゃあ…80個くらい」
「おー…って80!?」
確かにそれだけ作ればお菓子用にしか使えない食材はかなり消費できそうだ。今食べている菓子は小さく、いっぺんに焼き上がるため80個作るのは数字ほど苦ではない。苦ではないが…。怪訝な顔になったバジリオはストロールに言葉を継がせる。
「やっぱりお代を……」
「アンタ、そんなにいっぱい誰に渡すつもりなんだ?」
「ハッ。俺は見かけによらず大食いなんだよ」
……ニコニコだ。
これは食い下がっても聞き出せそうにないな…と諦めたバジリオは「わ〜ったよ」と黙ってお菓子作りの準備にかかる。
「恩に着る。きっと喜ぶよ」
だ〜から誰が、なんだよ…。
はぁ〜あ、とため息をつきながらシッシッとストロールを追い払った。
「これってなんだっけ、確かいつか兄貴が言ってたストーカー……。」
難しい顔をして大柄な長身を丸めながらバジリオは呟いた。
「いや尾行だろ、な。」
バジリオが今いるのは王都の住宅街だった。あ〜?と低く唸りながら考える。
誰が住んでんだ…?
遠目から見たところゾロゾロ出てきた住人の顔ぶれはクレマール族ばかりだ。バジリオの目には普通の王都の市民…といった感じに映った。説明するように身振り手振りをつけながら話す尾行相手の背中に回り込むように一歩近づき、聞き耳を立てる。
「…俺の仲間が作ったんだ」
仲間……ね。
今のバジリオはパーティメンバーで同じ志を共にする同志で、同じ隊長を仰いでる候補者一行で……。それを称するに仲間という言葉があてがわれるのは不自然なことではないはずだ。しかし彼の口から自分に対してその言葉が向けられることには違和感があった。
「良いのですか、レオン坊ちゃま!」
「レオン…!?って誰だっけ…、坊ちゃま…坊ちゃま…ハッそうか、アイツがレオン坊ちゃまだ!」
全てに合点がいった。あれはストロールの故郷の人々だろう、確かハリアといった。坊ちゃまなんて呼ばれているところを見ると先頭に立っているのは旧知の執事か使用人といったところか。
「でしたら坊ちゃまもご一緒に。今お茶をお入れしましょう、」
「いや、ランジフ。俺の分は先に貰ったんだ。だからこれは全部お前たちの分で………」
そう言いながら、袋から顔を出す蜜菓子を一つひょいとつまみ上げて口の中に放り込んだ。
「ふふ、坊っちゃま、お行儀が悪いですよ」
「ん!」
頬を膨らませた彼は片方の肩を上げ、ランジフと呼ばれた男に向かっていたずらに笑った。
……………!?
バジリオの全身に雷が落ちたような衝撃が走った。
なんだ今のカオは……!?
当のお人よしの「レオン坊ちゃま」は小走りでその場を後にしていた。
「落ち着いて一緒に食べればいいのに…レオン坊ちゃま……いやストロール様は相変わらずですね」
元使用人たちが懐かしむような温かい表情に緩み、未だ彼の後ろ姿を見送っている。
胸を貫いた笑顔が頭にこびりついて離れない。
あんな顔、するんだな…ぐるぐるぐるぐるそのことが脳みそを回って彼の後を追う気にもならず立ち尽くす。
…我らが隊長もあんな一面を見てきたのだろうか。
日没が近い。黒くなった鳥たちが寝床を探し夕陽に染まり始めた空を旋回している。日陰通りの店々にも旅人を呼び込む誘蛾灯が灯り始める。蜜蜂のささやき亭の灯の下、壁にもたれかかる黒い影が一つ。
「なんでオレがあいつを待ち伏せしてんだ…」
じきに姿を見せるだろう繊細な青年の顔を思い浮かべて、つま先の砂を蹴る。
「意味わかんねぇ…」
「…どうしたんだ?」
俯いた頭のテッペンによく通る実直な声が降りかかる。夕日のせいで見つめる地面の全てが影になって、近づいてくる気配に気づかなかった。
「あ……」
うまく言葉を紡げない自分に片足に体重を乗せた体勢で小首を傾げてくる。
「なんだよ」
「ほらよ、あ〜今日のことだが隊長には…」
本当に言いたかった言葉、出で来ず。なんのために待ち伏せなんか…。
「フフッ。そんなことを気にして…。まさか、俺を待ってたのか?もちろんあいつは気づかないさ。お前が口を滑らせたりさえしなけりゃな。」
言葉に詰まる自分とは反対にストロールはそつなく返してみせる。秘密…にしてくれるってことか。隊長に悟らせないように菓子用の材料の在庫を自然な量まで減らす。ストロール自身がそう言ったのを聞いていたはずなのに何故か気分が高まった。怖気付いた頭が体を冷やさないうちに今度こそ待ち伏せした目的を果たすことにした。
「今日たまたま見かけたんだけどよ、アンタが話してたの…あれ、領民か?」
「見かけた!?おまえも王都に出歩いていたのか?」
「まぁ、そんなとこだ。巡回的な。平和のために。…王都の。」
「巡回…?王都の。」
やや納得しきれない顔を見せたが律儀な彼は、はっと気づいたように中断した会話に戻ってくる。
「そうだよ、あれはハリア…俺の家のかつての領民たちだよ。菓子を渡しときは皆嬉しそうだった。」
気が抜けるほど簡単に答えてくれた。「誰」に渡すのか含みを持たせたから隠れてついて行ったのに、どうやらバジリオに隠したい事柄ではないらしい。ストロールは思い出すように目元を綻ばせてから、ありがとうな、と付け加える。
「おぅ。……………。」
「どうかしたか?」
聞きたいのはその先だ。
オレなんか頭使ったって仕方ねぇ。隠さずぶつける方がいいかもな。
そう考えてストロールに率直に聞くことにした。
「そのことなんだけどよ。アンタ、ルイに見殺しにされた村の出身なんだろ?……いくら隊長が認めてるとはいえよくオレを仲間扱いできるよな」
「それは……」
ストロールが言い淀む。構わずバジリオは目線を送って、こっちから付け足す言葉はないぞと次の言葉を待つ。
「そうだよな…悪い」
少し心臓が痛んだ。オレが聞きたかったから聞いたはずだろ、そりゃこうなるだろ。……ってか悪い?なんでオマエが謝んだよ。
「お前が兄を…家族を亡くしたことと俺たちは無関係じゃない。水に流して仲良くしてくださいってのはムシが良すぎるよな」
「あ?」
「……」
「待てや。わかるように言ってくれよ、なんでそこに兄貴が出てくる」
ストロールは眉根を寄せて、心底分からないという表情になった。
「それは…仲間と呼ぶには厚かましいと言いたいんだろ?今の発言だって…白紙にはできない俺の過去を持ち出して、「バジリオ自身にも遺恨はある」と粒立たせたったんじゃないのか、俺たちには対立する明確な理由があるはずだと思い出させたかったんじゃないのか」
「あ??」
ワケわかんねーよ………
「ワケわかんねー」
「えっ?」
だってそれしか言葉思いつかねーわ。
「今、オレの話はしてねー。してなかっただろうが。アンタがルイの仲間だったオレを仲間として認められんのか?本当は嫌なんじゃねえかって聞いてんだよ」
「嫌じゃない……」
「……!あ〜……」
あの日舞台に一人立っていたクレマール族の若い男。積年の恨みに震えていた声を思い出す。顎まで光の粒が伝っていった様をありありと思い出す。使用人たちに向けられたあどけない笑い声を思い出す。
今までルイのいいなりなってオレらが奪ってったのはストロールのあんな笑顔の日常だった。あいつの居場所だった。
そういうことだろ?兄貴
バジリオの胸の内なんてお構いなしにストロールが納得したように話し出す。
「お前の本音が聞けて良かったよ。結局俺からは言い出せなかったが、バジリオとは腹を割って話す時間が必要だと思ってたんだ。」
「いいんだよそんなんは。オレにまでお人よしか?」
「なんだその言い方は…まぁいい。」
そのままポツリと次の言葉を呟く横顔にバジリオは釘付けになる。
「あいつといると勇気が出るんだ。あいつが認めたお前だから、きっと…きっと大丈夫だ。」
ストロールはもう迷わない、というように自分より長身のバジリオに穏やかに微笑む。
その笑顔、なんつーかオレには爽やかすぎんだよな…。
「勿体ねぇ……」
「はっ?」
今の顔、オレしか見てないなんて。
「こっちの話だ、気にすんな」
バシッと大きく音を立ててストロールの上着の肩をはたく。
「いてっ」
「我慢しろよ〜オトコノコだろ、パリパスの男はこどもの日に尻尾に見立てた柳で体をはたかれるもんなんだぜ?オレん時も兄貴と…まぁもう14年も前か。」
「パリパスの子どもの日の儀って確か……えっ!?」
バジリオ、おまえまさか…と信じたくない事実が発覚したようにストロールの口が動く。
「年上!?」
「アンタ年下だったのかよ!?見えねぇー!!」
「なんだよ!老けてるって言いたいのか!?」
「なんでだよ、つかアンタも自分が年長者だと思ってたんだろ!?」
頭を打たれたようなショックで放心している彼には聞こえないぐらいの小さな声で呟く。
「としした……とししたなのか……………」
沈みかけの太陽が優しく反射したふわふわの髪も、カールしたまつ毛もなんだか急に愛おしく見えてきた。
それはきっと年下、だから。