こひつじ吸い目を疑った。
ほとんど寝ずにとある異端を審問した帰り道。草臥れた体を引きずって宿に戻ろうと、聖堂騎士の詰所前を通りすがったときのこと。

そこに居たのはふわふわもこもこの着ぐるみに身を包んだ"子羊くん"。それは確かにこの世に存在しているようだ。
なぜなら、もうこの腕の中にふわふわとした手触りはあるのだから……


◇◇◇


「……あの、テメノスさん」
「すぅ～……」
「テメノスさん……？」
「ふぅ～……」
「テメノス･ミストラル異端審問官殿」
「……なんですか」

何度目かの呼び掛けにようやく応えたその人、テメノス･ミストラルは双眸の下に濃いくまをこさえて人の胸毛を吸っている。
いや、人聞きが悪い。今この羊を模倣した姿である理由は催事であり、新人騎士は例年この姿で行うのが通過儀礼となっていた。断じて自らの意思ではない事をここに主張したい。

ふわふわもこもことして柔らかく、本物の羊毛から作られた衣装を身にまとって道行く者に菓子を渡す。表向きはただそれだけ。理由の多くは後暗い金を持て余した者たちからの寄付を受け取り、それを菓子に変えてばら撒くというなんとも大人の事情が絡みまくる黒寄りのグレーな催しだった。
そういった事情を知るよしもない新人騎士がこの末端にいるのは至極当然と言えば当然だった。

なぜこんな事情を知っているのかと問われれば、目の前で"子羊吸い"を堪能する張本人が、現在進行形で話しているからである。

「……ですから、こう言ったんです。おやおや、それはご苦労なことです。もう志を同じくする方はあなたを売って釈放されてますよ……とね。そしたら……」

長い。長すぎる。小一時間どころではない。
目立つ場所でひっついたまま炎の中に消えてしまったこの人を連れて与えられた個室まできたのはいいものの、思いの外強い力でしがみつかれ、引き剥がすこともままならないまま今に至る。
困惑したのは最初だけ、次第に外回りの疲労とこの人の長い愚痴で睡魔が襲ってくる。着替えたいのにこの人が離してくれないから。

もうこのまま寝てしまおうか。瞼がとろりと落ちて、無意識に目の前の人を抱きしめる。羊毛越しに華奢な人がびくんと跳ねて、それも一緒に閉じ込めた。考えることを放棄して、共にベッドに寝転ぶ。

「もう限界……おやすみなさい、テメノスさん」


翌朝、腕の中ですやすやと寝息を立てるこの人に驚いてベッドから転げ落ちたのは言うまでもない。


END