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    しぶの「我らが世界の産声を此処に」番外編その2
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25186220
    婚約話を知ったときの留三郎です。文は出ない…。
    留の兄二人と父、文の兄捏造の上、だいぶメインはってますので、苦手な方はご注意ください。設定盛ってます。やりすぎの自覚はある。
    あと、父親がつど呼称を変えているのはわざとです。(弟君→弟さんとか)

    #文食満
    manjoman
    #もんけま

    我らが世界の産声を此処に:番外編 (丙)『Ἐγώ εἰμι τὸ Ἄλφα καὶ τὸ Ὦ
     ἀρχὴν καὶ τέλος
     λέγει Κύριος ὁ Θεός,
     ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος,
     ὁ παντοκράτωρ.』
    (今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、
     全能者にして主なる神が仰せになる、
    「わたしは”アルファ”であり、”オメガ”である」
     『ヨハネの黙示録1章8節』)

     ――「神よ、いまここに」





     その男はただ目の前に在るだけで、冷や汗をかきそうなほどの存在感があった。質素でも凡庸でもない食満邸の応接間が、その男が座すだけで幾倍も上等なものに思えるほど。
     強烈なまでの、甲種。潮江家現当主。――あの、文次郎の兄。

     全身で感じる畏怖を誤魔化すように、留三郎は身じろぎした。その背後の気配を察したのだろう、父と次兄が留三郎を隠すようにお互いの距離をそれとなく縮めた。

     ――潮江の男。
     浮かべる表情は常に穏やか、物腰は柔らかく、言動はきちんと礼節を伴っている。ここが丙の家であり、相手が甲種の系譜と思えば、その態度はこれ以上ないほど礼儀を尽くしている。だが同時に、己の意思、意見を貫く確固たる自信が彼のカタチと同居していた。

     今日までも数回、潮江の家から使者はあった。
     その者たちはこぞって「丙の家よ」と、乙である父や次兄、甲である長兄に対してまでも蔑みを隠さなかったのに。
     であるからこそ、こちらも堂々と相手の申し出を突っぱねることもできたのだ。

     しかし全てはこちらの対応を推し量るため、その前哨戦でしかなかったかのように、男の来訪はそれまでの空気をがらりと変えた。
     こちらとしては、虚を突かれた形である。これまでの潮江に対する経験則が根こそぎ奪われたのだから、さもありなん。

    「食満の御子息、留三郎殿を我が潮江宗家の次男と番わせたく」

     男の目的そのものは、これまでの使者と同じである。
     しかし当主自らが足を運び、頭を下げたのだ。これは潮江に限らず、丙種を求める他家と比べても異質である。丙種である留三郎には、それがよくわかっていた。
     
     男と相対して、上座側では留三郎を真ん中に、左斜め前に父が、右斜め前に次兄が、留三郎を守るように座っている。母と妹は念のため家の奥に隠れていた。そして一番頼りになるはずの長兄が、いつまでたっても姿を見せない。今日の件だって、あんなにはりきっていたというのに……。
     来客者の相手は、基本父か長兄がする。特に長兄はこの家唯一の甲種として、自ら前面にでてきたのだ
     家族を守るのだ、とこれは長兄の口癖である。その長兄と、連絡もつかないのがなんとも気持ち悪い。

    「我が弟と、留三郎殿は忍術学園に在籍していたころより、懇ろの関係であったと把握しております。ならば我が弟と番うことは、世の理にも添うものではないかと」

     丁寧なのは言葉だけ。そこに拒否拒絶を許す優しさを感じられなかった。
     この男はその人生において、甲種らしく経験を重ね、実際に己の言動を認めさせるだけの才と知を兼ね備えているのだろう。傲慢ともいえる、絶対者の自信だ。
     ひしひしと感じる甲種の強烈な圧に――なるほど、アレの兄貴だ。と、留三郎は周りに聞こえない程度に嘆息した。
     しかし、“懇ろ”ときたか…。さて、己らに心はあったのだろうか。

     父が静かに口を開く。

    「所詮は学生の戯れでしょう。若気の至りですか。
     こちらとしては思うところもありますが、丙種の純潔性はその体質上さほど求められません。そして婚姻は、家と家が行うもの。当人たちの情を取るなど、甲種の発言とは思えませんな」

     長兄ならば堂々と言葉を突きつけただろう。父の言葉は静かすぎて、潮江の男の余裕顔は崩れない。

    「私はね、これでも弟の幸せを心から望んでいるのです」
    「……話になりませんな」

     父はゆっくりと首を振った。

    「現在、留三郎には相当数の縁談が持ち込まれております。その中には国主の次代、名のある貴族、新興の資産家に至るまで。
     惣領制の世の中、あなたの弟君はいかほどのものであられますかな」

     甲種を産む、丙の胎。それを求める者は多い。ゆえに提示される結納金も莫大なものだ。そして有力者と縁戚関係が結ばれるということは、食満の家の存続、発展にもつながる。地方の土豪や豪族ごときが太刀打ちできるものではない。

    「流石は食満の胎。結構なことです」

     あけすけに、潮江の男は返した。こちらもその程度で眉をひそめたりはしない。もっと下卑た言葉を浴びせられることだってあるのだ。

    「しかし、ソレらは留三郎殿を大切に扱ってくださるでしょうか。囲い者、側室、妾。甲種の子を産めば、それを取り上げ正妻の養子とするのは珍しい話でありません」
    「我が子を蔑ろにすることは許されません」
    「……ほう」

     長兄が来客者の相手をすることが多いせいか、父が真っ向から相手と対峙する姿を見るのは珍しい。我らが父は、こうも返す言葉を間断なく口にできる人だっただろうか。
     しかし、まあ。大切に扱って、か。男の言葉を裏返せば、潮江家、ひいては文次郎ならば留三郎を大事に扱ってくれるということだろうか。
     少なくともこれまでの潮江の使者からは、そんな様子は受けなかった。
    文次郎ならば……?

    「ないな」

     つい、声に出た。したらば、潮江の男とばっちり目が合った。

    「申し訳ない、留三郎殿。我が弟は筋金入りの奥手なのだ。あとはまあ、アレだな。好きな子ほど虐めたいと言うだろう? 留三郎殿も男ならば、わかってくれると思うが」

     留三郎の呟き一つで、どこに引っかかったかわかるあたりが流石である。留三郎が返事に困っていると、父が割って入った。

    「失礼ながら。……“奥手”で“虐めたい”の末に手籠めにされたのでは、こちらとしてたまったものではない。――と、我が長兄がこの場にいたなら、今この時点であなたは叩き出されてしましたよ」
    「は、は、は。では、私は僥倖ということですね」

     やっぱその辺、全部バレてんだなぁ、と留三郎は現実逃避気味に思った。情報源は教師たちだろう。おそらく、定期的に連絡もいっていたはずだ。
     留三郎としても、いつまでも隠し通せることだとは思っていなかったし、どちらかが本気で発情期に抵抗するようなら、もしくは実家が口添えしたなら、留三郎と文次郎の関係は終わっていただろう。
     つまりは、……と考えればなんとも気恥ずかしい話である。

     ふと、次兄の姿が目に入った。彼は父の顔をまじまじと伺っている。なにか、信じられないものを見るかのように。留三郎の位置からは、父の顔が見えない。父と相対している潮江の男の表情には、変化はなかった。

    「――家と家、でしたか? どうやら説得方針を変えた方がよさそうだ。
     ご当主様曰く、留三郎殿には相当数の縁談話があるとの由。そしてお話を聞くに、相手が相応の家格である。
     確かに家と家のつながりは大切です。しかしそこに第二性が絡むと、少し話は変わるのではないかと、私は思うのです」
     
     家と家に求められるのは共に家格である。
     第二性に求められるのは、家格だけでは足りぬ。それと同時に甲種を産める胎であり、甲種を孕ませられる子種が必要なのだ。

    「むしろご当主様こそ、その危うさを誰よりも理解していらっしゃるのでは?
     かつて、甲種とは貴族のことでした。貴族とは甲種のことでした。しかしいつ頃からか、貴族の間で甲種が生まれなくなった。過剰なまでの甲種主義、選民思想の結果です。
     今や才も力も失った貴族の大半は、荒廃した京の町を捨てて地方に散り、現地の有力者の保護がなければ食うにも困る有様」
    「……」
    「高貴な者が、ただ高貴であるというだけで甲種誕生を独占しようというのは、もう時代遅れですよ。現在に至って、どれほど甲種の種がばらまかれたか。当人が甲でなくとも、その種は脈々と繋がり、我ら潮江のような在野出身でも甲の家系がある」
    「貴殿……」
    「家格より相性を大切にするべきだと、私は思いますよ」

     にっこりと、笑顔だけなら人好きするそれだ。

    「そもそも貴族間で甲種が生まれなくなった理由は、貴方がたが丙種すら忌避したからです。
     実際のところ甲種同士の夫婦が“出産した”場合、甲種が生まれる確率は八割に及びます。でありながら現在では丙種と掛け合わせることが推奨されている。
     理由は甲種同士のあまりに酷い妊娠率の低さ、流産率の高さゆえです。先ほど申しました“出産した場合”、まずここに辿り着くまでが絶望的でした」

     世間にはあまり知られていない真実である。そして甲種同士による出産率の低下は、代を重ねるごとに悪化した。
     
    「甲種同士の関係も、相性が悪い。どちらも我が強いですからね。友人、相棒の関係なら良き関係も築けますが、夫婦、家族の関係は近すぎて衝突が絶えない。――私と父のように。
     いつの間にか貴族間では、丙種を囲うのが当たり前になりました。男も、女も。
     そしてより気が楽な方へと足が向かうのも自然な流れ。夫婦の営みも稀になり、出産率はさらに下がる。ちなみに丙種の産む子は、一切相続権のない私生児扱いだったそうですね」

     完全なる、悪循環だった。
     養子縁組をくもうにも、わずかな甲種の奪い合い。その甲種も、同じ甲種の伴侶を忌避する。先細りする嫡子の甲種に台頭してくるのは…、側室たる乙種の産んだ子、あるいは丙種の産んだ、私生児であるはずの甲種を無理やり引き戻すか。
     甲種…、正室の子がいなければ他を世継ぎとするよりなく、甲種以外の血はいらぬと、そのまま廃嫡した貴族もある。
     貴族たちが理想とする、甲種による甲種のための、甲種だけの貴族社会はあっという間に崩壊したのだ。

    「留三郎殿がこの先、同じ渦中に巻き込まれぬと断言できますか?」

     甲種信仰は、今も根強い。そこには、貴族も商人も武士も農民も関係がない。選民思想は、誰もが身の内に抱えるものだ。
     貴族社会も、最初はそこまで極端な思想ではなかったはずなのだ。だが、甲種のみが持ち上げられて、甲種のみ価値あるものとされ、偏向していった。
     
    「田道間守(たじまのもり)が天竺より持ち帰った、非時香菓(ときじくのかくのみ)。かの不老不死の妙薬が地に堕ちたのは、いつの話でしたか?」

     左近の桜。右近の――。
     次兄が父の顔を伺いながらも、そろそろと留三郎の傍まで下がってくる。留三郎の隣に並んで、ようやく全身の力が抜けたように肩を竦めた。

    「食満の家は、丙種の名家であるとされる。それは高い甲種の出産率もあるのでしょうが、それ以上に血統から選ばれているものもある――ま、この辺は私も調べたうえで知ったのですが」

     食満の胎を求める、地位あるいは資産ある者たち。彼らとてやみくもに丙種の胎を求めたわけではない。彼らにだって守るべき家格があり、資産があり、なによりも世間体がある。丙の胎と同時に彼らと同等、あるいはそれ以上の血統が手に入るなら、それはもう垂涎の的だ。

     とはいえ、この“真実”は大っぴらにできることでもない。ごく一部の者たちだけで独占されて来た情報である。
     この男は、そこに行きついたというのか。

    「とはいえ、食満の家そのものの系譜は平凡なものです。
     ――ご当主様、私が追ったのは貴方の系譜ですよ。流石に、身震いしました。
     同時に納得もしました。貴方の家系と、食満の家、脈々と続く協力関係は今の世でまさに貴族たちが地方の有力者相手にしていることと同じことなのですから」

     同じこと。
     甲種信仰が失われ、力を失った多くの貴族たち。彼らは地方に散り現地の有力者に保護され、見返りに中央で培った、高度な知識、各国の情報、政治運用、最新の技術、諸々を提供した。それらは地方を繁栄させ、同時に甲種の種もばらまかれた。
     同じことが、大昔から食満の家でも行われていた。

    「どうです。貴方であればこそ、見えるものもあるでしょう。甲種信仰は地にまで蔓延り、かつてと同じ様相を見せ始めるのも時間の問題。そんな中、ただ甲のための胎だけ求められ嫁いで、留三郎殿は幸せになれるでしょうか?
     家格と第二性。それも確かなものですが…、情があればより強固であると思いませんか?
     確かに我が潮江の家は、貴方の御実家からすれば吹けば飛ぶ程の歴史しかありません。しかし決して、鄙びていない。この先の繁栄も、約束いたしましょう」

     言葉ひとつひとつに、説明のつかぬ説得力があった。言葉の内容そのものではなく、男の声音に、抑揚に、相手を無条件に頷かせてしまう力があった。留三郎と次兄が、わずかに身を寄せる。
     父は。
     ――父は二度目、首を振ってみせたのだ。

    「潮江のご当主殿、貴方はひとつ勘違いをしておられる。食満の当主は我が妻です。私は所詮、タネを運ぶ程度の価値しかありませんよ。
     あと、我が実家の系譜は没落していますのでね、一応、今は薄(すすき)家が正式に繋げてくれています」

     声には苦笑と、まるで子供に言い聞かせるような、いっそ諫めるような色があった。

    「故に我が家はもう長く、何の価値も力もありません。証拠に今から市井に出て、我が先祖の名を叫んでみましょうか。さぞ、奇人変人の類とみられることでしょう」

     三度目、首を振る。

    「貴方の回りくどい建前はわかりました。ではそろそろ本音でお話しませんか。
     貴方の奥様は長く懐妊の兆しが見られないとか。一度嫁げば実家に居場所なし。純潔云々は脇においても、流石に一度番を得た丙を求める甲はいない。
     想像するに、貴方は親類縁者から離縁の話でもされているのでは? さて、野に放たれた丙の末は…、いやはや」
    「よく、我が妻のことをご存じで」

     少し、男の声に硬さが浮かんだ。一方の父の声は淡々としている。

    「一応、忍術学園とも繋がりがあるのですがねぇ…。と、この辺はお互い様ですかな」

     洒落た言葉ですら、驚くほど感情の浮かばない声である。

    「あとは、この家に入るうえで私も随分と甲と丙の特性や事情を調べました。私こそ、この家を追い出されたら行く当てがありませんのでね。我が妻は、そんな私を選び、愛人のひとつも作らない。
     ――耐えがたいほどに、疼くでしょうに…」

     父の背筋が、伸びあがるようにまっすぐと。その顔もまっすぐに男を見据えている。

    「ねえ、潮江のご当主殿。身を捧げてまで己を想い、慕ってくれる伴侶というのは、代えがたきものですなぁ」
    「……は」
    「はっきりお言いなさい。己の丙を手放したくないのだと。だから弟を身代わりにするのだと。弟君と我が息子を番わせ、甲種の後継ぎを産んで欲しいのだと」

     留三郎は、次兄と顔を見合わせた。
     自分たちの知る父は、優柔不断である。家族への愛情を惜しむ人ではないが、現状に流されやすく、すぐ周りの目を気にする。良く言えば波風をたてない性格だが、はっきり言ってしまえば頼りない。
     むしろ長兄のほうがよほど頼りになる。彼は積極的に相手に立ち向かい、正論、道義に基づいて確実に勝利を掴む。相手が暴力に訴え出したら、もうこっちのものだ。食満兄弟、上から下までみな喧嘩っ早い。

     だが、であるからこそ父はあまり前面に出て、相手と積極的に対立したりはしない。それは同時に、いざそうなったらどうなるかを、自分たちは見たことがなかったのだ。
     いま、その答えが目の前にあった。

    「同時に貴方は、弟さんがとても可愛いのですね。その才を信頼してすらいる。
     甲種たる貴方が身を引いてまでも弟さんを推して、わざわざ弟さんの想い人を探り当て、回りくどい調査に前準備、建前まで用意して。
     よくもまぁ、私の実家まで探り当てたものだと。私の方は貴方の話に感心しきりでした。貴方のお話は、聞く分には面白いことです」
    「……」
    「想い人…」

     つい、留三郎も声が出てしまった。次兄が留三郎の肩を叩いて自制させる。

    「貴方の私への評は、すべて最初からそう思われていたのでしょうか。あるいはどのあたりから、そのように思われましたか?」

     潮江の男の笑顔に、罅が入っていた。おそらく腹芸すら得意であろう男の、明確な罅。

    「潮江が、というより貴方がいきなり留三郎を指名したからですよ。コレには妹がいます。多くの家はまず、女の丙を求めますよ。
     まさか潮江が本当に情を取るなんて、誰も信じやしません。もしそんな家系であったのならば、潮江の甲種の系譜は、とっくに途絶えていたでしょう。これは、かつて甲種の家系であったからこその断言だ、と言っておきましょうか。
     己の丙を手放したくない。弟さんの才ならば信用できる。どうやら弟さんには想い人がいるようだ、それがたまたま甲種の胎として優秀な丙の家系で、さらには貴族の血も引いていた。後ろふたつ、ご親族の説得も楽だったでしょう。
     ――随分とまぁ、貴方にとって都合の良い話ですなぁ」
    「は……」
    「こんな話は滅多にない。ならば必ず為す。そう思われたのでしょう? わざわざ当主自ら我が家に足を運ぶのも納得ですよ。
     ですがね、隠された言葉の裏を探るのは、古より我らが十八番。なんなら忍びよりも、我らこそが起源でしょうなぁ」

     父の、完全勝利である。
     潮江の男は、もう突きつける材料がない。ないように、思われた。その口が、もごもとと何度か蠢いて。
     しかし父その視線を合わせると…、まるで萎むようにその全身が縮んだようにみえた。対する父の声は、まだまだ淡々としている。

    「ただ、ありがとうございますとも伝えておきましょう。最初から、留三郎を求めてくださったこと。
     我が娘には、この家を継いでもらわねばなりません。食満の丙を繋ぐため、より出産率の高い女の丙は、食満家こそ必要です。
     それでも人々はまず、娘を指名するのです。
     無論、事情を話せば大半の者は納得してくださいます。家の存続は、何処も大事ですからね。ここで食満との関係を切られるのも、彼らは困る。
     ――そうして、『ならば』と留三郎を指名するのですよ」

     父の声に、わずかな憐憫を感じた。留三郎の存在価値。丙というだけでも世間から白眼視されるものだが、さらに男の丙である以上、世間から見て同じ丙の妹よりも価値が下がる。家族は留三郎を差別したりはしないが、その家族から見ても留三郎の価値は妹に劣ってしまうのだ。家族の愛情を疑ったことはないが、これが現実である。

    「それだけ、貴方の弟君が我が息子を求めてくださっている。そう、解釈してよろしいか?」
    「無論です」
    「弟君が、そうおっしゃれている」
    「口には出しません。先ほどもお伝えしましたが、我が弟は奥手ゆえに。しかし、わかります。甲と丙には、乙種にはわからぬ世界があります。――どうか、不快にならず聞いていただきたい、――我らは、我らだけにしかカタチ創れぬ世界があるのです」

     父が首を振ったのは、もう四度目だ。――「また回りくどい」。宥めるような声。潮江の男は、言葉を必死に探すように、もごもごと唇を蠢かせた。

    「忍術学園に通ってから、我が弟は変わりました。訳あって、あの子は甲種を、ひいては世界を冷めた目で見るようになってしまった。そんなあの子が、また明るくなって帰って来た。
     ――神を、見つけたのだと」

     男は、言葉を探り、探り。何度も舌を湿らせながら口を開いた。ここが、男の正念場だった。目の前に在るのは、甲種であるはずの男が、少なくとも言葉では勝てぬ存在なのである。

    「わかりますでしょうか。あの子の世界の、あの子のための世界の、神様です。私にもいます。あなたの奥様にもいらっしゃいます。
     ですがそれ以上に、鮮烈に。もっと明確なものとして、あの子のなかに在る。あの子の甲としての性を、才を、より力強く押し上げるツガイ。兄として、あの子を見守って来たからこそ、わかります。
     ――失礼ながら、乙種の貴方にはわからないかもしれない。誤解しないでください、乙種を見下しての言葉ではないのです。ただ」
    「……はい、落ちついて。端的に」
    「ご子息と我が弟は、――運命の番と思うのです」

     ぎょっ、と留三郎は目を剥いた。隣で次兄が体を震わせた。その言葉の意味を、知らぬ者はない。伝説だ、物語だ、神話ですらある。この国で運命の番に関する最初の記述は、国生みの時代までさかのぼる。――伊邪那美、伊邪那岐こそが、その運命の番であるというのだ。

     ――運命の番。
     それはどこかの世界、どこかの時代に必ず居るとされる、甲と丙のたったひとつきりの組み合わせ。出会えば強く惹かれあい、決して離れることはない。
     またお互いの性質を高め合い、甲はより高みへ、丙はより包容力をもって世界を導く。
     無論この広大な世界、長い歴史のなかで、運命の番に出会える確率は天文学的なものとされている。だが史書にはたびたびその記述が登場し、常に羨望と崇拝をもって語られる現代の奇跡だ。
     
     現実には甲と丙でもお互いが別れるときはあるし、捨てた捨てられたという話も巷では聞く。また丙を慰み者して囲う甲もいれば、甲を手あたり次第食い荒らす丙もいる。 
     どんなに甲と丙といったところで、人はそんなに簡単な生き物じゃない。心があれば、尚のことだ。
     だがそんなことに左右されることのない、完全無欠の組み合わせ。

    「なるほど、わかりました」

     父の声にようやくわずかな動揺が浮かんだ。無理もない、神話の伝承がいきなり目のまえに突き付けられたのだから。しかもそれが、己の息子だというのだから。

    「確認します。これで貴方の本音は出し切りましたか?」
    「はい」
    「ならば結構。留三郎も、一緒に聞いていましたのでね。返事は、また追っていたしましょう。流石に運命の番などと言われてしまっては、こちらもすぐに返答しかねます」

     父の系譜は、遡れば天皇家までも繋がってしまう。古事記の逸話は、伝説、伝承では済ませられない。

    「今日のところは、お帰りください。もしや弟君に此度の件、まだ伝えていないのでは?
     婚姻を家同士が決めるのが普通とはいえ、貴方のいうところの“情”を通すなら、弟君の意思も伺うところでしょう。
     ああ今度、私の方からも伺いましょう。――我が長兄のこともありますしね」

     びくんっと、潮江の男の全身が跳ねた。
     もう、彼の顔に甲種らしい自信も傲慢さもない。伺うように、父のそれを見つめている。父が音もたてずに立ち上がった。

    「甲種たる貴方、あえて問いますが。――乙種は端から相手にしておりませんでしたか?」
    「……いえ、そんなことは」
    「甲種のあの子がいなければ、あとは押し通せると思いましたか?」
    「……はい」

     父は潮江の男の前まで歩み寄ると、座ったままの彼を見下ろした。
     父の背丈は並程度にしかなく、体の厚みは男に負けている。けれど今、その存在が応接間を埋め尽くしそうなほど巨大かつ強大なものに思えた。
     その圧倒的存在感は、甲種が生まれ持ったそれとは違うものだった。もっと単純なもの。第二性に寄らない、人ならば誰もが培われるもの。

     ひとりの人間として、生き、育み、経験でもって積み重ねてきた、ひとつの人生の集大成。――“人”、たるもの。“父”、たるもの。

    「潮江。私は我が子らの父親だ。これよりすること、道理が通らぬなどとは言わせぬぞ」
    「……」
    「嫁取りは、父親に殴られるのが定石だろう? おまえは嫁を取る当人じゃないが。
     ついで婿まで引っ張っていくのは、随分と欲が過ぎるわ」
    「……すべて、私めが画策したことに相違ございません」

     男の体が、蹴り飛ばされた。
     その体は畳の上から数寸浮いて、その距離を保ったまま背後の襖をぶち抜く。木材の砕ける音と襖紙の破れる音。男はうめき声一つ発せなかった。ただ、残骸に埋もれて突き出た脚の間抜けさが、甲種の威厳もなく滑稽に見える。

    「――あ、手じゃなくて足が出てしまった」

     父は留三郎たちのよく知る覇気のない声。
     潮江の男に「早く息子を返せよ」とだけ言い残して、次兄と留三郎を応接間の外へと促す。
     途中、男の横を通ることになったけれども…、白目をむいて完全に昏倒していた。

     食満家現当主の伴侶。
     その系譜、遡れば飛鳥時代まで。敏達天皇に繋がる堂々たる血統。源平藤橘四性の一角。――橘宿禰。『橘』氏。

     駆け引きは政治を駆け抜けた貴族たちの十八番。普段、甲種たる兄の影に隠れようとも、乙種であろうとも、父は正しく『橘』の輩である。
     最初から、潮江の男は父の陣地に自ら潜り込んだ孤立の将にすぎず…。まあ、細かなことは置いておいて。
     武官も輩出し、反乱すら画策したことのある血統。現在では、楠木氏含む各地の武将までその系譜を繋ぐ。

     ――その本質、正しく留三郎たちの父であったのだ。



    ------------------------------------




     深夜。
     正確な時刻はわからぬが、障子に映る月明かりの位置を見るに亥の刻(午後9時~11時)辺りだろう。 
     ここは、留三郎の自室。
     文机に鎮座した油皿のうえで、ぼやぼやと火が揺らめいている。その灯りを眺めながら、彼は今夜も考えにふけるのだ。
     ここ数日、留三郎は日が暮れてからずっと考え続けている。己のこと、文次郎のこと、丙のこと、甲のこと、家格、血統、情、――運命の番。

     昼間は情報が多すぎるのだ。自分を心配してくれる家族だとか、あと昨日ようやく帰って来た長兄の姿だとか。なるほど丙種に溺れた甲種とは、傍から見ればああなのか、と酷く冷めた感情を留三郎は覚えた。
     長兄の顔は青白く、しかしその腕は力強く見知らぬ男を抱き寄せていた。

     長兄を迎えに行ったのは父である。正しくは、言葉通りに父は潮江の家を訪れ、そのついでに長兄を引きずり帰ってきた。
     長兄に目立った傷などはない。傍の若い男は、潮江の丙だという。
     もともとは、潮江から放逐された者だという。そして潮江に戻す取引として、留三郎たちの長兄を誘惑したのだ。
     彼の項には、しっかりとした噛み跡が残されていた。

    「だから周辺には気をつけろと言ったのだ。甲種であればこそ、より注意を払わねばならぬこともある」

     珍しく、父が長兄に説教をした。長兄は反発したけれども、父は一切の反論を封じてしまった。改めて、潮江の男と対峙した時の父は本物であったのだ。

     長兄は丙の発情香に誘われて、しかも番関係まで結んでしまっていた。それは留三郎たちが、潮江の男と相対している最中に行われていたのだ。甲種として、長兄として、これほど面目がたたないことがあろうか。

    「場合によっては、お前の存在が留三郎に対する人質となったこと、自覚しておけ」

     項垂れた長兄に対する父の言葉は、まったく容赦がなかった。潮江の男を思い返すに、おそらく父の懸念は正解だろう。ただ、父がそれを許さなかっただけだ。

    「お前まで潮江の婿入りとまでいかなかったのは、結構なことだ」

     長兄が、敵意すらこめて父を睨み上げた。傍の丙を、より強く抱き寄せる。いつもの父なら、ここで長兄の顔色を伺うところだけれども。
     食満家の足枷になる恐れのあった兄に、父はまったく容赦しなかった。

    「お前は食満の家を出て、我が実家を継いでもらう。私の兄が現当主だが、前々から甲種の子を欲しがっていた。お前にとっては、耳にタコの話題だな。
     すぐ、支度をしなさい」

     長兄は、殴りかかろうとしたのだろう。だが、父との間に次兄が割り込んだ。――その顔にあったのは、侮蔑。
     少し前まで、「兄上、兄上」と誰よりも長兄を慕っていた次兄だったのに。

    「丙の妻がいるなら、なお歓迎されるだろう。支度が済み次第、二人揃って即刻出ていくように」

     父の言葉は、せめてもの温情だったのだろうか。
     父の息子である以上、食満の子は橘の正式な血統である。ならば長兄は橘家から嫁取りをする必要はない。丙の番をそのまま嫁にできる。
     そして丙は甲を産む。長兄の番たる丙は、元は甲種の家系たる潮江の者だ。甲種を産む因子は十分であり、向こうとしてもさほどの反発はないだろう。父は、口添えをしておくとも言った。

     その父の言葉が決定打だったのだろう。
     長兄は、父の沙汰をすべて受け入れた。番の丙を伴って、家族と別れの挨拶を済ませて。日が暮れるころには旅立ったのである。
     この先留三郎が嫁げば二度と会えぬかもしれぬ、大好きだったはずの長兄。

    「気持ちワル……」

     一連の騒動を振り返って、留三郎の感想はそこに行きつく。気持ちが悪い。なにが甲だ、なにが乙だ、なにが丙だ。そんなものにふりまわされて、自分たち兄弟の心はバラバラになってしまった。
     あんなに仲が良かったのに。長兄と次兄は、いつだって協力して。いつだって、母を、妹を、留三郎を守ってやると豪語してくれていたのに。留三郎だって、そんな兄たちに応えられる弟でありたかったのに。

     そういえば昔、甲が、乙が、丙がなんだ、と豪語するやつがいたなと思い出す。文次郎だ。留三郎の知る限りもっとも平等な男。留三郎の、甲。
     もっとも、囮騒動でこじれてしまったが。
     だがままならぬ発情期と襲い来る甲から逃れようとする後輩を、見捨てられるのかと問われれば答えは否だ。必要にかられれば、道理にならないことを条件反射でしてしまう。それが留三郎である。だが現状を思えばやはり、留三郎の行動は正しかったのだろうか。

     ――お前は、お前のことだけ考えろ。それがすべて、お前のためになると願っている。

     長兄の、別れの言葉だ。

     ――お前の甲に会って来た、名乗りはしなかったがな。そのうえで言うならば、嫁ぐか否かはお前が決めるべきだろう。

     父は全ての選択権を、留三郎にゆだねてくれた。

     ――お前が残るのならば、俺が守ろう。お前が嫁ぐのならば、この家の敷居はもう、跨げぬと思え。

     次兄は痛みを噛みしめるようにして告げた。

     ――私は、貴方が羨ましい。

     甲との番が結べぬことが確定している妹は、目線も合わせずそう呟いた。

     ――己で道を選びなさい。選べる者は、選ぶ権利があり、選ぶ責任があります。

     母は留三郎の手の甲を撫でながら、そう言って微笑んだのだ。

     家族。留三郎の大切な――。
     その言葉、ひとつひとつに複雑な感情があり、しかしそれは決して留三郎の存在を、未来を否定するものではない。

     ――幸せに、どうか幸せに。
     言葉の端々から、伝わる想いがある。口にせずとも、感じられるものがある。
     家族だから。

     甲、乙、丙、我が家は世間の縮図だった。頼りになる長兄。その意思を尊重していた父と、従う次兄、大事に守られた妹と、家族を裏から支えていた母。――己は?
     今回の騒動は、己と、文次郎の関係がなければそもそも起きなかっただろう。発端はどうあれ、巡り巡って自分たちの関係が家族をバラバラにする一因となった。そのことを考えれば、胃の腑が痛くなる。

     正直、文次郎の兄のやり方には思うところがあるけれども。「それだけ必死だったのだろう」、と帰ってきて早々に長兄は語った。

    「あれは本当に甲種の鑑のような男だな。
     丙を得た甲は、その才を正しい方にも間違った方にも使う。自分たちの世界を守るために。
     許す必要はないぞ、留三郎。俺も三発ぐらい殴ってきたしなぁ。おまけで五発蹴った。ついでに番も浚ってきてやった。
     だから留三郎。お前が嫁ぐなら、そのついでに殴ってやれ」

     己のよく知る、優しいままの長兄の言葉だ。それから少し声を潜めて。

    「ただ、まあ。番を得てしまった身としては、アレの気持ちも解ってしまう」

     同時に知らぬ部分もできていた。どこをどう、と説明はしづらい。ただ番を得た甲と丙は、得る前のそれとは世界が違うのだろう。次兄はずっと、まるで異質なものをみるように長兄を見ていた。
     そして、だからなのだろう。嫁ぐならば家の敷居を跨ぐな、と次兄が留三郎に言ったのは。
     
     留三郎は、重く深くため息を吐いた。
     現状から、目を背けるつもりはない。このまま無為に日を過ごすのは論外だ。兄は番を得て去った。妹はこの家を継ぐ。次兄はぎりぎりまでこの家にいるだろうが、それでも甲の兄と丙の弟を持つ身だ。乙種にはありえないほどの良縁が舞い込んでいると聞く。
     ならば留三郎も、早々に身の置きどころを決めてしまわなければならない。今回の一件が我が家に影を落としたのならば、尚のこと留三郎は決め、動き…、そうしたならば、この家の暗雲も少しは晴れるのではなかろうか。

    「だいたいだ、文次郎。てめぇの嫁取りだってんなら、てめぇで来やがれってんだ」

     ついでに理不尽な怒りも沸いてくる。
     この時代、婚姻は親同士の取り決めだ。潮江や食満のような家なら尚のこと。所詮“情”など建前以上の意味は持たない。というか、いいかげんこの嫁取りの件は、ちゃんとアレに届いているのだろうか。

     父は文次郎に名乗らなかったと言った。おそらく留三郎の義兄になるかもしれぬあの男の顔を立てたのだろう。恩を売った、ともいう。
     思うに、父の言う通りあの男は文次郎も大切なのだ。自分たちが縁談を断るならいくらでも突っ込んで来られるが、文次郎に断られたら引くしかない。だから先に状況を整えておきたかった。――意外と小心者の心配性であるらしい。

     とはいえ名乗らずとも、アレは存在の強烈な男である。少し会話しただけでも、アレの性格は十分伝わる。
     そのうえで父は留三郎に任せると言ったのだから、最低限のお眼鏡にかなったはずだ。わかっている、文次郎はいい男だ。

     留三郎が文次郎に抱かれたのは、件の囮活動を始めた忍術学園五年生のころからだ。その自己犠牲が、あの男の顰蹙をかったらしい。
     それから幾度か体を重ねて、相手本位の、無茶苦茶な行為で…。

    「思い出すと本気で恥ずかしいな」

     嫌だっただろうか。否、そんなことはなかった。留三郎はそんなに安い男ではない。嫌ならば、発情期だろうが全力で抵抗する。
     ただ、アイツが。あんな、懇願するような目でみてくるから。

    「俺の、神様」

     一年生のころから、あの男は優秀だった。最初に覚えたのは純粋な憧れだ。同年代に、あんなに凄い奴がいるのか、と。
     留三郎は大切に育てられてきた子供だ。丙の発現を望まれた子供だが、二人の兄は留三郎を対等に扱ってくれた。だから当時は、第二性なんて気にせずに、文次郎に突っかかっていけたのだ。

     最初は、アレの視界に入ってもいなかった。けれどもだんだん、こちらを無視できなくなっているのがわかって面白かった。
     突っかかって、突っかかって、ようやく相手をしてくれたとき。ようやく勝てたとき。留三郎の世界は、大きく開けた。あの瞬間、留三郎の世界は出来上がったのだ。

     成長と同時に、留三郎の周りの環境はゆっくりと変化していった。兄たちが意図して避けさせてきた第二性も、だんだんと現実味を帯びて来る。
     そんな中でも、留三郎が変わらずに在れたのは、文次郎のおかげだ。

     ――俺に、世界をくれたひと。世界の、神様。

     だから己が発情期を初めて迎えた四年のころ、誘ったのは間違いなく文次郎であったのだ。他学年の長屋まで香ったという、強烈な留三郎の発情香。ただ誘うだけなら小平太でもいいのだ。薬を服用している云々は関係がない。
     けれども、ただひとり。ただ一直線に。
     あのとき、留三郎は文次郎を求めた。そして文次郎は留三郎に応えてくれたのだ。
     あの、歓喜。

    「俺はちゃんと、アイツに惚れてたんだなぁ」

     今さらだけれども。これは間違うことなき真実である。

     考えよう。己のこと、アイツのこと、これからのこと。――幸せのこと。
     もう、間違いは起こさないために。

    「じゃあ、アイツはどうなんだ? いや、嫌がらせで人を抱けるような男じゃないな」

     奥手。彼の兄の評は留三郎としても納得する。そのくせ、体の関係まで突き抜けたのは己も悪い。父の言うように、ただ“手籠め”にされたわけのではないのだ。
     最初の発情期に誘ったのは自分。囮なんてことを始めたのも自分。あげく発情状態の交合は、言い訳もできまい。

     「俺が本気で抵抗したなら、アイツはちゃんと途中で止めただろう」

     子供の遊戯のような、駆け引きだ。当時の己たちの状態を思い出すに、あまりのつたなさに変な気持ち悪さが胸を襲う。実際のやったことが遊戯の範疇に収まらないからなおさらだ。子供の無知が起こす大事は、いつの時代も洒落にならない。

    「けれど、このままじゃ駄目だ」
     
     子供の時代は終わったのだ。ここから先は、己の行動すべてに責任が伴う大人の時代。己の不始末は、己でつけるのが筋である。その選択ができるのもまた、大人の特権だ。
     ――食満留三郎、道義は通す男である。

    「それにアイツ、俺のこと好きだ。絶対に」

     謎の確信。
     なにやら今回の一件が、文次郎に伝わっているかなどどうでもよくなってきた。
     俺が求める、アイツが応える。なんの問題があろうか。
     学園時代から、それは何も変わらないのだ。勝負をけしかけるときのそれと、なにも変わらない。そう思えば、なんとも自分たちらしいじゃないか。

    「受けてやる。いや、俺の方から行ってやる。文次郎――覚悟をしておけ」

     これは、人生をかけた大勝負である。
     ついでに、潮江の親類縁者にも物申したい。そもそも文次郎の兄があそこまで突き抜けた行動を取った発端は、連中が現当主夫婦に離縁を求めたからではなかったか。
     四方八方敵だらけ。これほど心躍ることが在ろうか。

    「――本当に、らしくなってきた」

     それに己が嫁ぐことで、未だ届く妹への縁談は途切れるだろう。たった一人の丙を差し出せとは、周りも言えないからだ。今代は駄目でも、次の代で。食満家とは末永く善き関係を続けたいのが、縁談希望者たちの総意である。
     そうなれば、父や母も少しは気が楽になるだろう。次兄だって余裕ができれば、いつかまた長兄と仲を元に戻せるかもしれない。

     なぁに、向こうに嫁いであまりに目に余る扱いをされるのならば、逃げ出してしまえばいい。実家は頼れないが、なんのための忍術学園の経験か。そのためにも、堕胎薬は忘れずに。
     ――あとは、善は急げ。

     時刻のことも考えず、留三郎は部屋から飛び出した。そして火を消していないことを思い出して慌てて戻って来る。
     火芯の灯りが消えれば、あとは暗闇。部屋から離れる足音だけが聞こえてくる。

     さあ、この暗闇ばかりの世界。
     自分たちのための世界を、創りに行こうじゃないか。
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    koto

    DOODLE「我らが世界産声を此処に」番外編おまけ
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25186220
    全てが終ったあとで…。番外編ラストです。
    なお最後の一文は文字化けじゃないです(ヘブライ語)
    乙から見た甲と丙、特に番った彼らは別の存在じゃないかなと思う時がある。彼らだけで成立する世界。
    確かにそこに居るんだけど、別次元にズレて在るみたいな。一種のホラー。
    「我らが世界の産声を此処に」おまけ ――熱が、体の中に未だ燻っている。
     甲と丙の交合は、発情期中おこもり状態になって行われる。数日間に及び、熱が冷めるまで獣のごとく交わり続ける。
     学生時代は、一晩明かせば抑制剤を飲んで抑えていた。
     しかし、婚姻が結ばれてしまえば抑制剤を飲む必要はなく、ただ、熱を。ただ、淫らに。ただ、相手を求めるがままに。

     思い返そうとした思考を、留三郎は追い払った。あまりに恥ずかしすぎる。変わりに、目の前で眠る男の裸身にすり寄った。――潮江文次郎。留三郎の夫となった男。

     目の下の隈は、相変わらず。生活は不規則なくせに、髪はさらりと艶やかだ。陽に焼けた肌、学生時代より厚みを増した腕、胸。頬に触れて輪郭をなぞれば、その奥のがっちりとした骨格が伝わって来る。――俺の男。俺の甲。俺の番。
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