ふれる しとどに濡れるを図解したらこうなるだろうなと、どこか冷静な自分が楽しそうにしている。
七月に入って少し。治の休みに合わせて出掛けた直後ゲリラ豪雨にやられた。来た道を全力で引き返し治の家へ駆け込んだけれども、濡れていない箇所を探す方が難しい有様だった。
狭い玄関で、標準よりも大きい男二人は立ち尽くした。室内にも水溜りを作るのは目に見えて上がることを憚られる。少し顎を上げると家主もこちらを見ていた。
「ふ」
「ふは」
「ははははは!」
どちらともなく、笑い出した。普段より大きな声も、ばちばち、ごおごおという音がかき消していく。
ひとしきり笑うと、大きく息を吸った。ぽつりと向かいの前髪から雫が落ちた。
ああ好きだと不意に認識した。何度目のことだろう。
「どないする、二人とも濡れネズミで」
昼過ぎだというのに部屋に光は無い。全てに薄いグレーの膜がかかっている。至近距離なのに相手の表情が読めない。
突然、腕を強く引かれた。
前のめりになり視界が大きくぶれた。痛みはなく頬に触れた濡れたシャツの感触で、治の腕の中に落ちたことを知る。
「何してん」
横抱きにされるような形で短い廊下に転がっている。雨で冷えた自分の肌が熱を持っていくのがわかった。
「こうでもせんと上がれんかなと思って」
治の調子はいつもと変わらないのに、自分だけがどぎまぎとしていることに罪悪感を覚えた。
「服、ひっついて気持ち悪いな」
離れる言い訳のような言葉を口にし、縮まっていた腕に力を込めようとした。けれどそれは叶わなかった。
「ひっ」
足首に何かが触った。いや、何かじゃない、指だ。靴下の縁から忍び込む。全身が総毛立った。
「治っ」
「靴脱がせますね」
「それ靴やない」
「どうせ靴下も脱ぐでしょ」
俺の両足をスニーカーから器用に抜くと、また指が肌をなぞった。水気を含み皮膚にまとわりついた布のわずかな隙間に入ってくる。少し荒れた感触が徐々に下がっていき、指先が踵を包むと親指が靴下を押し下げた。
「自分でやる」
足元に手を伸ばすためか引き寄せられた片腕の中で抵抗した。
「遠慮せんと。それに今動いたらうちん中もっと濡れます」
けれど嗜めるような口ぶりに動きを止めた。それと呼応するように大きな手が動きを再開する。足裏へ進まれ、身体がびくりと跳ねた。息が漏れるような音が聞こえたような気がしたがそれどころではない。必死に声を抑える。仕上げと言わんばかりに親指が足の甲を撫で、じっとりしたものが指先から抜き去られた。煩わしいと思っていたのに、解放感よりも剥かれて露わになったことへの羞恥が勝った。
「はい、右足」
大きくついた息が止まった。一度経験しているせいか、動きをより敏感に感じとる。深い意味は無い触れ合いだとわかっているのに、気持ちとは裏腹に身体が昂っていく。
「おさむ」
顔を上げると、ごくりと喉仏が上下するのが見えた。
「俺もお前に触りたい」
抑えようのない、純粋な欲望だった。
小さく頷いたのを合図に、腹に張り付いたTシャツを剥ぐように手を差し入れた。しっとりと掌にすいつくような腹筋がぴくりと動く。言葉の勢いとは裏腹に、そろそろと隙間を作るように手を動かし、左胸で止めた。心音は早く、そして強く響いた。
「北さん」
ごろごろと空が鳴る音がする。まるで雷を怖がる子供みたいな顔で俺を呼んだ。それが堪らなくて、背中に回した反対の手に力を込めた。
互いに相手を脱がそうと足掻く。限られた空間であちらを向けだとか腕を抜けなどおかしいくらいに必死だった。
自分の首にぶら下がっていたTシャツを剥ぎ取る治の後ろで、ストロボみたいな稲妻が光った。光に惹きつけられる夜の虫のように裸の胸に耳をつけ、腕を回す。
「濡れてる」
「お互い様でしょ」
どちらともなく笑った。治に抱き締められ湿り気を帯びた肌がよりぴたりと吸い付く。隙間などなく、ひとつになってしまえるような錯覚に陥る。
まだ雨は続いているようで、屋根を打ち付ける音がする。さっきまで外の騒がしさに負けない欲求が自分を支配していたのに、今その熱さは腹の奥で静かに横たわっているようだった。
「足首、くるぶし、かかと、足の裏、甲」
突然、雨の拍子に合わせるように身体の部位が羅列された。
「え、なんなんこわい」
「北さん」
振動を伴う自分を呼ぶ声はとても心地良かった。
「どこまで触っていいですか」
耳を離し、目を合わせた。夜明け前のような空間で、はっきりとしない視界で捉えたその表情。きっと自分も同じような顔をしているだろうと思った。
「中まで、触って」
触らせて、内まで。
背中に回っていた両手首を掴まえると、ジーンズと腰の隙間にその手を誘導する。
「いいんですか」
その手が、声が、震えている。
「ええよ」
言った自分の声も震えていた。
くしゅん。
ほぼ同時に音がした。
「風呂、入りましょうか」
「そうしよか」
苦笑いで離れようとして互いに止まる。治が前屈みになり、俺が少し顎を上げた。触れた唇は他のどの場所よりも乾いていた。