猫を拾った。
雨の中、夜道の片隅でくたりと倒れていたから死んでいるのかと思った。かわいそうになあ、なんて通り過ぎようとしたら。不意に目があった。弱々しく開かれたその目は新緑の様に煌めいたが、すぐに伏せられてしまった。
まあ、生きているのなら。
雨と泥でボロボロに見えるその猫を拾い上げて、家へと連れ帰る。拭いただけでは汚れが落ちなかったので、シャワーで洗いしっかりと乾かしてやれば。
「……驚いた」
当の猫はまだ目を閉じてくったりとはしているが、その毛並みは艶やかで金糸を思わせる色合い。今まで見たことのある猫の毛色とはかなり異なる。
目を開けない猫を布団代わりのバスタオルの上に乗せる。生憎、動物など飼ったことがなかったのでペット用品などはない。スマホで色々と調べてみればいくつか初心者向けの猫の飼い方のノウハウが見つかった。
「ま、元気になるまではなあ」
ここがペット不可の物件でなくてよかった。最低限の道具類は明日買いに行くことにする。穏やかな呼吸を繰り返す美しい毛並みをひと撫ですれば、猫の耳がぴくりと動いた。
翌朝。
腕の中に妙な感触を感じて目を覚ます。布団をまくれば、そこには昨日の猫。
「……いつの間に……」
日の光を浴びたその毛並みは黄金色に光っているようにすら見える。すやすやと眠る猫の頭を撫でれば思っていたよりも柔らかい。かわいいなあなんて撫でていたら、ぱちり、と目が合った。その瞬間、猫が布団から飛び出して、あっという間にベッドの陰に隠れてしまった。その素早さに眠気も吹き飛んだ。当の猫はベッドの陰から新緑色の目でもってこちらをじっと見つめている。
「いや、なにもしないぞ。……たぶん」
両手を挙げてアピールしても猫の様子は変わらない。瞬きすらせずにこちらを見つめているだけ。よほど警戒心が強いらしい。懐柔するのは諦めて寝室から出る。ちらりと振り返ってみるが、猫は変わらずベッドの陰からこちらを見つめていた。
その猫は変な猫だった。
まず、猫の餌を食べない。ちょっとお高めの猫のおやつも買ってみたが見向きすらしなかった。そのくせ、酒のつまみとして食べているサキイカやチー鱈なんかは食べにくる。むしろほぼ食べられる。水も水受けから飲まない。どうしてるのかと思えば、驚いたことに自分で水道から水を出して飲んでいた。しかもきちんと水道を止めていた。
そして鳴かない。にゃあ、はもちろん、みゅう、とか、なぁ、とか。猫らしい声を全く出さない。喉も鳴らさない。
触ろうとすれば逃げていく。そのくせ、テレビを見たり寝ていたりすると必ず隣に来る。でも撫でようとすると逃げる。隠れる先は布団の中かカーテンの陰が多い。一度、その辺に放っておいた服の中にいたことがあり、その時はお互い飛び上がるほど驚いた。
病院にも連れて行こうとしたが、そういう時に限って完璧に姿を消す。1日中探し回って、病院が閉まる時間になるとひょっこり姿を現す。3日ほど続けたが、あまりに疲れるので病院に行くことは諦めた。
こういったできごとを踏まえて、この猫はきっと化け猫なんだろうなと思うことにした。尻尾は分かれてないが、その方が納得できた。
そんな変わった猫との生活もそろそろ1ヶ月。なんとなく生活習慣が変わってきた。仕事をしていないから昼も夜もないような生活をしていたが、きちんと夜寝て朝起きる様になった。そうしないと猫が不機嫌になるから。
あとは自炊することが増えた。前は酒とつまみでなんとなく腹を満たしていたのに、それだと猫がつまみしか食べないから。試しにと魚を適当に焼いてやれば、あっという間に平らげた。面白がって肉も食べるか試せば、肉も食べた。猫の飼い方には人間の食べ物を食べさせないように書いてはあったが、猫の餌を食べないんだから仕方がない。
昔からの友人からも健康的な生活になっていることを喜ばれた。それくらい、顔色なんかも変わったらしい。
猫は相変わらずだったが少し変化も出てきた。頭を撫でたり、寝ている時に抱き締めたりしても逃げなくなった。朝起きて、腕の中に猫がいるのをみて、また寝る。慣れてきてくれたのだと思う。名前はつけていなかった。家に居る猫といえばこいつだけなので、猫と呼べばそれで事足りたから。
「なあ、夕飯はシャケでいいかい?」
猫は答えないが、同意するかのように頷く。それに笑い返して魚を焼く準備を始める。
こんな猫との日々がこれからも続くのだと、そう思っていた。
そんなある朝。
ぼんやりとした意識が浮上する。
腕の中にいるだろう猫を抱きしめようとして、違和感に気付く。なんか、大きい。それに手触りも違う。
目を開ければ、腕の中には金髪翠眼の少年がいた。
「おはよう」
「おはよ……う……?」
咄嗟に返してしまったが、状況に頭が追いつかない。そもそも眠くて頭が回ってない。でも、目の前の彼の、新緑色に光る瞳や日を浴びて輝く金色の髪の毛は、あの猫と同じ色で。
これは夢だろうか。猫が人間になった、とか。昔そんな本を読んだ気もする。好きな話だったが、タイトルも結末も思い出さない。なんだっけ、ともやがかったような頭で考える。
目の前の彼が心配そうに首を傾げた。
「その、つるまる、さん?」
彼の手が頬に触れた。そのやわらかさ、あたたかさはとても心地良くて。ぎゅっと抱きしめてみれば、あの猫のような高い温度が伝わってきた。これは、気持ちよく二度寝ができそうだ。
「…………うん。おやすみ」
「え、ちょっ、寝るな?!」
腕の中の彼が身動ぐが気にしない。心地よい抱き枕としか思えない。
寝て起きたら…………起きたときに考えよう。未来の自分へ丸投げして、気持ちのいい眠気に身を任せた。
つるさん=人間。人間関係のごたごたで会社クビになったので、自由に暮らしてた。しばらく人間と付き合わなくていいなと思ってた。今後、知り合いの社長に誘われて再就職する。
んばくん=淫魔。人の精を奪うのが苦手すぎて人型を保てず、猫の姿になってた。まさか助けてもらえると思わなかったので、つるさんのことは恩人だと思っている。でも人間怖い。今後、つるさんに養われて家事を担うことになる。