伏せ用スペース
1.膝枕
「…寝ちまったのか。全くお気楽な人だな」
その声に物憂げな様子はなく、髪を梳く手も止めない。目の錯覚かもしれないが、桐生の目には桐生が髪を撫でるように梳くと真島の表情が少しばかり和らいで見える。
「…き……ぅ……ちゃ…」
「ん、兄さん」
やりすぎたかと手を止めると、真島の色艶のいい手が物欲しそうに桐生の手を握る。
……起きてるのかと思ったがどうやら寝言のようだ。兄さんは…俺の名前を呼んだのか?
胸の奥で何かが焦げ付く。その焦げ付きが何かわからずに桐生はモヤモヤとした想いからか握られてる手とは別の手で真島に触れる。だが、モヤモヤは取れなかった。
少しばかり経った頃、声にはならないが真島が呻くのが聞こえた。
目が痛むのか繋いでいた手を解き真島は“無い方”の目を押さえた。形にならない声で喋り続けている。
もしかしたら、膝の上という状態が夢見の悪さの原因かもしれない。少なくともソファの方が落ち着くだろう。
桐生は真島を起こさぬようそっと頭を持ち上げソファの上に寝かせる。枕を持ってこようとその場を離れようとした時、腕が強い力で引っ張られる。
グッと強い力が桐生に掛かり思わず後ろに倒れそうになるのを堪える。
「おい…行かんでや」
「…起きてたのか、すまない」
「いや、少しウトウトしてもうた…夢見がちとばかし悪くてな、その、なんや…」
ばつが悪そうに、1つの目が視点を定められずキョロキョロと動く。でも本当に寝起きなのだろう。その手は離さない。
「……なんや、その、さっきのやってくれや。お前に撫でられるの悪なかったわ」
モヤモヤの正体は真島だ。桐生に巣食い、侵食していく。
「そんな顔すんなや…起きたばっかで頭がよぉ回っとらん。忘れろや」
真島がヨロヨロと立ち上がる。忘れる事なんて出来ない。
「き、桐生ちゃん!?なにするんや!お、おい!!やめや!!」
「俺も、アンタの髪触るの好きだ、触っていいか」
「……ちょぉ…お前…抱きつきながら言う話やないやろ…はは。変な奴や」
【終】
2.真島吾朗がゴロ美になったわけ
狙ったターゲットはまだ姿を表さない。真島吾朗はすこぶる機嫌が悪かった。店の前のキャッチもおどおどしていている。
それもその筈で、店の前に彷徨いているのが見るからにヤクザで、しかも眼帯の強面だから尚更だろう。キャッチは何も悪くないが、人が寄り付かないのでは商売にならない。
キャッチは腹を決める。強面の横に立ち、にこやかに言い放った。
「いい子いますよ!遊んでいきませんか!?」
しっかりした声で真島を呼び込みにかかる。そんな本人は神に祈るような気分だった。頭の中で何十回も自分の祈る声が反芻する。キャッチより数十センチ高い真島はどうしても見下ろす形になってしまう。
「お前…それ俺に言うてんのか」
そして、当の本人も怒りを隠すことなどはもちろんしない。
「は、はい!入りにくいのでしたら…MEBさんの方で…」
言い終わるか終わらないかのうちに真島は翻し、夜の中に消えて行った。
こうしてキャッチは何事もなく助かったのだった。
「…はー。…アホくさ」
おもむろにハイライトの煙を吐き出す。
真島の張り込みを侮るなかれ、彼はさっきの店の屋根に腰掛けていた。
「アイツには俺がそないに飢えてるように見えてるんか」
目ん玉かっぽじってよく見ろやと付け加え、冬空に灰色の煙を吐き出した。そう、真島の目当ては女ではない。
数十分後、真島の待ちに待った時間が到来した。
「また来てくださいね」
語尾にハートが見えるくらいの甘ったるい喋り方に嫌悪感しか抱けない。眉根を寄せる。
屋根から身を投げ出しながら見下ろすとキャバ嬢が見送りに出ている。…余程貢いだんだろうか。
真島の表情が次第に曇り始める。眼下にターゲットが映った。
「…今日は逃がさへんで、〝桐生ちゃん〟」
真島は桐生を四六時中追いかけ回している。桐生が飯を食えば自分も食べた気になり、その日は何も食べていなかった。なんてことはざらにある。
実はこの桐生を散々追いかけ回している真島だが、ここで二度同じ失敗をしている。建物から飛び降りるのはお手の物だが、いざ目の前に真島の狙う獲物がいると思うとそれだけで気分が高揚し、本来の目的すら揺らいで見えなくなる。
…桐生ちゃんとの喧嘩は楽しい。嫌なこと全部忘れられる…それを、その楽しい時間を、俺から桐生ちゃんを奪うあの女がどうしても許せない。
大人気ないことに、真島は桐生ではなくキャバ嬢に嫉妬していた。
今日はそれを分からせる、もとい真島のワガママだが。
真剣な眼差しのまま桐生の元に飛び降りた。
「…アンタ本当、懲りねぇな…ぐっ!?」
真島センサーのおかげで、真島の存在に気づくことは出来るのだが捕まってしまってはどうすることも出来ない。これは真島を回避するために桐生が独自に極めたものだ。できるだけ避けて通るようにしている。
「…俺の気配を察知してわざわざ遠回りしたり、俺が見つけても猛ダッシュで逃げたり…ほんま、なんなんや?俺…お前に嫌われてしもうたんか?」
声が僅かながら落ち込んでいるが、こんな体勢で話す内容ではない。
「…おっと。動くなや、桐生ちゃん。頭が体とおさらばすることになってまうで」
桐生は後ろから真島にドスで脅されている。実はここを出る前に西田からメールがあったのだ。
『親父が念入りにドス磨いています。それも思い詰めた顔で……どうかお気をつけて!』
思い詰めてることが何かは桐生には到底分からない。けれどこの喉元に突きつけられているドスは間違いなく切れることだろう。
「……兄さん、アンタ…」
慎重に言葉を選ぶ。
「今日は喧嘩って雰囲気じゃねぇな…何用だ? わざわざ待ち構えてたんじゃねぇのか?」
真島が桐生の顔を見ないように後ろからドスを突きつけてるのは先程の真島のワガママを突き通す為だ。今、桐生の目を見たら堪えきれないだろう。
喧嘩はしたい。が、今日は、今日こそは言うつもりでここに居る。
「忠告はした筈やで桐生ちゃん。今の神室町は危ないて」
あくまで冷静さを保ち、冷たい言葉で続ける真島に桐生は思った。
アンタが一番の危険人物だ…!と。
今の真島には桐生が十年服役し、シャバに出てきた時に迎え入れてくれたあの温かさはない。
「今度また浮かれ気分でおったら…俺が殺すで」
本当に言いたいことは言葉にならないものだ。そして、本当に欲しいものも手に入らない。
真島は桐生を解放した。
「っ……お、おい兄さん!」
凄みをカマしてきた割にすぐ解放され調子が狂う。そのままいればよかったものを、桐生はそそくさと目の前から消えようとする真島の腕を掴み引き止めた。
今にも消え入りそうな真島は振り向かなかった。
「アンタ、何が言いてぇんだ」
何も言わない真島に桐生は続ける。
「一体どうしたってんだ?」
「…何かあったのか」
何かあったのか。それを言うまでにこれの他二、三言葉を発している。どの言葉で振り向く気になったのかは分からないが斜め四十五度だけ振り向くと吐き捨てたように言った。
「…ハッ。なーんにもあらへんで。お前が楽しそうにどこぞの女と酒飲んどっても、俺には関係あらへんからなぁ」
漸く合点がいった。
真島はキャバクラへ足を運ぶ桐生が嫌なのだ。
「………アンタも女だったら良かったのにな」
「はぁ?…なんでそうなるんや、女やったらお前と喧嘩できひんやろが」
「全く素直じゃねぇ…」
何が素直じゃないんや!と真島が叫ぶ前に桐生は言葉を繋ぐ。
「兄さんもやってみればいい。キャバ嬢…いや、男だからホストか?気持ちがわかるんじゃないか」
……何も分かっていなかった。
真島は唖然と桐生を見据えている。
その時、真島の中でパッとしない塊が閃きへと変わった。
「……せや!!お前、たまにはええ事言うなぁ~!善は急げや!早速準備せな!」
何かが頭の中で弾け飛んだのか、数秒前の真島とは全くの別人だった。桐生は酒を飲んでいるせいか褒められたと思って気分を良くしている。
この二人はどこかが噛み合っていないが、強く結びつける何かがあるのだろう。
その夜、真島を笑顔で見送った桐生は、次の日自分の言ったことを後悔する事になるのだった。
【終】
3.熱
「アンタはどこまでを想定して誘惑してんだ?」
「…はぁ?…言うとくけど、俺にそういう趣味は無いで。桐生ちゃんみたいに、どこぞのビデオ屋でムキムキの男2人が組み合っとった奴も俺的には無いからなぁ…」
あんなものにも需要あるんやなぁ、俺にはわからん。と少し前の話を掘り返され桐生は何食わぬ顔をした。
BEAMでのあれは、あの出来事は違う…でもそれにしか見えなかっただろう。挽回のしようがない。
桐生は苦い唾を飲み込んだ。
「つまるところ、俺がお前に色仕掛けしとると思ったんやろ」
「…ぅ…。ち、ちげぇ…」
全くその通りだが口をついて出る言葉は真逆だ。
「やっぱり桐生ちゃんはおもろいなぁ!お前と居ると飽きんわ!けどな、お前じゃなかったら今頃どついとるで。性的な目で見るんやないて。俺はな、性のはけ口にされんのは…嫌なんや。自分を安売りする気もあらへんし」
まるで経験があるような口振りで真島は平然と言う。
「だからそんな目で見てるわけじゃ…」
唐突に顔を近づけられ桐生は目を閉じた。刹那、口を塞がれ息が出来なくなる。息が出来ない筈なのに不思議と苦しくはなかった。
時間にすればほんの数秒、真島は恥ずかしげもなくそっと桐生から離れた。温かかった熱が、唇からなくなる。目を開くと真島は少し寂しそうな顔をして桐生を見つめていた。
「……俺から出来るんはここまでやなぁ。誘惑なんぞしとる気はなかったのは本当やで?他の奴には売らんがお前にだけや。俺を…売ってもええと思えるんは」
金も地位も名声も要らん。真島はどこか遠い目をしながら語る。
「兄さ……」
「お前が俺をどう思ってるのかは知らん、言わなくてええ。答えも要らん……だけどな、お前だけは変わらないでいて欲しいんや」
いつもと変わらない笑顔のはずなのにずっと儚く、繋ぎ止めておかないと消えてしまいそうな淡い色が胸に突き刺さり、桐生は何も言えなくなった。
今でも考える。
真島の事だ。あの一件以来、桐生の前へ姿を表さない。何度も連絡しようと考えたが、携帯の画面は真島の番号を映したまま、消灯した。
何度も繰り返したが、勇気が出なかった。なんと言っていいのかも分からない。
あの時答えを言っていたなら、真島は自分の前から居なくならなかったのではないか。壊してしまったのは自分なんじゃないか…と。
その時、長らく動いてなかった携帯が震えた。
桐生は動揺して携帯を開くと、真島組の西田からだった。心拍数が上がり、息を乱さぬよう気をつけながら出た。
『桐生の叔父貴ですか。親父から伝言です。メールにしなかったんは、今すぐに言いたかったから、だそうです』
「どうしたんだ。急用なのか」
何事かと心配になった。ついつい悪い方へと考えが行ってしまう。
『…お、親父!……ゴホッ。桐生ちゃんか…』
懐かしい声がした。待ってる時間は愛を育むとか、洒落たこと言う奴は居るが今の桐生には待ってる時間は心に穴が空くほど苦しかった。
真島は風邪を引いてるらしい。少し掠れている声が、桐生を無性に逢いたくさせた。
「……兄さん、どうしたんだ、風邪か。大丈夫なのか?」
言葉少なだが、心は焦り一色だ。だが、正直ホッともしていた。
『ヒヒッ…お前に伝染されたんか一週間前から微熱が続いとってな。お前と喧嘩出来ひんでつまらんかったで?…ゲホッ…まっ。こうなったんもお前のせいやからなぁ、潔く責任、取れや』
責任という言葉が、一週間前の答えと重なる。
「……ああ、取るぜ。一生かけて……な」
電話越しでもわかる、真島は笑っていた。
【終】