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    しぶにある「我らが世界の産声をここに」
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25186220
    の、番外編。発情期が起きたころの留三郎とそれを知った文次郎のお話。
    ちょっと説教臭い内容になってしまって、反省しています。

    我らが世界の産声をここに:番外編 (甲)『Ἐγώ εἰμι τὸ Ἄλφα καὶ τὸ Ὠμέγα,
     (わたしは“アルファ”であり、“オメガ”である)
     ὁ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος,
     (最初であり、最後である)
     ἡ ἀρχὴ καὶ ἡ τέλος.
     (初めであり、終わりである)
     「ヨハネの黙示録22章13節」』



     その出会いは鮮烈だった。

    「俺の名は、食満留三郎!」
     食満。本来それは劣等種の名のひとつであるはずだ。蔑むべきもの、対等ならざるもの。

    「お前、一年い組の潮江文次郎だな」
     その本質は、淫乱痴気。他者を惑わす卑しき者。

    「この前の実技試験で、一等だったんだって?」
     その美しさに惑わされてはならぬ。その声音に惹かれてはならぬ。

    「じゃあ、さっそく」
     それらは我らが囲い、庇護してのみ世界に許される。

    「勝負だっ‼」
     食満、…留三郎。
     潮江文次郎が生まれてからの世界を一度ぶち怖し、新たに構築した少年の名。
     ああ、おまえこそ。

     ――『俺の、神様』



    --------------------------

     人間には二つの性がある。まず親の胎で授かる『男』と『女』。次いで成長過程で発現する『甲』『乙』『丙』。

     『男』『女』の違いについては今更語るまい。第二性ついては――。
     『甲』は優等種である。知、体、心、そのいずれか、あるいはすべてに優れ、人々をまとめ上げて国を、社会を導く者たち。
     『乙』は凡なる者である。生まれ持つ思考、才能こそ俗人のそれであるが、努力をすれば甲にも等しく大成し、怠ければ丙ほどにも堕落する。
     『丙』は劣等種である。淫蕩かつ乱痴気。導たる甲種を誘惑する淫売。性に溺れる忌まわしき者たちだが、その胎は優等種たる甲を産むに不可欠である。

     さて、潮江文次郎。このころ十三歳、忍術学園四年生。
     同輩たちの間では、甲種が現れた、自分は乙だった。アレは丙らしいぞ、と第二性に関する話題が上がりだす頃合いだ。
     人生を大きく左右する第二性だが、実際に発現するまでは本人でもわからない。だが大抵は乙種となり、――(まぁ、そんなもんだよな)と、ちょっとの物足りなさと共にこれまでと変わらぬ人生を約束される。乙は、世間的にも八割から九割の人間が発現するといわれているのだ。
     しかしこの忍術学園においては、甲や丙の割合が世間のそれより多いのではないかと、まことしやかに囁かれていた。

     文次郎は甲種の家系である。しかも本家筋。ゆえに故郷の者たちは第二性発現前から文次郎を甲種として扱った。文次郎もそれを疑ったことはない。
     しかしそんな潮江の家でも、乙や丙が発現しないわけではないのだ。
     ――この年、潮江の分家に丙が発現した。

     文次郎は、自室の文机の上で手紙を握りつぶした。
     差出人は敬愛する母で、本来なら彼女からの手紙をこんな乱暴に扱ったりはしない。

     文次郎には、以前から手紙のやりとりをしていた従兄弟がいる。その彼から音沙汰が無くなったのは二月前だ。母に送る手紙に従兄弟の現状を問う文を沿えれば、たっぷり二週間待たされてから『あの子のことは忘れなさい』と、震える手記が返ってきた。
     それで、すべて察した。従兄弟には丙が発現したのだろう。
     乙種ならば白い目で見られようとも、存在をなかったことにはされない。そんなことになるのは丙くらいである。

     ――どいつも、こいつも。
     文次郎は歯噛みした。

     「なにが『甲』だ、なにが『丙』だ。そんなもの…」

     脳裏に映るのは、初めて出会ったころのある少年の顔だ。
     一年は組、食満留三郎。文次郎と同等に切磋琢磨し成長してきた彼は、実家の者たちが蔑む丙の家系だ。
     アレらも、留三郎に会えばいいのである。そうすれば、丙が劣等などという先入観はひっくり返る。…己のように。
     少し己を落ち着けてから…、文次郎は首を振った。どうせ聞く耳を持つまい。固定概念に凝り固まった、潮江の家。その血脈。丙について語るときの、親類縁者の忌まわしい顔。

     心がささくれるときは、体を動かすのが一番だ。
     槍を手に自室の戸を開けば、眩いほどの陽光と蒼天。まずは、深呼吸。外出用の綿足袋に履き替えて、縁側から庭に降りる。

     まず、中段の構え。
     右手で柄の後ろを握り、左手を前に添える。右腕の筋肉を盛り上がらせると、真っすぐ一息に突き出した。槍は重量武器だ。もっと幼い頃には筋力が足りず、槍を握る腕はすぐにしびれた。槍を水平に保てるようになったのはここ最近である。
     それをさらに、ふた突き、み突き。

     目の前に、想像上の武者をつくりだす。それは馬上にまたがり、こちらを見降ろしていた。
     文次郎の構えは下段。まずは馬の足を狙って払い、牽制。怯んだ隙に馬上の敵目掛けて一気に踏み込む。頭の中の仮想敵は、わき腹を穿たれ落馬した。その体目掛けて、追撃――。

    「どうした、文次郎。いつもより槍が怖いな」

     かけられた声に、仮想敵が霧散した。
     文次郎が縁側の方を振り向けば、いつのまにか同室である立花仙蔵とろ組の七松小平太が腰かけている。声をかけたのは仙蔵の方だ。

    「たいしたことじゃない、仙蔵。――そうだな。小平太っ、ちょっと相手をしちゃあ、くれないか?」
    「ん、私かっ。もちろんだ‼」

     ぴょいっと小平太が縁側の淵から飛び降りて、開始の合図もなく文次郎の懐に向かって一足飛びに、突っ込んでくる。
     小平太の得意武器は苦無だ。超近距離型のそれを相手取るには、決してに懐に入らせず、己の間合いを維持するのが肝要。

     ごごっ、と苦無の先端と槍の柄がぶつかり合い、捌く。
     小平太の体がわずかにのけ反ったかと思うと、直線に蹴りあがった足が文次郎の槍を跳ね上げた。かろうじて、柄から手が離れなかった。
     七松小平太。この頃すでに武闘派の名を欲しいままにし、その戦闘力は教師すらも唸らせる天性型。しかも頭の回転も速いときたものだ。
     彼はすでに甲を発現したと聞く。それに、誰もが納得した。

     文次郎は体勢を整えながら、舌打ちした。小平太の能力の高さは、文次郎も認めるところである。――だが。

    「文次郎っ、意識が逸れていないかっ!」

     小平太が再度、文次郎の懐へと潜り込んでくる。文次郎はあえて槍を手離すと、小平太の苦無を今度は手首の半手甲で受けた。
     鉄と鉄のぶつかりあう音が庭に響く。半手甲の中には、棒手裏剣が仕込まれている。それが、小平太の苦無を受け止めたのだ。
     苦無を受けた腕と反対側の腕で、小平太の苦無を持っていない腕を掴み上げる。小平太の意識がそちらに向いた隙をついて、反対側も。むろん、小平太も抵抗してくる。お互い、取っ組み合いのような体勢になった。

    「単純な力比べならば、負けると思うなよ小平太」
    「ははっ。取っ組み合いは筋力だけでは決まらんぞ、文次郎」
     
     ぎし、ぎし。お互いが掴んだ腕の骨と筋が軋む。そのまま後ろへ押し倒そうとする文次郎と、横へ受け流そうとする小平太と。力の拮抗は、先に気を緩めた方が負ける。

    「ふぅむ。甲種同士の戦いともなれば、どちらが勝つか想像もつかんな」

     ぽつりとつぶやいたのは仙蔵だ。意識して出た言葉ではなかっただろうが、文次郎の耳にはやけに大きく聞こえた。そして文次郎の意識が削げる。

    「いけいけ、どんど~んっ‼」

     それを小平太は見逃さない。掴まれた己の腕を一気に横へ払い、文次郎の体はそれに逆らうことなく傾ぐ。

    「っ」
    「ははっ!」

     文次郎の体は肩から地面に打ち付けられて、けれども諦め悪く足払いをかけたのは流石だ。もっとも小平太の方も読んでいたらしく、ひらりと後方へ飛び退って避けてしまう。

    「私の勝ちでいいな、文次郎」
    「馬鹿言え、まだ決着はついとらんわ」
    「体に土をつけたんだ、十分だろう。これ以上やったら、本当にお互いが動けなくなるまで続くぞ」

     小平太の方が正論である。小平太も文次郎同様負けず嫌いの性質(タチ)だが、引き際を間違えないのが彼である。

    「戦場でそんな甘いことが通じると思うな?」
    「無論だ。しかしこれは鍛錬だろう。仙蔵ではないが、確かにお前の戦いには苛立ちが見えた。らしくないぞ、文次郎」

     ぐうの音も出ないとはこのことか。これ以上噛みついても、文次郎が駄々をこねているだけだ。文次郎は地面から立ち上がると、装束についた土を払った。

    「途中で気をそらしたのも、らしくない。お前の持久力を考えれば、取っ組み合いに持ち込むのは正解だ。通常なら、単純な筋力差も合わせてお前の方に軍配があがっただろう」
    「……勝ったやつに言われてもなぁ。いや、いい。すまん。――仙蔵っ!」
    「私か?」

     縁側に座ったままの仙蔵が、文次郎に向けてひらりと手を振る。見目麗しい彼は、多くの者が丙種ではないかと陰口をたたいた。しかし彼の第二性は乙である。丙と後ろ指をさされても平然としていた彼が、乙の発現に隠れて安堵していたのを知っている。

    「あまり戦いに第二性を持ち込むな。俺はお前とて十分強いと思っているからな」
    「私は私を弱いと思ったことはないが、文次郎」
    「だろう?」
    「…あぁ、なるほど。わかった。先ほどの私の言葉がお気に召さなかったか。それは、すまない」

     「いや」と、文次郎は首を振った。どんな理由があれ、戦いの最中に気を反らしたのは文次郎の落ち度である。それこそ戦場では命とりだ。ただ、言わずにはいられなかった。
     強い者は“強い”。それはこの世でもっとも単純なことだ。第二性は関係ない。
     ――留三郎とて。

    「文次郎はあまり『甲』『乙』『丙』を区別しないんだな」
    「なんの違いがある、小平太。たとえお前が乙種であれ丙種であれ、お前の強さは変わらんだろう」

     小平太は文次郎の言葉を聞いて、きょとん、と。しかしすぐに腹を抱えて笑い出した。

    「なにがおかしい」
    「いや、すまんっ。違う。いや違いない?
     そうだな、あるいは、たとえば、もしかして、私が他の第二性であったとしても、私の強さ、それを求める心は変わることはない」
    「……」
    「しかし文次郎、お前は真っすぐなやつだとは思っていたが…。意外と理想家でもあったか」
    「……小平太」

     文次郎が再度小平太に掴みかかろうとして、しかし小平太は同じ分だけ距離を取る。彼はこれ以上やりあうつもりが、本気で無いらしい。

    「文次郎。お前ほどの男だ、現実が見えていないということはないだろう。
     そのうえでそこまで言うのは、お前自身の経験か? なにか、第二性に思うところでもあるのか?」
    「なら小平太。お前はたかだか第二性の発現ぐらいで、己の何かが変わるとでも言うのか」

     小平太は気難しい顔で腕を組んだ。あるいは彼こそ、第二性で思うところがあるのやもしれぬ。

    「変わらんだろうなぁ。だが変わらんつもりなのは自分だけだ。
     性と体の関係は密接だ、変化は確実に起こる。そして社会は本質より外側で人を判断する。たとえお前が“変わらぬ”と断じても、社会はそこまで成熟していない。それを、すでに甲に発現した私は断言する。乙に発現した仙蔵でも断言できる」

     真摯な目が、文次郎を見据えていた。

     「文次郎。少なくともそれを、自らで体験していないお前が語るには早い。
     だというのに他者に己の考えを押し付けるのは、理想家以外のなにものでもない。いっそ、甲種らしい傲慢さだぞ」

     傲慢。
     まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。言い切ったことに満足したのか、小平太はいま穏やかな笑みを浮かべている。それは、文次郎の実兄が弟を窘める時の、親しみある笑みに似ていた。

    「文次郎、お前は甲だ。まだ発現していなくとも、私が断言してやろう。お前がそれを発現させたとき、お前は誰よりも『甲』らしい『甲』となるだろう。
     その前に、一度その理想を見直しておけ。あるいはもし……」

     遠くから声が聞こえる。中在家長次、善法寺伊作、そして食満留三郎。自然と文次郎の意識もそちらへ向かう。
     小平太が、やや大げさなため息を吐いた。

    「もしその理想が人のカタチをしているなら、いますぐ討ち捨てろ。理想は崇拝と化し、崇拝は本来のカタチを覆い隠す。そしていざソレが崩れたとき、お前自身をも壊す」
     
     ――現実を見据えろ、文次郎。

     小平太の言葉は、文次郎の耳から耳へ抜けることはなかったが、脳の底へと沈んでいった。浮上する気配はない。
     小平太もそれに気づいているのだろう。すこしその瞳に憂いを乗せて、けれどもすぐに打ち消した。あとは、ニカリ。姿を見せた長次に向けて駆けだし、懐く。長次は乙種だったはずだ。次いで現れた伊作、これも乙。最後に現れた留三郎、彼は文次郎同様、まだ第二性が発現していない。
     彼の家系を考えれば、丙が妥当だろうけれども。
     だとしても、なんの問題がある。アレは、己の好敵手だ。己の常識を打ち砕くほどの猛者だ。その在り方に己の同等を見て、なにが悪い。

     留三郎が、文次郎に気づく。べ、と舌を突き出された。――そうだ、それでこそ。

    「文次郎」

     いつの間にか、仙蔵が文次郎の傍まで来ていた。少し心配そうに、眉根を寄せている。

    「文次郎、お前のソレはお前の美徳だ。第二性の境なく、皆を等しく扱える。だがそれは、『甲』ゆえの傲慢さで許されてもいる」
    「お前まで説教か、仙蔵」
    「文次郎っ。――おそらく私は乙であるからこそ、小平太ですら見えないものが見えている。お前の存在は得難い、お前の考え方は私たち乙種にとっては希望だ。
     だがもし、お前のその考え方が丙に由来するのなら、まず、丙種を知ってからにしてくれ。私は、お前に変わってほしくないんだ…」

     丙。丙種がどんなものか、よく知っている。あれは…、あれは…。

     ――ほら、坊ちゃん。見なせぇ。
     ―――きて。

     文次郎は、慌てて首を振った。たとえば、籍を失ったであろう従兄弟。彼はいま、どうしているのだろうか。文次郎の知る限り、男らしい男だったのだ。分家筋の後継ぎだった。将来を期待されてもいた。第二性発現前から、甲と断じられるほどの男だったのだ。
     だから、丙がどのような者であれ、その人間性は本人の努力や教育によって培われるはずだ。そう、己と変わらず。

    「文次郎、仙蔵。なんだ、難しい顔をして」

     目の前に、留三郎が来る。
     心底不思議そうに、文次郎と仙蔵を見ていた。

    「たいしたことではない。先ほど文次郎と小平太がやりあってな、コレがやられたのだ。その、反省会だな」
    「なんだそれ。情けねぇなぁ、文次郎。なんなら俺も相手してやろうか」

     ニヒ。と笑う顔。拳を突き出す様。

    「んだよ、もしかして調子が悪いのか?」
    「ああ、すまない留三郎。文次郎、一端部屋に戻ろうか」

     仙蔵の手が、文次郎の背に添えられる。そのまま、力を籠めて部屋の方へ押されたけれども。

    「……いや」
    「文次郎?」
    「お前にそうまで言われて、おめおめ部屋で休んでいられるか。構えろ、留三郎」
    「お、やるか?」
    「……」

     仙蔵が、もの言いたげな顔をしたけれども。彼は無言で文次郎から離れた。そうして「ほどほどにな」と言い残して、小平太たちの元へ向かう。声には、わずかな震えを感じた。




     かくして運命の日はやってくる。
     ある、晩。深夜だ。
     喉の渇きを覚えて、文次郎は寝床から起き出した。隣から仙蔵の寝息が聞こえるけれども、それはすぐに意識の外へと追いやられる。
     ――乾いている。
     ――足りない。
     動悸が激しい。鼓動が早鐘を打っている。早く、早く、なにかを求めて脳が警鐘を鳴らしていた。早く、そこへ。

     甘い香りがした。酷く誘われる。すん、と息を吸えば胸いっぱいに香りが満ちる。――行かなければ。
     部屋の戸を開き、縁側に出る。
     満月が煌々と明るい。その下に、誰かいる。青みがかった黒髪は汗で肌にはりついている。その肌は、薄紅色で甘そうだ。
     いつもは鋭く吊り上がった目がとろりと溶けて、唇がゆるりと緩められている。

     「もん、じろ」

     その真っ赤な唇が、文次郎を呼んでいる。時折官能的に舌が覗いて、ちろり、ちろり、誘惑していた。

     「もんじ」

     白い寝間着は、肩から滑り落ちて腕に引っかかっている。張りのある肌、剥き出しの鎖骨、首筋。

     ――おれの、ものだ。

     あれを組み敷き、その肌に舌を這わし、隅々まで味わい尽くそう。
    皮膚を、肉を、骨を、ひとつ残らずもさぼり尽くそう。

     下半身に、熱が溜まる。痛いほど張り詰めて、いますぐあの体の中に、胎に埋めたい。今宵は、我らが夜。おれと、おまえの――。

     「とめ」
     「もんじろ」

     「――押さえつけろっっ‼」

     ――煙幕。
     背後から誰かに襲いかかられた。そのまま地面に叩きつけられる体。

     「留三郎っ、しっかりしてくれっ‼」

     視界を塞ぐ煙幕の向こう。――あの声は、誰だ。誰かが、己がものを連れていく。奪われて、なるものか。それを、連れ去られてなるものかっ!

     「ぐっ…があっ!」
     「…もそっ」
     「暴れるな、文次郎‼」

     誰かと、誰かの声。知らない、関係がない。――邪魔だっ‼
     
     「すまない。…すまない、文次郎っ」

     後頭部への衝撃。脳が揺れる。
     意識が遠のく寸前、周りの煙幕が晴れるのが見えた。その向こう榛色の髪の少年に抱え込まれて、ぐでりと力を抜いた体がある。――留三郎。
     それは、淫蕩に笑って文次郎を見ていた。その笑みが、いつかの記憶と重なる。
     
     ――ほら、坊ちゃん。見なせぇ。
     ―――きて。

     その記憶に被せるように、…従兄弟の声で、嘲笑が文次郎の脳内にこだました。



    ----------------------------



     かつて、叔母の番だった男が起こした一件。あのころの文次郎は、第二性についてよくわかっていなかった。しかし次第に成長し、知識、理解が追い付けば話は別だ。
     そうなれば、次に来るのは丙種に対する嫌悪である。
     
     ――みすぼらしい男の、甘ったるい声
     ――路地裏で男たち相手に奉仕を繰り返す若い男。

     忌まわしい記憶は文次郎の脳裏にこびりつき、加えて幼い頃には意味のわからなかった親族たちの丙種、果ては乙種に対する侮蔑や蔑みの言葉も理解できるようになる。

     ただ文次郎は、自分で物を考えることのできる聡い子供でもあった。
     文次郎の母は丙種だ。母は賢く、厳しく、優しく、貞淑であった。丙種に貞淑は相反する評価のように思えるが、母は努めて子らの前では“正しい母”として振る舞っていたのだろう。それができる人であったのだ。自制を知り、覚悟があった。
     一度、兄に聞いてみたことがある。なぜ、母は他の丙と違うのか、と。
     兄は言った。「甲種と交わり、甲種を産んだからだ」と。

    「丙種は、甲種がこそ導いてやらねばならぬ」

     なるほど、支配者側の責務というやつか。
    つまり丙種は劣等種には変わりがないが、甲種が正しく導いてやればその限りではない。そういうことか。
     文次郎の問いに、兄は力強く頷いたのだ。
     父と兄は甲種である。文次郎も幼いながらに、その才質から甲種確実と見られていた。己らの、責務。父は母を導いた。己らは母を守らねばならぬ。

    少なくとも母の存在があったからこそ、文次郎は極端に丙種を拒絶することはなかった。表向きは。
     文次郎は母の正しさを知っている。だが兄の言葉を信じるならば、甲種を産んでいない丙種は、やはり記憶の中のあの男たちと同等ということになる。
     幼い頃に一度こびりついた嫌悪は、そう簡単に消えるものではない。文次郎の周りには母以外の丙種もいなかった。
     あの男の一件以降、父と兄は努めて丙種が文次郎の目に留まらぬようにしたらしい。無論、親族の中には他にも丙種を妻とする者がいる。だがそもそも丙種はひけらかすものではない。甲種の家系であり、それを誇りとする潮江ならば尚のこと。
     妻、というよりは囲い者と言った方が正しいだろう。実際、愛人含め複数の丙を囲い込んでいる分家筋もいたらしい。
     むしろ本家がそれをしていないのがおかしいと、堂々のたまう分家もいた。

     忍術学園に入学時の文次郎の丙種に対する評価は、おおむね上記の状況によって固められていた。
     結論、嫌悪。
     ただし甲種ならば、それらも飲み込むのが責務である。

     思い返せば、こまっしゃくれた子供だったものだ。良く言えば堂々と。悪く言えば独りよがり。教師たちも困っただろうに。

     記憶の中、一年のころの留三郎が文次郎を睨みつけている。頬の擦り傷は同じく一年の頃の文次郎がつけたものだ。装束だって、土埃で汚れていた。
     なのに留三郎は、いくらその身に土をつけても諦めなかった。その目から、勝ち気の色が消えることはなかったのだ。

    「俺、お前にだけは負けたくない」

     食満。
     その名を文次郎は知っていた。同年代に食満の子が入学すると知った親族たちは、文次郎にかの者には十分注意するよう言い含めた。
     なにせ丙の家柄だ。潮江の家にすり寄るやもしれぬ。誘惑してくるやもしれぬ。
     忍術学園は、多種多様な子供が集まる。表向きは学術組織だが、将来の社会交流、人脈形成を親が狙って入学してきた者も多い。学園側も、目に余るようなことが無ければ基本は黙認だ。

     親族は、食満の家がどれだけ卑しいか文次郎に言い含めた。
      甲種を産む胎として、子を甲種に売って栄える家系。どこぞの金持ちなり、家格の家に法外な資金と引き換えに嫁ぎ、男女問わず甲種に組み敷かれて欲に溺れる。

    「つまみ食いは良い。ただし孕ますな」
     
     まだ第二性が発覚する前だというのに、ずいぶんと明け透けである。兄と母は顔をしかめた。父は無言無表情だった。
     親族たちだけが、盛り上がっている。「調子に乗せるな」「惑わされるな」「我らは甲種の家系ゆえに」。丙種に嫌悪感を抱いていた文次郎をして、不快に思える顔が並んでいた。

     そんな親族たちの顔を打ち砕くかのように、目の前の記憶の中の留三郎は言い募る。
     
    「ぜったいに、お前に勝ってやるんだっ!」

     そうして睨みつけていた目が、ふにゃりと緩んだ。ニカリと快活な笑み。

    「だってお前、めちゃめちゃに強い‼」

     ――勝負だっ!

     留三郎には、文次郎がそれまで培ってきた丙種に対する嫌悪を吹き飛ばす全てが揃っていた。彼は、文次郎を誘わない。甘い声を出すこともない。
     いつだって努力して、土まみれになって実技勝負をふっかけ、墨まみれになって学術勝負をしかけてくる。
     
     最初は確かにわずらわしかったのに。あまりにしつこいから。そして確かにその存在を無視できないほど彼は、実力で文次郎に迫って来たものだから…。
     文次郎が、留三郎によって最初に土をつけられたのはいつだっただろうか。
     文次郎が、留三郎に負けたくなくて徹夜勉強を始めたのはいつだっただろうか。
     あげく、二人して止め処がみきわめられず、教師に諫められ、怒られ、二人仲良く反省と称して校舎の外周を走らされるまで。

     最初は食満の名を嘲笑していた同級生もいたけれども、あっという間に彼はその評価を覆した。食満留三郎は努力を惜しまない。堂々と蔑む者も、裏で陰口をたたく者も、ちゃんと結果を出して黙らせてきた。
     また彼は気持ちの良い性格の少年だった。蔑みには強さを。哀れみには正しさを。怒りには優しさを。与えることを惜しまず、誰にも平等で、誰よりも努力する、誰にも好かれる子供。
     
     彼を見ていると、文次郎はひどく己が矮小な存在に思えてくる。
    己でちゃんと見て、世界をちゃんと考えているつもりだったのに。丙の家系である食満留三郎は、しかしあんなにも強く美しい。
     文次郎が嫌悪する、丙と対極に居る少年。

     記憶の中で、一年生の留三郎が、今度は恥ずかしそうにはにかむ。表情をころころ変えるのも留三郎の好ましい様だ。

    「本当はな。お前を初めて見たとき、ああいう風になりたいって思ったんだ。笑うなよ?
     お前は、俺の目標だったんだ」

     い組に、凄い奴がいると噂になっていたのだそうだ。実際に見て、憧れたのだそうだ。だがすぐに見ているだけでは物足りなくなって、憧れじゃない、勝ちたいと思うようになったのだと。最終的な結論が、“勝ちたい”なのは実に留三郎らしい。

    「甲種の家系だから、とは思わなかったのか?」

     これは、文次郎の返答。

    「それはそれ、これはこれだろう。大体俺ら、まだ第二性発現してねぇし。
    お前が凄いヤツで、俺はお前に勝ちたいと思って、今のこの関係がそこんとこに関係あるか?」

     無いな。無い。
     己らの関係は、喧嘩ばかり、勝負ばかりのそれだ。最近ではすっかり、周りから“犬猿”の呼称を頂いてしまった。
     だが、楽しかった。
     文次郎は留三郎とのこの関係が心から楽しく、心地よかったのだ。

     ――そうだ。
     己らの関係に、丙種、甲種など関係があるものか。留三郎は強い。文次郎はそれを認めざるを得ない。たとえ丙種の家系でも、留三郎は強いのだ。

     ――そうだ。
     たとえば同室の仙蔵はどうだろう。彼はその見目と体力の無さから、丙種ではないかとよく揶揄われるけれども。彼は乙種の家系だと聞く。乙種から甲種丙種が生まれることは皆無ではないけれども、彼が丙であれ、乙であれ、甲であれ、意外にもその本質は文次郎でも感心してしまうほどの根性と努力心がある。
    それは、彼の第二性がどれであっても、変わらないだろう。

     ――そうだ。
     他の友人らはどうだろう。
     は組の伊作、ろ組の小平太、長次。彼らはそれぞれ得意分野に個性があり、文次郎でも足元に及ばぬものがある。伊作の薬学など最たるものだ。

     優しい世界。誰かを嫌悪し、忌避する必要のない世界。素直に誰かを認めることのできる世界。
     人を蔑み続けるのは、実のところ子供ながらに疲れるのだ。
     けれども、優しい世界はどこまでも優しく文次郎にありのままを許したから…。

     全部、留三郎が教えてくれた。
     全部、留三郎が証明してくれた。

     留三郎が始めてくれた、文次郎の新しい価値観。世界の形。――俺の、神様。 
     だから。

     『もんじ』

     記憶の中の一年生の留三郎が、いつの間にか六年生の今の留三郎の姿を形づくる。
     肩から滑り落ちた寝間着。真っ赤な唇。覗く舌。――誘惑の、声。

     文次郎の世界は、ひび割れた。



    ------------------------------



     酷く、気持ちが悪い。
     吐き気がする。

     第二性が発現したあの晩以降、文次郎の世界は様変わりした。特に周りの反応。
     甲種の家系とはいえ、文次郎自らそれをひけらかしたことはない。知る者は知る、知らぬ者は知らぬ。その程度の認知度だっただろう。だが第二性が発現した今、誰が口にするでもなく、自然と学園中にそのことが広まっていた。――ここは、忍者の学園である。
     第二性は繊細な問題だが、明確に発現してしまえば隠す方がリスクも高い。

     文次郎は今、十キロ算盤を担いで学園の廊下を歩いている。己ではいつも通りのはずなのに、廊下の隅から羨望の、あるいは嫉妬のまなざしを受ける。ときおり甘ったるい臭いが鼻をくすぐるときなど、不快さが増した。
     騒ぎに直接巻き込んだ同期達の態度が変わらないのが、せめてもの救いか。もっとも、もう一人の当事者である留三郎は、未だ終わらぬ発情期に隔離中である。彼とこの先の関係は未知数だった。

     あの晩、文次郎と留三郎の異変にいち早く気づいたのは小平太であったらしい。
     
    「留三郎からときおり、かすかに甘い香りがしていたからな。おそらく、近いなと。お前も含め、気にしてはいたのだ」
     
     そう、小平太は言った。彼自身は、普段から丙種の発情香に抵抗する薬を常飲していて、留三郎に誘われることがなかったらしい。

    「言ってくれればよかったものを」
    「第二性は繊細な問題だ。確証のないうちは安易に口にできることではない。代々の家系だ血筋だ云々関わるなら、尚のことだぞ。
     なにより以前のお前に、丙種や甲種の本能を説明したところで、真にその危険性を認識したかどうか…」

     眉間に皺を寄せていたのは、それだけ気をもんだからだろう。小平太にしては珍しい表情である。そうして小平太は文次郎に薬包を差し出した。彼が飲んでいる、発情香に抵抗する薬である。

    「文次郎、お前は留三郎を神聖視しすぎた。あれは、気持ちのよい男だから」

     人を甘やかせる。丙種らしい男だと、小平太は痛みすら込めた表情で言った。第二性発現前なら、文次郎は小平太に掴みかかっただろう。だが、今はそんな気は湧かなかった。小平太も、留三郎の実力は認めている。こんなことは言いたくない、という感情がその表情に浮かんでいた。



    「――俺は、いつまでも現実が見えていない…」

     肩の算盤を抱え直しながら、文次郎は独りごちる。
     現実を見ているつもりで、結局己にとって楽な方、信じられる方、優しい方へ流れていただけ。そういうことなのだろう。
     だがそれでも、留三郎が与えてくれた世界は美しかったのだ。誰も、忌避する必要のない世界

     文次郎は首を振る。
     また、甘い臭いが鼻をくすぐった。どこの誰によるものかはわからない。丙種にも、発情期を抑える薬は処方されているが…。

     ――うっとうしい。

     文次郎も、すでに薬は飲んでいる。
     だが、丙種のソレが発情期を完全に消してしまうものではないように。甲種のそれも完全に丙種の発情期に感化されないものではないらしい。
     あくまで誘われないだけ。言うなれば、性欲抑制剤のようなもの。
     だから、香りは出るし、わかる。

     ――わずらわしい。

     あの晩、留三郎を押し倒そうとした文次郎。その胎を、孕ませようとした文次郎。それは、路地裏の若い男に群がっていた男たちのように。
     吐き気が、した。

     ――気持ちが悪い。

     あるいは、この臭いは留三郎のものだったりしないだろうか。初めての発情期は、その在り様が安定しないらしい。薬の効きも同様で、ゆえの隔離処置だった。この臭いを辿ったならば…。

     二度目、文次郎は首を振った。――けだものか、俺は。
     それに、これは留三郎の香りじゃない。あれは、もっと甘く。もっと優しく。

     ごんっ、と廊下の壁に頭を打ち付ける。
     周りの気配が、ざざあぁっと引いた。

    「またぞろ、強烈な『甲』が現れたものだ」

     そんな中でも、文次郎に近づく者がある。振り返れば、薄紫色の髪、紫色の装束。その後ろには同色の装束に、黒髪の少年が付き添っている。文次郎から見れば、一年上の先輩たち。

    「随分とご機嫌ななめじゃないか、潮江。お望みの『丙』が傍にいなくて、へそを曲げているのか?」
    「桜木…先輩? 若王子先輩も…」

     桜木清右衛門。口調は穏やかに、顔も上品な笑み。だが全身から漂う空気に、圧がある。背後の若王子勘兵衛が、そんな清右衛門の肩を抑えている。こちらは文次郎の方を見て、苦笑。

    「潮江、先輩を見て挨拶もなしか?」
    「……」
    「そんな余裕はないか? これが小平太だったら、教育的指導なんだが…。ま、今回は許してやろう。
     凄かったからな、先日の食満のアレは。
     五年長屋まで香ってきた。第二性の特性には個性があるが、アイツのあれはひたすら強烈だ」

     五年生に、甲種はどれほどいただろうか。目の前の清右衛門は甲種であったはずだ。

    「睨むな、潮江。こういう言い方はアレだがな。甲種にだって…、おれとて好みはある。食満はおれの趣味から外れるぞ」
    「……清右衛門」
    「流石に下世話だったか、勘兵衛。
    すまんな、潮江。ただ、これも言葉が悪いことは承知で言うが…。
     己の番であるのならば、己できちんと“管理”しろ、潮江。こちらにその気がなくとも、誘われてしまうのが甲種と丙種だ。お前とて、それは嫌だろう」

     文次郎は、清右衛門に言われた言葉にきょとりと瞬いた。己の中にあった緊張感が抜けて、代わりに体が熱を持つ。

    「つ、つ、番っ」
    「なんだ、違ったのか? 
     ああ、学生中に項は噛めないだろうが…。――十三歳は流石に早いしなぁ。それでも約することぐらいはできるだろう?
     甲種が周りを威嚇する警告香も同時に発生していたから、そういうことなんだろうなと。
     お前の警告香もなかなか強烈だったぞ。嗅いだ瞬間頭の中で『誰も近づくな』『こいつは俺のものだ』って叫び続けられる感じだった」

     意識していなかった。
     丙種が発情期に発情香を発するように、それに誘発された甲種もまた発情状態に移行し、警告香を出すことがある。
     己の丙を独占、支配するため、ほかの甲を牽制するため。甲種としての素質が強ければ強いほど、その効果も強くなる。

    「――潮江。
     お前は。お前たちは大切だと思える者と、強制的でも己の懐で守れる間柄になれる。そういう存在になった。おれはそれが羨ましい。
     だからこそ、そんなに不機嫌を振りまくな。らしくないし、人によっては嫌味にしかならん」

     また、きょとん。
     嫌味。桜木清右衛門はそう言ったか。大切なものを、懐で守れる間柄…。

    「桜木先輩にも、番になりたい誰かがいるのですか? それは、丙種ではない?」

     清右衛門は無言で、文次郎の唇をつねった。めちゃくちゃ痛い。

    「想像に任せようか、潮江。ただ、甲種が必ずしも恋い慕う相手と望むままに番えないのは、想像がつくな? あまり口が悪いと、捩じり切るぞ?」
    「ふみまふぇん…」

     勘兵衛が清右衛門の肩に置いたままだった手で、ぽんぽん叩いて宥める。
    「清右衛門、清右衛門、落ち着かないか。潮江の方は、少しは落ち着いてきたようだな。うん、安心した」
    「勘兵衛は下級生に優しいなぁ」

     清右衛門の指が、文次郎の唇から離れる。文次郎の唇はひりひりと熱と痛みを残し、たぶんこれは真っ赤に腫れあがっているだろう。

    「潮江、お前は変わるなよ」

     清右衛門の後ろに立っていた勘兵衛が、その横に並んで、文次郎と視線をまっすぐに合わせる。
     変わるな。似たようなことを、仙蔵にも言われたことがある。

    「おれは乙種だが、甲種の清右衛門とつるんでいるせいか、たまに丙種ではないかと勘ぐるヤツがいる」

     勘兵衛が丙種。文次郎としては想像もしていなかった。顔立ちだけみれば、甲種の清右衛門より勘兵衛の顔立ちのほうが男らしい。

    「お前は、丙、乙、甲、どれも変わらぬと以前から口にしてた。それはある意味、甲種ゆえの傲慢だとも、おれは思う。
     だが、お前は有言実行の男だ。己の言葉に真摯な男でもある。甲種ゆえの傲慢だとしても、おれはお前ほど他者を平等に評価する人間を知らん。 
     おれの隣の男は、知っての通り色々突き抜けているしな」
    「勘兵衛」
    「おれはそれを、得難いものだと思う。なにがおまえをそのような思考に至らせたかはわからん。だが、支配階級とされる甲種にお前のような男がいたのなら。
     おれは、おれ自身が乙であれ、丙だと勝手に決めつけられるのであれ、あるいは隣の甲種とこれからも友人であり続けるのであれ。――この世界に、希望が持てる」

     清右衛門が、珍しくうろたえている。清右衛門と勘兵衛はいつも一緒に居る。同室だからというのもあるだろう。だが、甲種は本来孤高な者が多い。清右衛門もそのクチだ。面倒見が悪いわけでも、対人能力が無いわけでもないが、結局最後には全部己が決めてしまうところが、甲種である。
     その清右衛門が、心から信頼し傍に置くのが、勘兵衛だ。
     その勘兵衛が第二性を踏まえて、そのように思っていたことを清右衛門は初めて知ったのだろう。

    「お前は、お前の価値観に誇りをもて。我ら乙種は、この世にあまねく蔓延る者。もっとも数の力に満ちる者。お前がその考えを持ち、等しく人々を扱う限り、我ら乙種はお前を支持しよう」
    「若王子先輩…?」
    「なんて、な。――お前にそんな、希望ある世界を与えたのは食満なんだろう?」
    「……」
    「おれは食満も知っている。アレも大概、丙種らしくもあり、丙種らしくないヤツだが。食満留三郎個人は、心地の良い男だよ」

     留三郎、個人。

    「…文次郎、丙種は巣作りをすることで知られている。丙種の愛情表現だと」

     それは、割と有名な話である。丙種は番たる甲種の私物をかき集め、巣をつくる。一種の愛情表現だ。

    「なら甲種が作る巣はどこにあるのか。おれは、この世界は甲種が丙種に捧げる巣なんだと思っている」
    「勘兵衛っ」
    「文次郎。もしいま、お前の目の前に広がる世界がお前の納得のいかない形をしているなら。もういちど、お前の望む、優しい世界を作り直せ。
     それはきっと、おれたち乙種にも望む世界になるだろう」
    「勘兵衛。お前…、甲種に対してそんなことを考えていたのか」
    「別にお前に期待してないわけじゃないからな、清右衛門」
    「おれに世界をつくれとは、お前は一度も言ってくれたことがないが?」
    「おれはお前の丙種じゃないからな。お前の友の、ただの乙種だ」

     だから、清右衛門は勘兵衛のための世界をつくらないと、勘兵衛は断じる。清右衛門が、わかりやすく拗ねた。
     そして潮江の望む世界は勘兵衛の望むカタチと一致している。それだけの話だ。
     清右衛門が肩を竦めてみせた。

    「もういい。潮江、さっさと行け。お前がいま、一番行きたいところへ。
    様子を見るに、これから委員会なのかもしれんが、なぁに、あそこにはうまいこと言っておこう」
    「だ、そうだぞ。学園の花形、体育委員会委員長代理が言うんだ。誰もなにも言えんからな。堂々、行ってこい。そろそろ食満の発情期も明ける頃合いだろう」

     留三郎の発情期がはじまってから数日。発情期はだいたい三日から五日で終わるとされるが、もうそんなに日数がたっていたのか。
     普通に生活しているつもりだったが、日付をきちんと把握していられないほど、己は平常を失っていたのか。
     なにやら色々気恥ずかしい。だが、先輩たちと話せてよかったと、素直に思う。

     だから文次郎はその場で深々と頭を下げた。

     
     文次郎は駆ける。
     目指す先は、六年長屋。もし留三郎の発情期が明けているのならば、彼はそこにいるはずだ。
     まず、なにを話そう。
     先日のことを謝ろう。そして、謝ってももらおうか。体質のことはどうにもなるまいが、それはそれ、これはこれ。
     あと、小平太にも色々対策を聞く必要があるだろう。なにせ甲種の先輩だ。彼の話は、丙種の留三郎にも益があるはずだ。
     それから、それから――。

     かくして、留三郎は長屋の庭にいた。ちょうど鉄双節棍を振るっていたところだったらしい。縁側に座る伊作の顔がやや険しいのは、留三郎の体調を心配しているからだろう。そういうときの、表情だった。

     留三郎が、文次郎に気づく。その顔がちょっと歪んで、なにかを言いたげに、痛みすら浮かべて。その顔を見ていると、世界のすべてを打ち壊してやりたくなる。
     己が欲しいのは。留三郎と共に生きていきたいのは、そんな世界ではない。
     謝罪もなにもかも、文次郎の中で彼方へと吹き飛ぶ。懐の袋槍を握りしめ、留三郎へと穂先を向けた。

    「勝負だっ、――食満留三郎‼」

     留三郎が作った世界。一度ひび割れてしまったならば、今度は自分から作り直そう。もう一度自分たちの世界を始めればいい。そうだ、そうだとも。留三郎は、変わらず留三郎なのだから。
     騒ぎを聞きつけたのだろう、友人たちも顔を出す。変わらぬ己らに向けられるそれは、呆れだったり、安堵だったり、あるいはちょっと思案げだったり。
     留三郎は――快活な笑みで文次郎を迎えうった。

     「勝負だっ、潮江文次郎‼」



     一つの終わり、一つの始まり。まずは一端の収束。
     だから、まぁ。
     友人たちのうち、長身の男が同室に「もそっ」と。

    「気にかけていただろう? よかったな」

     そう囁いていたことには気づかなかったし。

    「いや、あれは本質の部分でなにも解決していない。崇拝はまだアイツの胸の内だ。 
     ――ただ、当座を凌いだだけ。多分あの二人は、このあとも幾度かこじれるぞ…」

     「なにせ、あの二人だ」と、文次郎と同じ甲種の少年は言葉だけは否定しておいて、けれども親しみを込めて笑ったことも知らない。

     次の騒動は文次郎と留三郎が五年生も半ばに差し掛かるころ。
     留三郎が、後輩の丙種を庇うため『囮』活動を開始したのである。

     「このっっ…、――――バカタレぇっ‼‼‼」



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