二人の鍵「おい聖、これどこだ」
「それは食器類だからキッチン」
その辺置いてと指差せば、言った通りの床に慎重に段ボール箱を置いて、またキッチンを出て行った。ちょうど食器棚の準備が整ったところだったので、早速箱を開いて食器を並べる。種類がバラバラの食器は、俺と廉が一人暮らしをしていた時のものをそのまま持ってきたせい。時々ある同じ柄のものは、二人で住むようになってから買ったものだ。皿が増えたのは廉が料理に凝り出してからだけど、意外とあるな。
思えば、「落ち着いたら引っ越そう」と言ってから、いったい何年間俺が高校の時に借りたあの家で過ごしていたのだろう。
「聖」
「ん〜?」
また廉が箱を抱えながら俺を呼ぶ。
「これは」
一応、段ボールに何を入れたか分かるように印を書いているのだが、ほとんど俺が書いたものだからイマイチ廉には伝わっていないらしい。梱包関係は主に俺がしていたので仕方ないが。
「それお前の荷物だよ。自分の部屋持っていきな」
廉はそうか、と頷いて数日前に決めた自分の部屋へ入って行く。寝室は共通であるが、最近互いに仕事が増えて朝の時間がずれることが多くなってきたので、別に自室を設けることにした。引っ越しを決めた大きな要因が、それだったりする。廉は、隣にいた俺が起き出してもほとんど目覚めることはないが、俺の方がどうしても起きてしまうことが多い。別に毎日でもないし、俺としては多少早く目覚めてしまったところでそれほど苦痛ではないのだけど、その感覚が分からないらしい廉が視線を落としながら「別々に寝るか」などと言い始めた。俺のことを気にしているようだったがそれは勘弁願いたかったので、思い切って引っ越しの話を持ちかけたのだ。俺が探してきたこの3LDKの部屋に、廉は初め、そんな広くなくていいだろと言っていたが、寝室の話をすると納得していた。あとついでに、今より高層階だし新しい家だから蚊が減るだろうということも。これまでも多い方ではなかったはずだけど、廉はやたらと蚊に刺されていたから、結構喜んでいた。
「これテメーのだよな」
段ボールを持ってあっちこっちに動いている廉が、次に示した箱は確かに俺の荷物だ。
「うん。部屋入れといてくれる?」
軽く答えながら最後の食器を片付け終えたので足元の段ボール箱を潰そうとしていると、俺の部屋から出てきた廉が引ったくるようにぶん取ってきた。
「何〜?」
驚かされたのはこちらの方なのに、何故か睨むように見上げてくる。
「テメー、今度手のモデルするって言ってただろ」
「ああ……撮るのは手だけじゃないけどね」
「俺がやる。テメーは小物の片付けしてろ」
どうやら万が一にも傷を付けないように、と言うことらしいので、お言葉に甘えることにした。それなら自分の部屋でも片付けようかと思っていると、徐に床へ座り込んだ廉が口を開く。
「去年の『神様』役から綺麗系の仕事増えたな」
言いながら俺から奪った箱を畳み出す廉。ちょっと休憩だろうか。俺も合わせて、新調したカーペットの上に座る。
「うーん、世界設定はファンタジーだけど、俺の役、普通の花屋の青年なんだけどなぁ」
『神様』とは、今から一年ぐらい前のドラマに出た俺を見て、ファンの子が言い出した呼称だ。髪の長い役で、事務所の方針もあって実際に髪を伸ばして演じたものだから、よく覚えている。確かに儚げな役ではあったが、主役級でもないし、話の中盤に数話出ただけだったのに想像以上の反響があって驚いた。まぁ、わざわざ髪を伸ばした甲斐はあったかな。それ以来、神々しいからとつけられたあだ名が『神様』で、やたらと様付けで呼ばれることも増えた気がする。おかげで揚羽にはいつも以上に睨まれた。
「ま、何でもいーじゃねーか。それで仕事増えてんだしよ」
「んー、まぁね」
結果、生活リズムが合わなくて、今に至っている訳だけど。ふと、傍を離れようとしない廉を見詰める。頭の上に疑問符を浮かべてこちらを見返してくるのが可愛い。
「もしかして、寂しかった?」
「あぁ?」
そういえば、こんなにゆっくり話すことは最近なかったかもしれない。話しに来てくれたのかなと思って茶化すと、意味不明と顔に貼り付けて首を捻っている。そういう反応になるだろうとは予想していたので笑って軽口を続けた。
「寮出て、俺が来なくなると寂しいって言ったのは廉でしょ〜」
「は? んなこと言ってねーだろ。つか、会いたがったのは聖のが先だろーが。忘れてんじゃねー、有罪だな」
「ええ、何それ」
廉を他の奴に取られたくなかったので退寮した春休みに攻めたことは認めるが。
「合鍵、渡してきただろ。あれのせいで俺、何かモヤモヤしてよ」
「あー、それでお返しに鍵くれたんだ」
あれで意識するようになってくれていたんだとしたら、やってよかったな。廉が俺を好きになる前のことを考えて、こっそり笑った。
「そういや聖、これ、どっちが合鍵だ?」
畳み終わった箱を部屋の端に追いやった廉が、ポケットに突っ込んでいたこの家の鍵を引っ張り出して示す。
「ん? どっちも合鍵じゃないと思うよ。ここは二人の家でしょ」
正確に言えば契約主は俺だから廉の方のものが合鍵かもしれないが。何やらお気に召したらしい廉が機嫌良く鍵を見詰めるのが可愛くて、口には出さないでおいた。えらくご機嫌な廉は、いそいそと俺の方に近付いてきて、「聖のも見せろ」と手を出してくるので大人しく鍵を渡した。
「俺的には、見ても面白くないって思うけど」
じいっと鍵を見比べているのでそう笑うと、鍵からこちらへ視線を移して口を開く。
「同じ形だな」
「そりゃ、同じじゃなきゃ入れないだろ」
「それもそうだな」
廉が、楽しそうに笑った。広い家に引っ越して、テンションが上がっているのかも。返された鍵はポケットに仕舞って、同じようにズボンのポケットに手を入れる廉へ声を掛ける。
「廉」
「あ?」
最近、仕事でも引っ越し準備でもバタバタしてご無沙汰だし。
「今日もうちょっと片付け進めてさ……夜、一緒に寝ようか」
意味が伝わっていなさそうな顔をしている廉にも分かるように、頬に手を伸ばす。
「最近、ゆっくりできてなかったもんな」
すりすりと頬を撫でて続けると、やっと理解したのか触れている体温が上がった。
「あ、んま、いっぱいは……しねーからな。途中で、寝るかもしれねーし」
視線を逸らしているが、どうやら満更でもなさそうだ。今夜は寝るまで愛し尽くそうと決めて、立ち上がる。そうと決まれば、やることは一つ。夜のことを考えてしまっているのか、ぼんやりしている廉に指示を出す。
「さ、廉。休憩終わり。さっさと片付けの続きやるよ〜」
廉も立ち上がるが、どこか心ここに在らずだ。恐らく心は夜に飛び立ってしまっているのだろう。楽しみにしてくれているのは嬉しいが、今は働いてくれなくては困る。
「ちなみに俺的には、今働かないと夜の時間なくなるって思うけど」
「っ、それ、テメーが楽しみなだけだろーが!」
我に返ったらしい廉が、有罪!と指差してくるが、足はしっかり残った段ボール箱へと向かっていた。よしよしと頷いて、俺は寝室の荷物を片付けに向かう。
踏み出した一歩は思ったより軽やかで、少し笑えた。これからを期待するかのように、ポケットに入れた二人の鍵が、小さく弾むような音を立てた。
終わる
「れーん、寝室の荷物先に持ってきてくれる〜?」
「は? 何でだよ」
「夜までに片付いてないと集中できないだろ」
「……分かった」