尊いって、呟きたいっ! ライブ本番前、慣れない新人スタッフの男が人の間をぬい自分に課せられた仕事を慌ただしくこなしていた。彼の担当はリーダーの澄野とギターの面影のサポートだ。
「澄野さん、面影さん!リハお疲れ様っす!こちら水とタオルです!!」
二人はスタッフから受け取ったタオルで汗を拭きながら水を2人は美味しそうに飲み干していった。
「リハ、ちょっと俺ら熱くなってたから助かった!」
リーダーである澄野からお礼を言われ、スタッフの男は嬉しさで舞い上がる。バンドグループ、『ハンドレッドライン』、通称ハンドラ。リーダーである澄野拓海の満面の笑みはこちらまで元気を貰えるほど眩しい。口元を開けながら笑う笑顔は愛らしいのに、いざ歌い始めると力強く引き込まれ圧倒される。そのギャップが特に女性ファンの間では人気だ。
「冷たすぎず、ぬる過ぎず…飲みやすくて有難いねぇ。ありがとう、新人くん?」
「え!あっ、あざっす!!!」
「ふふっ」
そして何か意味ありげに笑いかけてくるのはギターの面影歪。眼帯をつけ、どこか掴みどころのないミステリアスな人だ。長い指で紡ぎ出されるギター音は、正に音の色気とでも言うべきだろう。音が乗り段々と恍惚の表情をみせていく様はファンの間では「歩く18禁」とまで言われている。一度惹き込まれたら戻れない、そんな危うい魅力が面影にはあった。
そしてこの新人スタッフの彼もまた、その危うさに惹き込まれた人間の一人だった。
(リーダーの澄野もカッケェけどやっぱ……)
チラリと面影の方をみれば目が合い微笑まれてしまう。視線一つで心臓が鷲掴みされ、鼓動が僅かに速まる。
「新人くん、カワイイねえ…ちょっと解剖させてくれないかな?」
「か、かいぼっ…!?」
「痛くしないから、ね♡」
「あっ、うっ…俺、そのっっっ」
面影になら何をされても、そんなことを思っていると呆れたように澄野が面影を遮った。
「面影、新人をからかうなよ…コイツの言うことは真に受けなくていいからな?」
「う、うっす…!」
面影の解剖発言はファンの間では有名なやりとりだ。それを実際に自分に向けて言われたことが卒倒しそうなほど嬉しかった。今すぐにでもSNSで呟き叫びだしたい。
(ほ、本物の解剖発言っ!やっべ、めちゃくちゃ嬉しいっ)
ずっと二人と話していたいが無常にもライブの時間が迫ってきている。いちファンとしてもこれ以上二人の時間を奪うわけにいかない。
「えっと…澄野さん面影さん。その、今日のライブ…応援してるっす!頑張ってくだひゃい!!」
力んで思いっきり噛んでしまった彼に、二人は笑顔で応えた。
「勿論だ!今日も最高のステージにするからな!!」
「ふふっ、応援ありがとう。全力で殺るからね♡」
二人が楽屋へと戻るのを見届けていると別のスタッフの声が聞こえてきた。
「ステージ、間もなく開場するんで客入りはじめまーす!」
ハッ、と新人の男は我に帰り慌ただしく仕事へと戻っていく。
「ひ、控えめにいっても神だった……!」
ライブが終わり後片付けをしながら、その余韻に酔い思わず声が漏れてしまう。今日のハンドラのライブも最高に盛り上がりを見せ、会場は歓声の嵐だった。ファンの声援に熱く応え、会場が一体になっていく様は言葉に出来ないくらいの興奮だった。
(こんな、素晴らしすぎるライブにスタッフとして関われるなんて……)
「幸せすぎる……」
「キョッキョッキョ~!サンキュー、新人くーん!!」
「え……ええっ?!」
うっとりとライブの余韻に浸っていたところで急に声をかけられた。しかも、バンドメンバー本人である飴宮にだ。
「あ、めみっやさっん!オッツァカレさまっす!!」
「イェーイ、おっつおっつ~!」
(新人の俺にも声かけてくれるなんて……)
ライブの余韻とメンバーから声をかけられたことで舞い上がっていると突然爆弾を投下された。
「ねえねえ、新人クンはさあ…ズバリ、歪推しでしょ?しかも……」
ニィ、と飴宮は楽しげに笑う。
「歪のこと、えろい目で見てるでしょ?」
「ふぇ?」
突然のことに情けない言葉が出てしまった。
「だって、新人クン。ずぅうっと歪のこと見てたかんね〜。顔、真っ赤にしてさー。歪が脱いでるとこ、エロゲのイベントシーンを舐め回すようにみてる時とおんなじ顔してたじゃーん!」
「えっ、あうっ…そんなこと……」
ない、とは言えなかった。普段はきっちりと着込まれている面影の和装が、ライブのときに段々とはだけていくのはもはや定番となっていた。いかにメンバーの目を掻い潜り『おはだけ』をしていくパフォーマンスは面影の代名詞と言っていい。ゆっくり、時に大胆に。そして、メンバーに怒られる。特に、リーダーである澄野から怒られている時の面影は実に楽しそうだった。
そんなやりとりを、羨ましいと思う気持ちが…あるにはある。
「ニシシシ、そーんな新人クンにはいいもん見せちゃうよー」
「ひゃえっっ?いいものっ…???」
楽しそうに笑う飴宮に手を取られ、廊下を駆けていくのを他のメンバーが見送っていた。
「あー、また新人さんが連れてかれたみたいだねー」
「そうっすねー。いつもの覚悟しとくっすかねー」
「新人くん失恋記念日?」
「いつものことだけど…ほどほどにね?」
「恋に障害はつきものだけど…障害がちょっと大きすぎるよね」
その場にいたメンバーと他のスタッフは全員苦笑いをしていた。
「ニッシシシシ…ここ!」
飴宮に手を引かれてやってきったのは、澄野の楽屋だった。
「拓海ー!入るよー!!」
返事を聞かずに飴宮が楽屋へとずかずかと入っていった。そこには澄野の他に面影もいた。楽屋で談笑中だったであろう二人は飴宮に驚きこちらを見る。
「飴宮!お前はいっつも前ぶりもなく入ってくるな!着替えてたらどうするんだよ!!」
「えー?別によくない?拓海が真っ裸でも怠美は平気だしー。なんならSNSにあげてあげよっか〜?バズリ間違いナーシ!!」
イエーイ、と実に楽しそうに飴宮は笑った。
「やめろぉっ!それはバズリじゃなくて炎上だぁー!!!」
澄野の叫ぶようなツッコミが楽屋に響いていく。
「おおっ!これが、澄野さんの生ツッコミ」
ツッコミに定評のある澄野の生ツッコミをみて彼は思わず感嘆の声をあげ拍手をしてしまう。
「んじゃ、ツッコミの匠を披露したところで」
「俺はそんな匠になった覚えはない!」
「ぷっ」
「んっふふふふふっ!」
華麗な二度目のツッコミに新人の彼も面影もつられて笑ってしまう。メンバー同士のこの賑やかなやりとりもハンドラの魅力だ。いつまでも見ていたくなるほど面白い。そんなことを思っていると、再び飴宮は爆弾を再投下してきた。
「なんということでしょー。実はこの新人クン……歪のガチ恋勢でーす」
「あははは……は?」
面影本人を目の前にし、突然暴露され思わず笑いが止まってしまう。先程までの楽しげな空気が一瞬にして凍った。
「面影に、ガチ恋…?」
「えっ、はひっ…えーと……」
「歪のこと、すんごいエロい目で見てたもんねー?」
「あ、飴宮さん?!」
「歪が脱いだ時、興奮してたもんねー?」
「飴宮さんっっ?!」
「お殺お殺♡嬉しいなあ〜」
面影は笑っているのに対し、澄野は全く笑っていなかった。ひりつくような視線でこちらを見てくるのは何故だろうか。
「ガチ恋っていうのは本当なのか?」
「え、えっとぉ……」
何故か好意を向けられた面影ではなく澄野の方が怒っているような気がする。
「ガチ恋っていうか…面影さん推しではあるっす…」
「面影のことをエロい目で見てたっていうのは?」
「ち、ちょっとだけ…面影さんが裸になるパフォーマンスする時に、その……」
もごもごと言葉に詰まってしまう。
「そうか……」
「…………」
(なんで、面影じゃなくて澄野が怒ってんの?!)
澄野とスタッフとのやりとりに、何故か飴宮は終始ニヤニヤと楽しそうに笑っていた。
「お前がガチ恋してるのは分かった…けどな」
澄野は一度言葉をきると面影の方へと一歩近づいた。そして顔を寄せるとそのまま面影の唇を奪った。
「えっ?」
驚き、呆気に取られている間も澄野はキスを止めなかった。角度を変えながら何度も何度も面影の唇を奪っていく。次第に口づけは深くなっていき、とうとう澄野の舌先が面影の口腔内へと侵入していくのが見えた。艶めかしい紅がぬらぬらと見え隠れし踊っている。ピチャ、といやらしい水音が静かな部屋に響いていった。
「んっ、んぁっ…んっんっ……んんっ♡」
澄野からの獰猛な口付けに、面影は段々と恍惚の表情を浮かべていく。舌先がぬらりと絡み、踊る。そのたびに面影からは濡れた吐息が漏れていった。漏れた吐息が色を帯び、艶やかで興奮を煽る。心做しか、面影の腰が少し揺れているような気がするのは気の所為だろうか?
「やっば、やっぱり歪えっろ」
(やっぱり?え、じゃあいつもこの二人って人前でこんなえっろいチューしてんの!?)
眼の前で行われている情熱的な口づけに、彼の頭の中は大混乱だった。心臓が早鐘をうち、身体は興奮の熱に冒されていく。わけがわからないのに、目が離せない。
澄野が一度深く面影の唇へ喰らいつくと、ゆっくりと舌をだしながら離れていった。二人の間を銀糸のいとが紡ぐのが見え、それすらも興奮の材料となっていく。
「ふふ、澄野くんたら…二人が見てるのに大胆だね♡」
「…見られるの好きなくせに」
時間にして数秒。だというのに永遠のような長さすら感じた。自分はいったい何を見せられたのだ?
「見て分かったと思うけど…俺と面影、お互いガチ恋同士だから」
噂は確かにあった。ライブ中にお互いが近いこともしょっちゅうだ。だが、噂以上のものは聞いたことが無く確信をもつには至らなかった。
それが、どうか。今、目の前で澄野は面影を……ともすればそれ以上のことも、と想像してしまう。
「ガチ…恋」
「俺は本気で面影のことが好きだ」
「私もだよ、澄野くん」
眼の前でお互いを熱く見つめあう澄野と面影に、今まで感じたことがない気持ちがうまれていく。ずっと見ていたいような、でも自分はここにいてはいけないような。
「だから、面影のことは諦めてくれ」
ふっ、と澄野が笑った。その瞳にはどこか何者をも寄せ付けない力強さを感じた。普段屈託なく笑う澄野からは想像も出来ない、雄々しい逞しさがそこにはあった。
「あ、はい…お二人のガチ恋をいつまでも見守っています」
「ありがとう、新人くん。ああ、でも私と澄野くんのことはSNSとかでは出来れば言わないで欲しいな」
「いつか、ちゃんと発表するつもりではあるんだけど、タイミングがな」
少しだけ照れくさそうに笑う顔は、すっかりいつもの澄野に戻っていた。
「怠美が『リア充、爆発しろー!』って投稿しちゃう〜?バズリ間違いなーし!」
「だから、それはバズりじゃなくて炎上だって言ってんだろぉーーーー!!!」
澄野のツッコミの叫びに楽屋が再び笑いに包まれていった。
「じゃ、おつかれっしたー!」
澄野、面影、飴宮に挨拶をしスタッフの彼は楽屋を後にした。彼は先程経験してしまったことを反芻する。
重なる唇。深くなっていく口づけ。唇が合わさるたびに恍惚とした表情を浮かべながら濡れた吐息を漏らす面影。ぬらりと紅く踊り絡み合う舌。
(澄野と面影のチュー見ちゃった…しかもえっちなやつ…めちゃくちゃエロかったな…)
楽屋を後にしても、まだ心臓がドキドキとし止まらなかった。あんな熱烈なやりとりは一生忘れられそうにない。
(澄野と面影の、ガチ恋……)
お互いを見つめる視線は熱く、そして愛おしさすら感じた。あの二人の邪魔をしてはいけない。いつまでも見ていたい気持ちと、二人の空間を邪魔したくないという相反する気持ちがある。そして心の何処かがギュウッと締め付けられるような、えも言えない感情が彼の頭を占めていた。二人を崇め奉りたい。
(なんか…なんて言えばいいんだ、この気持ち!)
自分の感情に名前をつけられないまま、彼はスマホをとりだした。何か呟かないと気持ちがおさまりそうもなかった。
二人のことは直接名前を出さずに、何かこの感情を叫べないものか……
『推しが、最高』 ──違う
『推しがいて幸せ』 ──違う
『推しを崇めたい』 ──ちょっと近いか?
「あっ!分かった…!」
彼はSNSの自身のアカウントを開くと、興奮気味に打ち込んだ。
『推しが、尊い!!!』
自身の投稿に満足気に笑い、彼は仕事へと戻っていった。