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    hana6la

    かべうち別宅(詫)

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    hana6la

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    (捏造)27話28話の間くらい「さそりの火」02
    予備隊を連れて行軍演習に行く🌠くん
    2017に書いたのを書き直しています(全4話+α)

    ##snym

    fuego de escorpión 02(注)二次創作なので全て捏造だよ。本編の隙間話です(17000字くらい)


    【さそりの火 02 わたり鳥の標識】


     幽霊ではなく、まだ身体のある死者が通る道は、基地の改修工事が終わった後もほとんど変わらなかった。実働部隊が運んできた仲間の遺体は車両から降ろされ、袋のまま灰色のコンクリートの上を引きずられていく。所属する組織の名前が変わり、新しく墓標は出来たが墓地はない。再びフェンスの外まで連れ出された彼らは、地雷の埋まっていない場所を選んで埋められる。乾いた赤い土を掘りかえし、彼らを死体袋のまま穴へ放り込んだら、残りの土を被せて終わりだ。
     CGSにいた子供達の多くは身寄りがなく、家族のいる者でも遺体が引き取られることは滅多になかった。死体の入った黒い袋は廃棄物、動かなくなった身体は使えなくなった機械に等しい。火星を出るまで世の中には葬式というものがあり、死者を送り出すための言葉があるのを知らなかった子供は、ただ黙々と手を動かすだけだった。きっと、いつか自分も同じ道を辿る。それがいつになるか分からないが、あまり遠くない未来のように感じていた。もしも他に違う道があるのだとしたら、……子供を殴って使い走りにする一軍と同じ、つまらない大人になるのかもしれない。


     ──なんだよ、寝てんのか?」
     すぐ側までユージンの声が近づいてくるのを、わざと聞こえない振りをしてやり過ごせば、もうひとりの声はシノを起こさないだろう。食堂で夕食をすませた予備隊の連中を宿舎まで見送った後、幹部の集まる社長室に顔を出す気にもなれず、結局シノが向かった先は新しく増設された獅電の格納庫だった。各機体の整備もひととおり終えた時間なら愛機のなかにいるのは、仕事熱心なシノの専属整備士くらいだが、ユージンといっしょにやってきたその顔は流星号の足元を覗き込む。
    「しっかし、よくこんな狭めぇとこで寝られんよなぁ」
    「ユージンだって、寝られるんじゃないの?」
    「それが仕事だったらな」
     なんで宿舎に帰らねぇんだと言うユージンに「ここ、静かだから」とヤマギが首を振る。それにしたって、ハンモックより硬い格納庫の床が寝心地いいわけないだろう。と、続けてユージンが毒づいた。
    「最近のシノ、疲れてるみたいだし」
    「新兵訓練か、……あいつ、慣れねぇ座学までやってるしな」
    「うん、知ってる、……」
     予備隊の訓練にまで立ち入った話はヤマギの口から出てこなかったが、知っているというのは多分、プラントの防衛任務で新兵に戦死者が出た件に違いない。戻った機体の損害状況を整備班へ報告に行かせたのは、他でもないシノの指示だったし、その報告書にヤマギが目を通していれば大抵のことは伝わっている。ふと、シノが吐いた息は寝息とごまかすには大きすぎたようだ。ぐるりと機体の影に入ってきた二人がシノの両脇に立ったとき、仕方なく狸寝入りから目覚めたふりをした。
    「……って、起きてんじゃねーか」
    「本当だ、いつからだろう」
     わざとらしく欠伸する間をおいて、シノは硬い床から尻を離した。
    「俺だって、いろいろ考えてんだよ」
    「はぁ? こんなところでか?」
    「他じゃ、うっせーだろ?」
    「って、お前が言うかよ」
    「でも、基地にいる人数は増えたよ」
     ここなら食堂からも宿舎からも遠いし用が無ければ誰も来ない、とヤマギが続ける。「こいつが、そんな繊細なヤツだと思うか?」と言い返すユージンは、シノが直接、護衛任務完了の報告に来なかったのをくさしているのだろう。基地に戻ってきた予備隊との一件は、格納庫で彼らを鼓舞した昭宏が先に報告したのか、嘘のつけないユージンの顔色を伺えば誰にだって察しはつく。
    「つかよ、……そろそろ、あいつらに試験でもやらせようかって、な」
    「試験って、あれか? このまえ言ってたやつか」
    「実戦の後になっちまったけど、ちょうどいいんじゃね?」
    「マジで鬼軍曹になるつもりかよ。あれじゃ、けっこう脱落者が出んぜ?」
     持ち上がった口の端から本音が漏れる。少しばかり予備隊を心配する素振りを見せても、ユージンから異論は出ない。間違いなく脱落する者は、今夜中にも雇用契約を確認するはずだ。そして、朝には脱退の手続きをとるために事務所のドアを叩くに違いない。実働部隊でしか通じない悪い冗談に取り残されたヤマギが「試験って、何するの?」と首をかしげた。
    「行軍演習って言うんだぜ。ただ装備、背負って歩くだけのやつな」
    「実働隊の試験って、模擬戦とか射撃の実技で篩い分けるのかと思ってたけど、違うんだ」
    「おうよ、技能試験つうよか体力テストだな」
    「あと、根性も……、だろ」と、言ったユージンがニヤニヤと人の悪い顔で笑った。
    「んで、あいつらに何キロ背負わせるつもりだ?」
    「とりあえず、サバイバルキットとメシと水筒でまず六キロか。鉄帽に弾除けのプロテクターで二キロ、タブレット、小型バッテリー、双眼鏡、自動小銃。少なくとも十五キロってところだな、──」
     ──他は任務によって各人が必要なものを持ち出していく。なかでも一番重いのがドローン数台を含めた無線機だったが、それを担ぐ者はだいたい決まっていた。狙撃用のライフルが弾倉抜きで三キロ強、全二十発補充のマガジンを含めると四キロほどになる。作戦によって狙撃手の持つマガジンの数は変わり、だいたい十から二十まで。最低でも三キロ、最高で六キロ、そこにメンテナンス用のブラシ、布、オイルチューブが合わせて五百グラム。信号弾、閃光弾、催涙弾、手榴弾にチャフグレネード、夜戦に備えての赤外線スコープが入る場合もある。武器を持つ者の他には、メディカルキット、野営用のテントにもなるポンチョは分厚く、それだけで一キロはある。それぞれを合わせて、シノ達は最低でも二十キロほどを担ぐ。
    「まあ、妥当な線だな」と、ユージンは頷きシノは首を捻った。
    「どうだか。あいつら、装備なしのマラソンでも音を上げるしよ」
    「そういうときの連帯責任だぜ?」
    「遅れたら全員で腕立てやらせるか? 目的地に着く前にうっかり死んじまうだろ」
    「んだよ、頼りねぇな」
    「とりあえず、全員で踏破するってのが肝なんだよ」
     特に……、と言いかけたシノの頭には、いつも最後尾でヘラヘラ笑いながら走る男の顔が浮かんだ。存外、ああいうのに限って最後の最後まで脱落しない。むしろ脱落者は不平を漏らさず、最後まで泣き言のひとつも言い出さなかった者の中から出る。
    「んで、いつから始める?」
    「早けりゃ早いほうがいいんじゃねえの? 昼間、チョビ髭のおっさんが来たって聞いたぜ?」
    「あー、あのクソ野郎な。まだ生きてたぜ」
    「なんか、大事な話があったんじゃねーのか?」
    「ああ。面倒な商売相手から渡りに舟ってやつが、……まだ、どうするかは決まってねぇみてぇだけどよ」
     結論はモンターク商会の男とオルガが何を約束するかに拠るだろう。近いうちに夜明けの地平線団と一戦かまえることになるかもしれないという、ユージンの話にシノはヤマギと顔を見合わせた。
    「グシオンと追加の獅電は方舟からの運用になる、って考えたほうがいいよね」
    「場合によってはな、火星に降ろす時間が惜しい」
    「作業計画、二つ用意しないと」
    「頼んだぜ、んで、あいつらは立て直し出来んのか?」
    「そういう意味でも、行軍はやったほうがいいと思うぜ」
    「だな。オルガには、こっちから話しとくか」
    「整備班からも二、三日、予備隊のやつを出してもらうけどよ」
     シノから話を振れば、丸い頭が「うん」と頷いた。
    「かまわないよ、こっちも新人に割りふれる仕事が少なくなってきたし。デインが抜けるのは戦力的には痛手だけどね」
    「デインって、あのでけぇのか」
    「ははっ、バンプ(担ぐ)には、もってこいの人材だよなぁ」
    「だからって、変な特別扱いはやめてよ」
     重機の足らない整備班では貴重な戦力なのだと、ヤマギが勝手に話を進めるシノとユージンへ釘を刺す。
    「んなもん、しねぇって。けど、……あいつらには一人分の重さってヤツを背負わせんのもいいかもな」
    「一人分の重さって、まさかと思うけど……」
     勘の良いヤマギは、不自然におどけてみせるシノの様子から、良からぬ企てに気付いたらしい。片方だけ見える青い目は、寡黙な口の代わりにものを言う。人間ひとり分の重さとは、戦死者に見立てた砂入りの死体袋だ。それを交代で担がせる。歩兵が背負うのは装備だけではなく、怪我をした仲間、死んだ仲間、そのどちらかもわからない仲間。子供のころからシノと同じものを背負ってきたユージンは、一言「懲罰任務じゃねーか」と唇を突き出した。
    「けどよ、誰彼かまわずにブン殴るよか、マシなんじゃね?」
    「いや。ブン殴られたほうがマシだろ、なぁ?」
     皮肉たっぷりの笑いを浮かべてユージンがヤマギへ同意を求める。シノの思っていたとおり、ヤマギは「そうかな?」と首を横に振った。
    「どっちも似たようなものだと思うけど」
    「そりゃな、指導教官なんざ憎まれるだけの貧乏くじだぜ」
    「そうかぁ? むしろ憎まれたほうが都合いいだろ?」
    「って、そういや、てめぇは前にも言ってたよな」
    「だけど、シノは新人に憎まれるまで酷くないよ。そういう話、聞かないし」
    「人望か? まっさか」
    「そりゃねぇだろ、一軍のジジイよかマシってだけでよ」
    「だけど、デイン達はCGSだった頃の実働部隊を知らないから、比べようがないし。本当にあるのかもしれないよね、人望」
     少し低いところにある丸い頭をぽんと軽く触れて、ヤマギの贔屓目からは見えないように苦笑いする。齢も生まれもてんでバラバラな集団をひとつにまとめるには、(CGSの大人達が参番組を仕切ってきたのと同じやり方で)彼らにとって共通する敵を作れば良い。あえて憎まれ役を買ってでたつもりが、予備隊に初めての戦死者を出したとき、シノは彼らにかける言葉さえ持っていなかった。オルガのように生き残った者を奮い立たせる術もない。作戦終了からずっと浮足立ったままの空気を変えたのは、見えない赤い線の分だけ重い昭宏の一言だった。


    「帰りてぇやつは、ここで荷物置いて戻ったっていいんだぜ?」
     行軍の後ろにはバックアップが付いているから、脱落者は来た道を少し戻ればいい。最後尾のケツを叩きにシノが後ろを振り返れば、すでに顎をつき出して歩いていたリーゼント頭の男はバックパックの肩紐に手をかけた。
    「おう、最初の脱落者はやっぱ、おめぇか? ザック」
    「……、つか、なんなんすか、これ」
    「なにって、終了試験に決まってんだろ」
    「サバイバルやるなんて、聞いてないっす」
    「んじゃあ、やめて帰るか? 今だったら二番隊もそんな離れてねぇしよ」
     暗がりにピックアップ・トラックのヘッドライトが浮かぶほうを指させば、名指しにされた男が肩紐から手を離す。彼は要領の良い男だから、あえてシノが話さなかった訓練の意図をわかっているはずだ。けれど、遠慮の無い口からは不満げな言葉が漏れる。そこから堰を切ったようにひとり、またひとり。ザック・ロウの後に続いて、ここまでの演習を批判する声は止まらなくなった。初めての護衛任務を終えた後からずっと、鬱積を溜め込んできたのだろう。二十時間を過ぎて、行軍は折返し地点へ着くはずが、まだ行程の三分の一も進んでいない。モビルワーカーなどの足も使わず、夜通し歩く訓練があるとは思いもしなかった未熟な隊員達の疲労は、最高潮に差し掛かっている。そのうちの何人かは背嚢まで下ろし始めたが、シノの予想に反して指導教官の襟首を掴みにくる者は出てこなかった。
    「おいおい、おめぇら、続ける気、あんなら荷物置くんじゃねぇぞ」
    「どうしてっすか?」
     ざわつきの中から直接シノへ理由を尋ねたのは、ヤマギから食堂での一件を聞いていたパイロットの志願者だった。根性なしのひよっこ共が次々とリタイアの意思を示すなかで、彼の荷物は未だ土をつけていない。表情に乏しい三白眼は、明らかにシノを睨みつけていた。
    「最初に言ったはずだぜ。一回でも座っちまったら後がきついからよ」
    「まさか、わざと……じゃないっすよね」
     たまった不満を隠そうともしない声が「あれも」と、交代で運んできた死体袋のほうを振り返る。野営用のポンチョを担架にして二人以上で担ぐ方法は、シノが指導するまでもなく、往路の最中に部隊のなかで最適化された形だった。
    「んなもん、決まってんだろ。おめえらに期待してんだよ」
    「期待って、……ただの荷物じゃないっすか」
    「なら、置いていくか? そいつは仲間のひとりなんだぜ?」
    「つうか、試験の課題としてって、ことっすよね?」
     正解はときどき、思わぬ人物が言い当てる。斜に構えた態度が目立った新人は、意外にも周りがよく見えているらしい。十キロの装備に徒歩移動、目標は走破距離だけではない。チームに大きな選択をさせるのも目的だ。ここで死体袋を置いていく選択は、最後に我が身へ返ってくる。鉄華団のエース・パイロットが誰か知らないうちは、片腕の動かない三日月を産廃呼ばわりした男が何を思うのか。しばらく答えを待ってみたが、舌打ちの他にハッシュ・ミディから聞こえてくる言葉はなかった。
    「……そうだ、リタイアすんのと同じだ。ただし、こっちは話し合って決めねぇとな」
     どうする? と、ハッシュの後ろに固まる集団に向かって問いかける。シノとも目を合わせない彼らは、背嚢を下ろしたまま動かなかった。多くの者は、目の前の戦闘で起こったことの半分も理解していないだろう。格納庫でシノが感じた温度差は、ずっと基地の外まで続いている。装備を置いて来た道を引き返すわけでもなく、ぼんやりと立っている面々を見渡してシノは、彼らの耳に入れないように小さくため息を吐いた。
    「──こんなかで、うちの前の組織、クリュセ・ガード・セキュリティって知ってるヤツ、いるか?」
     CGSのような民間の警備会社は、規模の大小は違えど自治区のなかに複数ある。この手の会社は内輪もめから経営者が変わることも珍しくないが、予備隊のひと握りくらいは乗っ取りの噂を知っているかもしれない。シノが話の向きを変えてやれば、案の定、彼らのひとりが「そこで働いてた人は、どうなったんですか?」と尋ねてきた。
    「ほとんどが退職金もらって、やめてったぜ。それと、基地を襲撃されたとき、おっ死んだのが六十八人か」
    「ろくじゅうはち、って?」
     びびりながら聞いてくる声にシノはわざと笑ってみせた。
    「ああ、俺らの仲間も四十二人、やられちまったけどな。遺体は全て回収して土の下だ。敷地の奥に草が生えてるところがあんだろ、あのへんに埋まってる」
     入ってきたばかりの連中には、あまり馴染みのない場所だろう。実際には、基地の外周コースですぐそばを走らされているのだが。「昔は、幽霊が出るなんて噂もあったんだぜ、……って話がそれちまったな」と続ける。質問をした者はもっと別の答えを聞きたかったらしく、あからさまにがっかりした顔を隠さなかった。それ以外は犠牲者の数に驚き、互いの顔を見合わせる。
    「それって限界損耗率、超えてんじゃ、……」
     うっかり思うままを口に出した当人は、シノに見つかるとは思っていなかったらしい。「よく知ってんなぁ」と言い返せば、朝見たときよりも若干くたびれたリーゼント頭が勢いよく飛び跳ねた。
    「そりゃ、化けて出たくもなるっすよ。合わせて百人以上死んでるとか」
    「ああ。全体の三割。普通の軍隊なら、作戦を中止する数字なんだってな」
    「ランチェスターの法則っす。戦略シミュレーション、ゲームでたまにやってたんで、三割なら全滅っていう……」
    「けど、CGSじゃ参番組の損耗率は三割超えんのも珍しくなかったからよ、向こうが引かなかったら壊滅まで行ってたかもしんねぇ」
    「そんなの、めちゃくちゃじゃあないっすか」
    「はなっから人間扱いされてねぇからな。上の連中にとっちゃ、俺らは動かせる盾みてぇなもんだったしよ」
     あのときもオルガが一軍から主導権を奪わなければ、参番組は残滅までいっただろう。そこまで言う必要はない。シノの話に絶句するのは、ザック・ロウのようにまともな暮らしをしてきた隊員だけだった。市中にあふれた孤児達を閉じ込める施設ではなく、学校に行き、さらには専門の高等教育を受けて来た者。しかし、予備隊の多くはビスケットが入る前のシノ達と同じだ。ここでいう損耗率が、何を表す数字であるかさえ理解していない。
    「その、数にも入ってねぇ死体を担ぐか、担がねぇか。俺らに決められんのは、そんくらいでよ、……まあ、片付けねぇと死体は腐っちまうし、ほっとくことも出来ねぇよな」
     どこからか、ごくりと唾を飲み込む音がする。ざわつく連中の多いなかでもハッシュ・ミディの仏頂面は変わりなく、彼の目にはシノも予備隊の仲間も入ってはいなかった。スラムの出だというから、死体を見ることに慣れているのかもしれない。ザックに至っては「とんでもない場所にきてしまった」というのが本音だろう。聳え立つクソを引き合いに出して、真意まで伝わったかどうかはわからないが、数名の者は立ち上がり、一度は土の上へ下ろした死体袋を再び担ぎはじめた。
     採掘プラントの防衛戦は、モビルワーカー隊がラインを作ってプラントを守るための壁になった。そして獅電が出るより先に敵のモビルスーツが現れたとき、予備隊のなかに初めて戦死者が出た。不利な作戦しか立てられない、上からの命令がクソだと彼らが思うなら、クソだと思いながらも状況を変える手段を持たなかったのなら、いま生きている者は死体袋の重みを覚えておくべきだ。
     ぼつぼつと荷物を担ぎはじめる面々を背にシノは、ポケットにつっこんだ時計を確認する。深夜を過ぎて、演習前に打ち合わせした予定の時刻が迫っていた。当初の計画より長く足を止めた分、追走する二番隊とコンタクトを取る地点は遠くなった。後方にあったヘッドライトが消えているのを目視して、シノは「もう、十五分過ぎちまったか」と休憩を切りあげた。結局、誰ひとり基地へは戻らなかったひよっこ共にもまだ、落胆の声を上げるだけの元気は残っているらしい。忠告に背いて荷物を降ろした者も、それぞれに痕跡を消し再び装備を背負い歩きだした。
     昼の間は数台のトラックとすれ違った街道も深夜には、行軍する予備隊の他に誰もいない。舗装されていない凸凹の道を照らすカンテラは、ゆらゆらと揺れながらまっすぐ数フィート先まで続く。疲れきった足で進む数マイル先には、夜盗に扮した二番隊が待ち伏せしているはずだった。不意をついて予備隊を襲い装備を引き剥がすのは、単なるシゴキの手段ではない。想定外の事態にも対処する方法を覚えること、無駄な荷物の重量を減らし、彼らの体力を温存するためでもある。
     けれど、打ち合わせの場所を過ぎても二番隊は現れず、全方向を確認しても信号弾の明かりも見つからない。いったい何があったのか。ずっと行軍を追ってきたのは、昭宏とライドだった。ふたりなら全幅の信頼をおけるが、それでも万一の可能性がある。こちらから連絡する手段はドローンを打ち上げる他になく、視界の悪い夜間にそれらを飛ばすのは手間もかかる。
     列の前方まで移動して(止まれ)のハンドサインを送る。警戒すべき区域へ入ったことを伝えるために声は出さなかった。いくら新兵ばかりの部隊でもサインに気づかず行動する馬鹿はいない。ぴたりと足を止めた集団は、シノの後ろへ固まった。きっと彼らはまだ、これが演習の一環だと信じているに違いない。それでいい。彼らにアクシデントの発生を悟られないよう、シノは「二番隊の行動不明」を告げた。
    「こっちから捜索隊を出すが、全隊まで動くことはねぇ。まずは情報収集から始める、いいな」
     小さな声の命令には、それぞれハンドサインの(了解)が続く。
     次にシノは偵察に出す二名二組を選んだ。二組のうち、ひとりは通信の技術を持つザック・ロウ。もう一人はひと月ほど遅れて入ってきたが、体術の出来は一番良かったハッシュ・ミディ。その人選にザックが「なんで、自分なんっすか」と聞き返し、三白眼のほうは相変わらずシノを睨みつけていた。
    「おめぇらなら、ところかまわず銃をぶっ放すって、心配はねぇだろ」
    「そんなの、当たり前じゃないっすか」
    「偵察だかんな、わかってんじゃねぇか」
     このツーマンセルは索敵と通信のために組む。自分が選ばれた理由に納得しないザックを一笑し「それが出来ねぇ奴もいるんだよ」と、シノは首を横にふった。偵察行動の最中に引き金をひくのは、最悪の結果であって目的ではない。
    「捜索範囲をデータカードに表示すんぞ。全員、カードの電源を入れろ」
    ぼうっと暗闇に浮かびあがる弱い光が、掛け声の代わりにシノに応える。ここまで狭い範囲なら赤外線での通信が可能だ。全てのカードがリンクしたのを確かめて、行軍演習のために作った資料から地形データを開いた。それから、予定のコンタクト地点より半径一マイルに絞ってマッピングをかける。二番隊の移動手段はピックアップ・トラックだったが、街道からはあまり離れていないはずだ。シノの予想では本隊の後方にはいない、おそらく前方でも真正面にはいない。そこまで絞れば、偵察隊は二組で足りた。
    「さっそくドローンと通信機が役にたったな。偵察隊と通信を繋ぐぞ。暗い場所だが落ち着いて用意しろよ」
     おぞましいほどの重さが無駄にならなかったことは、地の底まで下がった予備隊のモチベーションを少しだけあげたかもしれない。ドローンを飛ばす方向は十字と二時、先行させた偵察隊の後を追うように設定させる。後は状況次第だが、本物の野盗がいるなら昭宏とライドは、シノの采配に期待して予備隊の到着まで隠れているはずだ。念のため基地へも通信を飛ばしたかったが、あいにくドローンの航続距離は短い。二番隊の行動を変更させたアクシデントが、シノの読んだとおりなら相手がわかるまでは戦闘は避けなければならなかった。
     二手に分かれる偵察隊を見送った後、残った予備隊は街道の脇まで下がって通信を待つ。その間は唯一、銃を降ろすことを許した。代わりに暗視スコープを装備させる。もしもの場合を考慮しての準備だったが、まだ生身の人間を撃つ覚悟もない新兵を連れて、夜盗狩りをするのは気のりしない。彼らへ直接、攻撃の命令を下すのはシノの仕事だった。その、たった一言が部隊の命運を左右する。相手さえ分かれば、一軍の大人達と同じように「動くモノは全て撃て」と命じるのが正しいのかもしれない。予備隊の担ぐ黒い袋がシノの視界に入るたび、仲間へ「撃て」と号令をかけなかった失態が脳裏をよぎる。暗礁宙域に現れた海賊船、解錠した扉の奥に固まる怯えた目を、震える声を、まっすぐ向けられた銃口を。あの場にいたのがユージンなら、まず部隊の損耗率を下げることに重きをおいただろう。あるいは三日月のように。特別な訓練を受けないでも、脊椎反射で引き金をひける人間もいる。毛も生えないガキの頃から何年も、白兵戦の隊長をやってきたくせにシノ自身、いまだ甘さを捨てきれずにいたのか。──指導教官なんてつくづく、貧乏くじだ。


     基地から南へ下る市街地とは逆方向の道沿いには、小規模な鉱山とその跡地がいくつかあるだけで、目印になるものは何もない。遠くには標高の高い山脈も見えるが、街道の周辺はずっと平坦な地形が続く。細い枝道が通っているところには、古い開拓地の近くに集落が残っているか、農業プラントの側に小さなオアシスがあるか。その他の人工物は水素燃料のスタンド、風力発電施設、貯水施設。主要な都市を繋ぐハイウェイでさえ、火星ではどこも似たような風景ばかりだった。
     データカードに示された捜索範囲は、行軍のルートから少し左に逸れる。偵察任務にまで口うるさい指導教官は付いてこないが、本隊からはぐれないよう移動中の座標を細かく確認しなければならない。人工の磁場から得られる情報は、数分おきにデータカードに表示される。電源が惜しければコンパスを使うか、夜空にはくちょう座のデネブを探せばいい。
     別行動に入ってからずっと開きっぱなしのデータカードへ、ぽつんとアンテナがついた瞬間をザックは見逃さなかった。それは待ちに待った通信回線の回復、正しくは臨時の通信網が組み上がった合図だ。準備していたヘッドセットを耳にかけ、急いで第一報を本隊に向けて発信する。偵察隊の現在地を示す緯度と経度を送信すれば、ノイズ混じりの返信がザックの端末に届いた。
    (それ、繋がってんのか?)
     ライフルを提げたままハッシュが、今も通信中のデータカードを覗き込む。少し大げさに頷いて、話しているのはシノさんだと答えた。
    (なんか、通信回復したらデータカードの固有IDを探せって)
    (二番隊のか?)
    (たぶんな、電源が入ってれば、こういう風に表示されんだよ)
     地形データの上に通信可能なエリアの表示を重ねる。六角がドローンの位置、三角がデータカードの周波数を拾った場所、それが固まっているところが本隊だ。
    「──まだ近くにいるって言ってたけど、あの人ら、なんでそんなことわかんだろうな」
    「どうせ、これも試験なんだろ」
    「ああ、そういう……、かもなぁ」
     終了試験と言うからにはただの行軍演習ではないと思っていたが、あらかじめ何か仕掛けられていたようだ。行軍中には課題が出る場合もある。それを疲労の溜まった一日目の夜に持ってくるとは、指導教官もなかなかに底意地が悪い。落ちこぼれをふるい落とす試験でないなら目的はどこにあるのか。ため息をつきたくなったのは、ザックだけではなかったらしい。ほとんど表情の変わらない男が、隣で小さく肩を落とした。
    「……なーんで、俺ら、本隊じゃなく偵察だったんだろ?」
    「口数が多いからじゃねぇの? 疲れてるようには見えねぇし」
    「あん人、見た目よか、めざといからなぁ」
    「教官なんだし、普通だろ、……」
    「だよなぁ。俺らと同じような年齢でも、どだいの経験値が違うもんな」
     噂では十にもならない齢の頃から民間警備会社の仕事をしていたという。十二で実働部隊、十四で白兵戦の隊長になり、十六でモビルワーカーの小隊を率いる。そんな人生をザックには想像できなかった。
    「確かに。あの人、CQCとか、かなり強いほうだぜ」
    「あー、……あれは強いっつーか、上手いって感じだな、力押しより技巧派」
    「ああいうの、上手いって言うのか」
    「だろ、数人がかりで一本も取らせなかったじゃん」
    「あのでけぇ図体で、狭いところでもよく動くしな」
    「フェイント、かましてくるんだったか。そういうの、相手をよく見てんだよ、……って、ちょっと待った」
     データカードの地図情報を照らし合わせるように、ザックはぐるりと辺りを見回した。少しづつ数を増やしたドローンは徐々に通信可能な範囲を広げているが、まだ二番隊の持っているデータカードの周波数は拾っていない。このアクシデントも課題のひとつではないかというハッシュの考えに、一度はザックも同調しかけたけれど、あの状況で指導教官は何かを隠していると考えを改めた。
    「もしかすっと、これ課題じゃないかもだわ」
    「はぁ? なに言ってんだ?」
    「だからぁ、アクシデントが、マジなやつなんじゃねーかって」
    「意味わかんねぇ、課題は課題だろ」
    「あの人、課題ならもっと大げさに話すだろ。それにしちゃ妙に慎重つうか、演技してないっていうか」
    「それも演技なんじゃねぇの?」
     いや、とザックは首を振ってみせ「ありえる話なんだよなぁ」と続ける。基地からそれほど離れていない街道沿いにも野盗くらいは出る。二番隊が化けたものより先に本物が出てもおかしくないが、場馴れしない予備隊には、アクシデントも試験の続きだと思わせておくのが最適解に違いない。
    「知らせないのは俺らが動揺すると思って、かも」
    「俺ら、騙されてんのか?」
    「いや、……」と、ザックは首を振ったが否定はできなかった。
    「何があったかは俺らと同じで知らねぇんじゃ、……だから、二番隊を探すんだろー。こっちが休んでた間、先回りしてたみたいだし、どっかで状況が変わる事態があったんじゃねーかって」
    「へぇ、……」
     三白眼はザックの話にも相づちくらいは打つが、相変わらずハッシュの表情は読みづらい。いきなり偵察を任されてさえ心細さも感じないほどの鈍さに感心しながら、ザックは再びデータカードへ視線を落とした。入ってきたばかりの新人が初めて話をするのは、目つきも口も悪い天パの副団長か、ガタイも態度もデカい指導教官のどちらかだ。訓練では一周四マイルもある外周を五周以上も走らせようとする教官が、意外にもあの集団のなかでは一番まともな常識の持ち主だった。
    「そういや、あの人、撃つなって言ってたよな」
    「あー、あの、ところかまわずって、やつか」
    「そう、それ」
    「偵察が目立つなって意味だろ」
    「そんな当たり前のことじゃなくさー、……」
     ザックがもうひとつの理由を口に出す前に、データカードへ新しいアイコンが現れる。まずは小さく表示された周波数の固有IDを先の通信で得た情報に照会する。その位置情報は、複数のドローンを経由して本隊も把握しているだろう。もう一度、ヘッドセットをデータカードに繋いでザックは本隊を呼び出した。
     ──あ、ザック・ロウっす。二番隊のIDを確認したんで、今から合流します。距離は約二千八百フィート」
     ──了解だ。位置はこっちでも把握してっけど、通信は出来ねぇ」
     ──わっかりました。通信可能な位置まで二番隊と移動して報告します」
     ──首尾よく頼むぜ。それまで本隊は現状を維持する」
     ──了解、通信は切らずに維持しまっす」
     砕けた口調で物を言う指導教官からの指示は、いつも明確で無駄がない。本隊との通信をひととおり聞いていたハッシュも同じことを思ったのか、ザックから何も聞かないうちに教練の手順に従ってデータカードの示す方向へ暗視スコープを向けた。
    「なんか、見えるか?」
    「いや、地面の凸凹くらいだな」
    「なら、いっか」
     ずしりと重いバックパックを背負い直して二番隊を追う。二千八百フィート先なら数分で到着する距離だ。二番隊のいる位置、そこへ向かえばザックの疑問も解けるだろう。予想が当たっていれば課題ではないアクシデントも、指導教官の嘘も納得できる重さだが、無駄になった時間は巻き戻せない。この試験の可否は──と、そこまで考えてザックは、もうひとつの可能性に気がついた。


     二番隊と合流したザックが持ってきた情報は、シノの予想を大きく外れてはいなかった。昭宏とライドが遭遇したのは野盗ではなく、自分達と似たような組織の一個小隊。取締りでもなければ、こんな所までギャラルホルンは出向いて来ない。どこかの民間警備会社と考えるのが正しいだろう。小隊の近くにモビルワーカーや装甲車が居ないということは、あちらも任務中ではなく歩兵部隊の訓練をしているのかもしれない。彼らの進行方向が同じなら、お互いの業務に支障が出ないよう話し合うべきだ。それには二番隊と偵察組を本隊まで下げるより、本隊が二番隊の位置まで移動するほうが早い。渡りをつけるには、相手の通信を傍受して回線に割り込むのが妥当な作戦だ。合わせて、予備隊には実地で情報収集を覚えるための良い機会に違いない。
     二番隊を通信が出来る位置まで下げてきた偵察組へ労いの言葉をかけた後、本隊には進軍の指示を出す。こんなところで同業者と鉢合わせるのは珍しいが、間違って撃ち合いになる事態だけは避けなくてはならなかった。
    「合流地点に着いたらすぐ、アンテナを広げろよ。状況は、こっちを待っちゃくれねぇかんな」
     予備隊へ指示といっしょに激を飛ばす。偵察組の報告を待つ間、本隊にいた者は少し休めたのか、彼らの足はさっきよりも明らかに軽かった。途中、追い越したドローンを回収し進行方向の位置情報を書き換える。目には見えない通信網をデータカードで把握しながら歩いてきた先には、ヘッドライトを消し二つ分のポンチョで砂地にカムフラージュしたピックアップ・トラックが停まっていた。
    「早いな」と、シノよりも先に昭宏が口を開く。あと一時間は待つと思ったと言うのは、少々シノと予備隊を見くびり過ぎだろう。素直なライドは「早いほうが助かります」と、シノへまだ聞き慣れない敬語を使った。
    「さっそくだが、トラックの動力借りるぜ」
     少しの間、バッテリーを通信機に繋げる理由は、彼らなら言わないでも分かるはずだ。昭宏からトラックのキーを預かると、シノはザックとハッシュ、ふたつ並んだ新顔の肩を軽く叩いて本隊に復帰を命じた。
    「通信の傍受、やり方は覚えてるよな?」
    「了解でっす」と、リーゼント頭がわざとらしく背筋を伸ばし、三白眼のほうは「うっす」と短く答える。すでに準備を始めている本隊のほうへ戻ると、彼ら二人を中心に小さなざわつきの輪が広がった。
    「偵察組が囲まれてやがる」
    「まだまだ、だな」
     自覚が足りない。そう言って、昭宏は深く息を吐いた。
    「ああ。俺らには、こんなの散歩みてぇなもんだけどよ」
    「それにしても、予定外の寄り道になったな」
    「あいつらにとっては、丁度いいんじゃねぇの?」
     単純な行軍より目的のある作業を与えたほうが疲労は少ない。彼らを不甲斐ないとまでは言わないが正直なところ頼りない。意外と分かりやすく、昭宏の顔にも同じことが書いてある。そこへ小山のような大男が作業中の輪から抜けてきた。予備隊の中では珍しく、最初から整備班を志願したデイン・ウハイは、遠慮がちな声で三代目流星号専属の整備士の名前を口にした。
    「おう。ヤマギが、どうしたって?」
    「あ、はい。これを渡してほしいと言われて……」
     シノに向かって差し出された大きな手は、整備班で使うタブレットを持ってきた。その中にはヤマギから頼まれたものが入っているという。中身を見たのかとシノが聞けば、デインは小さく左右に首を振った。
    「開いてみねぇとわかんねぇか」
    「極秘資料ではないって、言われましたけど」
     画面にある「演習地」というフォルダの日付は、つい昨日の明け方近くだ。開くといくつも不規則な数字が表にまとめられている。出発ギリギリの時刻までヤマギが調べていたのは、街道沿いにある主要な施設が使う周波数だった。そのなかには当然、クリュセ地区の民間警備会社のデータも入っていた。
     恐る恐るシノの表情を伺う大男へ「助かったぜ」と笑いかけ、通信機を設置する新兵達の間へ割って入る。シノが教えたとおり手早く設置された通信機は、なかなか感度も悪くない。予備隊へ入った多くの者はモビルワーカーで戦うより、こういった工作活動のほうが向くらしい。
    「おめぇら、ちょっといいか?」
     一声で、シノは傍受の段取りをする予備隊の手を止めさせた。
    「こういうのも知っとくと、役に立つんだぜ」
     手始めに近くにいるザックのデータカードへ資料の一部を送る。それを見て驚いた顔をシノに向けるのは、ザックが無作為に並んだ数字の意味に気づいたからだった。
    「そっから、ひとつづつ試していけよ」
    「これって、さっきデインが持っていったヤマギさんのっすか?」
    「ああ、そうだ」
    「……了解っす」
     得た答えに何か思うところがあるのか、饒舌な口はそれ以上を語らなかった。
     演習地から近いところから並べられたコードを使えば、闇雲に周波数を割り当てる必要はない。データの最後にサインを入れたシノの専属整備士はいつ、アクシデントの可能性に気づいたのだろう。思わず口笛を吹きたくなる口元を押さえて、シノはヘッドセットへ手を伸ばした。無線を傍受できれば、近くにいる警備会社の人間と話が出来る。向こうだって相手が鉄華団と知れば、やりあう気にはならないはずだ。
     雑音まじりの通信に人の声が現れたとき、シノは「撃たない」覚悟を固めた。ひとまず、努めて明るい声で所属と身元を明かす。傍受した通信へ割って入ってきたのだから、最初の一声は警戒されるのが当然だ。しばらく相手側からの返答が来ないのは、彼らもこちらの周波数を探っているからに違いなかった。
    (シノさん、ちょっといいですか?)
     とんっと、ライドに背中を叩かれて振り返る。ヘッドセットの入力ラインを切り、シノは話の続きを待った。
    (二時の方向、やばい気配なんですけど。あれ、狙撃手っすよね)
    (……冗談、って言ってる場合じゃねぇよな)
     暗視スコープで確認するまでもない。一マイルほどの距離では、どんな小さな光でも十分目立つ。あれは向こうの兵が構えるライフルの、光学サイトが照明に反射しているのだ。ライドが気付いた小さな、けれど状況を変える異変は、必ずしも部隊全員が共有すべき情報ではなかった。予備隊の連中に気づかれないうちに昭宏とアイコンタクトを取る。あえてシノから指示を出す必要はなく、カムフラージュしたトラックに隠れた昭宏が、狙撃の準備を始める。これで五分。この後のやりとりで撃ってくる確率は、大きく変わるだろう。
     ──そっちも訓練か? お互い大変だな」
     ──、本当に……鉄華団か?」
     まるでお化けを相手にするような口ぶりで、男は鉄華団の名を口にした。クーデリア・藍那・バーンスタインを無事地球へ送り届けた組織の名前は、どこかで要らぬ尾ひれがついて広まったようだ。向こうの隊長と思しき男は、非常に疑り深い性格らしい。こちらの使っている周波数だけでは信用できなかったのかもしれない。何度もシノ達が本物であるかを尋ねてきた。
     ──そっちは、エイゼン商会だよな? こないだ社長が贈った花、ちゃんと届いてっか?」
     ──ああ、……本物か」
     ふうっと、大きなため息がヘッドセットを通じて聞こえる。マイクが拾う音は全部、向こうの状況を探る手立てになる。通信相手の一挙一動を聞き漏らさないために全身の注意を傾けた。
     ──なんだ、俺らの名前を騙るニセモンでも出んのか?」
     ──いや、……こんな場所で大物と鉢合うとは思えなくてな」
     ──大物? 俺らが? ただの民間警備会社だぜ?」
     ──火星じゃ、有名だよ。悪魔がいるんだろ?」
     ──非番のある悪魔か? 冗談」
     世間話の合間、向こう岸に見える小さな明かりが消えるのを視認して、後ろに控える昭宏へ「警戒の解除」のハンドサインを送る。ユージンから事務所開きに贈った花の話を聞いていなかったら、今頃どうなっていたか。想像するだけで背筋が寒くなった。民間警備会社の小隊は、そのへんの夜盗とは違う。装備も練度もあまり変わらない相手と実際に撃ち合いをやったら、間違いなく復路で担ぐ本物の死体袋は片手では収まらなかっただろう。
     向こうの隊長とそれぞれの進路を確認した後、通信を切るとシノのデータカードの電池はほぼ無くなっていた。この先、予定のルートへ戻るには位置情報を更新するのが正解だが、予備隊の装備を合わせても電池に余力のあるデータカードは少なかった。
    「トラックのバッテリーを使うか?」
     昭宏の提案にシノは首を横に振る。たった一枚分の電池を賄うくらい、まだトラックには余力は残っている。けれど、当初の予定では予備隊の装備をいくつか奪うつもりだったから、データカードの使用不能を行軍の課題にするならちょうどいい。
    「さて、おめぇら」と、シノは通信機を片付ける予備隊のほうを振り返った。ついさっきまで一触即発の危機にあったことを知らない彼らは、緩慢な動作で片付け作業の手を止めた。
    「今から行軍のルートに戻るが、最初に何をやるか? わかってんよな?」
     そこまで伝えて、彼らがデータカードのバッテリー残量に気付くところまでは折込済みだ。そのうち何人が、データカードの機能に頼らない座標の割り出し方を覚えているか。座学で説明をしたとおり空を仰ぐ者は、シノが考えるよりは少なくなかった。
    「この時期なら、南は魚釣星っすね」
     たったひとり、北を向く集団とは逆の方角を見ていたザックが、地平線の近くを指でさす。質問に対する正解は、デネブの位置と時間を照らし合わせて現在地の座標を求める。だが、ザックは求められる解答ではないと分かって言ったのだろう。名前さえ聞いたことのない星が、彼の指のさす方向にあった。
    「……ちょっと、東へ逸れたんじゃないっすか?」
    「そこまで分かってんなら、現在地の座標も計算出来たってことだよな」
    「あー、だいたいは、っすけど」
     ボサボサになった頭を掻きながらザックの答えた座標に間違いはなかった。彼の実力なら、この程度の計算は寝ぼけていても答えられるに違いない。シノが魚釣星について尋ねれば、やる気のない声で「さそり座の尾のとこっす」と返ってきた。
    「なんで魚釣星っていうかは曲がったとこが、釣り針みたいに見えるからだそうです。つか、釣り針って火星じゃ使わないっすよね」
    「海がねぇかんな」
    「やっぱ、地球の人らが考えた名前だって、わかんだよなぁ……、」
     独り言のように呟きながら南の空に浮かぶ星を、すいすいとザックの指が繋げていく。地球に合わせた暦では夏、南の空を東から西へ移動するさそりがいるらしい。
    「あっちの赤いのは、さそりの心臓って言うらしいっすよ、アンタレス」
    「けっこう、でけぇな」
    「そりゃそうっすよ、一等星だし」
    「……てか、おめぇよく知ってんなぁ」
    「こういうの、女の子は好きでしょ。星占いとかー」
    「あー、それでか」
    「けっこう、話のネタになるっすよ」
     博識を鼻にかけないのがいかにもザックらしい。カラカラと調子よく笑った後でシノは小さくため息をついた。だれひとり欠けなかった予備隊のひよっこ共を連れて、元の行軍演習へ戻れたことは、シノ以外だれも知らないささやかな成果だ。あくまでも偶然の幸運。ユージンとの無駄話、ヤマギの変わらない献身があったから、──彼らの担ぐ死体袋の数は増えなかった。記念すべき今日の星を掴みにいくように、南西に傾いたさそり座の赤い星まで手を伸ばす。地上から見上げる宇宙は遠く、たくさんの灯は握った拳の隙間に溢れて地平線へと落ちていった。

     ──さそりの火だよ、シノ」
     ぽつりと画面の消えたデータカードから一瞬、格納庫にいるヤマギの声が聞こえたような気がした。ただの空耳か、ヤマギの声を誰かの声と間違えるはずはない。後ろを振り返れば、そには突然シノと目が合ってびっくりしたザックの大きな口と、見慣れた印の入った上着の集団がいるだけだった。
     ──もしかしたら、ヤマギも赤い星の名前を知っていたんじゃないか? そんな思い込みがシノに聞かせた声は、コクピットの縁から流星号の調子を尋ねてくる彼の声によく似ていた。


    (03へつづく)

    ***

    8/15に間に合えば電子書籍にしようと思っていました(ずさんなスケジュール管理)さそりの火の電子書籍化は間に合わないので、今から貝の火04の加筆修正をして電子書籍を無料配布しようと思います……さそりの火03と04の間にR18があったので、ちょうどよかったかもしれない(お話の都合上、省くのは難しかった)とはいえ、貝の火の加筆修正もギリギリなのは変わらないのであった……まにあえ~;;;;(だいじょばない)

    2021/08/07 ふせったーより初出
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    ❤❤☺
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    Replies from the creator

    hana6la

    MEMO(捏造)27話28話の間くらい「さそりの火」02
    予備隊を連れて行軍演習に行く🌠くん
    2017に書いたのを書き直しています(全4話+α)
    fuego de escorpión 02(注)二次創作なので全て捏造だよ。本編の隙間話です(17000字くらい)


    【さそりの火 02 わたり鳥の標識】


     幽霊ではなく、まだ身体のある死者が通る道は、基地の改修工事が終わった後もほとんど変わらなかった。実働部隊が運んできた仲間の遺体は車両から降ろされ、袋のまま灰色のコンクリートの上を引きずられていく。所属する組織の名前が変わり、新しく墓標は出来たが墓地はない。再びフェンスの外まで連れ出された彼らは、地雷の埋まっていない場所を選んで埋められる。乾いた赤い土を掘りかえし、彼らを死体袋のまま穴へ放り込んだら、残りの土を被せて終わりだ。
     CGSにいた子供達の多くは身寄りがなく、家族のいる者でも遺体が引き取られることは滅多になかった。死体の入った黒い袋は廃棄物、動かなくなった身体は使えなくなった機械に等しい。火星を出るまで世の中には葬式というものがあり、死者を送り出すための言葉があるのを知らなかった子供は、ただ黙々と手を動かすだけだった。きっと、いつか自分も同じ道を辿る。それがいつになるか分からないが、あまり遠くない未来のように感じていた。もしも他に違う道があるのだとしたら、……子供を殴って使い走りにする一軍と同じ、つまらない大人になるのかもしれない。
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