ナイトを雇った時の話。 どうせ、また誰にも雇って貰えない。ふてくされながら袋の中で目を閉じる。何をするわけでもない、眠気など無くても目を閉じるしかなかった。
ネコバァが新たに行商に訪れた村は、辺境にあり人はまばらだった。人の笑い声はあちこちで聞かれるものの、自分には耳障りにしか聞こえない。揺られながら時にメラルーのようだと忌避される毛並みを、気まぐれに舌で整える。黒くごわついている毛を、変えられるなら変えたかった。白い子がすぐに貰われていくのを、何度見送ったか知れない。
きっと、この村で新たにハンターになったという人も、最近入った白いあの子に雇われて去っていくのだろう。
「この子に会ってみたい。」
「はいよ、ちょっと待っておくれ。」
雇われ待ちの書類に目を通したハンターが、誰かを指名したのか袋が開かれる。白い子の方にネコバァの手が向いた時、予想が当たったと思うと同時に、またかと落胆した。
落胆に目を閉じていれば、突然首根っこを掴まれて外に引ずり出される。驚きと外の光に目を瞬かせていれば、体躯のいい男が目の前に居た。
「この子だよ。」
どうやら書類で指名されたのは自分のようで、目の前の男は少し目を見開いて自分を見つめていた。
黒い毛に悪感情を向けられる前に、早く袋に戻りたいという衝動に駆られる。いつ目の前の男が眉毛を寄せて断りの言葉を言うのか、不安になって肩をすくめた。
「…うん。この子にします。」
「…え?」
予想外の言葉に、気持ちが追いつかずに動けなくなる。
「あいよ。生憎この子は名前が無いんだ。つけてやってくれるかい?」
「…ナイト。で、どうかな?」
動かない自分を尻目に、ネコバァとハンターは手続きを進めながら名前まで与えてくれた。元々黒いのとか、メラルーとか言われてきたのに、急にナイトという立派すぎる名前を与えられて戸惑う。
戸惑いながらも、頷いて返事をすれば、男は安堵したように笑いかけてくれた。
「大事にしてもらうんだよ。」
今までの礼を、口と叩頭で述べれば、ネコバァは頭を撫でて少し泣きながら送り出してくれた。まだ袋の外に出て、雇って貰えた実感が湧かないまま、男の後をついて歩く。
「ここが家だ。」
真新しい家の扉を開けば、暖かい暖炉と優しそうなお腹の大きい女の人が椅子に座っていた。女の人は帰ってきた男を見るなり立ち上がり、男に抱きつく。
「ベイブ!おかえりなさい。」
「ただいま。」
「もう、それだけじゃないでしょう?」
「だ、ダーリン?…ただいま。」
「よく出来ましたー!」
何を見せられているのだろう。二人だけの世界に浸かっている男女に、思わず目を眇める。堂々としていると思った男、ベイブは、妻であろうダーリンの前ではもじもじとしており、先ほどとは違った印象で別の意味で戸惑った。
「ベイブ、こちらは?」
やっと二人の世界から帰ってきて、自分の存在に気づいたダーリンがベイブに問いかける。
「今日雇い入れたオトモのナイトだ。」
「まあ!貴方もやっとオトモを連れて行く気になってくれたのね!」
言い終えるやいなや、ダーリンは大きくなった腹を抱えながら膝を目の前に着いて視線を合わせてくれた。
「ナイトさん、これからこの人をよろしくお願いしますね。私は狩猟にはついて行けないし、ずっと一人で狩猟に行くこの人がとても心配だったの。」
憂いを湛える瞳で見つめられ、ようやく雇われた実感が湧きはじめる。この二人のために、要らないと言われるその日まで尽くそうと思えた。
「はい…よろしくお願いします。ベイブさん、ダーリンさん。」
涙で歪む視界で二人見つめて真剣に言えば、ダーリンは大きな声で笑い、ベイブは気まずそうに顔を逸らした。
何かとんでもない間違いをしたのかと不安になっていれば、ダーリンの笑い声が少し小さくなった所で、ベイブが口を開いた。
「ベイブやダーリンは、その、夫婦間の愛称で…俺の名前はロバートだ…。」
先ほどのやりとりで勘違いしていたことを指摘され、黒い毛の下が赤くなるのを感じた。
「もう!貴方雇う時に名乗ってなかったの?」
ダーリンという名前ではない妻は、一頻り笑い終えたようでロバートの足を突きながら指摘する。
「初めての手続きで失念していた。すまない。」
「僕も確認していなかったので。すいません。」
二人で頭を下げあっていれば、それもまた可笑しいのか軽やかな笑い声が家に響く。
「ロブ、でいい。そんなに堅苦しく喋ることもない。」
「そうよ、私たち家族になったんだもの。よろしくね、ナイト。」
優しく言われ、笑い声に引っ込んだはずの涙が再び溢れそうになりながら頷く。
「そろそろ夕食の時間ね。ナイト、少しだけ手伝ってもらえる?」
「う、うん!」
返事をしながら、そう言えばまだ名前を聞けていないことに首を傾げる。それを察してか、キッチンに向かっていた人は振り返って自分の名前を口にした。
「そうそう、私の名前は――――――――
遠い昔の夢から醒める。淡く、幸せだった所から突き落とされるような感覚を紛らわせるように、寝床から這い出た。
砂漠の夜の寒さに、冬を思い出してかロブは具合を悪くした。体ではなく、心の具合がどうにも良くないため、ここ2日程都合をつけてハンモックに蹲って泣いている。ハンモックに耳を欹てれば、今日は眠れたようで泣き声ではなく寝息が聞こえることに安堵した。
そっと、ハンモックに近づき、ロブの顔を覗き込む。普段は皺の寄っている眉間は、皺もなく昔のロブのような、生まれたばかりのあの子のような寝顔に、小さく笑う。
「良い夢を。」
安心して眠るロブの背中に潜り込み、気休めに祈ってナイトは再び眠りについた。