【玲夜】深夜2時夜。病室の天井には、ぼんやりとした非常灯の光が滲んでいた。
玲夜は仰向けのままスマホを開くと、時計の表示は午前2時を過ぎていた。
SNSを開き、タイムラインを無言で流していく。
楽しそうな声。騒がしい映像。祭り、喧嘩、誰かの恋人とのツーショット。
確かに今起きていることばかりのはずなのに、どれも遠い映画の一場面のように感じられた。
自分には関係のない出来事。
生きている世界が違う。
そう思うのは、きっとずっと外に出ていないから。
でも、ほんとうにそれだけだろうか。
楽しそうな写真。誰かの独り言。様々な知らない誰かの投稿。
その内容は玲夜にとっては遠い世界の営みで、なぜかそれが羨ましかった。
──ぼくも、なにか投稿しようかな。
タイムラインを眺めていたらふと、そんな考えが浮かんだ。
自分も外の人間みたいに振る舞えば、
その世界に混じれるんじゃないかと、そんな気がした。
玲夜はスマホのカメラを起動し、病室の天井を写す。
暗くて、ぼやけて、何も映っていないような写真だった。
でも、それでよかった。
それが、“今の自分が見ている景色”だった。
「眠れない」
そう短く打ち込んで、一瞬だけ躊躇い投稿ボタンを押した。
ただの真似事。
誰かの生活の模倣だ。
でもそれが、ほんの少しだけ自分が“生きている”という証になるような気がした。
知らない誰かが、
見てくれるかもしれない。
気づかなくても、その一瞬だけ画面の中で隣に並べたら──
それだけで、孤独が薄れる気がした。
投稿を終えたあと、玲夜はスマホを胸に置き、天井を見つめた。
静けさは何も変わらない。
けれどさっきよりもわずかに、呼吸が深くなった気がした。
ほんの一瞬だけ、“自分もこの世界にいる”と思えたのだ。
タイムラインに流れる知らない誰かの当たり前の毎日。
誰かと笑い合って、好きなものを食べて、疲れたときは「疲れた」と呟くだけの世界。
それはとても平凡で、でも、玲夜にとっては憧れにも似た異世界だった。
「……ぼくもいつか、ああなれるのかな」
ぽつりと漏れた声は、誰にも届かない。
体さえ、良くなれば。
薬をやめて、もう少し歩けるようになれば。
退院して、自由になれたら──
でも自由になれたとして、本当にあの世界に入っていけるのだろうか?
自分には頼れる人なんていない。
誰かが待ってくれているわけじゃない。
病室の外には、冷たい街と、知らない人たちしかいない。
自分のことを“知っている”人すら、ろくに存在しない。
外に出ても自分は結局孤独のままで、
皆のようにはなれない気がする。
そんな思いが、静かに胸の中に沈んでいく。
明るい未来を思い描いたはずなのに、その輪郭は曖昧で、どこか冷たい。
「早く良くなりたい」
それは確かに本心だった。
でもその先にあるのは、希望じゃなく、孤独だった。
スマホを枕元に置き、玲夜は毛布を引き寄せた。
昔は、こんなこと考えなかった。
昔の自分は今よりもっと純粋で、夢は叶うと信じていた。
まだ母親がそばにいた頃。
母親は時々笑ってくれて、手を握ってくれて、頭を撫でてくれた。
“体が良くなって退院したら、一緒におうちに帰ろうね”
“元気になったら、学校にも行こうね”
そんな言葉を、玲夜は信じていた。
体は治療を続けていればそのうち良くなる。
薬や、苦手な注射を頑張って我慢していればすぐに退院できる。
外の世界はもうすぐそこで、自分も普通になれる。
家族がいて、家があって、友達ができて──
そういう未来が、いつかほんとうに来ると思っていた。
でも、
今はもうどれも存在しない。
母親はいないし、父親は頼れない。
自分は隠し子という立場で誰にも望まれない存在で、
存在を知られてはいけない子供。
退院すれば家に帰れると思っていたけれど、
自分には帰る場所なんて、最初からなかったのかもしれない。
体は一向に良くならない。
退院どころか、どんどん薬が増えていく。
「もう少し頑張れば良くなるよ」なんて言葉は、全部嘘だった。
学校に行くことも、誰かと並んで授業を受けることも、夢のまま終わった。
気づけば、胸の奥がじんと痛む。
泣いているわけじゃない。けれど、泣いているときと同じように、呼吸が浅くなる。
……考えるのはもうやめよう。
玲夜は静かに目を閉じた。
あの頃の、純粋だった自分に背を向けるように。