『夏祭り』シンク掃除を終え、エプロンを脱ぎ長方形に折り畳み近くの椅子に掛けて時計をチラリと見る。時刻は19時を過ぎた頃だった。
「あー!ちょっとユミピコ!!今のは卑怯だぞー!ふざけんな、死んだじゃんか!」
「…頭が高いぞ。神に対する信仰が足りないからだ」
「ねえー天堂さん、次僕と勝負しよう!」
テレビゲームに夢中になる3人にオレは声を掛ける。
「…ちょっと買い出し行ってくるわ」
車のキーを持って家を出る準備をしていると先程までゲームに夢中だった3人がにやりとこちらを振り返った。
「……愛だね!」
「…愛だな!」
「…ああ、愛だな」
「うっせ!買い出しって言ってんだろーが!!」
車のキーを弄りながらオレは反論の声を上げる。
「まぁ、なんでもいいけど明日の朝までには帰ってきてね〜」
「ほどほどにな、ケイイチ君」
「神は許そう、そこに愛があるのだから」
「テメェら…それ以上言うとデザート抜きにすっぞ!」
そう告げると知らん顔してゲームに戻る3人。オレは、事前に用意していた水筒を2本小さい手提げバックに入れて家を出る。後ろで「僕、チョコアイスー!」「エナドリ2本」「キャラメルラテ」と聞こえたが返事はしないようにしていた。
家を出るとムシムシとした纏わり付く空気と僅かな硝煙の香り。車の助手席に手提げバックを放り込み運転席へと乗り込む。
「遠回りすっから…急ぐか」
そう呟きエンジンをかけて車を走らせた。
◆◆◆◆◆◆
車を走らせ暫くして、赤信号で停車をする。
何気なく見た横断歩道を渡る人々は浴衣や甚平に身を包む。その上──空には花が咲いていた。
「おー、今のはデカかったな」
あいつの所からも見えっかな、なんて。
そんな事を思いながら、信号は青になり再びアクセルを踏んだ。
それは数日前のこと。
「えっー!!村雨さん来れないの?!」
焼きたてのクッキーに夢中だった真経津はその日一番の大きい声を上げた。クッキーをボロボロとテーブルに落としながら。
「…私はあなたと違って忙しい。その日は人員が少ないため応援で呼ばれている。なので私はその日は参加できない」
また夏祭りに行こうという真経津の提案。それを村雨は仕事が入っていたようで断っていた。
「はー?レイジ君来ないとかマジで萎え」
「有給にしろ。だがしかし、人の子を助ける善行は褒めてやろう」
「あなた達だけで行け。それに態々人混みに行く必要もよく分からない。おまけに去年のようにマヌケ神に神輿を担がされたくないので」
「なんだと?信仰が足りないのではないか、村雨」
そう村雨は言うと、チョコクッキーを口に含む。
「じゃあ…行かない!村雨さんがいないなら行かない〜」
「だな、また今度にするか」
「ああ、夏は長い」
オレは驚いて追加で焼いたクッキーの皿をテーブルに置く手が一瞬止まる。
「……好きにしろ」
「んじゃ、オレの家で焼きそばでも作るか」
「獅子神さんの焼きそば!いいね!僕この間鉄板買ったんだよね〜御手洗くんとお好み焼き屋さんごっこしたから!あ!わたあめ機もあるよー!」
「オレの家はゴミ置き場じゃねえんだが?」
「んじゃ、その日はケイイチ君ちに集合な!」
「神はたこ焼きを所望する」
「だから村雨さん、また今度行こうね!」
「……そうか」
───俺が一番驚いたのはあいつの顔だった。
「…はっ、ちょっと嬉しそうな顔しやがって」
『見る目』があいつらより未熟なオレでも分かる。あいつの嬉しそうな反応。
そんなあいつをオレは迎えに行く。夏祭り会場とは反対の道を行く。こっそり行くつもりがあいつらにはバレバレで。結局オレはまだまだあいつらには敵わないけど。
ドンドンと打ち上がる空の花の音と共に響く心臓の音。
自然と先程よりアクセルを深く踏んだ。
…にしても今日はとても暑い。
車内を23℃に設定し、駐車場に車を止めて連絡を入れてあいつを待つ。なんとなくつけたラジオ番組。その番組内で流れた名も知らないピアノの曲。音量を少し上げた。夏の夜には似合わない曲だった。しっとりとして、なんだか時間がゆっくりになった気がした。
そんな事を思いながら待つこと数十分、あいつが少し小走りで車に向かってきた。
オレは車内からそっと手を振る。
ガチャっと、助手席の扉が開くと同時に助手席に置いていた手提げバックをよせた。
「おう、お疲れ様」
「……あなたは…」
ふぅ、と村雨はため息を小さく吐くと乗り込みシートベルトを締めた。
シートベルトを締めたのを確認するとオレは車を走らせる。
走らせて暫くの間、静かな時間が通り過ぎた。
ラジオから流れる曲も夜にあわせて更にしっとりとした曲となる。
夏祭りももうとうに終わって、空を彩っていた花も今はもうない。赤信号で止まれば、歩道には遊び疲れた子供をおんぶする親や、きらきら光るか玩具をつけ楽しそうに帰る学生。少し着崩れた浴衣で歩くカップル。まだあるのは僅かに車内にも香る硝煙の香りと隣に座る恋人から香る消毒液の香り。
「あーこれ。天堂から貰ったハーブティーだ。疲れに効いてよく眠れるらしい。前に飲んだけど美味かったから。つめてぇのが良いだろうと氷別に持ってきた。薄くなるからな」
そう言って助手席にいる村雨に2本の水筒が入った手提げバックを渡した。
それを渡すと再び村雨は小さく息を吐いた。
「……マヌケめ」
肘置きに頬杖をついて、手提げバックの中身を大切に抱えながらそう呟く。
「…遅くなると私は言ったが?」
「疲れると思うから運転は控えるってタクシーで行くとも言ってたからな。まぁ、買い出しのついでだ」
「はぁ、どうだか。…まぁ、でも」
「──ご苦労」
「はっ、それはお前自身に言ってやれよ」
「ふんっ、全くだ。本当に今日は疲れた」
渡した水筒を開けて、蓋がコップとなっているところに氷を入れハーブティーを注ぐ。
車内には優しいハーブティーの香りも追加された。
「このクソ暑い中よく人混みに行くものだ。考えられんな。お陰様で院内は熱中症患者と怪我人でお祭り騒ぎであった。フフフッ、夏祭りだけにな」
何が面白いのか一人で自分の言ったことに笑っている。相変わらず笑いのツボはよく分からない。
「そう言うオメー去年楽しんでたじゃねーかよ」
「あの地獄の神輿担ぎのことを言っているのか?笑えない冗談だな」
…その前に散々楽しんでたことには触れないのな。
「…それよりあのマヌケ達はどうしている」
飲み終わったハーブティー。水筒を丁寧にしまって肘置きにもたれ掛かりながらそう呟く。
「あ?真経津達?今はテキトーに飯でも食ってんじゃねえーか?やれ焼きそばだ、たこ焼きだ、お好み焼きだうるせぇから全部作ってきたわ」
「は??」
「あ?なに」
「あなた、全部作ったのか…?」
「あー?まあな。大体材料一緒だしな。あとは真経津が持ってきた綿菓子機でわたあめとフルーツ飴とかかな」
「あーそうそう、オメーがヨーヨー釣りとか去年言ってたからプール用意してそこにヨーヨー浮かべんのが一番キツかった。来年はなしでいいか?」
「…あなた…」
「あ?なんだよ。来年もやりてーなら…」
「どうしようもないマヌケだな」
「はぁ!?」
「いいか、一度育てると決めたなら責任を持って育てなくてはならない。分かっているのか?」
「まるでペットみたいに言うんじゃねーよ…」
「あなたが作ったのだ。あなたが甘やかすからあのマヌケ共は何もできなくなる。責任は取れ」
「そういうお前もそこに入ってること忘れるなよ?」
「…私が?」
「焼きそば食わなくていいんだな?」
「それとこれとは話が別だ」
「何が別だ」
そんなくだらない会話をしながらオレは冷房の温度を少し上げる。もう既に車内はキンキンに冷えていた。
「そんなに祭りがしたかったのなら行けば良かっただろう」
そう窓の外を見ている村雨は問う。
今度はオレが小さく息を吐いた。
「オメーが居ねえからだろ」
そうオレが言うと、村雨は視線だけ俺の方を見た。
「……そうか」
そう一言。
だがそれだけでオレには充分だった。
村雨はラジオから流れてくるピアノの曲に合わせて僅かに足でリズムを刻む。小さく鼻歌をしている気もした。
この曲のタイトルは何というのだろうか。
村雨は知っているのだろうか。好きなのだろうか。
今度聞いてみよう、そう思う。
そんななんでもない時間がとても心地よいと思えた。
そしてまた赤信号で車は止まる。
今日はよく赤信号に捕まる。まるで俺の心がそうしているかのように。
もう少し──。
そう、もう少しだけ───。
……この時間が続けばいいのにと。
「なぁ、村雨」
「──なんっ……」
俺の呼びかけに反応した村雨に、オレは目一杯近寄って村雨を引き寄せた。ふわりと香るハーブティーの香り。……そして掠めるようなキスをした。
時間で言えば3秒くらい。そんな短いキスをした。
「……なんの真似だ」
不満そうに垂れた眉を寄せて抗議する。
「……あー、そういや今日の花火、デカイやつあったよな。見たか?オメーも」
「聞こえなかったか?なんの真似だと聞いている」
「うるせぇな。して欲しそうな顔してたから」
「何故?」
「だー!うるせぇ、うるせぇ。オレ以外のことで嬉しそうにしてだろーが」
「……なるほど」
「だからといって急にする理由にはならない。大体運転に集中してくれ」
「わーったよ、はいはいオレが悪かったよ」
「……キスは一々許可とるモンでもねぇつーの」
「……あなたも私以外に甘やかしてるがな」
そう呟いてまた村雨は窓の外を見つめていた。
引き続き機嫌が良いのかピアノの音に合わせてリズムを刻んでいた。
危なかった。青信号になり発進させたばかりなのに急ブレーキをかけるところだった。オレじゃなかったら多分危なかった。グッと理性と闘いながらアクセルを踏む。
赤信号が青信号に変わる際、村雨の顔が照らされる。青白い肌が赤から黄色そして青に……その姿はとても綺麗だった。きっと夜空の花の下ならもっと美しいだろう、そう思う。
「……来年は行こうな、夏祭り」
「はっ、あなたが来年の約束をするのか?来年でしかも約束というもの自体我々には不釣り合いであるというのに?」
「だからだよ」
「不釣り合いだか知らねえが、だからこそ今すんだよ」
「……」
数秒俺の方を見つめていた村雨はゆっくりと口づけした口元を緩め「いいだろう」と呟いた。
「約束一つであなたの手綱を一時の間握れるのだからな。……フッ、悪くない」
「……約束しよう」
「ああ、約束だ。来年こそは──」
「あなたと、あなた達と──」
蒸し暑い夏の夜。未来に一つ約束をして。
「…ところで、獅子神」
「うん?」
「コンビニに寄ってくれ」
「?いいけど…何か買うのか?」
「まだあるか分からんが…『夏祭り』には花火が必要だろう?そのための花火を買う』
真経津達を思い、そう言って子供っぽく笑う村雨は、夏の夜に相応しく儚げで美しかった。
「そういやチョコアイスにエナドリにキャラメルラテだったな。忘れてた」
「なら、そこにいちごパフェも追加しろ」
「食ったら歯ちゃんと磨けよ…。あと、ネズミ花火とかは買うなよ!あいつら余計なことしそうだから!!俺の庭が火事になる!」
───嗚呼、夏の夜はまだまだ長い。