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    hana6la

    かべうち別宅(詫)

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    hana6la

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    (捏造)過去のお話です「さそりの火」01
    1週間の懲罰任務の最中に🔧くんに話した基地の怪談を思い出す🌠くん
    2017に書いたのを書き直しています(全4話+α)

    ##snym

    fuego de escorpión 01(注)CGS時代の過去のお話は全て捏造だよ(18000字くらい)


    【さそりの火 01 かささぎの橋】


     CGSに入って間もない頃、シノは基地のなかで幽霊を見たことがあった。監視塔の階段を上がってすぐに見える大きな窓の四枚目、黒く染まったガラスの向こう側にカンテラの明かりが揺れる。足をやれた奴が足を取りにくるのだとか、目をやられた奴が目を、腕をとられた奴が腕を──、と。たいてい噂話には尾ひれがつくが、ぼんやりと浮かぶ人影は、そのどれとも違い、窓に写りこんだ自分の姿とも違って見えた。
     入隊したての新人は、必ず先輩達から火星基地の怪談を聞かされる。シノも例外ではなかったが、ある日、年長組のひとりから耳打ちされたのは怪談の種明かしだった。騙されたと知って悔しがるシノを「残念だったな」と空笑いして、数年先に生まれた男は鉄帽の頭をコツンと叩いていく。
    「──階段登って管制室の扉を開けるだろ? 最初にカンテラで部屋んなか照らすよな。そんとき、ちょうど四枚目の窓に映ってんのさ。自分の姿が……」
    「なんだぁ、そんな簡単なことだったのかぁ」
    「出る出るって言われてるから、見たもん全部、幽霊だって思っちまうんだろうな」
    「だけどさぁ、……」
     窓が鏡の役目をするならカンテラを持つ手が逆に見えたりはしない。それがどきどき、向こう側にもうひとり誰かの姿が映って見えることがある。シノの話を聞いた年上の男は、目の錯覚じゃないのかと言うだけで、本気で取り合う振りさえしなかった。基地の怪談は参番組の子供だけでなく一軍の大人達も知っている。子供なんかは簡単に騙されるけれど、大人達でさえ子供が作った話を真に受けて、真夜中はあまり外へは出てこない。
    「──幽霊は、俺らの秘密を守ってくれてんだよ」
    「ひみつ? そんなもん、俺にはねぇけど!」
    「……ったく。お前、やっぱ馬鹿だな」
    「うん。よく言われる」
    「けど、覚えとけよ。大人に聞かれたくねぇ話は夜中、外に出て話すんだ。あいつら、幽霊にビビって夜は出て来ないからな」
    「なぁ、これ、ユージンには話していいのか?」
    「あー、お前とよくいっしょに居る天パな。いいぜ」
     年上の男は、お前よりあいつのほうが口が固そうだと言った。
     怪談の種明かしをしてくれた彼らのひとりも、次の仕事に行ったきり帰って来なかった。CGSでは、よくあることだ。またひとり、監視塔の階段を上りきった後、窓の向こうに続く道を見つけたらしい。
     彼らの存在を新しく参番組の頭になった男は否定したがったけれど、入隊して以来ずっと慣れ親しんできた怪談は、たいくつな夜間哨戒の伴として、寄り添ってくれる相棒みたいなものだ。死んだヤツには死んだ後でいつでも会えるんだから、今生きてるヤツが死なないように、──などと、部隊を鼓舞するオルガのようには割りきれない。真っ暗な夜の基地を歩くとき、いつも手元を照らす小さな光を頼りにシノは彼らの姿を探していた。


     ──おい、聞いたか? と、耳の近くでがなり立てるのはユージンの声だ。生返事で応えれば、即座に向こう脛を思いっきり蹴飛ばされる。その勢いで脚のガタついた食堂のテーブルが揺れ、グラスから水が零れそうになるのを、シノは慌てて手で抑えた。
    「あっぶねー」
    「じゃねえよ。仕事の話してんだぜ?」
    「仕事って、あれか?」
     物乞い街道。と、シノは迂回路に付けられた悪名を口にする。うんざりだという顔をしてユージンが「懲罰任務だろ」と毒づいた。通常なら一日で往復できるところを、数日かけて遠回りする輸送の仕事だ。それも治安の悪い貧民窟を数カ所、通らなければならない。火星の代名詞でもある砂嵐は、ときどき有線の通信網にさえ影響を及ぼした。クリュセと他の都市とを繋ぐハイウェイに通信障害が起こると、しばらくの期間、主要な輸送経路がほとんど通行止めになるのだ。
    「仕方ないよ、……仕事に遅れが出るのは、ウチだけじゃないんだし」
    「って言うけどよ、あそこを迂回路にすんのは気が進まねぇ」
     なあ、と。ユージンが同意を求める先にはオルガがいる。常に大人達の嫌悪を集める彼の名は、懲罰的任務から意図的に外されてあった。
    「あそこがどういう場所か知ってんなら、初めてじゃあねぇんだろ」
    「ってめぇ、……」
     オルガの鷹揚な態度がユージンの気に触ったらしい。赤いシュマグごと襟首を掴もうとしたユージンの手は、彼の背後から飛び出てきた三日月に阻まれる。反撃する間もなく肘から先をねじりあげられて、ユージンは「くっそ」と小さな声を上げた。
    「……ユージンが下手を打ちそうだから、代わりに俺が行こうか」
    「はぁ?」
    「んなことねぇよ、ミカ」
     まったく手を緩める気のない三日月へ、ユージンとオルガと同時にふたつの声が応える。そのやりとりを聞いていたビスケットは、シノよりも早く吹き出した。
    「三日月、ユージンは本気じゃないよ」
    「そう、ならいいや」
     ビスケットに促されて三日月が、ぱっとユージンの手を離す。呆気にとられるユージンを尻目に、三日月は空いている席へと収まった。
    「どちらかというと、これはオルガに対しての懲罰人事だよ。モビルワーカー隊から隊長を四人も出すなんて、……」
    「そりゃ、慣れてる奴から選んだんだろ?」
     違うのか? と、シノがとなりから口を挟めば、ビスケットがため息混じりに首をふる。参番組に汚れ仕事が回ってくるのは珍しくもない、基地の防衛だって本来は一軍の仕事だろう。けれど、隊長機に乗る人員のみを狙って指名するのは今までに一度としてなかった。
    「あまり言いたくはないけどね、このなかで一人でも欠ければ、参番組の戦力は落ちるから、……」
    「けどよー、それってまわりまわって一軍の負担にもなるんじゃねぇの?」
    「そんなの、あいつらが考えてるわけねぇよなぁ、食うために弾除けになるガキなんざ、どこにでも大勢いんだろ。そっから補充すりゃいいわけだしよ」
     ふっと、オルガの口元が歪む。ギラギラと燃えるように輝く金色の目は、屋根のある食堂の空席を睨んでいた。早朝のブリーフィングで輸送路の変更を告げた後、勝手にモビルワーカーの塗装を変えたと難癖をつける。愚策に近い作戦を参番組へ押し付けて一切の質問には答えない、いつものやり口だ。
    「……少し遠くなるけど、迂回経路は複数あるんだ」
     ビスケットの言うようにオアシスをいくつか結んでいく道なら、何通りも有る。
    「一軍は、安全マージンを燃料の無駄遣いだと思ってるからな」
    「ライフルの弾だって使えば減るのに、その経費を考えてないのかな?」
    「護衛する俺らの経費はかかんねぇから、だろ。それとも、……」
     オルガが濁した言葉の先になにがあるのか、シノにも簡単に想像がついた。しぶとく参番組で生き残ってきた子供なら、大人がどこまで腐っているか、知りたくもないところまで見聞きしてきたはずだ。
    「しっかし、よりによって物乞い街道かぁ、……」
    「っていうか、さっきからなに? その名前」
     特別な意味があるのかと脇腹を突かれたユージンが、苦虫を噛み潰したような顔をする。「そういや、三日月はかり出されたことねぇんだな」と、シノは話を繋げた。
     物乞い街道には、火星開拓時代に使われた地下の通信ケーブルが生きている。まだハーフメタルではなく鉄鉱石を産出していた頃に作られた旧道で、正式名称は「オリュンポス・ロード」というらしい。年長組で歩兵部隊に配属されていれば、誰でも一度は連れて行かれた場所だろうと思っていたが、あの任務に適性があるのは狙撃手を経験した者だ。シノや昭宏、ユージン、ダンテ。名指しされた者は皆、長距離射撃を要する実戦に何度か出ている。
    「名前の通り、スラムの住人が襲ってくんだよ」
    「物乞いっていうか、強盗?」と、三日月がユージンへ聞き返した。
    「まあ、そんなとこだ。奴らも金がねぇからな。奪った銃に不発弾、使えるもんは、なんでも使ってよ」
    「へぇ、……」
    「集団に囲われたら最後、前に進めねぇし。あいつら、ケツの毛まで毟ってきやがるからな。遠くにいる奴から先に撃っちまうんだよ」
    「じゃあ、みんな殺していいんだ。なら、簡単だね」
     ──トウモロコシ畑の害虫駆除と変わらない。三日月の言うとおり人が虫に見えるなら悪くない仕事だ。害虫からトウモロコシの実を守るのは、自分の食い扶持を守ることと同じだから。あるいは、生身の人間を撃つために好んで民間警備会社に籍を置く大人達と同類だったら──。
    「心配なのは護衛のモビルワーカーに余力がないってところだけど、これは逆に安心材料でもあるよ」
    「余力がないって、ギリギリのことでしょ?」
     それはおかしいと、三日月がビスケットに尋ねる。
    「さっきの話に戻るんだけど、一軍もスラムを抜けるまでは、変な気を起こさないかなって。一応、定時連絡はこっちでも拾うし、……機材の準備は、ヤマギがもう始めてくれてるしね」
    「そこらへんは、ユージン達なら心配いらねぇよなぁ?」
     どんっと、テーブルごと作戦指示書の入ったデータカードを叩いて、オルガがユージンの正面を向く。入隊してすぐに頭角を現した男は、仲間を焚きつけるのも上手い。シノの隣でユージンが「誰にモノ言ってんだ?」と語勢を強める。
    「その意気で頼むぜ、……シノも」
    「あ、……」
     オルガの呼びかけには気づいても、肝心の答えがシノの口からは出て来なかった。うわの空の理由まで知っているのか、覇気のないシノをオルガは責めない。ただ一言「まあ、あんま気分のいい仕事じゃあねぇけどな」と、残して話を締める。指示書によれば、輸送部隊の出立は明朝、選抜された四人は、以降の通常業務からは外される。協定の守られない参番組では珍しく十八時間の待機命令が出ていた。
     三々五々に散っていく仲間の背中を見送りながら、シノはひとり食堂の端から空を仰いだ。安っぽいビニールの日除けから外に出れば、監視塔の向こうまで土色に濁った雲が迫りつつあるのが見える。砂嵐は明日を待たずにCGSの基地まで到達するだろう。──ここで気分のいい仕事なんてあったのか、そんなものはありはしないと自答する、オルガやユージンほど賢くはないシノにもわかっているつもりだった。

     格納庫での仕事が始まるより少し早い時間、ヤマギは格納庫から狙撃銃を持ち出して射撃訓練用の更地に立っていた。普段なら自主的に外周を走る仲間の顔を何人か見かける時間だったが、今朝はめずらしく彼らの姿を見ていない。正門を出ていく前、歩哨のひとりに「食堂に明かりがついている」と聞いたから、今頃シノ達は一軍に呼び出されているのか。昨夜遅く格納庫で悪態をついたのは、実働部隊の子供を消耗品のように使い潰す肥えた中年の男だった。──あの糞ガキどもが偉そうに今度は指揮官ごっこか。勝手に塗料まで使いやがって。忌々しいと言う口が白いモビルワーカーの手前で足を止めたとき、おやっさんが顔を出さなかったら、点検を終えたばかりの機体がどうなっていたかわからない。
     居残りの整備班に伝えられた仕事は、輸送車の護衛として複座式のモビルワーカーを用意すること。砂嵐に備えて暗視カメラと熱源探知機の動作確認、機銃の照準調整、それから実働部隊の狙撃銃へ赤外線スコープを取り付ける。ハッチを開いて狙撃が出来る複座式の機体を使うなら、カラーリングを変えた単座のモビルワーカーは作戦に関係ないはずだ。業務規程の違反はハエダの言いがかりに違いないが、きっと彼は別の理由を作ってでもシノ達を殴るだろう。
     ザラザラした土の上に台座を組み立てライフルを固定する。スリープ状態のタブレットからライフル用の射撃統制システムを立ち上げて、各ライフルに振られたIDと今日の気象データを読み込ませる。ゼロインの調整は、すでに二十五ヤード先のターゲットで済ませてあるから、ここで行うのはキャリブレーションとカムアップだ。狙点までの距離に合わせてフォーカスノブのダイヤルを動かしスコープを覗く。丸く切り取られた視界のなか、砂埃の先に白い的が現れた。阿頼耶識と射撃統制システムを使えば、十字の中心に狙点を収めるまで一秒もかからない。
    (嫌な空気だな)と、ヤマギはため息をついた。
     スコープから見える空は赤く、埃っぽい雲がやっと顔を出した太陽を覆い隠している。もともと火星では電波による無線は使えない。代わりになるのは可視光線だが、砂塵に視界を塞がれては目隠しされたも同然だった。機体に入り込む細かい砂は、少なからず電子機器に影響を及ぼすだろう。出来る限りの防塵は各機体に施したけれど、整備班に出来るのは準備まで。現地では、狙撃手の勘と観測手の目に頼るしかない。
    「──この分じゃあ、明日まで持たねぇか」
     聞き慣れた声に背中を小突かれるまで、ヤマギは後ろから来る人の気配に気づかなかった。ライフルの手元から顔を上げると、創傷のある口角がぎゅっと持ち上がる。
    「また、殴られたの?」
    「まあな、いつものことよ」
     気にすんなと言われても、まだ血の滲む新しい傷を目にしては何かを思わずにはいられなかった。ハエダの名を出したヤマギに「懲戒任務つうんだってな」とシノが笑い返す。
    「ちょうかいにんむって、……?」
     聞き慣れない言葉にヤマギは小さく首を傾げた。
    「制裁のための仕事って、意味らしいぜ」
    「それってモビルワーカーの色を変えたからだよね、……なら、整備班も……」
    「目の上のたんこぶは、実働部隊だけだろ。気にすんなって」
    「でも、実際に作業したのは俺達だし」
    「……それもあるんだろうけどよ。また、いつもの嫌がらせだぜ」
     よくあることだ。そう言ってシノが笑ってみせるのもまた、よくあることだった。CGSでは理不尽がまかり通る。火星のような僻地の民間警備会社には軍規もなく、統率をとるための手段は暴力の他を選ばない。
    「……シノ達が行くの?」
    「ああ、ユージンとダンテと昭宏。モビルワーカー隊から隊長ばっか選んできやがったって。ビスケットも言ってたっけな」
    「こっちはいつもと同じ、複座式のモビルワーカーの出撃準備とこれ」
     ヤマギは台座から外したライフルを掲げてみせた。持ち上がった銃口が真上を向いたとき、シノが「今から、調整すんだろ?」と右手を差し出す。「どうせ最後は、めくら撃ちになるんだぜ」と笑いながら、ヤマギの手からライフルを受け取った。
     立ち位置を交替してシノが台座の前に立つ。そのままストックを肩につけフォアグリップを握る、シノは左右に開いた膝を少しだけ曲げ腰を落とした。シノくらいの体格なら、立ったままでも発砲の反動は受け止めきれるから銃座はいらない。腕をまっすぐ伸ばして前のめりにスコープを覗く。珍しく引き締まった口元の横顔に目を奪われたとき、続けて五発の銃声がヤマギの耳に響いた。
    「よっしゃ、こんなもんだろ」
     どうだと振り返る顔にヤマギは慌てて双眼鏡を手にとった。シノが撃ったライフルの弾は全て、的の中心に集まっている。調整では千ヤード先の的を全中させる必要はない。けれど、シノが弾道計算とゼロインの校正を同時に行った結果だった。
    「システムを使わないのに、すごいよね」
    「モビルワーカーの機銃と違って、視差があんまねぇしよ」
    「そうだけど、俺には出来ない」
    「んなもん、慣れだぜ。ほら、次」
    「他の人の分だよ」
    「調整だけなら、誰がやっても同じだろ」
    「っていうか、違ったらいけないところだから、……」
    「ははっ、相変わらず真面目だなぁ」
    「ううん、本当はシノのほうが適任だよね」
     双眼鏡を外すと、ヤマギの予想よりも近くにシノの顔がある。さっきまでライフルを構えていた真剣な視線は、なぜかヤマギの手元にあった。
    「グローブ、……」と声をかけられて身構える。
    「そいつは、外しといたほうがいいんだぜ」
     シノの大きな手がグローブの指先を引っ張って「撃ちにくいだろ」と言う。そこでようやくヤマギにも意味がわかった。引き金をひく指は小さな違和感も拾いやすいほうがいい。たったそれだけで命中率が変わるからだ。結果に生死が関わらない整備班でも、狙撃手の常識を知っておいたほうが役に立つだろう。「ありがとう」と頷いて、ヤマギはグローブを外した。そのとなりで背伸びをしながら、まるであくびでもするようにシノが大きなため息をつく。
    「往復で一週間かぁ、……めんっどくせぇ」
     その間、立ち寄る場所は水素燃料の補給のみで寝食はほとんど機体の中、野営をする場所も時間もない。小用でさえ見張りを立てて、一軍と交替しなければならない窮屈さ、──仲間の話を聞くだけでも気が滅入る仕事だ。
    「わざわざ砂嵐のなか、輸送なんかしなくてもいいのにね」
    「だよなぁ、もうちょい待てばハイウェイだって元どおり、ガンガン通れんのによ。それが出来ねぇ業者なんざ、どうせマトモなとこじゃねぇしって、……まあ、俺らには関係ない話だよな」
    「シノは、これで何度目になるの?」
    「……あー、そうだな」
     あれはそれはと独り言をしながらシノが指を折る。ひとつづつ数えるごとにシノの表情が曇っていくことを知りながら、なぜなのか、ヤマギにはその理由にまで踏み込んでいくことが出来なかった。
    「今度ので五回か、いや、六回?」
    「そんなにたくさん、制裁されなきゃいけないこと、してないと思うけど」
    「もう年長組はいるだけで脅威なんだと。組織のパワーバランスがどうだとか、なんかよくわかんねぇこと、ビスケットが言ってたぜ」
     ぽんぽんと調子よくシノの口から出てくるのは、だいたい「気にすんな」という気遣いの類だろう。シノといっしょに懲罰任務へついていけるわけでもなく、整備班でやれるのは道中の燃料計算と備品の手配くらいだ。気にしたところで何も出来ないのだから、他人の事情を慮る必要はないと遠回しに言われた気がした。

     輸送車が基地を出てから約十六時間、もうすぐ貧民窟の入り口が見えてくる頃だったが、いまだ一軍からの指示はない。各車両を結ぶ可視光通信も、最後尾のモビルワーカーへは入って来なかった。たった数フィート先の通信も遮るほど砂嵐がひどいのか、あまりにも静かすぎる様子が気になってシノはハッチから外に出た。
     赤く濁った風が吹きつける旧道は、何マイルも同じ景色ばかりが続く。わずか十フィートほどの視界には、ゴールドラッシュの賑わいなど跡形もない。数世紀も前の、砂の中に眠る街の残骸なんて化石みたいなものだ。今もゴウゴウと吹き荒れる風が地表に小さなダストデビルを作り、バチバチと音をたててゴーグルに当たる細かい砂は、機体のなかで半ば寝ぼけていたシノの目を覚ますには都合が良かった。
    「なんか、みえんのか?」
     通信回線は使わず、ユージンが機体の中から怒鳴り声をあげる。
    「みえねぇ」と、シノも負けずに声を張った。
     砂嵐の中を走行するのだから、視界なんか悪いに決まっている。それに加えて輸送車が巻き上げた砂埃は、布で覆っていない口と鼻を容赦なく直撃する。ユージンのいる機体の中も暑くて快適とは言えないが、砂が入ってこない分ハッチの外より少しはマシかもしれない。
    「……今日はしんがりよか、先頭のほうが良かったかもな」
    「はぁ? んなもん、今さら言うかよ」
    「いや、なんかつうか、虫の知らせっていうの?」
    「ったく、縁起でもねぇ。屁でもこかれてたほうがマシだったぜ」
     ハッチの外までユージンの舌打ちが聞こえてくるようだ。だいたい輸送車の警護では、先頭よりも殿のほうを選ぶ者が多い。一軍も後ろに目があるわけではないから、彼らの監視から逃れて適度に息が抜ける。こうやってユージンと無駄話が出来るのも、コイントスで薄い幸運を得たからに違いなかった。
    「……マジで、見えてねぇよな?」
    「信じてねぇんじゃなかったの?」
    「ああ、信じてねぇよ。幽霊が見えるなんざ」
     絶対にないと言い張るユージンは、昔からその主張を変えていない。基地に出る幽霊が作り話だと知ったとき、ユージンだけは全く驚かなかった。顔を上げろ、前を向けと檄を飛ばすオルガとも違う訓練された合理主義だ。
     ──ようやく輸送車から号令が出たぜ。とっとと仕事しろってよ」
     ユージンの声が雑音まじりの通信回線に切り替わる。ぼやけた視界の先にある輸送車のケツも、チカチカと点滅する光で信号を送ってきた。
     ──もう準備できてんよ」
     ──了解、もうすぐ先頭が最初の狙撃ポイントに入るぜ」
     ──そっちも、振り落とすんじゃねぇぞ」
     ──なに言ってんだ? てめぇこそ、ケツに力入れとけよ」
     ──チェリーパイがもったいぶって、ナイフで割らせないようにか?」
     ──チェリー、……って、下ネタかよ」
     ──ユージンくんはわかってねぇなぁ、シモにはシモで返すのが礼儀だぜ」
     ──アホか、……穴にブチ込むのは、てめぇの弾だけにしろよ」
     同じ程度でやり返す軽口を笑いながらライフルを構える。昨日、ヤマギが調整をした狙撃銃には赤外線スコープが装備されていた。そのマウントへ刻まれた数字が目に入ると、条件反射のようにシノの視界も明らかになる。ユージンとの通信回線は開けたまま、シノはスコープをナイトビジョンに切り替えた。ぱっと瞬きする間に赤茶けた景色は緑色に変わる。グリーン・ゾーンからレッド・ゾーンへ。視界の中にはまだ、動くものの気配はない。先頭を走るモビルワーカーから銃声が聞こえることもなかった。
     旧道沿いに出来上がった貧民窟は、地上よりも地下に広がっている。地表に見えるのはわずかな天水を貯めるレンガに囲われた窪地と、今にも倒れそうな旧式の風力発電機くらいだ。居住区のあるトンネルへは通風孔を使って出入りしているらしい。その穴は輸送車を襲う集団が出てくる場所でもあり、地形データの中にマークアップされた狙点だった。最初のひとつは何もないまま通り過ぎ、ふたつ目みっつ目にも音沙汰がない。
     ──今日は、まったく出て来ねぇな」と、しびれを切らしたユージンが口にする。
     ──ああ、うす気味わりぃぜ」
     ──ついに誰も居なくなっちまったか、……んなことねぇよな」
     ──まっさかぁ」
     ──なら、やり方を変えたってのが、ありえる線だな」
     緩んできたグリップを握りなおして、シノは遠ざかっていく狙撃ポイントに照準をあわせる。任務についた五回のうち二回は、先頭をやり過ごして後方から撃たれている。ただし、彼らの持つ粗末な銃の殆どには、光学サイトがついていないから、有効射程距離が短い。同時に撃たれたところでかすりもしなかった。
     ──さっきの与太が当たっちまったとか? マジ、後ろっから……」
     ──おいおい、的中率、やっべぇぞ」
     砂の丘からヘッドライトがふたつ、スコープの視界に飛び込んでくる。どこで手に入れたのか、相手はゲリラ戦仕様のピックアップ・トラックを持ち出してきた。
     ──ったく、シノのバカやろーだぜ。後ろ、二十一時の方向、いけるか?」
     ──誰にモノ言ってんだ、やれるに決まってんだろ」
     斜めから車道に入ってくるトラックの銃座へ狙いを定める。屋根の上にひとり荷台にふたり。明るく浮き上がった人の形は大人なのか、シノ達と同じくらいの子供なのか、男か女かもわからなかった。だが、見えない相手のほうがやりやすい。まずは銃座にいる狙撃手に照準を定める。
    (トウモロコシに付くのは悪い虫だ)
     食堂で得た三日月の言葉を頭のなかで唱える。
     シノが引き金を引く一秒遅れて、向こうの銃口が光った。間違いなく相手のライフルはめくら撃ちだ、当たらない。一番の脅威を排除してもシノは動かず、次の標的をピックアップ・トラックの足元に定めた。トラックの車輪を破裂させるには正面からではなく側面から、銃弾はタイヤと垂直に貫通させなければならない。
     ──ユージン」
     ──いいぜ、任せとけってんだ」
     シノが右に体を傾けるのと示し合わせたように機体が右に沈む。モビルワーカーの揺り戻しを使って、ユージンが左に大きく進路を曲げた。その間もスピードは全く落ちていない。モビルワーカーの操縦に限定すれば、三日月や昭宏よりユージンに一日の長がある。たった数秒でライフルの軸線上にピックアップ・トラックのタイヤを入れる。まるで曲芸のような操縦に「余裕だぜ」と呟いてシノは再び引き金を引いた。ヘッドセットから下手くそな口笛が聞こえるより早く、百フィート先にあるトラックの前輪がバーストする。左右のバランスが崩れた車体は大きく揺れ、荷台から振り落とされた二人は勢いよく地面に叩きつけられた。
     ──輸送車は?」
     ──んな離されてねぇよ、すぐに追いつく」
     ここで集団から離されたら次に狙われるのは小さいモビルワーカーだ。まだ二台目の追手は出てこない。代わりに転がしたトラックから子供が数人、モビルワーカーに向かって走ってくるのが見えた。
     ──つか、でけぇ声だな、……ありえねぇ」と、ユージンが苦笑いする。追いかけてくる子供の声は、コクピットの中まで聞こえたらしい。
     ──すっげぇ、訛ってんなぁ」
     ──あれで、クリュセの公用語かよ?」
     比較的マシな施設で育ったユージンには、きついスラムの訛りはわからない。
     ──あれな、俺らは役に立つから連れてけって、言ってんだぜ」と、シノが答えた。
     ──嘘だろ、同じ言葉とは思えねぇ」
     ──ライドが入ってきたときと似てんだよ。あいつもスラムの出だかんな」
     ──原型とどめてねぇ……ってか、もう聞こえねぇな」
     そっちはどうだと聞かれてヘッドセットを外す、ハッチから下を覗けばユージンが中指を立てたハンドサインを送ってきた。
     ──けどよ、さっきまで撃ち合ってたんだぜ? 一軍ならガキも殺してただろ」
     ──だな、……」
     ──てめぇは、撃たねぇのか?」
     ──ああ、すぐ追いつくだろ? ユージンくんの腕を信じてんだよ」
     ──言ってろ、……つか、知らねぇガキに情けをかけたって、ロクなことになんねぇぞ」
     ユージンが言うのは、もっともだ。けれど、モビルワーカーに引き離されて散り散りになる子供達は、ここへ来るまでの自分の姿と重なった。ユージンとではなく一軍の大人と護衛を組まされていたら、マガジンの残弾は全て子供に向かって撃ち込まれただろう。たまたまシノに簡単な文字が読めたから、CGSの広報が撒いていくビラに何が書いてあるか分かった。たったそれだけが子供の運命を左右する。
     ──そんでもよ。あいつら、あそこにずっと居るよかマシだと思ってんだぜ」
     ──メシと寝床があるだけ、……ってやつかよ」
     ──ああ。あと、クソもな」
     ──はぁ? クソは関係ねぇだろ、……そういや、よく便所掃除させられたよなぁ、シノのせいでよ」
     ──ははっ、一軍のおっさんども、態度もでかけりゃクソもでけぇってか。懲罰ってんなら、そっちのほうが気楽だったよなぁ」
     ──それはねぇな、二度とやりたくねぇ」
     だいたいお前が、──と続くユージンの愚痴をからからと笑い飛ばして、シノは彼らが来た道へとスコープを向ける。ナイトビジョンの緑色には、追手のトラックも人影も映っていなかった。百八十度、視界を切り替えれば薄っすら輸送車の信号灯が見える。数十フィート先まで迫った明かりは、シノ達が遅れているのに気が付かないのか、点滅で知らせを送ってくる気配もなかった。

     一度目の燃料調達にユージンとシノの機が遅れたという話は、ビスケットの口からヤマギの耳にも入ってきた。輸送車の後方についた彼らのモビルワーカーが、機銃をのせたピックアップ・トラックに襲われたらしい。
    「……そんなの、今までは無かったんだよ」と、定時連絡を伝えにきたビスケットが肩をすくめる。物乞い街道には組織立った窃盗団などいないはずだ。彼らの厄介なところは、どこからともなく集まってくる人間の数だけで、護衛につく参番組の脅威になるような武器はほとんど持っていなかった。しかし、いつまでも同じ状況が続くとは限らない。
    「そりゃあ、どっかに儲け話があったんだろうな」
    「だけど、あそこにはスラムしかないはずだし、……まさか資金提供なんて」
    「さてなぁ、世の中には、そこら中に火をつけて回るヤツがいるってことだ。そうでもなけりゃ、こっちにも仕事がまわって来ねぇよ」
    「だけど、一箇所だけならともかく、……」
    「ああ。今後は、旧道のあちこちに出るかもしれねぇなぁ」
    「相手が民兵でないだけマシ、って思うしかないんでしょうけど」
    「……心配か? まあ、あいつらなら大丈夫だろ。操縦も覚束ねぇひよっこを出したんじゃあねぇしよ。おめぇらの、大将はなんて言ってるんだ?」
    「オルガは、この程度の想定外でどうにかなるヤツらじゃないって、……」
    「だろうな、隊長を四人も出したんだ。まだ、泡を食うところじゃあねえ」
    「でも、応援を出すにも遠すぎるし本隊とも離れすぎてる、護衛のモビルワーカーに予備の機体はないし、これ以上の想定外もないとは言えないから」
    「……賢いお前さんのことだ。向こうの情勢が変わったことなんざ、分かっちゃいるだろうがな。ここに居たって何が出来るわけじゃなし、こっちでやれることをやって待ってやるしかねぇんだ」
     おめえらも。と、雪之丞は格納庫を隅々まで見回した。ヤマギと同様、ふたりの会話に聞き耳を立てていた整備班の面々が背筋を正す。整備班にはまだ、一軍から護衛のモビルワーカーを追加投入するという要請も来ていない。ということは、任務に支障があるような損害を被っていない、シノもユージンも補給が終わる頃には合流出来たのだろう。格納庫のすみでヤマギは、小さく胸をなでおろした。
     昨夜遅く整備班へあぶらを売りに来た男は、格納庫の片隅でヤマギに怪談の種明かしをしていった。初めて夜間哨戒の任務についた新人が、組まされた先輩から聞かされる話には、退屈しのぎの他にも理由があった。
    「──えっ、本当?」
    「ヤマギは、そういうの、信じてねぇよな」
    「俺は、そんなに。だけど、ライドとタカキが詳しくて……」
     外回りと内回り、整備班が担当するのは内回りのコースが多かった。建物の多い内回りのほうがおっかないか、それとも周りになにもない外回りのほうが心細いか、よく話しているんだと答えると、シノの口元は楽しげに綻んだ。
    「あれな。半分くらい、俺とユージンで作ったのがあんだよ」
    「そうだったの?」
    「哨戒任務なんて、くそ眠いし退屈だろ?」
    「何もないときにはね」と、ヤマギは苦笑いで返した。実際、宿舎にいる大人達は酒やカードに興じているし、鼠に鈴を付けておくだけの哨戒を監督する者はいない。だからシノの言うとおり、ときどき夜の見回りを端折ったりサボったりするヤツが出る。そんな無精な仲間のせいで不測の事態を起こさないように、怪談というレクリエーションが必要だった。見回りのルートごとに肝試しを用意しておけば、担当の班がちゃんとチェックポイントを通過したか調べられるのだ。
    「──見回りも適当にやられるよりは、多少ビビってるほうが注意して周りを見るだろ? 一石二鳥だったんだよ」
    「それで格納庫の奥の壁、傷だらけだったんだ」
    「そういうこと。昼間、俺らが見てまわるからな」
    「どうりで。おやっさんが怒らないわけがわかったよ、……知ってたんだね」
    「ああ。大人で知ってんのは、おやっさんだけだぜ」
    「さっきの、作り話だっていうのも?」
    「さあ、……そっちはどうなんだろうな、俺らはそこまで話してねぇしよ」
    「でも、……あれ?」
     おかしいなとヤマギは首を傾げた。
    「……格納庫の、俺、やってない」
    「そいつは整備班の巡回ルートからは外してあんだよ。夜の見回りは担当と違うところに行かされただろ」
    「こっちは監視塔が多かったかな、ときどき、三日月といっしょ」
    「監視塔の怪談はけっこう前からあったんだぜ。俺らが入隊する前からだって」
    「だけど、それも嘘だったんだよね」
    「おう、あれな。つい信じちまうだろ? よっく出来てんよなぁ」
    「夜の窓って、鏡みたいだし」
    「知ってても一瞬、ビビっちまうしな」
     子供っぽいシノの言い草に小さく吹き出して、ヤマギは「わかるよ」と頷いた。カンテラの心細い明かりを頼りに暗い階段を登っていくと、目の前に現れる大きな窓が管制室に入っていく自分自身の姿を映す。みんな同じ支給品の上着、同じ長靴、似たような背格好、だれもが大部屋で寝起きした仲間の姿にそっくりだった。
    (シノには、何が見えたの?)
     真正直に聞いたところでシノは白状しないだろう。いつもどおり、ただカラカラと乾いた風のように笑うだけだ。明るい笑顔の下に隠した別の顔があったとしても、そう容易くヤマギの前に晒しはしない。もしもシノが幽霊を見たことがあるなら、それは心の中にある恐れが形になって現れたのではないか。──こんなことを言ったら、今までシノが仲間に尽くしてきた献身へ泥を塗るだけに違いない。それなら、ありきたりな言葉をかけるほうが幾らかマシだった。たとえば、こんな時間にシノが格納庫へ来ているってことは、たぶん……思い当たりを切り出すと、シノは笑って首を横に振った。
    「メシなら、もう食ったぜ」
    「……あ、あれ、違った」
     慌ててヤマギは、上着のポケットに手をひっこめる。いきなり話題を変えたのは不自然ではなかったか、やっぱり黙っているべきだったのかもしれない。わっと、急に恥ずかしさが込み上がってくる。要らぬ節介なら、なおさら居たたまれない。ぼっと、背中へ火が点ったみたいに顔中が熱くなった。
    「……お腹、空いてたんじゃないんだね」
    「まあ、ちょっとくれぇは、な」
     だんだん小さくなる声を拾って、シノが上着のポケットに引き込んだヤマギの腕ごと、エナジーバーをひっぱり出した。誰かの差し入れではなく、整備班が資材調達に出たとき、下町の雑貨店で買い置きをしているものだ。ロコマークの横に真っ赤なトマトが入ったパッケージを見て、シノは大きく開いた口から真っ白な歯を見せる。
    「おっ、こいつ、俺が好きな味じゃねぇか」
    「あっ、……ちょっと、シノ」
     慌てて右腕を引っこめようともがいたけれど、大きな手の握力だけで全力の抵抗も封じられてしまう。それどころか、ひょいっと弾みをつけて、掴んだヤマギの手ごとエナジーバーを一口かじって寄こす。いくら口では「ずるい」と強がっても、あの屈託ない笑顔に「残りは、おめぇの分」なんて言われたら、ヤマギも簡単に丸め込まれるしかなかった。
    「シノも、これが好きだったんだ」
    「なんだ、ヤマギもか?」
    「うん」とシノへ笑い返せば、満足げな声が「うめぇよな」と応える。真っ赤なトマトが描かれたそれは、パサパサの食感はともかく、ときどき一軍の目を盗んで運ばれてきた、差し入れのトマトスープに似た味がした。

     輸送車が水素燃料の補給基地へ入ってから、数時間。
     風除けのドームに降りてきた中年男は、ユージンの言い訳を聞くよりも早くシノの顎を砕きにきた。太った男の腕力はそれなりでシノが咄嗟に受け身を取らなければ、硬いコンクリートの上に転がされていたかもしれない。数歩、後ずさったシノへ男は「なんだ、その目は」と凄む。輸送車二台に護衛のモビルワーカーが二台、行動人数は一軍が六人で参番組が四人。少人数で動く仕事であっても彼らの態度は変わらない。ひとつでも意に沿わないことがあれば、一方的に殴られるのもまた変わらなかった。
    「一時間も待たせるな、時間の無駄だ」
    「違ってんよ、三千と四百六十秒だぜ。ついでにコンマ二桁まで言うか?」
     煽るように言い返した直後、向こう脛に一発蹴りが入る。支給品の安物のくせにやたらと頑丈な長靴が思い切り膝の下を打ち、その音はシノの隣に立たされているユージンの耳にも入ったらしい、露骨に眉を顰めて嫌な顔をする。
    「凄腕のガンマンなんざ、CGSにいらねぇんだよ、くそが。追いつかれたら機銃で掃射しろって言ってんだろ」
    「はぁ? ばかでけぇ機銃なんか、人間相手に使うかよ」
    「人間だけじゃねぇだろ、どこに目ぇ付いてんだ?」
    「てめぇの老眼よか、いいのが付いてんぜ。それによ、トラックやるのにモビルワーカーの足まで止めんのかよ? 止めねぇよなぁ?」
     狙撃銃しか使わなかったことがよほど気に入らないのか、食ってかかるシノの態度に腹を立てているのか、苛立ちの隠せない男はシノの上着に手をかける。黙ってやられるつもりはない、シノがその顔を睨みかえそうとしたとき、濁った白目ではなく、禿げ上がった頭頂部が目についた。いつの間にか、ガキから見下される体格差になったのを男も気づいたようだ。力の抜けた男の手が上着の襟から離れた。
    「──基地じゃねぇなら、てめぇの立場が変わるとでも思ってんのか?」
    「答えになってねぇぜ、おっさん」
    「んなもん、どうだっていいんだよ」
    「いいもんかよ、機銃ぶっ放しても遅れたら俺らスラムに置いてかれんだろ? さっきのと言ってることが違うじゃねぇか」
     ヘラヘラと嗤うシノの隣でユージンが舌打ちをする。言い訳ばかりの相手だとしても煽りすぎだ。最初、シノに絡んできた男はひとりだったが、すぐに様子を伺っていた他の五人が加勢に現れた。
    「お前らに答えてやる必要なんざ、ねぇんだよ」
     暴力を前に惚けた顔を隠そうともしない大柄な男が、シノの頬を勢いよくぶん殴る。一巡目は彼らのお好みの場所を一発づつ殴られ、二巡目でシノの膝が崩れた。三巡目を終える頃には、口の中が血まみれになる。それでも、彼らが考えもなく暴力をふるったわけではない、任務の続行に差し支えるほど痛めつけられることはなかった。
     この騒動を上着に赤い線の入った連中は遠巻きにする。黙っていても殴られるヒューマン・デブリにとって、仕事の他は全て厄介ごとでしかないのだろう。隣のユージンまで害が及んでいないところを鑑みると、一軍の気晴らしも食って掛かったシノひとりで済ませるつもりらしい。口内に溜まった血を吐き出すシノへ、ひとしきり罵声を浴びせて去り際「機銃が嫌なら、ライフルで掃射しろ」この次は必ずだと念を押す。這いつくばった背中にタバコの火を押し付けると、太った男は「いつか、後悔するぞ」とシノを呪った。
     六人の大人がまとまって歩く姿をユージンは「あれで格好つけたつもりか?」と一瞥し、輸送車へ戻るのを見計らってシノの背中に水筒の水を流す。
    「てめぇも、大概にしろよ」
    「だってよ、……」
    「メシ、食い損ねたじゃねぇか」
     相変わらずの口汚さでシノの言い訳を遮ると、ユージンはポケットからエナジーバーを投げてよこす。見慣れたロゴマークはフレーバー入りのパッケージだった。基地の倉庫にあるクソ不味い携行食ではない、それがサバイバルキットに余分を用意されていたと知って、シノは昨日の夜も格納庫の隅にいた小さくて丸い頭を思い出した。
    「後で礼、言っとけよ」
    「お、おう」
    「ったく、初日っから、こいつに手ぇつけるとは思ってなかったぜ」
     ぶすくれた顔でユージンが硬いクラッカーを口にする。食べそこねたメシだって安く払い下げられたレーションだから、それほど旨いものではなかったが、少しは食べやすかっただろう。パサパサに乾いたクラッカーは、ヤマギの気遣いを裏切って血なまぐさい鉄の味がした。
    「どうせ、いつもの難癖だろ?」
     食べかすと一緒にぽろりとユージンの口からこぼれ落ちる。ばっかじゃねえの──、と正面から見据えられてシノは「悪りぃ」とつぶやいた。
    「なにがどうしたなんざ、べつに興味ねえし、……聞かねぇかんな」
    「いや、なんもないぜ」
    「……自覚ナシかよ、そっちのがやべぇわ」
    「ちょい、虫の居所でも悪かったんじゃねーの? あのハゲ、えっらそーだしよ」
    「あー、あいつ、見事にハゲてたよなぁ」
     あんときはやばかったとユージンが吹き出す。シノと男がやりあっている間、必死で笑いをこらえていたらしい。後ずさった男は怯んだのではなく、頭頂部のハゲを隠したかったんじゃないのか。ひとしきり笑った後でユージンは、床に向かい合った長靴のつま先を軽く踏んだ。
    「けどよ、……ライフル使えってのは間違ってねぇかんな」
    「さっきの話か?」
    「俺は、その前から言ってんぜ」
     シノが転がったピックアップ・トラックから出てきた子供を撃たなかったとき、ユージンは情けをかけるなと言った。モビルワーカーの速度を落として機銃の照準を定めるより、機体を回頭することなくライフルで一斉掃射したほうがリスクも低い。たとえ命中させなくても、心理的な制圧力は十分に働くだろう。不機嫌な声がシノの頬を打つ。そこまでユージンに言わせて、さすがのシノも冗談で混ぜかえす気にはなれなかった。
    「次から、……って、あんなの、何度も相手にしたかねぇけどよ」
    「んなもん、予定外だろ。そう何度もあってたまるか」
    「だな。けど、次は威嚇射撃すんよ」
    「……ったりめーだろ」
    「まあ、……めくら撃ちでも燃料タンクに当たりゃいいしよ」
     それなら、子供の声が聞こえる前に片がつく。甲高い銃撃の音は、誰かの悲鳴を遮ってくれるはずだ。ぽんと、ユージンの胸を叩いて立ち上がる。空のパッケージをポケットへ戻して、シノはコンクリートの床にくっついた尻の跡を靴底でもみ消した。
     風除けの奥へ消えた一軍が、精算を終えて戻ってくるまで、まだ少し時間がある。交替のいない参番組が眠っていられるのは、輸送車が補給基地を出るまでのわずかな時間だけだ。許された時間を有効に使うため、シノはモビルワーカーの中に潜り狭いシートで丸くなる。先に操縦席についたユージンは、背中をシートに預けたまま早くも寝息を立てていた。砂混じりのポケットに手を突っ込めば、エナジーバーの空袋が指の先にふれる。硬い鉄の揺りかごの中で、シノは久しぶりに監視塔に現れる幽霊の夢を見た。


     夜、基地の周りを歩く子供は照明弾を持たされる。見回りは二人一組、どちらかが撃たれたときは必ず、照明弾を上げろと命令されていた。監視塔の窓から見張るのは外部からの侵入者と、その打ち上げられた照明弾の数と場所だった。仲間の誰かが犠牲になった証拠の、小さな花火が打ち上がることは滅多にない。だから、退屈な夜を紛らわせるために、どこかのだれかが窓から見える幽霊をでっち上げたらしい。
     カンテラの明かりを一番弱いところまで絞ってしまえば、窓に映った自分の姿は消え、基地から続く凸凹だらけの斜面と、真っ黒な尾根、その上に薄明るい夜空が見える。交替で朝まで続く夜番は、話し相手の仲間が眠った後からが本番だ。数少ない暇つぶしの私物を持ってくるか、家族あての手紙をデータカードへ下書きするか、腕立てや腹筋をしながら眠気を誤魔化すか。それぞれに過ごし方があったが、シノは数時間かけて動く星を見るのが好きだった。ときどき、雨のように星が降ってくる日もある。
    (──そろそろ、行くよ)
     シノが初めに聞いたのは、幽霊の声だった。その日、いっしょに監視塔の上まで登ってきた仲間の声ではなく、けれど、どこかで聞いたことがある。怪談の幽霊なら四枚目の窓にいるはずなのに声の主は、シノの隣を追い越して大きな窓を通り抜けていった。CGSの文字が入った上着は背中に羽根が生えたかと思うほど軽く、汚れた長靴は空に浮かぶ光る星の帯に浸かったように見える。誰かに似ているようで誰にも似ていない。子供の腕がゆっくり左右に振れたとき、背中の向こうにもっとたくさんの人影が現れた。同じ色の上着ばかりではなく、ところどころ違う色も混じっている。それは列になり、光の帯をまっすぐ天井へ向かって登っていく。彼らは皆、それぞれ別のカンテラを持ち周りの星よりも明るく宙を漂う。その賑やかな明かりはシノが瞬きをするうちに、ゆらゆらと揺れながら一斉に小さな炎へと変わった。遠く、手を伸ばしても届かない場所で燃える炎には、熱いとも冷たいとも感じる温度はないらしい。色とりどりの美しい火に焼かれて姿を消した人影からは、最後まで恐ろしい悲鳴を聞くことはなかった。


    (02へ つづく)

    CGS時代のヤマギくん、このころはまだシノくんの過剰なスキンシップも他の子どもと同じだと捉えているけれど、いつから恥ずかしさを隠すための塩対応になっていったのか……たぶん、シノくんにはちょっと遅れてきた反抗期くらいにしか思われていないよね(初恋)

    2021/05/28 ふせったーより初出
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    Replies from the creator

    hana6la

    MEMO(捏造)27話28話の間くらい「さそりの火」02
    予備隊を連れて行軍演習に行く🌠くん
    2017に書いたのを書き直しています(全4話+α)
    fuego de escorpión 02(注)二次創作なので全て捏造だよ。本編の隙間話です(17000字くらい)


    【さそりの火 02 わたり鳥の標識】


     幽霊ではなく、まだ身体のある死者が通る道は、基地の改修工事が終わった後もほとんど変わらなかった。実働部隊が運んできた仲間の遺体は車両から降ろされ、袋のまま灰色のコンクリートの上を引きずられていく。所属する組織の名前が変わり、新しく墓標は出来たが墓地はない。再びフェンスの外まで連れ出された彼らは、地雷の埋まっていない場所を選んで埋められる。乾いた赤い土を掘りかえし、彼らを死体袋のまま穴へ放り込んだら、残りの土を被せて終わりだ。
     CGSにいた子供達の多くは身寄りがなく、家族のいる者でも遺体が引き取られることは滅多になかった。死体の入った黒い袋は廃棄物、動かなくなった身体は使えなくなった機械に等しい。火星を出るまで世の中には葬式というものがあり、死者を送り出すための言葉があるのを知らなかった子供は、ただ黙々と手を動かすだけだった。きっと、いつか自分も同じ道を辿る。それがいつになるか分からないが、あまり遠くない未来のように感じていた。もしも他に違う道があるのだとしたら、……子供を殴って使い走りにする一軍と同じ、つまらない大人になるのかもしれない。
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