私の躑躅躑躅 4月上旬 燃え上がる想い 恋の喜び
もういいかーい。遠くから幼い弟の高く澄んだ声が聞こえる。まだ探し始めるには早いが、幼さ故に探すのを待ちきれなかったのだろう。
紅炎はふと口元を緩め、燃えるような赤色の花をたわわに咲かせた躑躅の影に屈んで隠れながら弟に見つかるのを待っていた。紅炎を見つけたら何でもひとつ言うことを聞くと約束したので、紅覇は隠れ鬼を始める前から大興奮だった。最近は何かと忙しく構ってやれていなかったので、今日は朝から紅明共々遊びに付き合っているが、たまにはこんな穏やかな1日もよいものだ。
春の風は満開の花々の香りを乗せてどこか甘く、晴天の青空を見ていると気分がよくなる。外で過ごすには最高の日だ。紅明は書庫から出たがらず無理矢理引きずってきたが、外に出してよかった。あれも兄になったので、弟のことを考えて書庫に帰ったりはしないだろう。炎兄、明兄どこー?という紅覇の声がまだ遠いので見つかるまで多少時間がかかりそうだ。服はもう既に汚れているのだし、いいかと思って膝を抱え直接地面に座る。赤い躑躅に埋もれるように隠れながら、誰も見ていないのをいいことに指先でひとつ花をつむと口に咥えた。花の蜜の甘い味が広がる。咥えた花を揺らしていると、唐突に近くで声が聞こえて驚きのあまり咄嗟に跳ねそうになった体を押し留める。
「おや、随分綺麗に咲いているなぁ。ここの躑躅は格別に美しいね」
この声。耳に心地よくいつまでも聞いていたくなるようなこの声は白雄殿下。いつもお忙しい殿下がなぜこのような宮中の端に。満開の躑躅の美しさに誘われて来たのだろうか。こんなに近くに来ていたのに気づかないなんてと自分の愚かさに打ちひしがれる。煌の武人であるのに気を抜くにもほどがある。こんなことでは白雄殿下をお守りできないと自分を叱咤した。
それにしてもどうすべきか。今更出ていってご挨拶するにももう遅いし、突然躑躅の陰から出てそんな所で何をしていたのかと聞かれたらなんと答えたらよいのか。いい年して隠れ鬼は面映いし、そもそも殿下に言い訳をするなど不敬である。その上もう将となったのに地べたに座り、花を咥えるなんて子供じみたことをしているなんて絶対に知られてはならない。ここは気配を消して隠れるしか……
「見つけた」
「っ!?!?」
「ふふ、随分愛らしいことをしているね。紅炎」
本当にすぐ近くから声が聞こえて驚きのあまり肩が跳ね、慌てて声の方を向くと、麗しいかんばせに花よりも美しい微笑みを浮かべて、同じく躑躅の影に隠れるように屈み込んだ白雄が居た。紅炎は羞恥のあまり口に躑躅の花を咥えていることも忘れて石のように固まる。動かないのをいいことに、白雄は白い指先で紅炎の躑躅の花のように赤い髪を梳いて指に絡めた。
「躑躅の花もお前の髪と同じで赤いからすっかり保護色だな。いい隠れ場所を見つけたね。あぁ、さっき隠れている紅明を見つけて隠れ鬼のこと聞いたんだ。楽しそうだから俺も混ぜてもらおうと思って」
紅炎は何も話していないのに、白雄はにこにこしながらなぜか聞きたかったことに答えてくれる。白雄は胡座をかいて紅炎の隣に座ると、ひょいとまだ完成しておらず軽い少年の体を抱き上げて膝の上に乗せてしまった。
「……!!?……っ、」
「ほら、大人しくしておいで。あまり横に広がらない方が上手く隠れられるよ」
白雄が耳元で囁くのにひくんと肩が震える。あまりのことにもうどうしていいか分からなくて、顔も耳も首筋も真っ赤で瞳はうるうると潤んだ。逃げようにも皇太子殿下を押し退けて逃げるなど紅炎には到底できないことだ。心臓はバクバクして今にも破裂してしまいそう。せめて口に咥えた花を取れば話せるというのに、花よりも白雄の着物に焚き染めた香と肌の匂いの方が強く香る距離で、しかも殿下に抱きしめられていては冷静になる方が無理だった。もう花のことなんて頭の片隅にもない。
白雄は紅炎が逃げずに大人しいのをいいことに、膝の上に抱き上げたまだ華奢な体を抱きしめ、柔らかな髪に頬を擦り寄せた。可愛くて愛おしくて仕方がない。先日想いが通じ合ってまだ数ヶ月。触れると毎回こんなにも初々しい反応を返してくれる。このどうしようもなく残酷な世で、これほど可愛らしく愛すべき存在に出会えたことは、白雄にとって幸福であり希望だった。どんな苦境に立たされようとも、この国と紅炎と生きる未来のために頑張らなければと思える。
恋人の真っ赤で可愛い顔を覗き込み、口に咥えた躑躅の花越しに口付けた。花弁の淡い感覚が唇に伝わってくる。ふわふわ柔らかく小さい唇の感触が恋しいが、ここで手を出したら我慢できる気がしないので今は花越しで我慢しておくことにしよう。今我慢する代わりに花を一輪手折って帰り今夜はそれを愛でたい。
「……紅炎、花盗人は罪にならないんだ。今夜は一番綺麗な躑躅を手折って持って帰りたい」
目をまん丸にしている紅炎の瞳を見て笑みを深めた白雄は、紅炎がずっと咥えていた躑躅の花をそっと口から取ると今度はそれを自分で咥えてみる。白皙に紺碧の瞳。傾国の姫君よりも美しい唇に赤い花が咲いた。蜜なんてもう残ってやしないのに、白雄は甘露を得たようにうっとりと目を細める。その艶やかさに当てられて紅炎はもう息も絶え絶えだった。
口から躑躅を取った白雄は珍しく悪戯小僧のような笑みを浮かべて言う。
「そろそろ可愛い声が聞きたいんだが。聞かせてくれないのか?もう話せるだろう?」
「で、殿下……あの、」
「私の躑躅。どうか私に手折られておくれ」
「ぁ、その……ぅ、は、い……」
誘い方まで粋で雅な年上の恋人の懇願に、紅炎は頷くので精一杯だった。5歳も年上だとやられっぱなしである。ただでさえ紅炎は白雄には頭が上がらないのに。
もう目を合わせていられなくなって、白雄の胸元に顔を寄せるとあやすようによしよしと撫でられる。夜伽と言っても紅炎の体が受け入れるにはまだ小さいために、抱きしめあったり口づけをしたり体を触り合ったりするだけで、白雄には物足りないだろうにいつもそれだけでも幸福そうな様子で喜んでくれる。でもいつかはこの美しい人を受け入れるのだろうと思うと、早くその日が来ればいいと思うのだ。いつまでも待たせたくはないから。
気持ちを素直に伝えるのもあまり得意ではないので、紅炎はせめて精一杯嬉しい気持ちを伝えようと、白雄の胸元の着物をぎゅっと握り、胸元に頬をすり寄せた。子猫のような愛らしい仕草に、白雄はグッと息を詰まらせると痛いくらいの力で華奢な体を抱きしめる。
その瞬間、ガサガサと無粋に躑躅を揺らす音がして、ひょこりと小さな赤い頭が覗いた。
「あー!炎兄みーっけ!あれぇ、雄兄様もいる!」
「あ、あぁ紅覇、見つかっちゃったな」
「炎兄どうしたんですか?」
躑躅の裏側を覗き込んでやっと兄を見つけたことに喜んだ紅覇だが、白雄に抱かれている兄を見て首を傾げた。炎兄は強くてかっこよくて間違っても抱っこして甘やかされるのをよしとする人ではない。もしかして具合が悪いのかと心配そうな顔をする紅覇を見て、白雄は弟に見られて羞恥のあまり震えている紅炎の顔が隠れるように抱き込んでやる。そして当たり障りのない言い訳を口にした。
「紅炎は疲れていたみたいで眠ってるよ」
「そっかぁ、お昼寝ですか?」
「そうだ。今は眠らせてやってご褒美は後でもらうといい」
「はぁい!」
「いい子だな。紅明は見つけたか?」
「まだです!明兄もさがしてくる〜!」
「行っておいで」
ぱたぱたと軽い足音が響いて紅覇が離れていく。白雄はなんとか誤魔化せたとホッとした。ずっとここにいては他の人間に見つかるのも時間の問題。このまま自室に連れ帰ってしまうことにする。腕の中の存在を手放せば一瞬で解決するが、手放すという選択肢は最初から頭になかった。躑躅からぷつりと一輪手折ると紅炎の耳の上に差し、抱き上げたまま立ち上がる。
まさかの皇太子殿下に抱えられるという珍事に紅炎は狼狽えた。先ほどからこんなのばかりだ。白雄の両手に負担はかけられないので、降ろせと暴れることはできないし、この不器用な口で説得するしかなかった。
「は、白雄殿下……!?どうか降ろしてください……!」
「お前は寝ていることになっているんだ。目を閉じて大人しくしていろ」
主人のご命令とあらば、主人に危険が及ばない限り従うしかないのが臣下の悲しいところだ。どう言っても離してくれそうにない様子を見て、紅炎は覚悟を決めて目を閉じると胸にもたれかかるようにして体を預ける。白雄は預けられた体をしっかりと抱いて足取り軽く歩き出したのだった。
途中、白雄を見かけた侍衛が目を丸くして運ぶのを変わると声をかけるが、白雄は誰にも紅炎を渡すことなく自室へ帰っていった。夜は昼間手折った躑躅を愛でるのに夢中になり、久しぶりに想いあう恋人同士として濃密な夜を過ごしたのは言うまでもない。
後日、兄と遊ぶのを楽しんでいた紅覇から大人げなく紅炎を攫ってしまったので、菓子や香など紅覇が好みそうな詫びの品をたっぷり贈ったのだった。紅炎からのご褒美と合わせてたくさん褒美を貰った紅覇は、大喜びだったと紅炎から聞いてほっとした白雄だった。