AIで婚約者を探してた沢田くんが超好みの顔のヒバリくんを見つけて、猛アタックする話(仮) 大きなディスプレイの前で息をすべて吐き出すかのような重いため息をつく。煙草を咥えていたため、息とともに煙も吐き出る。いまの気分を表すように灰色が重く垂れ込む。
どうしたものか。頭を掻きながら、ディスプレイ上でくるくるとカーソルを遊ばせる。
この問題の解決方法をそろそろ真剣に考えねばならないとわかっている。しかし、身が入り切らないのも事実だ。決して軽んじんている訳ではない。むしろ、重く捉えすぎてしまい八方塞がりのため、どうしようもないと諦めかけてしまっているのだ。
いままで出会いがひとつもなかったわけではない。
それなりに好ましいと感じる女性はいて、運よく一緒の時を過ごすこともあった。喧嘩も仲違いもあったが、いまとなってはいい思い出だ。それぞれの道を選ぶことになっただけで、どの女性とも円満に別れを決めている。
だから、女性と添い遂げることに興味がないのではない。可愛らしい女性とお付き合いができるのであれば、その機会は無駄にはしたくない。問題点をあげるなら女性たちが必ず愛想を尽かしてしまうことだ。根っからの仕事人間、もとい社畜人間である自分に。
こればかりは完全にこちらに非がある。自覚はある。
けれどもどうすることもできない。なぜなら仕事は泣いても喚いても姿を消すことはない。逃げようものなら想像するにも恐ろしい目に遭う。それが我が社なのだ。改めて言葉にするとなんとブラックな会社に行き着いてしまったのか、とげっそりとした面持ちとなる。
いけない。徹夜続きの頭では思考も下へ下へと下がってしまう。流れを断ち切るためにディスプレイの電源を落とした。仕事はオンとオフの切り替えが重要なのだ。休憩も立派な業務である。
そう言い聞かせ、仕事場の簡易ベッドへと向かう。既に半分寝かけている頭の逆のほうで先ほどの画面を思い出し、再びため息をつく。
「………どうしようかなあ、」
───婚約者。
婚活パーティーのきらきらの画面と上層部からの婚約を催促する下世話なメールの数々が駆け巡る。もう半分の頭も限界を迎えた思考はシャットアウトされた。
今朝の寝覚めはひときわ最悪であった。そして。それは同時に日常でもあった。自室にズカズカと乗り込んでくる無遠慮な足音で目は覚め、抵抗虚しく部屋から引きずり出される。
床は冷たくて硬いので当然痛い。けれど、痛みにさえ慣れてしまえば自分で歩くよりも楽だ、と怠惰な悪魔が囁く。これも住めば都の一種かもしれない。そのままこっそりと眠りにつこうとしたが、鋭すぎるこの男にバレない筈もなく、「舐めた真似すんじゃねえか」と二度と眠気を感じないよう強めに左肩に喝を入れられた。
痛みのあまりに悶えていると、遊んでねえでさっさと歩け、と今度は右肩に狙いを定めてくるので泣きながら進むしかない。
諸行とは無常だ。やっとの思いで乗り込んできた男に追いつくと、男は何食わぬ顔で優雅にコーヒーを注いでいた。
「……ひとの睡眠妨害しといて、なに優雅にコーヒーなんか飲んでだよ、リボーン!」
黒いシルクハットを被った男、───リボーンはこちらには見向きもせず、優雅にマグカップを回す。
「エスプレッソだぞ、ダメツナ」
「そんなのどうだっていいだろ!わざわざ寝てるところを起こしにきたのに。なんなんだよ、おまえは!」
「オレがなんの用で来たのかはお前がいちばん知ってるだろ」
マグカップがソーサーにカツンとぶつかる音だけが静かに響く。リボーンの鋭い視線から逃れるために懸命に目を泳がす。
「……婚約者の件はもう少し考えさせてくれって言ったろ」
「ノロノロのお前をいつまでも待ってらんねえんだ。その内、話を聞きつけた古狸たちが自分の身内をどんどん薦めてくる。そうなりゃ、そんななかから決めろと騒ぎ立てるぞ」
「…………」
リボーンの意見は正しかった。実際に上層部の古株からは自分の娘や孫を推し薦めてくる人間は少なくない。黙り込む自分にリボーンは首をすくめる。
「別に本当の婚約者をさっさと見つけろって訳じゃねえ。あのうるせえ奴らを黙らせろって言ってんだ。お前が頷きさえすりゃ、獄寺や山本に手配させることもできる。方法はいくらでもあんだろ」
「それは、……そうだけど」
いつまでも歯切れの悪い沢田にリボーンは無言でタブレットを叩きつけた。
「い……ッ!っつ〜……。なんだよこれ……」
「足りねえ頭だけで考え込むんじゃねえ。もっと使えるもんは使いやがれ」
「使えるもの……?」
「お前のポンコツな頭だけに頼らず、もっと賢いもん使えってこった」
と言うと、リボーンはタブレットを指先でノックする。
「AIにでも見繕ってもらえ。ビッグデータから自分の好みぴったりの人間を厳選してくれる。選り好みするお前でもこれならなんとかなるだろ。せめてどんなのがいいかだけでも出せ。じゃないと」
───わかってるよな?
再び指先でノックをする。………今度はオレのこめかみに。
次はないぞ、ちゃんと聞いてたか?と擦り込むような声色に頷き、肯定するだけで精いっぱいであった。
置いていかれたタブレットをもう一度手に取る頃には日付を超えていた。
心なしか埃が積もったような画面に息を吹きかける。するとほったらかしにされた置き土産は画面を明るく照らし出す。触れてもいないのに。こんな軽風だけで反応するのは高性能なのか、はたまたポンコツなのか。
なんて失礼なことを考えている間にもタブレットのなかでは小さくも働き者である知識の集合体がせかせかと動いている。
最初の画面では『あなたの好みにぴったりなひとを必ず見つけます』という大きな文字が沢田を出迎えた。〝必ず〟とは大きく出たものだ。自信満々な言葉に難癖をつけたくなるが、この謳い文句もあながち間違いではない。
技術が進歩に進歩を重ね、いまではアンドロイドが人間と同じように街で働き、ともに暮らしているのがあたりまえの社会だ。
ともに暮らすのなかには籍を入れ、家族として、パートナーとして暮らすという選択肢も含まれる。自由で可能性に満ち溢れている世界。そんな現代では人工知能の発達も目覚ましく、膨大なデータから条件の揃った人間を見つけることは造作もない。いまでは大ブームの婚活方法だ。
リボーンから押し付けられたこのタブレットに搭載されているAIは提示される質問に答えるだけで相手が見つかる、至ってシンプルなものだ。
まずは見た目の質問から。
▼好きな髪型───黒髪で髪質はさらさらのストレート。
▼好きな顔立ち───顔立ち?えーと、輪郭はシュッと引き締まってて……。
▼好きな目の形───目は丸くてくりくりじゃなくて、シャープで鋭いほうがいいかな。
▼好きな眉の形───気にしたことないよ……。柔らかい雰囲気がいいから、できるだけ穏やかな感じで。
▼好きな肌の色合い───どちらかと言えば色白。
▼好きな体型───ええ?こんなことまで?うーん、うん……。身軽そうな、スレンダーな体型……。
見た目の好みですら考えるのに手こずってしまった。気がつくと時計の針が二周分回っている。
この後、性格がどうだ、趣味はなんだ、年収はいくらだなどと続いているが、これ以上考える気力は残されていない。それ以降の質問には『特に要望なし』と記入する。
そこまで完了をするとAIが検索を開始する。すぐには出てこないらしい。
『しばらくお待ちください』の言葉を真に受け、ベッドへと移動をする。いつの間にか眠りについてしまっていた沢田は目を覚ますと、驚きで固まってしまった。目が奪われた。思わず手を伸ばし、液晶の感触でようやく気がつく。
自分が見惚れていたのはAIが見つけ出した理想の顔なのだと。
獄寺隼人は不安であった。
自分の敬愛する己の上司、十代目の様子がおかしい。声をかけても返事に覇気はなく、上の空。ため息をつく回数は数知れず、憂いを帯びている。
これはもしかして、もしかしなくとも……。
思い立った獄寺は大急ぎで沢田の自室を訪ねた。ただならぬ様子に「どうかしたの?」と逆に心配される始末だ。
「十代目……ッ!」
「うん?」
その優しさに感涙しつつも、意を決して斬り込んだ。
「もしかして、なにかご病気なんですか……ッ?!」
「違うよ?!」
誤解を解くためにお茶を淹れながら経緯を伝えた。お茶を飲んで落ち着いた獄寺はなるほど、と納得したようだ。
「つまり、十代目はその人工知能が見つけ出した野郎を見てると動悸・脈拍・呼吸器系に乱れが生じるんですね?」
「う、うーん。言い方は変えてほしいけど、だいたい合ってるかな」
彼の言葉を言い換えると、つまりは〝画面越しの相手に一目惚れをした〟ということになる。間違ってはいないが、言葉にされると恥ずかしい。
「ごめんね。こんなことで心配かけて」
「いえいえ!十代目のことを考えてるのは俺の人生の生き甲斐ですから!」
一点の曇りのない笑顔が眩しい。獄寺くんの裏表のないハッキリとした態度には困ることもあるが、同時に助かってもいる。
「それでコイツの身元は分かってるんですか」
「あー、知らないなあ。そもそも個人情報とかは載ってなかったかも」
「そうなんすね。じゃあ手掛かりはこの顔だけか」
獄寺はスマートフォンを取り出し、タブレットの写真を取り込む。
「安心してください、十代目。必ずこちら側でコイツの素性を割るんで」
「え」
沢田を置いて、仕事の早い獄寺はトントン拍子で部下たちに指示をし、「またわかり次第連絡しますね!」と颯爽と去っていった。
なにも言えぬまま、いろいろ決まってしまった気がする。が、どうしようもない。諦めて、ぬるくなったお茶に口をつける。
会いたいのか、会いたくないのか。
自分のなかに答えがまだない。そもそも会ってどうするというのか……。暗くなったタブレットに息を吹きかける。すると、命が宿ったかのように自分の求めてやまない顔が現れる。
「……あなたって、どんな声で喋るのかな」
会って何をしたいかはわからない。ただ声を聞いてみたい。
その気持ちだけは本心だ。
***
客引きを行う店員、ウィンドウショッピングを楽しむ客。平凡と謳われるこの街では、大繁盛とはいかずとも休日の商店街はそれなりの賑わいであった。
しかしながら、穏やかな談笑は突然静まってしまう。誰しも姿を隠すように息を潜め、その集団が通りすぎるの息を潜めて待ちわびる。
真っ黒な長ランに風紀の腕章。極めつけは一糸の乱れもないリーゼントで揃えられた髪型。
一目で不良集団だとわかるその先頭を颯爽と歩くのは周りの屈強な青年たちと比べると細身の青年だった。
一見奇妙な光景だが、この街に住む人間は見慣れたものである。先頭の少年は身軽そうな風貌の通り、軽やかな足音を奏でる。街の人々は耳を立て、足音が遠ざかったことを確認すると徐々に先ほどの賑わいを取り戻していった。
「雲雀さん」
リーゼントのなかでも一際風格のある青年が声をかける。
「お勤めご苦労様です。今日は特段変わったところもな……ッ」
言葉は切りの悪い部分で途絶えてしまった。
「うるさいな。今日は虫の居どころが悪いんだ。さっさと消えてよ」
銀色のトンファーは光に反射し、煌めいていた。殴られた青年は腫れた頬を押さえ、心得たようにすぐさま引き上げた。他の青年たちも蜘蛛の子を散らすように去っていく。
雲雀恭弥はその様子をつまらなさそうに見届けると、街の巡回を再開すべく歩み出した。
街の人々が隠れていたのは体格のよい強面の青年たちからではない。傍目からは不良だと検討もつかないがこの街にいる誰もが知っている存在───雲雀恭弥を恐れていたのだ。
不良グループにしか見えない集団は彼らの並盛高校の〝風紀委員会〟であり、校内の規則、町内の規則、ひいては雲雀の用いた独自の規則に従わないものを処罰する。単なる不良グループよりも厄介な集団である。
その頂点に君臨する雲雀恭弥は街の地主の一人息子であるため権力を行使し続けていた。そのうえ、本人の喧嘩の強さは月並みを外れているため、手の打ちようがない。
誰もが手を焼いた少年は誰からも縛られることなかった。対等な相手はおらず顔を合わせれば顔色を窺い、媚を売られるか、恨み辛みで奇襲のかけられるのが関の山。
最近では人よりも戦闘用アンドロイドと手を合わせる回数のほうが増えてきた。しかし、やはり最適化された動きとは読みやすい。高性能とはいえど所詮は機械。回数を重ねるごとに物足りなくなっていく。
血が沸き立つような心地を。瞬間を求めている。
ふと、気がつくといつも肩を停まり木にしているあの小鳥がいない。視線をあげると、路地裏へと羽ばたいていく姿が目に映る。つられて近づくと路地裏からは喧しい騒ぎ声がする。
雲雀の口元に笑みが浮かぶ。暇つぶしにちょうどいい獲物だ。愛用のトンファーを握り締め、距離を詰めると想像通りの有象無象の輩たちだ。
「ねえ、君たち」
その声に先ほどまでの喧騒が嘘のように静寂に包み込まれる。
「僕の縄張りで好き勝手するなんて、いい度胸してるね」
***
それはまるで春の訪れを強引に告げるいちばん風だった。
いや風なんてかわいいものじゃない。その荒々しさは春嵐だ。大胆不敵に現れた、と思ったらすべてをめちゃめちゃにしてしまう。
オレの周りを囲っていた不良たちはみな一掃され、ヤケクソで反撃した者たちも叩きのめされる。容赦のない一撃に倒れた人間の傍には血溜まりができている。流血沙汰だ。ここにいたら危険だと頭の奥で警鐘が鳴る。無意識に手が震える。
瞬く間に決着がついた。周りを見渡すと立っているのは乱入者の彼ひとり。そして、呆然と座り込んでいる俺だけだ。
口を開けながら見上げる俺の下に、彼は学ランを揺らしてやってきた。見下ろされると更に凄みが増す。互いになにも言葉を発しない。静かな時が流れる。
先に痺れを切らしたのは形のよい眉を吊り上げた学ランの彼だった。
「反撃のひとつもないなんてつまらないな。最後に言いたいことはないの?」
銀色の物騒な金属物を押しつけられる。
言いたいこと。伝えたいこと。頭のなかでは次々に思い浮かぶのに、いざとなると纏まらない。ううんと、ええっと、と歯切れの悪い反応に相手の苛立ちが痛いほど伝わってくる。思い切りの悪さは欠点のひとつなので諦めている。
彼の我慢の限界と俺の踏ん切りがついたのは同時であった。
振り下ろされる風速にいつも遅かったと後悔していたことを思い出す。ええい、ままよ!と勢いのまま手を突き出す。
「よかったら…、よかったら結婚してくださいっ!」
来たる衝撃に備え、身体を強ばらせる。
……が一向にそれらしきものは訪れない。恐る恐る顔をあげると、目の前の青年は端正な顔を歪め、こちらを凝視していた。なぜだかわからないが一難去ったらしい。気が緩むとともに表情筋も緩む。
「そんな顔してたら綺麗な顔が台無しですよ」
アハハと気安く笑いかけたのがいけなかったのだろうか。それとも馴れ馴れしいボディタッチが気に障ったのか。どちらもなのか。
回避したはずの痛恨の一撃はきちんと貰い受け、「痛いッ!」という情けない声が街中に響きわたった。
***
自分は既に完成し、完結していると思っていた。この男に出逢うまで。
「ヒバリさん、全然手加減してくれないですもん。びっくりしました」
返答も相槌もない。しかしながら、男はお構いなしだった。上機嫌にずっと一人で喋り続けている。なにが楽しいのか、理解に苦しむ。
路地裏での出逢いから、後ろに正体不明の男が付き纏うこととなった。
沢田綱吉と名乗ったその男とは翌日の放課後に再び遭遇した。
街中で偶然──ではなく、校門の前で待ち伏せをしていた。先日の傷は癒えていないらしく、頭上には大きなガーゼに包帯が巻き付いていた。こちらに気づくと「ヒバリさん!」と顔を綻ばせ、駆け寄ってきた。
聞いてもいないのに、学校は把握していたけど来たら邪魔になるかと思って来るか大分考え込んだとか、昨日は不良たちを一瞬で片付けてしまって感動のあまり震えただとか。
止めなければ永遠に続くのであろうお喋りは煩わしいことこの上ない。耳障りな口ははやく塞いでしまおう。ひとを黙らせるのは得意だ。
先日と同じように得物を躊躇なく振り下ろす。当てる箇所はどこでもいい、人間には急所がたくさんある。大抵どこに当たろうが相手は地面に蹲って声を発しなくなる。今回は肩だったらしい。
沢田綱吉も例に漏れず、地面に這いつくばった。いつも通りの光景だ。目の前の騒音が止んだかと思えば、今度はそこかしこから羽虫のような声が耳に付いた。
羽虫たちはこちらが動けば、一目散に去っていく。弱いくせに、群れると途端に図に乗り出す姿は外灯に群がる羽虫と同じだ。
それに比べれば、あの喧しい男はまだましなのかもしれない。痛みに悶える姿をぼんやりと思い出しながら、鬱憤を晴らすべく街へと繰り出した。
校門でその姿を見たときは流石に言葉を失った。
もう会うことはないだろうと思っていたのに。沢田綱吉はその翌日も現れた。こちらに気付くと、「ヒバリさん!」と大仰に手を振る。まるで主人を待っていた飼い犬の尻尾のように。昨日と同じく無視することはできた。が、しなかった。それどころか、食い入るように見つめてしまう。
「そんなに見つめられると、照れますね」
嬉しいですけど、と照れ臭そうに頬をかく。無駄口は相手にせず、短く問いつめる。
「なにしに来たの?」
「えーと、ヒバリさんに会いに?」
「完治もしてないのに?」
頭の包帯は昨日よりも厳重になっている。
「こんなの別にどうってことないですよ」
「へえ、そんな大口叩かれるとはね」
トンファーを傷口に押し当てると「痛ッ!痛いです!」と暴れる。どうやら痛覚がない訳ではないらしい。
「そういう意味じゃなくて」
恨みがましい視線を向けつつも言葉を続ける。
「ただ貴方に会うことに比べたら。どうってことないですよ、って意味です」
伝わりました?と首を傾げる姿に、ますます眉間に皺が寄った。
なぜ、沢田綱吉は自分に会いたがるのか。
なぜ、二度も痛い目に遭っているのに、同じ目に遭うとは考えないのか。
なぜ、どんなに雑に扱われようと笑っているのか。
なぜ、なぜ、なぜ?不可解だ。
疑問は浮かび続け、募り積もる。思考の海を濁らせ、判断を鈍らせる。世界はもっとわかりやすいはずだった。自分に必要なものも排除すべきものも明確で、だからこそ迷いはなかった。
自分以外の人間がなにを考えていようが関係がなかったのに、なにを考えているのか、思考を探ってしまう。望んでもいないのに顔色を窺わされているようで、不愉快極まりない。
気の迷いで話しかけてしまった。らしくもない己の行動にすら腹が立つ。
「意味不明」
この場から離れようと背を向けると、沢田は「じゃあ!」と言葉を続けた。まるで立ち塞がるかのように。
「もっとわかりやすくしましょう。オレと貴方の関係を」
「……君と僕の関係を?」
「ええ、そうです」
沢田は鞄からタブレットを取り出した。画面にはスポーツカーやバイクが一面に映し出されている。
「これはオレが勤めてる企業で取り扱ってる商品たちです。会社もまあまあ大きいのでもしかしたら知ってるかも。名前は──」
「──VONGLA CORPORATION」
知っていたのが意外だったのか、目を見開いた。
「よくご存知ですね。そうです、ボンゴレです」
「日本でも一位、二位を争う巨大モーターカンパニーだ。知らないほうが珍しい」
「あはは。まあ興味ない人からしたらどこも似たようなものですよ。でも……、そうですね。ヒバリさんは興味あるんじゃないですか?」
挑戦的な物言い。先ほどまでの腑抜けた表情から一転、こちらを見透かすような視線と余裕をたっぷりと携えた口元。流石に有名企業に勤めてるだけの貫禄はあるようだ。
その態度は鼻につくものの、沢田の発言は間違っていなかった。物に執着をすることがほとんどないが、バイクだけには目がない。
街を歩いていて、珍しいバイクを持っているのを見かければ力づくで没収し、気が済むまで乗り倒す。不良から巻き上げた金もほとんど愛用車のメンテナンスやカスタマイズ代へと充てがわれている。暇なときは大抵、ツーリングへと繰り出すのが常だ。
画面に映し出されているバイクの数々は滅多にお目にかかれない代物や見たことのない新作まで揃っている。顔には出さないものの、心のなかではもっと見たい、という好奇心に満ちている。
しかしながら、それをこの男相手に察せられるのは癪に触る。
「別に興味なんてないけど」
努めて平静に、こちらの関心を悟らせないようそっけなく返事をする。
「ええっ、そうなんですか!ヒバリさんはバイクがお好きだと聞いていたんですが……」
「読みが外れて残念だったね」
「ええ、ほんとうに残念です……」
大袈裟に肩を落とす様子は少々胡散臭いが、気分はよかった。今まで好き勝手にされた分の腹いせとしては十分だ。自然と口角まで吊り上がる。───続く言葉を聞くまでは。
「せっかく、ヒバリさんに新型のバイクを試乗してもらおうと思ったのに」
「………新型の?」
「ええ、まだ研究段階のやつなんですけど。サンプルを取る必要があるので、モニターを探してたんですよね。なので、もしよかったらヒバリさんに、って思ったんですが……」
残念です、と大きなため息をつく白々しい態度は一周まわって清々しさすら感じる。要するに、一度は断ると踏んで情報を小出しにしていたらしい。相手の戦法にまんまと引っ掛けられ、夕暮れとともに伸びゆく影法師のように気分は地を這う。
「どうかしましたか?」
「………」
睨みつけたとて、当の本人はどこ吹く風といった様子だ。目を細め、黙ったまま微笑んでいる。あくまで無理強いはしない体を保つようだ。
舐められたままでは気に食わない。いっそのことまた地面に叩きつけてしまおうか──。ひっそりと懐のトンファーに手をかけ、考えを巡らす。しかし、それをいつものように握りこむことはなかった。どうしたって、新作のバイクという甘い誘いが頭から離れない。
気がつけば下校の時間はとっくに過ぎている。日は完全に沈み、電灯のみが頼りなく足元を照らし出す。
「ねえ」
口を開くと、沢田は弾いたように顔をあげた。そわそわと落ち着きがない姿に少々溜飲が下る。
「バイク、どうしたら乗れるの?」
「……!ふふ、話がはやくて助かります」
タブレットをこちらに差し出される。画面には先ほどのバイクの一覧ではなく、細かい文字が羅列されていた。
「なにこれ」
「契約書ですよ」
「契約書?」
耳馴染みのない言葉に思わず聞き返す。
「はい、あなたとオレのニーズをマッチさせますよっていうお約束の証拠です」
端末をスワイプさせると、文字だらけの画面からより見やすい画面へと移り変わる。それが引き金となったようで、沢田は営業モードに切り替わったように流れるように説明を始める。
「まずはヒバリさんの条件から。あなたは弊社の新型のバイクの試乗ができます。乗りたいときにオレに声をかけてくれれば自由にお貸しします。破損や事故には保険で対応しますが、手続きが面倒なので極力避けてもらえると嬉しいです」
「期限は?」
「そちらに関しては、こちらの条件をお伝えしてからの擦り合わせとなりますので、続けてお伝えしますね。オレからの条件はたったひとつです」
ずいっと人差し指が突きつけられる。
「あなたのそばで、あなたのデータを録らせてください」
あたりは暗く、顔はよく見えない。けれども、瞳だけは焦点がぴったりと交わる。突拍子もない内容であるが、ぶれることのない眼差しがふざけている訳ではないのだと語っている。
「……なんの?」
「えーと、主に顔や体格を把握できるように写真やビデオを撮らせてもらう感じですかね?あとは計測させてもらうこともあるかと」
「ふーん」
「ヒバリさんの生活の邪魔はしないので!データを録らせてもらうのは放課後などの空いてる時間で構いません。気分でないときは断ってもらっても大丈夫です」
「そう」
「期限はこちらが十分なデータを録り終わるまでで、こちらの期限とヒバリさんが弊社のバイクを自由にできる期限を統一させます」「データ取得が延長すれば、その分長く使える寸法です「どうでしょう?悪い話ではないと思いますが」
畳みかけるような宣伝トークは熱が篭もりすぎ、物理的な距離にまで反映された。近すぎる顔を押し退ける。
提示された条件はこちらにとっても都合がよかった。気分でないときは実力行使で追い返せばいい。………それに縋りつくような懇願は暑苦しいが、悪い気はしなかった。
「……ふーん、まあ別にいいけど」
あくまで考えるポーズは崩さず、素気なく返事をする。瞬間、ガシャンと音を立て、地面へとなにかが落ち、手のひらが生暖かく、湿ったもので包まれ、下へと強い力で引っ張られる。
不意な引力にバランスを崩し、互いに雪崩れ込むように地面へと転がる。はたから見ればさぞ滑稽だろう。
「ッ!ちょっと、」
なんの真似だ、と問いただす間もなく、今度はあたたかく柔らかいものに抱き止められた。外灯は先ほどよりもしっかりとあたりを照らし出す。
「嬉しいです。断られると思っていたから」
「断ればよかったって後悔してるよ、今」
「あはは、折角もぎ取った契約なんですから。そうはさせませんよ」
笑って軽口のように語る、その言葉には重みがあった。善は急げとばかりに、契約内容の確認、契約書のサインまできっちりとさせられた。抜け目がない。そして、簡単に手を離し、画面にヒビの入れたタブレットを後生大事そうに抱えている。話してみても変わらず不可解な男だ。
白い目を向けていると、こちらに気づいた沢田綱吉は手を差し出した。
「お時間かけちゃってすみません。これから契約履行よろしくお願いしますね、ヒバリさん」
「………気分が乗ったらね」
差し出された手を握り返す。春の夜空の下、沢田綱吉との契約生活はこうして始まりを告げた。