この後、カカシが忍たまの世界にトリップしてしまうのがIFストーリー「……冗談だろ」
「ッ~~、私がこんなこと冗談で言うと思うッ!?」
つい口から出た言葉は紅の怒りを買ってしまったようで。散々泣いた後なのか、赤く擦れた目尻をキッ! と吊り上げ、オレを睨みつけてくる。
如何なる時でも冷静を装っている紅にしては珍しく怒りの感情を全面に出している。
しかし今回に限っては、紅がこうも取り乱すのも分かる。いや取り乱さないほうが無理な話だ。
なんだってオレたちがガキの頃からつるんでいて、ついこの間も「また一緒にご飯行きましょうね」と約束を取り付けていたあいつが死んだ……、いや殺されただなんて。
まるで信じられない。
「……悪い」
「あッ……、いいえ、私の方こそ。私も初めて聞いた時は信じられなかったのに。声を上げてしまってごめんなさい。まだ混乱してて」
オレが謝罪の言葉を口にすれば、紅は、ハッと様子で頭を下げ謝ってくる。いつもは冷静沈着で滅多に取り乱した様子を見せない紅も、今回ばかりは気が動転しているのか、しきりに髪の毛を掻きあげている。
無理もない。あいつは紅に懐いていて、よく「紅さん、紅さん!」と後ろを引っ付いていた。紅も自分に好意を寄せるあいつをよく可愛がっていて、二人で飯屋に行くところを何度か見かけていた。
そんな可愛がっていた後輩の死を知らされて、気が動転しないほうが無理な話だ。
「いや、お前が謝ることはない。誰だってそうなるだろ。あいつが殺されたなんて聞かされたら。…………なんであいつがッ」
「今は、なにも分からないって……、あの子がどうして殺されたのかも、まだ、調査中だって……」
「……そうか。今は? あいつはどこに?」
「い、いま、今は……、安置所に居るわ。そこであの子は……、あの子はッ……!!」
そこまで言いかけた紅は両の目に涙を浮かべ、ヒックヒックと肩を上下させると、顔を押さえ、ついに、わッと泣き出してしまった。
この様子からして、紅はもう安置所で彼女の遺体を見てきたのだろう。
大粒の涙を流しながら肩を震わせている紅の体を抱き寄せ、背中を擦れば、更に泣き声は大きくなる。
『あの子が……、あの子が、昨日の夜に、アカデミーから、かえっているところを襲われてッ……、それ、で……、心臓を一突きにされて、ころされて、しまったの』
震える声で紅はそうオレに伝えてくれた。
ということはつまり、あの死の匂いが色濃く残る安置所の上で横たわる、心臓を潰されたあいつの遺体を目の当たりにしたということだ。
あそこはどこまでも冷たい。
遺体を腐らせないために真夏でも真冬のような寒さで、吐く息は白い。
眩いばかりの蛍光灯の光に照らされた室内は、部屋の四隅に闇を残さないほど明るい。
鼠色で統一されたそこはひどく無機質で、死んだ人間が安置されている場所だからか、生気というものがまるでない。
鼻につく消毒液の匂いは、病院とはまた違った匂いがある。
あそこにあいつはいるのだろう。
真っ白なシーツを頭から被され、冷たい台の上に横たわっている。
もう二度と開くことのない瞳を静かに閉じながら。
もう二度とオレたちの名を呼ぶことのない唇を冷たく閉ざしながら。
あいつは一人、霊安室にいるのだろう。
「ッ……!」
そんな光景を想像してしまうと、思わず目頭が熱くなった。
ーーーーーー
「あ、アスマさん! 紅さん! お久しぶりです~!」
アスマが知る限り、あそこまで忍者に向いていない人間はそうはいない。
それは良くも悪くも、両方の意味が含まれているが、一個人として彼女に好意的な印象を抱いているアスマにとって、忍者に向いていないという言葉は、どちらかと言えば良い意味のほうだ。
『戦争が一時的にも落ち着いている今だからこそ、戦争で傷ついた子供たちに出来ることがあると思うんです』
それが彼女の口癖だった。
元々忍者としての素質は高くはない。いやむしろ低いと言ってもいいほどのチャクラ量と身体能力しか持ち合わせておらず、自分たちがまだガキだった頃は、周りの人間から「落ちこぼれ~」だの「また落ちこぼれ同時無意味なことしてら」と、ガイとセットで陰口を言われていた。
当時も自分はまだまだガキだったので、またやってんな、毎日まいにちよく飽きもせずにしてるよなと、どこか高みの見物をしていた。
しかしいつの間にか体術ではガイに負け、戦闘時に何度彼女に助けられたか分からない。
単純な実力だけを見れば、明らかにオレのほうが上だろう。
しかし彼女はとにかく視野が広い。それに勘だっていい。
予期せぬ場所から飛んでくる忍具や、相手が仕掛けた罠にいち早く気が付き「あぶないッ!」と仲間に声掛けをしている。彼女の声が聞こえたので慌てて体を低くした瞬間、さっきまで自分の頭があった場所に苦無が刺さっており、肝が冷えた経験がある。
木の葉の里を襲った九尾襲撃事件の時だってそうだ。あの夜は後世語り継がれてしまうであろうほどの甚大な被害が出てしまい、多くの家屋が壊れ、多くの人間が死んだ。
それでも四代目とクシナさん、そしてナルトが死なずに今もこうして元気で暮らしている一端を担っているのは、間違いなく彼女の功績があったからであって。
それを本人に言えば、一瞬キョトンとした顔を浮かべた後「私はそんな大層なことしてないよ~。強いて言えば、私の周りにいる人たちが凄いだけ」と笑っていた。
『いや、お前はいつもそうやって自分のことを過小評価するけどよ、もっと自信持ったほうがいいと思うぜ? お前のおかげで救われた命は多くある。オレだってその一人だ』
『そう、かな? そうだといいんだけど……。私の働きで皆の命を助けられていたのなら、これ以上嬉しいことはないよ』
エヘヘと屈託のない笑みを浮かべるそいつは、明らかに他の忍者とは異質を放っていて。まるでなんの悩みもない子供のようだと思った時もあった。
しかしそれは違かった。それはあくまでもオレたちの前で見せる顔でしかなくて、あいつはよく一人で泣いていた。
誰かが死ぬたびに。目の前で誰かが息を引き取るたびに。
『ヒックッ、ひッ、ヒック……』
建物の物陰に隠れるようにして。誰にも見つからないように体を小さく丸めて。耳を澄まさないと聞こえないほどの小さな泣き声で、彼女は泣いていた。
『ぅう゛ッ~~、ひっぐッ、ぅ、う゛ッ……』
『ほらいい加減泣き止みなって。そんな泣いてたら、またフグみたいにパンパンに膨れるよ?』
ああ、それも違うか。一人で泣いていたのは最初だけだ、
次に見かけた時からは、そばに必ずカカシがいた。
どこから聞きつけたのか。上忍としての勘が働いているのか。それとも好いた女の涙を自分で拭ってやりたいという漢気からなのか。
『みないでッ、こんなかお、みないで、くださいッ……』
『見られたくないならさっさと泣き止みな。そんな顔いつまでもしてたら、紅やリンが心配するよ?』
小さく蹲る彼女の横に同じような体勢を取り、その無駄にでかい図体をまるっと縮こませ、肩を並べ、泣いている彼女のそばに寄り添っていた。
『う゛ッ、、それだけ、それだけは嫌だ。あんな美少女二人の前で、これ以上、みっともない顔はできませんッ……』
『でしょ? だったらさっさと泣き止んで、オレと一緒になんか食べに行こ。特別に奢ってやるからさ』
『ぐすッ、ずび……、スペシャルあんみつデラックス、ぜんぶましましでもいいですか?』
『……フッ、いいよ。そんだけ食欲があるんじゃ大丈夫そうだね』
『腹が減っては戦は、できぬですから』
素直に一人で泣いているお前は心配だからと言えばいいものを思う自分がいる反面、惚れた女の前でこそ素直になれない男心が痛烈に分かってしまう自分もいた。
流石にあの場に割り入るほど命知らずでもなければ、空気が読めない人間でもない。
けど、カカシは紅と二人で歩いていると「よッ、お二人さん、相変わらず熱いね~。白昼堂々とデート?」とよく茶々を入れてくるので、今度適当なタイミングで同じようにからかってやろうと思う。
カカシがあいつのことを特別視していたのは、薄っすらとだが気づいてはいた。
オレたちがまだ十代で、まだまだケツの青いガキだった頃から、何かにつけてカカシはあいつに突っかかっていた。
ガイと二人で稽古している場に行っては「ま~た変なことしてる。ここいらで怪しい二人組がよく出没するって近所で噂になってるみたいだけど?」と口を出したり、演習場で一人手裏剣や苦無の練習をしているあいつのところに言っては「下手くそ。後ろに目でも付いてるんじゃないの?」と揶揄を入れていた。
『だっていくら投げても全然狙った場所に行かないんですもん』
『だからそれは持ち方が悪いからだっていつも言ってるだろ。それに手裏剣は投げるじゃなくて打つって言うんだよ』
『へ~』
『へ~って。お前は一体アカデミーでなにを習ってきたんだよ』
まあカカシもカカシで茶々を入れるだけじゃなく、きちんと建設的なアドバイスを付けては、狙った場所にいかないという悩んでいるそいつの後ろに回り込み「こうやって、挟み込むように持つんだよ」と手を添え、自ら手ほどきをしていた。
そんな二人の様子を見て、オレは意外とカカシって面倒見がいいやつなんだな~、ぐらいにしか思わなかったが、紅は「へ~、なるほど。そういうことね」と、腕を組みながら、意味深に頷いていた。
演習場を後にしたところで「なんでさっき、なるほどって言ってたんだ?」と聞けば、紅は口紅が綺麗に引かれた唇を微かにあげ「いずれ分かることよ」と答えを曖昧にはぐらかしていた。
その答えが、カカシがあいつのことを好いているからだと知った時は驚きもしたが、心のどこかで、なるほどな、と納得している自分もいた。
その日は、同期のやつらを誘った飲み会に珍しく彼女も参加するという流れになっていた。なんでも紅やリンが「行きましょ? ね? 行くわよね?」と誘い、ほぼ半ば強制参加させられていた。
待機所でカカシと会ったタイミングで「今度同期で飲みがあるんだけど、お前も来ないか?」と誘えば、いつものように「ん~、オレはパスかな」と断ってくる。
そこにすかさず紅が「あら、残念ね。今日はあの子も参加するのに」と情報を後出しにしにして出せば、カカシは「え!?」と分かりやすく声をあげる。
「行きましょう、アスマ」とカカシにくるりと背中を向けて歩き出した紅に向かって「ちょ、ちょ、ちょっと待って!! オレも行く、オレも参加する!」と声を張り上げていたので、周りにいた他の連中はなんだなんだとカカシのことを見ていた。
カカシは良くも悪くも目立つ人間だ。その目立つ風貌もあるだろうが、天才忍者という異名に恥じないだけの実績と実力を持ち、齢十二歳にして上忍になったというその天才ぶりは、今も変わらず発揮されている。
言わば、羨望の的であり、常に冷静沈着で、あらゆる状況で的確な判断を即座に下すことができ、声を荒げる瞬間なんて殆どないとされている、あのはたけカカシが、あそこまで取り乱し、声を荒げる瞬間はそうはない。その為、その場にいたほぼ全員が、いきなり大声をあげたカカシのことを珍しいこともあるもんだと顔を上げ、視線を向けていた。
これが仮にカカシではなくガイだったのなら、またいつものことかと、誰も見向きもしなかっただろう。
「あら、別に無理に参加しなくてもいいのよ?」
くるりと振り向いた紅は綺麗に口紅が引かれた口角と涼しげな目じりを、にぃっと意地悪気に釣り上げて笑う。そんな些細な仕草でさえ、まるで一枚絵のように様になってしまい、それを本人も自覚して上でやっているのだから、なんともくノ一とは恐ろしいものだ。
「オレが最初は断るって分かった上で、あえて情報を後出しにしたでしょ」
「なんのことかしら? さっぱり身に覚えがないわ」
「はぁ~~、分かった、分かった。今回の飲み会、オレも是非とも参加させてください。お願いします、紅さん」
「そこまで言うならしょうがないけど。あの子を今回の飲み会に引っ張り出すのも、それなりに苦労したのよね~。リンと二人かかりで説得して、ようやく首を縦に振ってくれたのよね。ほんと苦労したわ」
「りょ~かい。その時に二人になんか奢ればいいんでしょ」
「あら、二人じゃなくて三人よ。女子が三人いて、その内一人だけはぶくなんて、そんな可哀そうなことしないわよねぇ?」
「分かったよ。三人に奢らさせていただきます」
「それでよろしい。じゃあ店とか時間が決まったら、また連絡するから。じゃあね」
ひらりと片手を振り、良い笑顔を浮かべながら、その場に後にする紅とは対照的に、椅子に腰かけながら、バリボリと頭を掻くカカシはどこか気まずそうな表情を浮かべていた。
膝に肘をつき、そこに顎を乗せ、若干項垂れいるカカシを元気付けてやろうと、ポンッと肩に手をのせれば「お前にだけは慰められたくないよ」と言ってきやがった。
ほんとこいつむかつくな。
そうして時は流れ、週末の夕方。
今回はいつもの居酒屋ではなく、紅が予約した少しこじゃれた料理を出すという居酒屋だった。
その日は全員それぞれ別の任務が入っていたので、それぞれ任務が終わり次第、店に集合という流れになった。
最初に店に着いたのはオレとゲンマ、ライゾウの三人で。その次にガイ、オビト、リンがほぼ同時に着いた。なんでも座敷席を予約してくれていたらしく、全員靴を脱いで、畳の上に座り、各々食べたいものを適当に注文しておく。
最初のビールが届いたところで紅が到着し、更に遅れてカカシと彼女がやってきた。
オビトが「よっ、お二人揃って遅れて到着とは熱いねぇ~!」と冷やかせば、ゲンマやライゾウも「ここに来る前に逢引してたんじゃねえのか~?」「だったらオレたちは邪魔か~?」と茶々を入れる。
「違いますよ。たまたまそこでばったり会っただけです」
「そんなばっさり否定しなくてもいいでしょ。少しはあいつらの馬鹿なノリに付き合ってやりな」
「んだと~! 誰が馬鹿なノリだ、こら~~!!」
「まあまあ、オビトも抑えて抑えて。今日は皆で楽しくご飯を食べようよ、ね?」
「ま、まあリンがそう言うならしょうがないな」
「待っていたぞ、我が永遠のライバルカカシよ! 今日は大食いで勝負だ!」
「今日はゆっくり食いたい気分だからぱーす」
「なにを~! オレを目の前にして勝負から逃げると言うのか!」
「それはそうと全員揃ったならさっさと乾杯しましょ。私、お腹空いちゃって」
紅が予約した座敷席というのは、かなり広めの席で、長めのテーブルを挟んで上座と下座にそれぞれ大人が優に6人は座れそうなほどゆとりがある。
とは言っても、今日のメンツは女子を除けば全員が全員無駄に体格がいいせいで、本来であればゆとりも感じられる席も、若干窮屈に感じられる。
席順は特に気にすることもなく適当に座ったので、空いているのは下座の二席のみだ。遅れてやってきたカカシと彼女は当然その横並びの席に座るわけだが、カカシはなんのためらいもなく「よっこいせ」と座っていたが、彼女は若干躊躇ったような素振りを見せていた。
「な~に? オレの隣が不満だって言いたいわけ?」
「い、いえ! 決してそんなことは!」
「だったらいいじゃない。ここに座りなさいよ」
なにかにつけて目敏いカカシがそれに気付かないはずもなく、靴を脱いで畳の上に立ち尽くしている彼女を促すように、自分の隣の座布団をポンポンと叩く。
いつまでもその場に立っているわけにもいかないと思ったのか、おずおずとカカシの隣に座る。
「わ、私なんかが、カカシさんの隣に座ってもいいんでしょうか」
「なんかってなによ。お前も立派なオレたちの仲間でしょ」
胡坐を掻いたカカシは、横で小さく正座をしている彼女の頭にポンッと左手を乗せ「いつもご苦労さん」と労いの言葉をかける。
最初は驚いたように目を見開いていた彼女も、カカシの手を振りほどくような真似はみせず「あ、ありがとう、ございます」と少し気恥ずかしそうに笑っている。
え? なにこの微妙な空気?
もしかしなくてもマジでお前らってそういう感じ?
ガチめにオレたちはお邪魔な感じですか?
部屋とか分かれときましょうか?
そんな甘酸っぱいような、居心地の悪いような、思わず足先を擦り合わせてしまうかのような空気が一瞬流れたが、追加注文した枝豆やだし巻き卵を持ってきた店員の「おまたせしました~~!!」という元気の良い声によって、すぐさま掻き消されてしまった。
その店は紅が選んだ店ということもあり、酒も飯も文句の付け所がないぐらい美味かった。特に店オリジナルメニュー系はどれも外れがなく、箸も進めば、かなり酒も進んだ。
「ちょっと飲み過ぎじゃない? 顔真っ赤だよ?」
「ん~、全然大丈夫ですッ! まだまだ余裕です~~! ……ヒック」
「酔っぱらってるやつほどそう言うんだよ」
普段はあまり酒を飲まない彼女も、その日は珍しく酒をかなり飲んでいた。とは言っても、他の酒を浴びるように飲む連中と比べたら可愛いもので、おそらくそこまで酒は強くないんだろう。
さっきまで緊張した面持ちでカカシの横に座っていたというのに、酒が入り、すっかり緊張の糸も解けたのか、顔を赤くしながらもニコニコと嬉しそうに笑っている。
途中、トイレから戻ってきた紅も「ちょ、顔真っ赤じゃない。ほら、ちゃんと水飲んで、水」と介抱されていた。
「駄目じゃない、カカシ。いくらこの子が飲み会に参加して嬉しいからって飲ませすぎちゃ」
「え? オレのせい? 半分以上っていうか、ほとんど自分の意思で飲んでたけど」
「この子はお酒があまり強くないんだから、ちゃんと見張っておかないとでしょ」
「いやそもそも酒を飲んでいるところなんて、今日はじめて見たし」
「あら、そうだったかしら。ああ、いつもは女子だけで飲んでるから、カカシ貴方はいなかったわね」
「そうやって一々棘のある言い方するんだから」
二人がそんな言い合いをしている最中にも、そいつは徳利に残った日本酒を自分のお猪口に注ごうとしていた。ゲンマが「おい、そいつまた呑もうとしてるぞ」と注意すれば、カカシと紅は、あッ!? と声をあげ、徳利とお猪口をひったくり上げる。
「ったく油断も隙もあったもんじゃないんだから。今日はもうだ~め。おしまい」
「え~、いいじゃないですか。あと一杯だけ」
「カカシの言う通りよ。お酒を飲めるようになったのだって、つい最近のことでしょ。これ以上は、ちゃんとお酒との付き合い方を分かってからにしなさい」
「紅さんのけち~」
「誰がけちですって~」
酒が入ると気が大きくなる、というよりも気が緩むと表現した方がいいのか、普段なら決して叩かないような軽口を紅にきいている。
紅に頬を引っ張られながら「いたいです~」と泣きべそを掻いているそいつを、カカシは烏龍茶に口を付けながら、ジッと見ていた。
飯も酒もかなり進み、そろそろお開きにするかという時刻になると、彼女はすっかり出来上がっており、後半は個室ということもあったので、紅に膝枕されながら寝てしまっていた。
時折、むにゃむにゃと寝言を言いながら、紅の膝の上で満足そうに寝ているが、後日こいつに「お前、あの時紅に膝枕されてたぞ」と言えば、おそらく猫のように飛び上がって、紅の元に謝りにいくんだろう。
「ほら、起きなさい。そろそろ出るわよ」
「ん~~、もう朝ですか?」
「朝じゃなくてお店を出る時間。立てる?」
「大丈夫……、大丈夫です」
紅が介助しながら立たそうとすると「オレがやるよ」とカカシが割って入り、そいつの脇下に手を差し込む。
「あら、珍しい。カカシがこの子に手を貸すなんて。いつもは避けてるのにね」
「避けてるのはオレじゃなくてこいつね。帰り道も方向一緒だから、オレが送っていくよ」
「…………この子に手だしたら承知しないわよ」
「そんなことするわけないでしょ。ほらちゃんと立って。行くよ」
「ん~? ……たんぽぽの綿毛?」
おそらくカカシの頭を見て、たんぽぽの綿毛だと思ったんだろうが、カカシの頭を「もふもふだ~」と、ぽふぽふ触るそいつと、唖然とした表情でされるがままのカカシは正直見物で。思わず「ブフッ!!」と噴きだす。
「ぷッ……」
「ブフフッ!!」
「アッハハハハ!! お前の頭、たんぽぽの綿毛だってよ~!!」
見れば、紅やゲンマ、オビトたちも同様に噴きだして笑っていた。それを鬱陶し気に見るカカシ。
「なに笑ってんのよ」
「いや、別に? ただ仲が良くて微笑ましいなって思っただぜ? なあ?」
「ええ。確かに言われてみればカカシの頭はたんぽぽの見たいね」
「ギャハハハ!! これからお前のことをはたけカカシじゃなくて、はたけたんぽぽって呼んでやるよ」
「はたけたんぽぽ。なんか可愛い響き~」
全員にすっかり酔いが回り、これ以上話が広がると収拾が付かなくなりそうだったので「おら、さっさと出たでた」と半ば強引に店の外に出す。
カカシに腰を抱きかかえられながら店の外に出たこいつも冷たい夜風に当たると、幾分か酔いが醒めたのか、一人で歩けるぐらいには回復していた。
しかしいくら里の中とはいえ、時間はもうすっかり遅く、女が独り歩きするには暗すぎる。一人でも帰れると言い出したので、そこは全員一致で「危なすぎる」と意見が合い、当初の予定通り、カカシが送ることになった。
「べつにだいじょうぶですよぉ? ひとりでも問題なくかえれるのでぇ」
「まだ呂律も回ってないし、顔も赤いでしょ。いいから大人しく送られてなさい」
「は~い。それじゃあ皆さん、さようなら~。楽しかったです~」
「気をつけて帰るのよ。また皆でご飯行きましょう」
「ぜひ~~」
ニコニコと手を振るそいつは上機嫌にカカシの腕を取ると「さ、行きましょ~」と帰ろうとする。スキンシップなんて普段滅多に取ることのないそいつが、こうも自分からカカシに触れるなんて珍しいこともあるもんで。
それはカカシ本人も同じことを思ったのか、一瞬右目を大きく見開き「オレたちがいるところ以外で絶対酒飲んだら駄目だからね」と、まるで彼氏みたいなことを言っていた。
「送り狼になるなよ~」
そう野次を飛ばせば「だからそんなことしないって」と、ジロリと睨みつけてきた。
「大丈夫かしら、あの二人」
「別に大丈夫だろ。流石に酔っぱらってる奴に手を出すほど終わっちゃいねえよ、カカシも」
「いえ、別にそこは全く心配していないけど」
「お、おぉ……」
いくら相手が酔っ払いの女とは言え、そこで手を出すような奴じゃない。そう言い切れば、紅はそこじゃないときっぱり言い切る。
「あんなヘタレがその場の勢いに乗じて手を出せるなんて微塵も思ってないもの」
「散々な言われようだな。じゃあ何を心配してたんだよ」
「あの子……、お酒が入るとだいぶ口が軽くなるところがあるから。余計なことを言わないかが心配で」
「余計な事って……、日頃あいつがカカシに溜まってる不満とか?」
「それはそれで面白いことになるからいいんだけど……、まあこれ以上は余計な心配ね」
一人で納得してしまったのか、うんうんと頷き、会話を終了させてしまう。
「じゃあ明日非番の人たちは二件目に行きましょうか」
「マジかよ。ここから更に呑むのか?」
「当たり前でしょ。折角の休日の夜なんだから。あれぐらいの飲みじゃ勿体ないわよ」
「相変わらずつえーな」
次の日、若干の酒臭さを残しながらも、二日酔いにはなっていない体で町中を歩いていれば、昨日の飲み会メンツとばったり出くわし、お互いすることもないので、適当にその辺をぶらついていると、公園の桜の木の下にあるベンチに座っているカカシの姿を見つけた。
「よ~う! カカシ、元気か!」
オビトが早速駆け寄り、どこか元気が無さげに項垂れているカカシの肩に腕を回す。普通ならそこで「うるさい。耳元でそんなでかい声で喋らないでよ」とオビトの手を離そうとするのに、今日のカカシは「……まあ、うん。それなりかな」とどこか元気が無さげに見えた。
「どうしたの? カカシィ? 二日酔いとか?」
「いやこいつ昨日ほとんど飲んでねーって」
「あ、そっか。そしたらどっか具合悪いとか?」
リンが心配そうにカカシの顔を覗き込むと「別にそんなんじゃないって」と、ゆっくりを顔をあげる。
「お前その顔……」
「わ、隈すごいよ!」
元々の体質なのか、女と比べても白い肌色をしているカカシの顔色は明らかにいつもよりも悪く、目の下には濃い隈を作っていた。目もいつもよりも死んでおり、明らかに疲れた様子を見せている。
「お前、まさかあのまま任務に行ったのか?」
思わずそう聞けば「いや、違うけど」と、やはりどこか覇気のない返事が返ってくる。心なしか毛先もしおれている。
「まさか本当にあのまま送り狼しちまったんじゃねえだろうな~」
昨日の夜、というか日付を越した二件目で見事に紅に潰されたゲンマは、多少の酒臭さを残しつつ、いつものように千本も咥えながら、ニヤニヤとそんなことを聞く。
それをあえて聞くってことは、こいつもそんな可能性は百に一つもないって思っている証拠であり、隣のライゾウも「じゃねえのか~」と合の手を入れている。
そんな茶化しを入れてくる同期を横目に見ながら、カカシは、はぁ~~っと一つ大きなため息を吐いた後、
「好きな子にそんなこと出来るわけないでしょ」
と、額当てが下がっているほうの頬に手を当てながら、そんな爆弾発言を落とした。
その時の反応は男と女で見事に分かれていた。
オレたち男メンバーは各々驚いたリアクションを見せていた。ゲンマは咥えていた千本をぽとりと落としていたし、オビトはあんぐりと口を開けた後「えええぇ~~ッ!!」とでかい声を出し、カカシに「うるさい」と言われていた。
対して女子メンバーは知っていたかのように、ニマニマと笑みを浮かべ、カカシの横を陣取っていたオビトと退かし「やっと自覚したのね~」「よかったねぇ~」とわき腹を小突いていた。
「で、で、で! なんでいきなりあの子への気持ちを自覚したのよ! あの後、絶対なにかあったんでしょう!? 詳しく教えなさい。それこそ一言一句違わず教えなさい!」
「も、もしかしてどちらかは告白しちゃったとか? あ!? それとももう想いを伝えた後だったりするのかな? 告白した時の言葉とかはどんなだったのぉ?」
「……随分楽しそうだね、二人とも」
「「ええ、とっても」」
くノ一の中でもトップクラスに気が強い紅と、なんやかんやカカシが頭が上がらない存在のリンに両サイドを挟まれてしまっては、流石にあのカカシも強く出れないのか「え~、本当に言わなくちゃ駄目なの?」と気弱な声を出しながらも、せめてもの抵抗として言うのを渋っていた。
しかしそんな些細な抵抗も、二人の言うまで絶対に帰さないという視線の圧力に長時間耐えられるはずもなく、結局はあの後なにがあったのかを説明する羽目になっていた。
「……だから、それで、あいつがオレのことを『世界で一番幸せになってほしい人です』って言ったから」
「え~~、それでカカシもついにあの子への気持ちを自覚したんだぁ~! 素敵~~! すごい素敵~~!!」
「思っていたよりかは優しい展開だったけど、まああの子らしいと言ったららしいわね」
「もういいでしょ。ここまで話してあげたんだから」
「まだまだここからだよ、カカシィ」
「そうよ。それを聞いて、あなたがどう思ったのかを聞くまでが本題なんだから。で、その子にそう言われて、カカシあなたはどう思ったの?」
「嘘でしょ。そこまで話さないといけないの」
かなり赤裸々に昨日の出来事を話させていたというのに、紅とリンはまだまだカカシを離す気はないそうで。途中で逃げようとしたカカシの腕をがっしりと掴み、どこにも逃げられないようにしている。
「いいなぁ、青春だなぁ! 誰かを大切に思う気持ちはそれだけ自分を強くするのだぞ、カカシィ!!」
「オレたちもう青春って歳でもねえだろ」
「なにを言う! オレたちの青春は終わらないのだぞ! それこそこの命尽きる時まで、オレの魂は熱く燃え上がるのだ~~!!」
「確かに。この中じゃ、ガイが一番若く感じるときあるわ」
三人が座っているベンチを囲うようにして立ちながらそんなことを話していれば「なんでお前らはまだここにいるのよ」と、じろりとこちらを睨んでくるだ、この状況下じゃ、いくらこいつに睨まれたところで痛くも痒くもない。
「え? そんなの決まってるだろ」
「こんな面白い話を聞かない選択肢あるわけないだろ」
「折角の同期、それもお前の恋ばなともなればなぁ。これ以上に面白い話はそうはないぜ」
「オレにいくらでも相談するといい、カカシ! オレはあいつのことをよく分かっているからな! いつでも相談に乗るぞ!!」
「ガイ、お前……。今の発言はまずいだろ」
ニカッと真っ白な歯を見せながら、カカシに向かってグッドサインを出しているガイの肩をポンッと叩けば、まずいと言われた意味がまるで分かってないのか「何故だ?」と頭にはてなマークを飛ばしている。
間違ってはない。間違ってはいないからこそ、多少きまずいものがあるということを分かってくる。
オレの気持ちを汲み取った連中は、うんうんと頷いているのが、ガイともう一人言葉の真意を読み取れなかったオビトはあろうことか
「でもオレ、てっきりあいつはガイと付き合ってるんだとばかり思ってたわ」
と全員が思いながらも決して口にはしなかった禁句ワードを言ったので、ガイを除くその場にいた全員の冷たい視線が降り注ぐことになった。
「お前、本当にさ……」
「この場でその発言はありえないわね」
「そうだよ、オビトぉ」
「お前は少し空気を読むってことを覚えろ」
「いくらなんでもそれはありえねえな」
「確かに。お前がオレたちの仲間じゃなければ、今頃地に伏せているな」
「そんなにかよッ!?」
そんなやりとりがあってからというもの、それ以来カカシの彼女に対するアプローチは、傍から見ても分かりやすすぎるものがあった。
わざわざあいつが任務から帰ってきそうな時間を見計らっては、大門の前で待ち伏せては、偶然を装って「よッ、偶然だね」と声を掛けていたり。
団子屋で一人団子を食べているあいつを見かけた時には、任務時でしか見せないような素早い動きを見せ「ちょうどオレも団子食いたい気分だったんだよね~」と、ちゃっかり隣の席を確保していた。
「カカシさんもお昼まだなんですか?」
「うん、実はそうなんだよ。この後空いてたりする? 空いてたなら一緒に昼飯食べに行こ」
「いいですね。四人でご飯行くのも久しぶりですね」
嘘つけ。お前さっきまで俺たちと一緒に定食屋で秋刀魚の塩焼き定食、ご飯大盛食ってただろ。
そうは思っても、決して口には出さない。人の恋路を邪魔する奴はなんちゃらって話だ。
「私たちはもう食べてきたから今回は遠慮しておくわ」
「オレもだな。今回は二人で行って来いよ」
気を利かせてオレたちがそう言えば、カカシは何も言わなかったが、目では「ナイスッ!!」と言っていて、彼女に見えないところでグッドサインを出していた。
貸し一な? とこれまた目で伝えながら、カカシを残して団子屋から離れる。
「カカシもあんな分かりやすくアプローチしてんのに、なかなかあいつらくっ付かねえな」
「まああの二人は色々と特殊だからね。それにあの子、やけにカカシを神聖視してるところがあるみたいだし。あの子をオトすのは苦労するんじゃないかしら」
「あ~~、確かにそんな節はあるな。あいつの口癖の一つが『私がカカシさんの隣なんて滅相もない!』だしな」
「あの子ももう少し自尊心持ってくれるといいんだけど」
そんな会話をしながら、いつあの二人がくっ付くのか楽しみにしていたところに、あいつが殺されたという情報を聞かされた時、真っ先に思い浮かんだのは、カカシの顔だった。
カカシはもうこの事を知っているんだろうか。
あいつが殺されたことを、カカシの耳にはもう入っているんだろうか。
しかしそんなことを、腕の中で泣きじゃくっている紅に聞けるはずもなく。ただただオレは紅の背中を擦る事しかできなかった。
ーーーーーー
あいつが死んでからも、当然のように日常は続いていて、街中を歩けば平和そのものだった。子供たちの楽し気な笑い声や、道脇で楽し気に井戸端会議をしている大人の話し声が聞こえてくる。
店が多く立ち並ぶ通りに出れば、より人通りは多くなり、耳に届いてくる声の多さは段違いだ。
たまに聞こえてくる女の笑い声。その声につい反応してしまい、思わずそちらをバッと振り向いても、そこにいるのは全くの別人で。落ち着いて聞いてみれば、声のトーンも声色もまるで違う。
どうしてこれを聞き間違えたのか、自分でも分からないほど全く似ていない。それもそうだ。だってあいつはもう死んでいる。死体だって見た。
覚悟を決めてあいつの死体と対面したはずなのに。
それこそ仲間の死体を見るのも、あれが初めてではないはずなのに。
頭から被されたシーツをゆっくりと剥がされ、その下から現れた、まごうことなきあいつの顔と、心臓があった場所にぽっかりと空いた穴を見た瞬間。
「~~ッ、ふ、ッ、ぅ、う゛ッ」
もしかしたら別人かもしれないという僅かばかりの可能性を目の前で叩き潰され。
『あ、アスマさん! お久しぶりです~!』
『今度紅さんと二人きりでデートですか? いいですねぇ~』
『見てください! 教員免許無事とれたんですよ~!』
笑顔でオレたちの元に駆け寄ってくる姿が脳裏を過り、思わず涙を流してしまった。
紅やリンもかなり悲しんでいたが、ガイとイルカは特に消沈している様子だった。
ガイはオレたちの中でも特にあいつと過ごす時間が多かった。ガキの頃から、あいつはよく「師匠、師匠!」とガイの後ろを付け回し、一緒に修行に励んでいた。
逆立ちをして里を一周するという奇行としか思えないような修行を二人でしている様子を見かけたのだって一度や二度じゃない。
一楽でよく肩を並べてラーメンを啜っている姿をよく見かけていたし、ガイもあいつのことは特別気にかけていた。
人との距離感が広めなあいつもガイにだけは特別心を許している様子で、修行の一環だとしても、よくお互いにおんぶをしあっては、里の中を走り回っていたし、ガイの言葉に一番よく笑っていたのもあいつだった。
大口を開けて楽しそうに笑い、ガイもそれを見て更に高らかに笑っていた。
そんな愛弟子でもあり修行仲間でもあり大切な後輩を失ったガイは、かなり落ち込んでいた。いつも浮かべている鬱陶しいほどの笑みは失われ、真っ青な顔をしながら、霊安室から出た廊下に項垂れるように座り込んでいた。
次の日にはいつも通りのガイに戻っており、どこか暗いムードが漂うオレたちに気を遣ってか、いつも以上にでかい声で「前を向け! 下を向いてばかりではあいつが悲しむぞ!」と励ましの声を掛けていた。
しかし、それはオレたちを気遣っての行動だと気付いたのは「腹が減っていては気分も落ち込むものだ! 一緒になにか食べに行こう!」と誘われるまま一楽へと行った時だった。
ガイはいつもの癖で「大将! ラーメンを三つ! 一つは青ネギ抜きで頼む!」と注文していた。それは青ネギが嫌いではないけど好んでは食べないという、あいつのためのラーメンで。事情を知っている一楽の亭主が気まずそうな表情を浮かべたところで、ガイも「そうだった、な。つい、いつもの癖で頼んでしまった。……オレとしたことが」と気付いた。
膝の上で包帯が巻かれた両手をギュゥッときつく握りしめ、ラーメン屋によくある朱色に塗られたカウンターに額が付きそうなほど頭を下げているガイの肩は僅かに震えていて。
「弟子を守ってやるのがッ……、師匠としての役目だと言うのにッ……!」
カウンターにぽたぽたと雫を溢しながら静かに泣いているガイを見て、こいつも自分の中であいつを救えなかった後悔を抱えていたのだと悟った。
「おっちゃん。ラーメンそのまま三つで頼む。全部大盛で」
「ッ……、あいよ!」
カウンターの向こうで悲しそうな表情を浮かべている一楽のおっちゃんに指を三本立ててラーメンを頼めば、いつもの元気の良い声を出して、手際よくラーメンを作り始める。
下を向き「ッ、ッ、…!」と小さく泣いているガイの背中をパンッと気合を入れるように叩く。
「食おうぜ、あいつの分まで。腹がはち切れるぐらいまで食って、それで先に逝っちまったあいつに自慢しようぜ。木の葉の里の一楽は天下一品だって。そっちの世界にはこんな上手いラーメンねえだろって」
「ぐすッ、あぁ、……あぁッ! あいつもここのチャーシューが一番上手いと気に入っていたからな! あいつの分までオレが食ってやろう!」
目元をぐしっと袖で拭きながら、僅かに赤らんだ目で「大将! チャーハンも追加してくれ!」と頼むガイだったが、おっちゃんの好意で「これはうちからのサービスだよ!」と餃子を追加され、二人で大盛ラーメン三人前とチャーハンと餃子を片付ける羽目となり、その時だけは悲しみよりも腹がいっぱいだという苦しみが勝っていた。
「も、もう食えねえ……」
「諦めるな、アスマ!! 諦めたらそこで負けだぞ!!」
「本当は……、あの時、私が彼女を送る予定だったんです」
「そうだったのね」
「はいッ……。それを彼女が『まだ作業があるから先に帰っていてください』っと言ったので……、わた、私は先に帰って、しまったんですッ……」
死んだあいつと最後に言葉を交わしたイルカは、ずっと自分を責め続けていた。
「私がッ……! 私があの時、先に帰らなければッ……、一緒に帰っていれば、彼女は、死なずに、殺されずに済んでいたのかと思うとッ……!!」
自分を責めずにはいられません!!
溢れ出る涙を手のひらで押さえながら、誰もいない校舎の裏でしゃがみこんでいるイルカには、オレたちとはまた違った苦しみがあるのだろう。
あいつが殺された時も、イルカは霊安室でひたすらに「ごめんなさいッ……! ごめんなさい!!」と、あいつの遺体に向かって謝っていた。
あいつの母親が「そんな謝らないでッ……。あの子が死んでしまったのは、貴方のせいじゃないわ」と土下座をして謝っているイルカの肩に手を当て、頭を上げさせていた。
今回の事件は誰のせいでもない。全てはあいつの心臓を貫いた犯人に全責任があり、今なお木の葉の里の忍びが躍起になって犯人を捜していると言うのに、未だに手掛かり一つ見つけられずにいる。
犯人が捕まれば、イルカの肩に重く圧し掛かる後悔と自責の念を軽くしてやることが出来たのかもしれないが、憎たらしいことに相手は痕跡を一切残していない。
潰された心臓の周囲に微かに残るチャクラも解析したが、未だに有力な手掛かりは見つかっていない。
生徒の前では気丈に振舞っているようだが、こうして生徒も全員帰った夕暮れの時間になると、校舎裏の雑草の陰に隠れて、一人あの時のことを後悔し続けていた。
「分かっているんですッ、忍者たるもの過去を顧みるな。仲間の死を必要以上に悲しむな。ありもしない未来を想像するな。もしもあのときこうしていれば、と後悔するな、と分かってはいるんですがッ……、それでも夢に見てしまうんです」
膝を抱え込みながら、震えるイルカの背中を紅は優しく撫で続ける。
「あの夜、私がちゃんと彼女をッ、自宅まで送り届けていてッ……、それで次の日も、変わらずにアカデミーに出勤していて、生徒に元気よく挨拶しているッ……、そんな、そんな夢を見てしまうんです……」
「……そうだったのね」
「すみません、私ばかり弱音を吐いてしまってッ……。皆さん、辛いのは一緒なのに」
「いいのよ。辛い気持ちを一人で貯め込むと余計辛いだけだから。吐けるときにこうして吐いていいのよ」
「オレたちだってそうだ。……あの夜、一緒に夕飯でも食わねえかってあいつを誘ったけど、あいつは『仕事があるからまた今度行きます』って来なくてよ。あの時、強引にでも飯に誘っていれば、って。何度後悔してもしきれねえよ」
でもな、と言葉を続ける。
「そうやってその後悔に向き合い続けているお前は偉いよ」
紅が座っている反対側に視線を合わせるようにしゃがみ込み、肩をポンッと叩く。
「大概の人間はそういった後悔や自責の念に堪え切れなくなって、忘れようとするか、目を背けるか、あれはしょうがないことだったって思おうとするからな。別にそれが悪いって言ってるわけじゃねえ。人間、そうやって自分を守っていってるからな」
でもな……、と言葉を続ける。
「どんなに忘れようとしても無かったことにしようとしても、過去は無くならねえし、後悔が消えることも決して無いんだよ。残されたオレたちはそれを必死で背負って、そいつらの想いや託された未来を守り抜いていくしかねえんだ」
「託された……、未来」
「あいつはどんなことを言っていた? どんな里の未来を話していた?」
「彼女は……、いつも、自分の大切な人に、笑顔でいてほしいと、話していました」
「そうか。あいつらしいな」
「本当に。あの子らしいわ」
膝に埋めていた顔をゆっくりとあげ、震える声でイルカは、ぽつりぽつりと話し始める。
「こうも話していました。……里の未来はッ……、これから里を担っていく子供たちに掛かっている。だから、子供たちをどう育てていくかが、とても、とても重要だと」
「確かによくそんなこと言ってたな」
「生徒からも大人気だったんでしょう?」
「とても愛されていました。……いえ、愛されています。彼女はどんな生徒にも、平等に優しくて……、私たちにも、常に気を遣ってくれていてッ……、とても素晴らしい人です」
ボタボタと両目から涙を流すイルカの目は、すっかり真っ赤に染まり、翌朝まで引きずるような腫れ方をしていた。
イルカの両親は九尾の襲撃の際に殉職しており、それをあいつはよく気にかけていた。
家で引きこもりがちになっていたイルカの元に、籠いっぱいのフルーツや食べ物を持参しては「イルカく~ん! 開けて~~!!」と、押しかけ女房のようなことをしていた。
最初は家のドアを開けようとしなかったイルカだが、三度目の訪問にイルカの方が先に根負けしてしまい、渋々ドアを開けていた。
『やっと開けてくれた』
『……なんですか、毎日毎日。近所迷惑なんですけど』
『じゃあ近所迷惑にならないように家の中にお邪魔するね』
『え? いや、ちょッ!?』
玄関の前に立つイルカの横をするりとすり抜けると、あいつはドシドシとイルカ宅に上がり込んでいく。そんな背中を慌てたように追いかけるイルカを見ながら、たまたまついてきていたオレと紅は唖然としていた。
『あの子、変なところで度胸というか肝が据わってるわよね』
『ああ、本当にな』
イルカの自宅は、まあものの見事に荒れ放題で、ゴミも散乱していれば、まともに飯を食った形跡も無かった。
『イルカ君。最後にご飯食べたのっていつ?』
『なんでそんなこと……』
『いいから答えて』
『……二日前に食パンを齧ったけど』
『なるほど、分かった。とりあえず出来るところまで家を綺麗にして、あったかいご飯を取ろう』
『な、なんでそんなこと貴方に指図されなくちゃ……』
『アスマさんも紅さんもお手伝いお願いしてもいいですか?』
『え、ええ。私は別にかまわないけど』
『オレも別にいいぜ』
『ありがとうございます。そしたらまずキッチン周りから片付けましょう』
『ちょ、人の話を聞けってッ……!!』
最初は不満そうにしていたイルカだったが、あいつが作った卵入りの雑炊を一口食べると、一瞬目を見開いた後、手に持っていた椀を傾け、夢中で雑炊を食っていた。
『いくらでもおかわりあるからね~。たくさん食べな』
『んッ…、ぐすッ、ぅ、う゛』
雑炊をかき込みながら泣くイルカの姿に器用だなとは思いつつも、じろじろ見るもんじゃないかと、あえて気付かないふりをして、雑炊に口を付けた。
『あの……、色々とありがとうございました』
『全然。こちらこそ急に押しかけてごめんね。今日はゆっくり寝るんだよ』
鍋いっぱいに作った雑炊を全て食いつくし、残った片づけを終わらせた時には、既に外は暗くなっていた。玄関を出たところまで、オレたちを見送っているイルカに軽く手を振りながら、三人で帰路につく途中で、どうしてあんなことをしたのか? と聞いてみれば、あいつは
「人間、悲しい時こそ温かな食事を摂るべきだと思うんです。お腹が空いてたら、悲しみが倍になってしまいますし。私に出来ることは少ないですが、少ないなりにでも出来ることもあると思うんです」
と、言っていた。
「アスマさんも紅さんも。今日は本当にありがとうございました。また後日お礼させていただきますね」
「あら、そしたら高級料亭でもご馳走になろうかしら」
「ああ、いいなそれ。オレもそれで頼む」
「えっ!? も、もう少しお財布に優しいものだとありがたいんですが……」
「ふふふッ、冗談よ。今度お団子屋に寄った時にでも、なにかご馳走になるわ」
「オレは別に高級料亭のままでもいいけどなー」
そんな話をしながら、オレたちは月明かりが照らす里内を歩いていた。
オレたちがイルカの家に行ったのは一度きりだったが、それ以降も、あいつはちょくちょくイルカの家に顔を出していたらしく。ガイやカカシを連れて訪れたこともあるらしい。
ガイはまだ分かるが、何故カカシも? とも思ったが、そこは深く突っ込まなかった。
そんな経緯があったからか、イルカは特にあいつに心を許しているようだった、二人がほぼ同い年ということもあり、いつしか二人はタメ口で話すようになり、中忍待機所で仲良さげに話している様子も、ちょいちょい見かけた。
そこにカカシが居た時は、ほとんど額当てと口布で顔が隠れている癖に、なんとも複雑な表情をしていることが読み取れてしまい。その時はタメ口で話している二人が羨ましいのかと思っていたが、今思えば、あれは嫉妬していたんだろう。
よ、お二人さん。仲良さげになに話してるの? と二人の間に入っていたこともあったし、あいつに「オレのこともカカシって呼んでよ」と頼んでいたこともあった。
案の定「それは無理ですね」って断られていたけど。
ほぼ同じ時期にアカデミーの教師となってからも、二人は変わらずに仲の良い同期といった感じで、飲み会にも、あいつの計らいの元、いつしかイルカが参加するようになっていた。
二人の仲は恋人同士といった感じよりも、どちらかといえば気心の知れた姉弟といった感じのほうが強く、実際二人はお互いのことを全く異性として意識していなかった。
飲み会の帰りで、イルカと二人きりになる瞬間があったので、思い切って「あいつのことどう思ってるんだ?」と酒の力も借りて聞いてみれば、イルカは酒の回った頭で「私の大切な恩人です~~」と、少しふにゃふにゃした口調で、そう答えていた。
それ以上突っ込んだことを聞くのは野暮かと思ったので、それ以上はあえて聞かず「そうか」とだけ返していた。
そんな間柄だったからこそ、イルカに圧し掛かる自責の念は、より一層強いものがあるんだろう。
「……よしッ! なにか上手いもんでも食いにいくか」
イルカの背中を少々強めにバシッと叩けば、前に倒れ込んでしまったイルカの腕を抱え、無理やり立たせる。
「え? い、今からですか!?」
「おお、今からだな。あいつもよく言ってただろ。人間、腹が空いてると余計なことを考えるって。だから上手いもんでも食おうぜ」
「違うわよ。正しくはお腹が空いてると悲しみが倍になるって言ってたのよ」
「そうだったけか? まあ細かいことは気にするな。まずはその泣きっ面、水道で洗い流してから飯屋に行こうぜ。今日はオレの奢りだから好きなもん食え」
「え? え、えッ?」
「やったわね。アスマの奢りだからお腹いっぱい高いもの食べてやりましょう」
「おいおい、少しは加減してくれよな」
イルカの腕を腕に挟みながら、半ば強制的に飯屋へと連行する。
一応気を遣って個室タイプの飯屋を選び、好き勝手に料理を次から次へと注文する。
テーブルに溢れんばかりに並べられた料理の数々に、最初は圧倒されていたイルカだったが、一口炒飯に口を付けると、昔のように器を持って、口いっぱいに詰め込むように食べていて。
「ぐすッ、ぐすッ、ぅ、う、ぐすッ」
大粒の涙を流しながら飯を食っている姿は、あいつと一緒にイルカの家で雑炊を食った時と、まるっきり一緒で。それがなんだか可笑しいやら懐かしいやらで。
こうしてまた定期的にイルカを誘って、全員で飯を食おうと思った。
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カカシに会ったのは、それから二日後のことだった。
「……よう」
「なんだ、アスマか」
「なんだってなんだよ。失礼な奴だな」
思ったよりも任務が長引き、すっかり遅くなってしまった帰り道。
夜空には満月が浮かび、暗い夜道を明るく照らしている。そんな帰り道の道中、ふと人の気配を感じたので、自分たちがよくガキの頃に遊んでいた公園に目を向ける。
子供が遊ぶにはあまりにも遅すぎる時間。
なんとなく気になったので、足をそちらに向け、公園の入り口を通れば、そこにカカシはいた。
満開の桜の木の下で、一人静かに背中を丸めながら、ベンチに腰かけていた。そこはカカシが初めてあいつへの想いをオレたちに告白した場でもあり。
時折吹く風によって、はらはらと落ちる淡い桃色の花弁が、カカシの体の上に落ちていた。
一瞬、何も言わずにその場を立ち去ろうかとも思った。
しかし今のあいつを一人にしてはいけないと直感でそう思い、気づいた時にはオレはカカシの隣に腰かけていた。
ちらりとオレに視線を向けたカカシだったが、すぐさま視線を足元の地面に落としてしまう。公園の心もとない街灯の明かりと月明かりに照らされたカカシの顔は一切の生気を感じられず、思わずぎょっとするほど青白い顔をしていた。
それになんとなく痩せたようにも見える。
「……飯、ちゃんと食ってるのか?」
最初は大丈夫か? と声を掛けようと思ったが、こいつのことだ。全く大丈夫じゃないくせに大丈夫だと言うことは目に見えていた。それにこいつは自分の弱いところを誰かに簡単に見せるような人間じゃないってことも、よく知っている。
暫く考えた後、絞り出した問いかけが予想外だったのか、カカシは僅かにフッと笑い「食べてるよ」と覇気の無い声で答えていた。
「最近は任務続きだったからね。ちゃんとした飯を食べる時間はなかったけど、ちゃんと食べてるよ」
「……そうか」
カカシが任務続きなのは、オレも知っている。それのほとんどが上から任された任務外のもので、それこそ寝る間もないほどに詰められた過密なスケジュールを自分で組み、ここ数日間それをこなしていることも知っている。
それは四代目も危惧しており、任務の報告に行った時も「あんな働き方をしてたら、近いうちち自分自身が体を壊してしまうって忠告してるんだけど、中々聞く耳を持ってくれなくてね」と、かなり心配していた。
四代目が忠告しても聞く耳を持たないこいつが、オレが同じことを言ったところで違う結果になるとは思えない。
恐らくだが、これがカカシなりの悲しみの乗り越えかたなのだろう。
ガイは敢えて気丈に振舞い、イルカはあえて感情を爆発させることで、あいつが亡くなった悲しみを乗り越えようとしている。
カカシの場合は、それが任務に没頭するということなのだろう。
任務に就いていれば、その時は余計なことを考えずに済む。あいつを失った悲しみをひとときの間だけでも忘れることは出来る。
あえて悪く言うのであれば、それは現実から目を背けているだけの行為でしかないのだろう。
――ねえねえ、アスマ! バレンタインにあの子からチョコ貰ったんだけど! これって脈ありってことかな!? え? なに? お前も貰ってるの? はい、回収しま~す。
――飯に行っても、オレの隣に絶対に座らないのはなんでだと思う? は? 加齢臭がするからだろって? はぁ~~? そんなことあるわけないでしょ。オレよりもずっとアスマのほうが匂いに決まってるでしょ。
――あの子さ、髪の毛ばっさり切ってたでしょ? あれってつまり失恋したとか、そういう事かな? え? 違う? 熱くなったから切っただけだって本人が言ってた? たまには役に立つじゃん、アスマ~!!
――あいつが生徒に好かれるのはオレとしても嬉しいことなんだけどさ……、折角の休み、なんとか予定を取りつけて二人で出かけている時に、一々アカデミーの生徒が乱入してくるのだけは、少し考えちゃうよね~。どうせなら里の外にでも連れ出そうかな。
しかし、いつもは死んだ魚の目している奴が、あいつのこととなると分かりやすすぎるぐらいに目に光を入れ、喜怒哀楽をはっきりを表し、一挙手一投足に一喜一憂しているカカシを知っているからこそ。
いまこいつはどれほどの悲しみや後悔に打ちひしがれているのかが分からないからこそ。
ちゃんとあいつの死に向き合えってやれとは言えなかった。
(いや、違うか。こいつも自分なりに向き合おうとしているか)
現にカカシがここにいるのがそうだ。
カカシと彼女は、よくこのベンチに腰掛け、話していた。
時刻は大体決まって、公園に子供の姿がない明け方か夜遅くだったが、缶コーヒーをお互いに一つずつ持ちながら、会話をしている光景をよく見かけていた。
それはオレたちがガキの頃から変わらない光景で。
ガキの頃は、よく指南書を読みふけっているあいつの隣で、そこはそう解釈するんじゃないとか野次を飛ばしながら、聞かれた質問には全て答えているカカシの姿があり。
その時の二人の距離は、丁度人一人分開けられていて、たまにカカシのげんこつが飛んでいた。
しかしその距離感も年月が経ち、歳を重ねるごとに近まっており、あいつがアカデミーの教師になってからは、膝と膝がぶつかりそうなほど近づいていて、肩なんかほぼ触れ合っていた。
来月から教えることになった担当科目の教科書を必死で読み込んでいるあいつの横顔を頬杖を付きながら、右目を優し気に垂れされているカカシは、ずーっとあいつの横顔だけを眺めていて。
たまに飛んでくる「これってどう説明したら分かりやすいと思いますか?」という質問に対しても「ん~? どれ?」となんとも甘ったるい声を出しながら、頭が付きそうなほど近い距離で教科書を覗き込んでいて。
あの距離感だというのに、未だに付き合うどころか告白すらしていない事実に驚いていた。
一度だけ何気なくカカシに「あいつに告白しねえのか?」と聞いてみたことがあった。
その時は「ん~、そうだなぁ」と少し考えた素振りを見せた後「ま、近いうちにね」とはぐらかすような笑みを浮かべていた。
「いや、近いうちにって。あいつももう二十歳超えてるだろ。将来のことを色々考えるなら早い内に告っておいたほうがいいんじゃねえのか?」
「まあそれはそうだけど。今のあいつに告白したところで『私なんかがカカシさんの恋人なんて滅相もないです!』って断られるのは目に見えているし」
「……あ~、まあ、確かに。そうだな」
「でしょ? だったらまずは確実にオレのことを好きにさせてから告白したほうが勝率も高いでしょ」
「お前って実はすんげえ自信家だよな」
「なに言ってるの。狙った獲物は確実に仕留めたいだけだよ」
フフンと自信がありげに笑うカカシはどことなく楽しそうで。事実、あいつと一緒に居るときのカカシは楽しそうに笑っていることが殆どだった。
だから、さっさとくっ付いちまえばいいのにと思っていた。
付き合う前の惚気話も散々聞かされていたが、付き合ったら付き合ったで、今までの倍以上の惚気話を聞かされる羽目になるんだろうと思っていた。
それこそ耳に胼胝ができそうなほど、何度もなんどもあいつの惚気話を聞かされ、酒が回れば、より一層聞かされるもんだとばかり思っていた。
ようやく付き合えた記念日として、紅が「今日は帰さないわよ~! 全部聞かせてもらうんだから!」と息巻いて飲みの席に呼び出し、わざと酔わせてから、赤裸々に恋愛話を聞きだす。
上機嫌に酔ったカカシからは、ぶっちゃけトークが炸裂し、その話にオビトやリンが赤面し、他のメンツはいいネタが仕入れられたとニヤニヤと笑みを浮かべ。
散々話を聞きだしたところで、すっかり酔いつぶれたカカシを回収させるために呼び出した彼女が「お邪魔しま~す」と店に来たところで「もう一人の主役の登場よ!」と無理やり席に着かせ「今度は貴方の番よ~」と紅にあれこれ聞かれ、戸惑いながら正直に話し。
そんな様子に「オレの彼女をイジメるな~!」と酔いつぶれたカカシが抱き着き、悲鳴と歓声と冷やかしの声が飛び交う。そんな場が、近いうちに開かれるかもしれない。
そんなことを思っていたのに、現実は霊安室で横たわるあいつの遺体と、公園で一人静かに項垂れているカカシの姿であり。
それはあまりにも描いていた理想の光景とはほど遠かった。
「……また飯でも食いに行こうぜ。いつものメンツ誘ってよ」
「うん、そうだね」
もしもここにいたのがオレじゃなくオビトやリン、四代目やガイだったなら、どんな言葉を掛けたのだろう。
もしもあいつがここにいたのなら、どうやってカカシを励ましていたのだろう。
そんなことをいくら考えても答えが出るはずもなく、結局ありきたりな言葉しかかけてやれない。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
暫くの間、沈黙が流れる。
何を話したらいいのか分からず。なんと声を掛けてやればいいのか。どんな言葉を掛ければ正解なのかが分からないまま時が過ぎる。
時折吹く冷たい風は、頭上に咲く桜の枝をザワザワと揺らし、花弁を散らしていく。
ふわり、ふわりと舞う一枚の花弁が音もなくカカシの肩に落ちると「……お前の言う通りだったよ」と、少し嗄れ声で口を開いた。
「さっさと想いを伝えればよかった。今はまだその時じゃない。もっといいタイミングがあるはずだって自分に都合よく言い聞かせてさ。想いを伝えられる場なんてそれこそいくらでもあったはずなのに……、オレはそれを全部見過ごしてきて。見過ごした結果がこれだよ」
自嘲したしたようにフッと笑みを浮かべるカカシの顔には影が落ちていて、自分の場所からでは表情はよく見えない。見えないが、声からでも伝わってくる痛いほどの悲しみと後悔の念に、思わず喉の奥が締まった。
「尻込みせずに伝えておけばよかった。お前のことが好きだよって。誰よりも好きだよって。お前はオレのことをよく素敵な人だって褒めてくれるけど、オレからしてればお前以上に素敵な人間はいないよって。伝えておけば……、良かったなんて、今更な話だよね」
「……そんなことお前の口から聞いた日には、あいつ空に届く勢いで飛び跳ねただろうな」
「そうだね。喜んでくれたかは分からないけど、間違いなくそんな反応はしただろうね」
「あいつやけにお前のことは特別視してたもんな。それこそオレたちが引くぐらいには、いっつもお前のことを輝いた目で見てたし」
「ね~。あんな目で見られたら、最初はこいつオレのこと好きなんじゃないの? って思ってたんだけど。いつの間にか立場が逆転してたんだよねぇ」
「ぞっこんだったもんな」
「……うん、好きだよ。たまらないぐらい好き。たぶんこの先、あいつ以上に好きな奴なんて見つからないって断言できるぐらいには好きだよ」
『好きだった』ではなく『好きだよ』
たった一文字の違い。されど、そこの違いにこそカカシが彼女に抱いている想いの強さを如実に表していた。
「いい奴だもんな」
だからあえて自分も過去形は使わなかった。
あいつの存在を過去にしないために。忘れないために。あえてまるで今も生きているかのような言葉を選べば「そうだね」とカカシは小さく呟く。
「どうしようもないくらい能天気で、底抜けにお人好しで、皆から愛されてて、……誰よりも幸せでいてほしかった、なぁッ……」
最後の言葉は微かに震えていた。膝の間で硬く握られている拳も微かに震えていた。
その震えた声になんだかオレもつられてしまい。
「……そ、うだな」
じんわりと熱くなった目尻を誤魔化すために慌てて上を向けば、頭上に広がるのは満月の月明かりに照らされ、思わず息を飲んでしまうほど綺麗に咲き誇っている桜で。
ここの桜は来年も、再来年も、その先も変わらずこうして見事に咲き誇っているんだろうが、もう二度と穏やかに笑い合う二人の姿を見れないのかと思うと。
「……今日は、満月だな」
それが無性に悲しくてたまらなかった。