雨の日のピタアロ2「さぁ、かかってこい!お前の弱点はもう分かっている!」
劇場全体に男の勇ましい声が響き渡る。最後尾に座っている私にもハッキリと聞こえるまさにエンターテイナーの声だ。黒皮のロングコートを着た濃いメイクのその男が、毛むくじゃらの何かにとどめを刺そうとしていた。
この男、ピーター・ヴィンセントはラスベガスでは有名な舞台俳優で数年前まではヴァンパイアキラーとして名を馳せていたが、今ではこのミラノの地でライカン(狼人間)をハントしそこそこの人気を得ているらしい。
どうやらこの街のライカン達は腹を切り付けられると即死のようで、ピーターのわざとらしい可憐なナイフ捌きにより無事退治されたようだ。
実物の彼らもこれくらい素直にやられてくれればいいものを…と田舎町に住まう忌々しい狼一族のことを考えていると、客席からショーの終わりを告げる拍手が起こっていた。
クリスマスイブという事もあり、劇場は満員で子連れの一家やペアで来ている者も多い。
血の気が多いシーンが頻発するショーであるにも関わらず、出口に向かって歩いている少年は目を輝かせてピーターの勇姿を語っていた。今まで人間に対してそれほど感情的になる事は無かったが、その少年を見てピーターの少年時代を想像し物思いに耽る。
気がつけば観客は全て退場し劇場は空っぽになっていた。
特に気にする事もなく暗くなったステージをのんびりと眺めていると、舞台袖から衣装やメイクをそのままにライカンハンター改めピーターが目の前までやってきた。
「アロ!来てくれたんだな…!」
嬉しさが滲む軽やかな声と笑顔で心を読まなくとも気持ちが伝わってくる。それを自身が好意的に受け取り浮かれているのに気づき、足を組み替えて誤魔化した。
「劇場に来てくれたのは久々だな!…今日のデート、楽しみにしてた。」
「あぁ、相変わらず素晴らしいショーだったよピーター。是非とも私も狼退治を頼みたいところだ。」
そう言いつつ彼に右手を差し出すと、彼は当たり前のように私の手を取り客席から掬い上げた。
(狼退治…?アロの住んでいる地域には狼がいるのか?困ったな…野生動物の退治はネズミで精一杯なのに…)
同時に流れ込んできたピーターの心の声に思わず笑みが溢れた。
「おい、笑うな!読んでるのは分かってるぞ!くそっ…本当にネズミしか殺したことがないんだ!」
そう言ってこちらを睨みつける彼にまた可笑しくなり、声を出して笑った。まるでイタズラが成功した子供のようだ。なんと幼稚な…しかしピーターの側にいるとつい気を許し、人間のように心が揺さぶられるのだ。
最初は受け入れられなかったこの感情を心地よいと感じるようになり、いよいよカレン家のエドワードを責められなくなった。
ご機嫌なピーターは心を読まれた事を気にする様子もなく「少し待っててくれ、すぐ準備してくる」と言って足早にバックステージへ消えていった。
今日は人間の恋人同士のようにクリスマスデートとやらをするらしい。この後の事を考えてまた心が浮つくのを感じ、いよいよ口からため息が出た。
目の前にはカラフルな電飾に飾られたクリスマスツリー、周りには様々な屋台が所狭しと並んでいる。クリスマスマーケットに相応しく温かなシチューやホットワイン、クリスマスのためだけに作られたオブジェや工芸品など様々な物が売られている。人の数も多くすれ違うたびに肩が触れ合う。若いヴァンパイアであれば食欲に駆られ瞬時にこの辺り一体が血の海になっていただろう。そんな事を考えながらふと頭上を見上げると雲ひとつない夜空が広がっており、雨の気配は…しない。上機嫌な夜空に安堵し、側に立つ男女のカップルに意識を移した。2人は寄り添いながら目の前の大きなツリーを見上げ楽しげに笑っている。お互いの吐く吐息は白く、2人を優しく包んでいた。我々吸血鬼にとって食糧そのものの彼らに感情を揺さぶられている。滑稽だ。しかし面白い。
寒さを感じない身体だが、周りの人間のように冷えた指先を擦り合わせ鼻先をマフラーへ埋め吐息を吐く。白い息は、もちろん出ない。
すると遠目にこちらへ戻ってくるピーターの姿が見えた。黒いダッフルコートに落ち着いたダークブラウンのマフラー、いつも自由奔放に暴れている髪を珍しく後ろに流すようにセットしていた。彼らしくないシックな装いに改めて戸惑いつつも元来上品な装いを好んでいる私にとっては喜ばしい事だった。(普段のまとまっていない彼の髪も雛鳥のようで愛らしく気に入っているが、本人に伝えるつもりはない)
「アロ、待たせたな!」
そう言って白い息を吐きながら両手に持っているホットワインのひとつを私の方へ差し出してくる。何を言っているのか…と戸惑いながら彼の目を見上げる。
「…あぁ、感謝するよ。しかし知っているだろう、私に人間の食べ物は…」
「もちろん分かってる。だが温かいと感じるのは人間もヴァンパイアも一緒だ。それに匂いは感じる。だろ?」
そう言って少し強引に私にホットワインを持たせた。陶器のカップから伝わる温かさとワインの芳醇な香りにほぅと息を漏らす。満足気に私の様子を伺う彼を見て自然と口角が上がるのを感じた。
「さぁ、デートの続きをしよう!」
そう言って私の手を遠慮なく掴みそのまま自分のコートのポケットへ入れる。(喜んでくれて良かった。クリスマスを一緒に過ごせるなんて、今日は最高の日だ。…アロ、好きだ。)
流れ込んでくる彼の感情に突然愛を囁かれ、思わず目を見開き頬が熱くなる。私は少し悔しく思いながらも小さく笑った。
「今日はご機嫌だな?」
「ふふっ…もちろんだ!愛おしい者とデートをして嬉しくないわけがないよ、ピーター。」
彼の方へ顔を寄せながら甘えるような声で囁くと、ピーターはチェスナットブラウンの丸い目をキラキラさせながらこちらを見つめた。みるみる赤くなっていく彼の顔に仕返しが成功した事を確信し笑みを深めた。
互いの吐息がかかる距離で見つめ合い、時折ピーターの白くなった吐息が視界を掠める。
彼は一言も発していないが、繋いだままの手を通しておしゃべりな心がまた愛を伝えてくる。
私はホットワインより温まった彼の手を強く握り返した。