俺の男(昼)ふわふわ設定(シノ帰ってきてるよ)
地球のモブ女が撃沈するよ
2021年のシノヤマの日に書きました
20210408 俺の男(昼)
──もとはと言えばさ、なんで宇宙観光なのよ。自分で運転するのなんて久しぶりよ?
──だって、仕方ないじゃない、レンタカーしか移動手段がないって言うし。
──田舎よねぇ、火星。
車の下に潜っていても聞こえるのだから、どれだけ大きな声で話しているんだろう。女の声は高くてよく響く。
まったく、お人よしのシノもシノだ。
もの好きな観光客にまで、親切を振りまかなくてもいいじゃないか。どうせだったら、吹きさらしのハイウェイに置き去りにして、底冷えする火星の夜でも楽しんでもらえば、彼女らの冒険譚にもハクが付くにちがいない。
「作業っていうけどー、あと、どれだけかかるんですか?」
でこぼこの荒地に不釣り合いなハイヒールが、ジャッキアップした後輪近くで砂をける。まだ、作業を始めて三十分も経っていなかった。
「んな、無理言うなって。こいつ、年代もののFBVなんだぜ?」
「そうね、地球じゃ見かけない型だから」
「だろ? こっちじゃ、いまだに現役なんだって。どこも中古のをだましだまし使ってんだよ。それよか、この車、どの店で借りたんだ?」
シノがたずねると女のひとりが、クリュセで最近よく見かける看板の名前を口にした。
「あー、あそこか……」
店の名を聞いて、俺の口からもシノと同時にため息が出る。どうりで整備不良の車も平気で貸したがるんだ。ボッタクリの噂もたつ店じゃ、立ち入り禁止区域まで冷やかしに行く客なんて、間違いなく良いカモにされるだろう。
「悪りぃ、今の話聞いてたか?」
車と地面の間からシノの顔があらわれた。
「うん、あの店の車でしょ」
「足回り以外にも、やべーとこあるかもな」
「そうだね。ざっと見た感じ、駆動系にも細工が見つからなかったから。システムでギアの設定を変えてるみたい。たぶん、燃料メーターをごまかしてるんじゃない?」
「そっか、なら、直しちまうより借り換えたほうが良さそうだな」
「うん、俺もそう思う。けど、……あの人達、納得するかな?」
シノの提案なら、今まで来た道を市街地まで引き返すことになる。夜になる前に街中まで戻って一泊、まだレンタカーが必要ならカッサパ・ファクトリーで手配する。それが嫌なら、馬力のない車で夜の悪路を行くしかない。整備士としてはあまりお勧めできないどころか、治安の悪い郊外を加速の鈍い車で通るなんてあまりにも無謀すぎる。
車の下から這って出て、退屈そうな顔をした女達に目をやった。
裕福な地球からの観光客だ。突風が名物の火星にスカートなんかはいてくる。
こそこそと車の影からこっちの様子をうかがうのは、警戒心ばかりではないようだった。きっと、シノを見ているんだろう。背も高く男らしい顔立ちに加えて、袖口から露出する腕には、地球の男にはない大きな傷跡が見える。それをセクシーだって感じる人がいるかもしれない。
あからさまな好奇心と、下心が見え隠れする若い女の前にシノを送り出すのは、正直、気は進まないけど。商談なら俺よりシノに任せたほうがいい。
「レッカー代込みで50000ギャラーは、かかるよ」
「そんでも、安いほうだぜ」
「現地レートでもあるしね、もう少し上乗せしてもいいかも」
「じゃあ、いい男ふたり分の出張料も三割増しでいれとくか?」
「なに、それ? 早く行きなよ」
このまま冗談を続けそうなシノの背中を押した。
そういえば、シノは一度もスカートから伸びる女の子達の足を見なかった。失礼だと思ったのか、好みじゃなかったのか。少し前の彼ならきっと、浮かれた声で何が見えたか教えてくれたはずなのに。
ことの発端は、カッサパ・ファクトリーに入ってきた一本の音声メッセージだ。
忙しさもひと段落した午後のひととき。間延びした声に呼ばれて事務所に来てみれば、リーゼントからオールバックへ宗旨替えしたセールスマンが、相手の名前を口にする。
「整備ちょー、昨日なんかありましたー?」
「……べつに、いつも通りだけど」
「ほんとっすか? シノさん、ヤマギさんを怒らすような……、」
「してないし、普通に仕事の依頼だったよ」
「あー、また拾っちゃっいましたか」
「うん。そうみたい」
「最近、多いっすよねぇ。なんちゃら・ツーリズムって。地球から無茶な計画立てて火星に来る客。あれってぇ、どっかの広告屋が絡んでんじゃないっすかねぇ?」
たとえば、チョビ髭のおっさんに代がわりした老舗の総合商社とか。
なんて、悪い冗談に首を振って話を戻した。
「これで何度目かな?」
「先月から数えて、通算五度目っす」
ザックが指さしたホワイトボードには、赤い字で「イレギュラー対応」と但し書き入っている。そのほとんどがシノ経由だ。どうやらアドモス商会の依頼する配送ルートが、火星探索ツーリズムのお勧めドライブルートと被るらしい。
「ここから、遠くないみたいだし俺が出てもいい?」
「いっすよ、今月の工程はまだ余裕あるし。今から出るなら直帰でも」
「場合によっては、牽引して帰ってくるよ」
「了解っす。おやっさんにも伝えときますね」
レッカー車の鍵を受け取って工場を出たのが、クリュセの標準時で午後の三時すぎ。日が落ちる前に片づけないと、かなり悲惨な状況になる。あのあたりは数年前まで、武装した窃盗集団と民間警備会社が撃ち合いをしていたなんて、彼女らはなにも知らないか、なにも考えていないんだろう。
話をするなら、とりあえず、どこか風よけのある場所で。
というのが彼女達の指示だった。そこで立ち寄った店はいつもシノと待ち合わせをする、どちらかと言えばまだ新しいダイナーだ。市街地からは車を飛ばして数十分、他の都市をつなぐ幹線道路沿いにある。店に来るのは工場や採掘場で働く肉体労働者ばかりだから、若い女性が入ってくれば悪い意味で目立ってしまう。
「──こんなところに、ねぇ」と、カウンターから出てきた店の親父が鼻の下を伸ばした。でも、客層がと心配を口にするけれど、しょせんは他人事だ。彼女達のいる席の中心には、やたらと声のデカい男がいてゴロツキを寄せ付けない防波堤になっていた。
先に煙草が吸いたいから。自分だけ喫煙できるカウンター席に離れている。一段あがったカウンターは、シノ達がいるはす向かいのボックス席を見渡せる場所だった。何を話しているかは雑音が混じって聞き取れないけど、シノの人懐っこい笑顔に彼女らも、すぐ打ち解けた気持ちになったに違いない。
「あー、あれ。いつもあんたといっしょに来てる」
にやにやと笑いながら店主は、ボックス席に目をやった。
「ああ見えて、意外とモテるんです」
「だろうね、たまに」
「声、かけられてるんでしょう」
「知ってたかい?」
「ふたりでいるときも、よくあるんですよ」
火傷のせいで以前より、ほんの少し威圧感が増したものの、シノは必ず誰かの目にとまる。すれ違った後、ふり返える子もいるし、堂々と声をかけてくる子もいる。ただし、当の本人は気付いていないことのほうが多いんだけど。
このままシノにホスト役を勤めさせるのも気がひけて、カウンター席から立ちあがった。それを待っていたように「ごゆっくり」と、店主からコーヒーが乗ったトレイを差し出される。
「任せっきりにして、ごめん」
テーブルの隅へカップを置いて当たり前のようにシノの隣へ座ると、なにを思ったのか、三人並んだ女のひとりが「きゃっ」と小さな声をあげた。
「うわっ、ヤニくせぇ」
隣でシノが顔をしかめる。
その手元に置かれたデータカードには、作業完了書とレッカー代金の請求書が開いてあった。どれも三人分の電子サインが添えられている。料金の説明はあらかたシノが済ませたようだった。
「──ついでに、宿も決まったぜ」
商会のコネを使ったのだと、耳うちする。
「ねえ、あなたはいっしょに来られないの?」
「どうせクリュセに戻るなら、いっしょにお酒飲みましょうよ」
「思いやりのあるハンサムさんと火星で出会えた記念に。私たちにおごらせてくれない?」
親しげに伸びてくる綺麗な色の爪が、シノの大きな手を捕まえようと手ぐすねをひく。
「いや、俺ら明日も仕事だからよー、なあ」
めずらしくシノが及び腰になっていた。
「残念だけど、まだホリデー・シーズンじゃないんだ」
ここはシノと調子を合わせて──
「──それとも、俺の男を口説いてるの?」
テーブルの半分ちかくまで伸びた女の腕を捕まえれば、ぱっと、明るい色の瞳が上を向いた。彼女の開きっぱなしになった赤いくちびるより、俺のとなりで百面相するシノの顔を観察するほうがよっぽど面白い。
「えっ、うそ」
「嘘じゃないよ」と笑ってやったら、向かい合わせに座っていた彼女らが慌てて席を立つ。嫌味に気が付かないほど、鈍感なお嬢さんではなかったらしい。
「……あー、びっくりしたー」
「なんでだよ」
「だってよー、……」
言葉に詰まったシノの変わりに、カランとグラスの中にある氷が音をたてて崩れた。
「もしかして、邪魔しちゃった?」
「意地悪すんなって」
「彼女達に? それとも、シノ?」
「どっちでもねぇよ。けど、助かったぜ。ヤマギ」
「どういたしまして」
大きくため息を吐きながら、俺のかわいい男が頬杖をつく。
「けどよー、この後がキツいぜ。市街地まで三対一じゃねぇか」
「さっき、ザックに代車よこすように連絡したよ。あと数分で来るって」
「さっすが、整備長、抜かりねぇな」
「ただし、シノか俺がザックとふたりっきりだけどね」
「あいつなら、代車のほうを運転すんだろ」
「だね、後は任せて事務所に寄るよ」
「──にしても。俺の、男かぁ……」
シノが同じ言葉を口にするとき、にぎやかな声もひそやかになる。
その頬が照れくさそうに緩んでいるのを見届けて、もういちど「俺の男だろ?」と向かい合ったシノの胸をゆびさした。