二人を繋ぐ鍵(2/2) 春休みの課題を教えろ、と廉から連絡が来たのは、俺の家に来た三日後だった。
「毎回言ってるけどさぁ、宿題ぐらい一人でやりな?」
ワンルームの部屋に置かれたローテーブルの上に広がっている、教科書や課題を見てため息を吐くと、廉がむっと眉根を寄せて睨んでくる。
「仕方ねーだろーが。引っ越しもあんのに休みは増えねーんだから、一人でやってたらいつまでも終わんねーんだよ。有罪だ」
言いながらローテーブルの片側に座り込むと、視線でお前も座れと促してきた。ご丁寧にテーブルの向かいにクッションが置いてあって、どうやらここが俺の席らしい。
「はぁ〜、はいはい。何が分かんないの?」
広げている課題を覗き込むと、まだ半分ほどが空白だった。最後の方でも埋まっているところはあるから、分かるところから埋めたというところか。そのうちの、初めの空白に対応する問題文を指差す廉の視線の先を追いながら、いつもの勉強法へのスイッチを入れた。
「お前、いっつも同じような問題で詰まるよねぇ。学習能力ないわけ〜?」
✳︎
「お疲れ。これでだいたい終わったんじゃない?」
「おー、やっと何とかなりそうだぜ」
空欄のなくなった課題を満足げに見ている廉の、後ろの棚にある時計に目をやる。廉は方法さえ分かれば結構順調に問題を解くので疲れはしないが、如何せん時間がかかる。流石に、授業のように黒板を覚えて書き写すよりは掛からないが、頭から文字のデータを取り出すのに時間がかかるのか、もしくは、丁寧に書かなければと思って一文字一文字に気をやりすぎているのか。
「聖、茶か水か炭酸水」
「え? 急に何?」
でも勉強関係じゃなければそんなに気使って文字書いてないよなこいつ、と考えていると、突然示される三択。
「あ? ぼーっとしてんじゃねーよ、有罪だな。飲み物に決まってんだろーが。何飲むんだよ」
「お前が急すぎるんでしょ。じゃあ、お茶」
廉が「ん」と頷いて、冷蔵庫からピッチャーを取り出した。プラスチックのコップにお茶を注いで、戻ってくる。
「ほらよ」
「ありがと」
なぜかそのままじっとこちらを見てくるので、飲もうと持ち上げたコップを机に戻した。
「廉は何も飲まないの? ちなみに俺的には、飲まないにしても、お茶は冷蔵庫に入れたほうがいいんじゃない? って思うけど」
キッチンの上に残されたピッチャーに視線を送れば、本当に今思い出したような顔をして再び立ち上がった。何か、隠している。いや、隠しているのではなく、何かをしようとしているのかもしれない。明らかに、廉は何かを気にしている。
何企んでんのかな、とお茶を啜っていると、目の前に戻ってきた廉が、またこちらを凝視してきた。またか、と、今度は指摘してやるつもりでコップを置く。
「……聖」
「ん?」
顔を上げると、目の前にずいと拳を突き出されて驚いた。いつかみたいに小突かれるかと思った。
「え……何? どうしたの?」
そのまま動かなくなってしまったので訳が分からず尋ねると、伝わっていないことが不愉快な様子の廉が口を開いた。
「どうせまた来るだろ。持っとけ」
ほら、と急かすように拳を揺らしてくる。大人しく手を広げて差し出すと、ぼとりと何かが落ちてきた。それは鍵以外の何でもなくて、だからこそ余計に目を疑った。
「俺だけ貰ってるとか、なんか気持ちわりーだろーが。テメーにも、やる」
どうやら俺が合鍵を渡したから、そのお返しをしてくれたらしい。そんなことされると思ってなくてこれはこれで驚いているが、不思議なのはそこじゃない。
「……前来た時、合鍵とかないって言ってなかったっけ」
そう。初めに俺が引っ越しの手伝いという名目で廉の家に上がった時、「合鍵はもう親に渡した」と言っていたのだ。契約主は親だとも言っていたので予想はついていたが、スピード感がすごいなと思って覚えている。
「作った」
「作ったぁ? わざわざ?」
「おー……何だよわりーかよ。ちゃんと管理会社に許可取ったぜ」
「そこは心配してないんだけど」
廉がそういうところにきっちりしているのは知っている。
「テメーが来るたび鍵開けんの面倒くせーだろ。寮とは違って、開けっ放しにしとく訳にもいかねーし」
それはさすがに心配になるからやめてほしい。さっきから様子がおかしかったのはこれを渡すタイミングを計っていたからだったのか。
というか、その理由は。
「は? 何笑ってんだよ」
「んん? 別に〜」
「寮の時みたいに気軽に来てほしい」と言われた気がしてくすぐったかったから、とは言えない。誤魔化すように、話題を変えた。
「そういえば、数学の課題もあるでしょ。できた〜?」
廉がぴたりと動きを止める。英語、古文、歴史といろいろと課題は見かけたが、数学の課題は一度も見ていない。予想通りというか何というか、渋い顔をした廉が大人しく出してきた課題には後半の応用問題に空白がいくつかあった。
「それ、廉的にはできてるって思う?」
「……今日は、もういいだろ。明日にしよーぜ」
あまりにも自然に言うので流しそうになったが、今。
「明日? 明日も来いって言ってる?」
「……あ?」
俺の方が聞いているのに、何故か廉の方が口を開けて不思議そうな表情を浮かべている。
「来ねーのかよ」
意外そうにそんなことを言うので、頭を抱えた。そりゃ、寮だったら来てやってもいいけど、もうここは寮じゃなくて家、なわけで。何で当たり前に俺が来ると思っているのか、理解に苦しむ。「あー、別に、明日じゃなくてもいいけどよ」と続けているが、日程の話じゃない。本当に。
「……はぁ、じゃあ明日はお前が来な?」
それならいい、別の奴に頼むと言われたらどうしよう。そう思わなくはなかったけれど。
「おー、分かった。昼過ぎでいいか?」
一抹の不安を吹っ飛ばすかのように、廉が何の迷いもなく頷いた。二つ返事で、時間まで指定している。
「え、あー、うん」
「ハ? 何驚いてんだよ。テメーから言い出したんだろ。有罪だな」
どうせ有罪なら、有罪ついでに言わせてもらおう。
「あー……なら、昼前に来て、どっか食べに行かない? どうせお前どっかで食べてくる気だったんでしょ?」
「そうだな。いいぜ」
これにも即答。そんなちょろくていいのかなぁとか考えながら、こちらとしては都合がいいので黙っておく。退寮とか引っ越しとか、いろいろと面倒臭いと思っていた春休みは、案外悪くないのかもしれない。
終わる
「あと、明日帰んのメンドクセーから泊まる」
「は」
「ベッドと別に布団あっただろ。引っ越しの時見たぜ」
「仕方ないなぁ……布団以外はないから、ちゃんと持ってこいよ〜」