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    ETUDE世界線。クロスの師匠と、師匠に激重感情抱いてるクロスの話。師匠≠クロスなのでややこしい。ごめん。

    「ねぇ師匠、ご飯作ってくださいよ」 樫のテーブルにぐでんとうつ伏せ、天板に頬をくっつける。唐突に来訪してそんな無茶振りをかました俺に、師は「えぇ? 俺が?」と困ったように肩を竦めたものの、やがてはぁぁと小さなため息をついた。
    「俺が食べるやつの余りでもいい?」
    「いいです」
    「きみが殊勝だとなんだか調子が狂うな」と苦笑しながら、師は真白の服を汚さぬようエプロンを付けて台所に立つ。普段は何もかも浮世離れしているのに、ふとしたところで見せるこの人の庶民的なところが、俺はなんだか好きだったりする。
     そもそもこの人が台所に立つ姿を見られる人間がどのくらいいるのだろう。何もかもを他者から捧げられるに足るとくべつな人。指一本、爪の半分、睫毛の先まで宝飾品を飾り付けられるに相応しいほどうつくしいこの人が、実は割と自炊をする人だったりとか、自分で食べる分は粗食でも構わなかったりだとか。そんな些細なことを知っているのは果たしてどれくらいいるのだろう。
     軽やかな音が聞こえる。包丁が食材を押し切る音。包丁はどこか手入れが甘く、自重だけでは切り切れぬのか、包丁の峰に左の手を添えては緩く勢いを付けている。
     丸くなった刃を研ぐのは内弟子の役目だった。研ぐだけではない、食事の支度は専ら弟子の──俺の役目であった。
     この人の大切になりたかった。だから弟子としてこの人の心に居座った。それが一番の策だと思った。時に無神経な振りをして、時に傷ついた顔をして、人間としては長い時間を共に過ごしてきた。
     この人の心の水深の、いっとう深い部分に居させてもらっている自覚がある。まだまだ底は見えなくて、もう呼吸も保たず寒さに凍える水中は、それでも存在の赦しを俺に与えてくれる。だからという訳ではないけれど、俺も心の奥の奥に、この人の座る席を用意しておくのだ。とびきり上等な革張りのソファを。
     だのにこの人は、自分がそんな上等な椅子をご用意されている自覚がまったくないものだから、踏み込んでいいのだと開け放している扉の玄関口で、靴棚をぼんやり見つめている。あるいは姿見。そして「きみの家に入る作法がわからんから、俺はここで待っているよ」とほんのり微笑み去って行くのだ。
     オリーブオイルとニンニクが香る。ぱちりぱちりと油が弾け、一音ごとにオイルに香りが移っていく。何を作るにも定番の味付け。キッチンからこぼれた温もりが、じんわりと室内を満たしていく。
     この人は他人の素顔を暴かない。お出かけ用にあつらえた清潔な服、梳り撫でた髪、整えた髭、選んだ帽子、慣れた靴。他人があなたに見せたい姿だけを見、あなたに見せたいわたしだけを受け取ろうとする。何より誰よりこの人が、わたしに見せたいあなただけを受け取ってほしいから。
     この人は他人の事情を勘繰らない。今だって、俺が聞いてほしくない素振りを出せばすぐに引いた。あなたのご飯を食べたい理由も、この寒空の下に連絡なしで訪れた理由も、普段の煙草まじないを纏わせていない理由も、俺は何一つとしてあなたに教えちゃいないのに。それでもあなたは俺のために扉を開けるし、部屋の中に招き入れるし、食事だって出してくれるのだ。
     だから俺も、あなたが見てほしいあなただけを受け取って、俺が見てほしい俺だけを差し出します。俺もまだ、あなたの席だけはひとまず用意したものの、それでもあなたに打ち明けるのは怖いから。
     臆病なところがよく似た師弟だと、そう言えばあなたは怒るでしょうか? 臆病さの欠片も滲ませない、俺の普段の傍若無人な行いを論って批判するでしょうか? いやきっと「口ばっか達者になりよって、この馬鹿弟子が」と頬を緩めて肩を落とすのでしょう。自分が臆病なことは、きっと否定しないのでしょう。
     あなたの弟子で居られるこの位置がいい。あなたの子供でいられるこの地位がいい。親友でも恋人でもないこの距離が、踏み込みすぎない仮初の平和を維持している。
     フライパンの中で、野菜が炒まる軽やかな音。同時に師の鼻歌も。俺、その曲知りません。聞き覚えのない曲を、それでも直接尋ねることはできなくて、耳で捕らえた曲調から必死に曲の出身を探している。
     決して外れない楔を探していた。迷った時の寄るべとなる灯火を。行く先を指し示す導の星を。探して、結果あなたに行き着いた。崇拝、打算、魂胆、畏敬。ねぇ師匠、あなたちょっと馬鹿だと思います。俺の腹ン中なんにも知らないまま、俺のこと弟子にして。お人好しが過ぎるんじゃないですかね。
     あなたに告げた経歴、人生、何もかも実は嘘なんですと告げたら、あなたはどんな顔をするでしょう。一欠片のほんとうと、大鍋いっぱいのごまかしを混ぜ合わせて作ったチョコレートを、俺の名前のプレートに盛り付けて。俺の腹を裂けばきっと、嘘ばっかりが溢れてくる。でも、ねぇ、師匠。あなたはきっと、俺の嘘にまみれたはらわたの中から、小指の爪の先ほどの本当を見つけ出してくれるはず。心なんてもの、人体のどこを探したって見つかりゃしませんが。でもあなたが拾い上げた本当を、俺は心と名付けてみせますよ。
     協力者マザーが身体を貫き地に繋ぎ止める脊椎であるならば、この人は歩みの支えとなる杖のようなものだろう。歩いて行く友であるこの杖が、本当は替えの効くものであることを俺は知っている。それでもこれが良いのだと、これでないと嫌なのだと。この人はだから、目一杯の我儘を詰め込んだ俺の『唯一』であるのだ。子供じみた俺の執着を向けてもいいと思える唯一の人なのだ。
     俺の骨を拾ってくれる人を探していた。俺を看取ってくれる人が欲しかった。このぐちゃぐちゃで狂った世界の中、確かな一人を探してあなたに行き着いた。
     世界のあわいに墜ちたひと。どちらの世界の住人にもなれないまま、そぐわない片側の世界に生きねばならないかわいそうなひと。
     ねぇ、師匠。俺の墓はいりません。どうせ死体が残るような死に方はしないでしょう。ただ憶えていてくれるだけでいい。長い長い記憶のほんの片隅に仕舞っておいてくれるだけでいい。時折埃を払って、眺めていてくれるだけでいい。──いや、いや、いや。それも全部嘘、嘘なんです。
     俺を綺麗な思い出にしないでください。こんな奴がいたんだと、誰かに笑って語らないで。俺を思い出すたびに、傷の鋭利な痛みと凍えを味わって。痛々しい傷痕を怪我のままにしておいて。皮膚を割るその傷に這わせた指で、肉を掻き分け骨に達するほどの痛みを。じくじくと痛み苛む苦しみを。全てをあなたに与えたい。
     どうか俺の死に傷付いてください。喪失感に打ちのめされてください。その先の人生ずっと、俺の死を引きずってください。
     ──そうじゃないと俺の心が浮かばれない。
     その時、場違いなほどに明るい鼻歌を唄いながら、師が鍋とフライパンを持ってきた。有無を言わさずテーブルの隙間にあつあつのそれらを捩じ込んでくるので、俺は慌てて伏せていた顔を上げ場所を作る。
    「さ、出来たぞ。なぁきみ、食事の時くらい帽子を取ったらどうだ? ほら立って、外套も預かってやるから」
     師に言われ、そう言えばと頭に手をやった。帽子をまだ被っていたことも、外套を着たままなことにも、何一つとして気付いていなかった。
     ノロノロと立ち上がり外套を脱ぐ。その間に師は皿を並べカトラリーを準備していた。俺が椅子を引き腰掛けるのと同時に、師はよそった椀を手渡してくる。温かい。
     鼻腔をくすぐるのは、ミネストローネのトマトの香り。俺は木のスプーンを手に取ると、軽くかき混ぜ口に運んだ。
     喉を滑り落ちた温もりが、冷え切った身体に仄かな熱を灯す。柔らかく煮込まれた野菜や豆の素朴な味わいに、何故かどうしようもなく、絡まった心の糸がほどける心地になる。
     フライパンには厚焼きのトルティージャが湯気を立てていて、俺がじっと見つめていれば、師はおもむろにナイフを手に取りすぅっと十字に滑らせた。切り分けた一切れを皿に乗せ、俺の前にそっと置く。
     導かれるようにフォークでトルティージャの端を崩すと、突き刺して口に放り込んだ。噛み締めるごとに味わいが広がり、歯応えの違うジャガイモとパプリカの食感が、脳に快楽の信号を伝えてくる。
    「どう、美味い?」
     にこにこと微笑んだ師が、俺に味の感想を強請る。肯定的な意見しか受け取らんぞという意志が垣間見えるその瞳に、どうしてだか天邪鬼な精神が刺激されてしまって、俺は「……良くも悪くも、アンタの料理は大味なんですよね」と憎まれ口を叩いた。
    「何よりまず繊細さが足りない。具材の大きさは揃ってないし、火の通りもバラバラだし、具材は順番考えずに切ったそばから煮込んでいくし。店の味には遠く及ばねぇっすね。あと全体の総量に具の量が合ってないの、何も考えずに水足したのバレバレですから」
    「大味で結構。このくらいが、きみの馬鹿になった舌に丁度良いだろう?」
     ケラケラと笑みを零した師は「きみ、やっと笑ってくれたなぁ」と目を細めた。
    「どこかずっと思い詰めているような、なんか辛気臭い寒そうな顔してたからよ。腹が減るとどうしようもなく気が滅入るもんなぁ。どう、少しはあったまったか?」
     師の両眼に嵌る、琥珀をとろりと溶かしたようなアンバーの瞳は、室内の柔らかな灯が映り込み、仄かに赤みを帯びていた。
     喉奥で小さな声が引っかかる。かろうじて頷き、左の手を握り締めた。
     ──暖かい。
     指先までの神経のつながりを感じる。身に覚えの無い指先の温もりを、それでも静かに握り込んだ。
     いつの間に空にしたのか、碗にお代わりのスープを注ぎながら、師は軽やかに口ずさむ。
    「本当に美味いのが食いたくなった時には外に行くさ。何事もほどほどでいいんだよ。で、どう? 美味かった?」
    「……ハイ、美味しかったです。あと、いきなり押しかけてすみません」
    「なんだ、今日は随分殊勝で健気で素直だな」
    「何を。俺はいつも殊勝で健気で素直です」
    「よく言うよ。あ、バゲット取って」
    「ハイ」
     世界を跳ね返す真白の人よ。何があっても色に染まれぬさみしい人よ。太陽光の七色に混じれぬかわいそうな人よ。
     それでもあなたの一筋の月光のような優しさが、俺の旅路を支えている。
     あなたのままのあなたがいい。
     あなただったらなんでもいい。
     ただ、傍にいさせてください。そこに居ることを赦してください。

     どうか、どうか、可惜夜あたらよのあなたよ。
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