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    春猫🐱

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    恋願う 11
    お付き合い後のちぐはぐ恋人期間という事で。

    恋願う 11「…で、でかい……」

    そびえ立つ高い建物に、首が痛くなりそうだ。きょろきょろと辺りを見回して、人集りの出来ている入口から離れる。ぐるりと建物を回り、裏口の方へ向かう。そこにも人が数人集まっているのを見て、足を止めた。可愛らしい服を着た女性が、そわそわと周りを見ながら立っている。そんな状況に、手に持ったスマホを握り締めた。

    (本当に、ここでいいのだろうか…)

    んー、と腕を組んで首を傾ぐオレの肩を、とんとん、と後ろから叩かれる。それに驚いて振り返れば、オレより少し背の低い女性がそこに立っていた。
    桃色の長い髪を後ろでお団子にするその女性は、オレを見るとにこりと笑いかけてくる。

    「貴方が類くんの彼女さんの『天馬くん』?」

    ―――
    (前日)

    「あ、の…神代…?」
    「…んー………」
    「そろそろ、時間だと思うのだが…」
    「まだ、離れたくない」

    ぎゅぅ、とオレを抱き締めたまま動かない神代に、顔から火が出てしまいそうなほど熱くなる。心臓がうるさい程鳴り続けていて、絶対に神代にも聞かれているはずだ。それなのに、神代の腕の力が強すぎて離れられん。
    ホテルに入ってからもうすぐ一時間となる。そろそろ出なければならんというのに、十分程前からずっとこの状態だ。抱き締められ続けて、腕が痺れてきた気がする。緊張で顔も動かせていないから、きっと解放されたら棒のような状態で体が固まっていることだろう。
    そんな現実逃避を思い浮かべながら、神代の背に回した手に力を入れる。この状態は緊張するし、恥ずかしいのか嬉しいのか分からなくて、ドキドキしっぱなしだ。けれど、決して嫌な訳では無い。だからこそ、これから離れると思うと、少し寂しくも感じてしまう。最後に少しだけ、とバレないようにそっと神代を抱きしめ返せば、神代の腕に一層強く力が入る。

    「そんな可愛い事をされたら、余計に離せなくなってしまうね」
    「っ……な、…?!」
    「この際時間を延長しようか。そしたら、もっとくっついていられるよ?」
    「し、しないっ…! そんな事をしたら、心臓が破裂してしまうだろうっ…!!」

    ぱたぱたと両手を振って神代の腕の中から抜け出そうとすれば、くすくすと笑う声が聞こえてくる。ただでさえこんなにも心臓がドキドキと煩くてもう限界だというのに、これ以上は耐えられない。
    もぞもぞと身動ぎすれば、神代があっさりと手を離してくれる。起き上がり、ぐっ、と両手を伸ばして軽く体を伸ばす神代に、オレもゆっくり起き上がった。軽く身なりを整えてウィッグも確認していれば、くるりと神代がこちらを振り返る。びくっ、と驚いて体が固くなるオレに、神代がふわりと笑った。

    「さすがに、これ以上は僕も我慢が出来なくなりそうだ」
    「っ……」
    「家まで送るよ。また変な虫が寄ってきては困るからね」
    「む、虫…?」

    神代の言葉に、ぞわりと背が粟立つ。もしや、駅前で人が多くいたにも関わらず、虫が寄ってきていたのだろうか。昔から虫は苦手だ。さりげなく虫から遠ざけてくれていたらしい神代には感謝しかない。
    目の前に神代の手が差し出され、その手を取る。ベットから立ち上がれば、神代がオレをまじまじと見てくるのに気が付いた。

    「…どうかしたのか…?」
    「いや、なんでもないよ」
    「?」

    にこ、と何かを誤魔化すように返され、不審に思いつつも気にしない事にする。ここで食い下がっても、またはぐらかされるに決まっている。それこそ、キスなんてされたら確実に延長コースだろう。ここは流してさっさと別れた方がいい。
    「それなら、早く出るぞ」そう神代に言って、繋いだ手を引く。出口へ向かうオレを見る神代は、一瞬目を瞬き、楽しそうにその口元に弧を描いた。

    「ふふ、少しは名残惜しそうにしてくれると嬉しいんだけどねぇ」
    「充分一緒にいたではないか」
    「僕としては物足りないけれどね」

    持ってきていた帽子を目深に被り、神代が肩がぶつかる程体を寄せてくる。せめてぶつからない程度に離れようとすれば、追うように体を寄せられるので諦めた。ぎゅう、と強く握られた手に長く息を吐いて心臓を落ち着けようと試みる。無駄なあがきではあるが。

    「ところで、約束は明日のはずではなかったか?」
    「あぁ、恋人のいない君があんなに大見得きって『日曜日に会わせる』なんて言ったからね。きっと今日駅前で恋人役をしてくれる男性をナンパでもするつもりなのかと思ってね」
    「……お前は超能力者か何かなのか…?」

    まさか完全に読まれていたとは。
    にこにこと迷いなく答える神代に開いた口が塞がらない。オレに恋人がいない事も、あれが嘘であったこともバレていた上での行動予測か。気付いていて、『会わせてほしい』というのも狡いではないか。オレが神代と別れたいと思っていたことも知っていて、最初から断る理由を潰そうとしてきたわけだろう? そこまでして、神代がオレと付き合うメリットが全く分からないのだが…。
    ちら、と隣を歩く神代を盗み見るが、いつもと変わらぬ雰囲気だ。

    (女性なら、誰でもいいだろうに…)

    オレに対するこの扱いも、一時的なモノだろう。その内飽きて他の女性の元へ行くはずだ。男と知られるのが先か、飽きられるのが先か。学生の頃から神代は女性と付き合っても長く続いている様子はなかったからな。短期間で色々な女性を隣に置いていたのを思い出し、胸がチクチクと痛み出す。短期間でもあの神代と付き合えるだけマシなのかもしれん。学生の頃のオレでは、付き合う事自体出来なかったのだから。だが、オレのこの想いが本気な分、タチが悪い。早々に飽きるかもしれないなら、早いうちに分かれてくれればいいものを。

    「ということで、明日時間があるなら是非どうだい?」
    「…ぇ……?」
    「マネージャーには話を通しておくから」

    不意に、神代に問いかけられて顔を上げた。考え事をしていて全く聞いていなかったのだが、今何の話をしていたのだったか。スマホを取り出した神代の手を慌てて引くと、神代が不思議そうな顔をオレの方へ向けてくる。「すまん、聞いていなかったのだが…」と正直に話せば、目を丸くした神代が、「あぁ、」と短く呟いた。

    「明日、僕の撮影現場に見学しにおいで、というお誘いだよ」
    「…撮影現場…って…、はっ…?!」
    「以前のデートで、君がモデルの僕のファンだと知れたからね」
    「いや、それが何故見学になるんだ!?」

    さらりと言われた提案に、今度はオレが目を丸くさせる。
    撮影現場というと、『モデルの神代類』が見られるということだろう。雑誌でしか見た事がないような衣装を着て、メイクもしっかりした神代がカメラの前でポーズを決める姿が実際に見られるという事だ。
    そんな貴重な体験を、こんなにもさらりと言われて驚かないはずがない。

    「興味ないかい?」
    「興味はあるっ! だが、オレは一般人で、そう簡単に見に行ける立場では…!」
    「残念だねぇ。明日の撮影は夏に出るファッション誌の新作衣装を着る予定なのだけれど…」
    「うぐっ…」

    夏のファッション誌。つまり、発売はまだ当分先のモノとなる。それを特別に見る事ができるのだ。生の、神代類を。見たくないはずがないっ…! できる事なら見たい…!
    頷いてしまいたい衝動を何とか抑え込もうと、心の中で『夏まで我慢、夏まで我慢』と自分に言い聞かせる。そんなオレの隣を歩く神代が、すすす、とオレの耳元に顔を近付けてきた。

    「実は、夏の私服をイメージした衣装だけでなく、水着の撮影もあるらしいんだよね」
    「んぇ…!?」
    「そんなプライベートな写真が世間に出回る前に、僕の彼女である君に一番に見せたいなぁ」
    「っ~~~~~……!?」

    ぶわっ、と顔に一気に熱が集まり、思わず変な声がでてしまう。眉尻を下げて寂しそうな顔をする神代は、「ダメかい?」と追い打ちをかける様にオレに耳打ちしてくる。
    あの神代から『僕の彼女』とはっきり言われた破壊力と、学生の頃クラスが違った為に同級生なのに見る事が出来なかった水着姿の神代が生で見られるかもしれないという誘惑に、声が出ない。ちら、と無意識に視線が少し下へ下がってしまう。同窓会の日に再会してから体感させられたが、神代の体格はオレよりもしっかりしている。腕の力だけでなく、抱き締められた時の体の硬さや、オレを覆う程の肩幅の広さと上背の高さ。手ですら、オレより大きいのだ。それだけでも、神代の体が“しっかりしている”と知れる。
    同じ男としても、神代の体に興味がないとは言えない。正直に言うなら、見たい…!

    「っ、だ、ダメだっ…! そういうズルは良くないっ…!」
    「天馬くん、言葉遣いがいつもよりも幼くなっているよ…?」
    「とにかく、明日は家から一歩も出んぞっ…!」

    唇を固く引き結べば、今にも飛び出しかねん言葉が出口を失い両頬を膨らませる。そんなオレを見た神代は、吹き出すように笑うと、大きな手でオレの頭を撫でてきた。その子ども扱いのような態度に、余計頬が膨らむ。

    「それなら、僕が一緒に撮影する女性モデルと腕を組んでも構わないかい?」
    「えっ…」

    神代から投下される何度目かの爆弾に、思わず顔を顰めてしまった。
    よくよく考えてみれば、その可能性がないはずがない。ファッション誌となれば、男性モデルと女性モデルが一緒に撮影することだってある。テーマが『夏のデート』とかなら尚更だ。女性モデルが水着を着て神代の隣に並ぶ姿が容易に想像できてしまう。いや、仕事なのだから当たり前だろう。現に、今まで見て来た雑誌にもそういう特集はいくつもあったのだから。
    だが、神代と再会して、女装姿とは言え今のオレは神代の恋人という立場だ。仕事だからと見ないフリはできなくないが、気にならないとは言い切れん。神代の今の発言だけでこんなにも心臓が嫌な音をさせているのに、この話を聞いた状態で明日平常心で過ごせるはずがない。撮影の状況が気になって気になって仕方なくなるだろう。それこそ、神代に状況を聞いてしまうかもしれん。
    そんなはた迷惑な行動は取りたくないが、取らないと言い切れないのが怖い。

    「天馬くんが撮影現場に見学に来てくれれば、僕もあくまで仕事であり、決して浮気はしていないと君に証明ができるし、普段は見せられない僕を君に見せることもできるんだけどなぁ」
    「………」
    「もし撮影が早く終えられれば、着替える前に一枚くらいなら写真を撮る時間も作れると思うのだけどね」

    するり、と指の間に神代の指が滑り込み、ぎゅっと握りしめられる。ドラマで見るような恋人同士でする手の繋ぎ方に、唇を強く引き結んだ。触れ合う肩の熱と、優しく落とされる声音がずるい。撮影の衣装で個人的に写真を撮らせてくれる、などと甘い誘惑を囁くのはずるいではないか。オレにとっての利点だけでなく、『神代がオレに来てほしい』という言い方をされるのもずるい。断りづらくしてオレを誘ってくるその言い方がずるい。最初から、オレに断らせる気がないのではないかと思う程に、さり気なく食い下がってくるのもずるい。
    ダメ押しと言わんばかりに、「少しだけでも、ダメ…?」と寂しそうな声音でそう問われてしまい、息を飲んだ。出かけた『駄目だ』の言葉が飲み込まれ、声が出なくなってしまう。そのままおずおずと頷けば、嬉しそうに神代がにこりと笑った。

    「ふふ、撮影の日も君に会えるなんてとても嬉しいよ。後で撮影現場と僕のマネージャーの連絡先を教えるから、必ず会いにきておくれ」
    「…ぅ、……うぅ…」

    キラキラと輝く様な神代の笑顔に、文句も何も言えない。そのまま一息に言いたい事を言った神代は、上機嫌で電車に乗り込んだ。周りの目を気にしてか そこからは会話もほどほどに、オレを家まで送った神代は笑顔で帰路についていった。

    ―――

    嵐の様な昨日のやり取りを思い返し、はぁ、と溜息を一つ吐く。
    あの後送られたマネージャーさんの連絡先は、間違いではなかったらしい。悪戯か何かではないのかと一瞬疑ったが、そういうわけではなかった。本当にいいのか、オレなんかにマネージャーさんの連絡先まで教えて。
    にこにこと裏口から中へ入るマネージャーさんに案内され、オレもビルの中に入る。スタッフの服を着た人たちがバタバタと忙しなく走り回る廊下を、マネージャーさんはスキップでもしそうな軽い足取りで進んでいく。そんな彼女の背を見ながら、置いて行かれないようついていく。

    「類くんがね、今日可愛い子を招待したって言うから、とーっても楽しみにしてたんだ!」
    「…そ、そうですか……」
    「撮影現場に女の子を呼ぶのは初めてなんだよ。類くん、女の子大好きだけど、最近は今までの子たちの連絡先も全部消して『天馬くんだけだから』ってあたしに言ってくれててね」
    「……ぇ…」

    マネージャーさんの言葉に、思わず目を瞬く。てっきり他の女性にも見学を薦めていたと思ったのだが…。意外と公私をきっちり分けるタイプだったのだろうか。いや、それなら今回オレに声をかけたのは何故なんだ。何か他に理由でもあったのだろうか…。
    と言っても、これと言った理由が思いつかん。それに、マネージャーさんのこの嬉しそうに話す様子はなんなのだろうか。まるで、神代に“初めて彼女が出来た”かのような…。神代がモデルになったのは大学の卒業後だったはずだ。その頃から神代と面識があるならば、神代が色々な女性と関わってきていた噂くらいは知っていると思うのだが…。もしや、他の女性とも関係を持っていたという話を、彼女は知らないのか?
    神代の秘密を知ってしまったかのような罪悪感に、心臓が嫌な音を立てる。これは、余計な事を言わない方がいいのかもしれん。もし彼女に神代の学生時代の噂が知れれば、最悪モデルを引退なんてことになりかねん。

    「でも、あたしびっくりしちゃった。類くんって女の子大好きだけど、最近は今までの子たちの連絡先も全部消して『天馬くんだけだから』ってあたしに言ってくれててね」
    「っ、…っ、ごほ、…」
    「あれ?! もしかして、天馬くんは知らなかったの?! 類くん、昔はすっごい女の子たちと遊んでてね…!」
    「いや、すみません…知っています……」

    どうやらマネージャーさんは知っている様だ。神代が学生の頃何人もの女性と噂があったということを。それなら、何故こんなにも嬉しそうにしているのだろうか。普通、支援するモデルが新しい女性を仕事現場にまで連れてきたら面倒くさいという態度をするだろうに。
    じっ、と彼女の様子を見ていれば、何かに気付いたのだろう、にこりといい笑顔をこちらへ向けられた。

    「類くんがね、“天馬くんだけでいい”って、そう言ってくれて、あたしは嬉しいんだ~」
    「…神代、くん…が…?」
    「お仕事中でも共演するアイドルの子たちからお茶に誘われると断るのは申し訳ないから、なんて言ってついて行っちゃってたのに、最近は全部断ってるくらい変わってね」
    「…」

    きゅ、と、唇に力を入れる。
    やはり神代は今でもモテるのだな。アイドルの子たちと言うことは、とても可愛い女性だろう。オレより年下で、きっと声も可愛い子たちだ。暁山のお陰でそれなりに女性の様に見えるが、女装した男のオレでは雲泥の差がある。そんな女性たちの誘いを断るようになった、と言われて、勘違いしてしまいそうになるのはおかしな話ではないだろう。神代の方から何度も連絡をくれて、…で、デートにも行った。それが、オレだけだと言われたら、嬉しくないはずがない。マネージャーさんの前でだけかもしれんし、もしかしたら、たまたま最近は好みの女性に出会ってないだけかもしれない。それでも、ほんの少しだけ、期待してしまいそうになる。
    意図せず熱くなる顔を腕で隠し、緩みそうになる顔を引き締める。これから神代に会わねばならんのに、どんな顔をしていいか分からん。

    「ねぇねぇ、天馬くんのそのお洋服って、どこのお店の服なの?」
    「え…ぁ、これは……友人がアパレルショップを経営していて、そこの服で…」
    「もしかして、駅の表通りから少し外れた所にあるお店?」
    「は、はい…」

    突然キラキラした顔で聞かれ、思わず言い淀んでしまった。まさか、これが自作の服だとは言えん。自分のサイズに合わせて作らねば、女装用の服など手に入らんしな。
    どうやら暁山の店を知っているらしいマネージャーさんに、下手なことは言えないと更に口数が減る。「あたしもあそこの服がお気に入りなんだ~」と楽しそうに話すマネージャーさんに、必死に作り笑顔で合わせた。よく見ると、彼女の髪をまとめているリボンは暁山がこの前作っていたものだ。成程、本当にあの店のお客さんのようだ。暁山が聞いたら喜ぶのだろうな。

    「この前はねぇ、新作のお洋服を買う為にお休みをとって早くから並んだんだよ~。この服を作るデザイナーさんが大好きでね…!」
    「っ…」
    「天馬くんのお洋服も、あたしの好きなデザイナーさんのお洋服に似てるから、すぐにわかっちゃった!」
    「…そ、そうなんですね……」

    笑顔で見せられたスマホの画面に映っていたのは、以前暁山の店に卸すために作った自作の服の一つで、思わず顔を逸らしてしまった。数着しか作れない為殆ど数のないその服の写真を、何故この人が持っているんだ。ふんわりとしたフリルやレースで可愛らしい印象の洋服。確かにこのマネージャーさんなら似合うかもしれんが、まさか自作の服をこんな形で目にするとは思わなかった。
    絶対に、オレが作ったなどと知られるわけにはいかん。知られてしまったら、神代にも伝わってしまう。

    「あ、ここだよ~! 今は撮影中だと思うから、静かに入ってね」
    「…は、はい…」

    もう撮影が始まってしまっているのか。静かに扉を開けたマネージャーさんに続いて、オレも中へ入る。と、薄暗い部屋の中央で照明に照らされる場所が一か所。そこに立っているのは、紛れもなく神代だった。

    (わっ……)

    見た事のあるグリーンの布の上でポーズを決める神代と、何度も光るカメラのフラッシュ。後ろの方では、小声で話す女性スタッフさんが、神代を見て頬を赤らめている。その気持ちが、何となくわかってしまう。薄いパーカーを着ているけれど、チャックは全開で上半身が良く見える。予想以上にしっかりとした体付きに、思わず息を飲んだ。水着から出る脚も、長い。手を繋ぐ時に気付いたが、神代の手はオレより一回り大きい。その差が他の所にも現れているのが見てわかる。
    同じ男としてほんの少し悔しい気持ちもあれど、それ以上に神代の姿に一種の興奮を覚えた。この状況を目の当たりにして、神代が本当にあの“神代類”なのだと実感させられる。

    「この後一度着替えるから、そのタイミングで休憩になると思うよ」

    耳打ちをする様に小声でオレにそう言ったマネージャーさんに、オレは黙ったままこくこくと頷くしかできなかった。
    神代の表情が良い。真剣な顔も、優しく微笑むところも、振り返る時の顔も、目を伏せたその顔も、全てキラキラしていてかっこいい。手で軽く前髪をかき上げる姿に、心臓が大きく跳ね上がる。叫び出しそうになり、口を手で覆った。わぁーわぁー、とうるさい自分の心の声が漏れているのではないかと不安になって、強く胸元を手で掴む。神代から目が逸らせず、ふー、と細くゆっくりと息を吐いた。
    そのタイミングで、ぱち、と神代と視線がぶつかる。

    「っ……」

    オレに気付いた神代が、嬉しそうに笑った。『天馬くん』と、音もなく口を開閉させた神代に名を呼ばれた気がして、息を飲む。撮影が中断される様子は無い。けれど、確実に神代と目が合った。周りがほんの少しざわめいて、スタッフの視線がオレの方に向けられる。それが居たたまれずマネージャーさんの後ろへそっと体を隠せば、彼女はにこにことした笑顔をオレに向けた。

    「類くん、嬉しそうだねぇ」
    「…そ、そうですか…?」
    「うん。いつもよりキラキラしてる」

    ほら見て、と指をさすマネージャーさんに釣られて神代を見れば、確かにキラキラしていた。いつも通り、優しい表情をカメラへ向けていて、かっこいい。大きな肩と、力強い腕。あの腕で抱き締められると、簡単には抜け出せなくなる。押し返す時に触れた神代の体は硬くて、がっしりしていた。こうしてみると、男らしい体をしている。それでも、痛くないよう加減をして抱きしめてくれているのを思うと、胸の奥が熱くなる。
    同い歳で、同じ男なのに、ここまで差があるのか。

    「あ、終わったみたいだよ!」

    不意にそう聞こえて、はっ、と顔を上げる。マネージャーさんがオレの手を掴んで神代の方へ向かっていくのを、止めることも出来ずについて行くしか無かった。徐々に近付く神代に、心臓が大きな音を鳴らす。まだ心の準備が足りない。トイレと行って逃げてしまおう。そう決めて、口を開きかけた所で神代がオレ達に気付いてしまった。

    「天馬くん」
    「っ……」

    名前が呼ばれ、言いかけた言葉が飲み込まれる。
    早足にこちらへ駆け寄る神代は、まるで犬のようだった。笑顔で目の前まで来た神代が、その両手を広げて迷うこと無く抱き締めてくる。その瞬間、周りから一斉に驚く人達の声が上がった。
    女性スタッフが叫ぶ声と、男性スタッフの苦笑にも似た乾いた笑い声、ひゅー、と口笛の音に交じって、カメラのシャッター音が聞こえた。

    「か、かか、かかか神代っ…?!」
    「はぁ、…何故そんな可愛らしい格好で来ちゃうかなぁ…」
    「…はな、離してくれっ……! 皆に見られているんだがっ…!」
    「だぁめ。もう少しこのままね」

    押し潰されるかと思う程しっかりと抱き締めてくる神代に、顔が一気に熱を持つ。周りからの視線が痛い。恥ずかしくて死んでしまう。いくらスタッフさんばかりだからといって、こんな所を見られていいのか? 神代はモデルだろう。
    なんとか腕を動かして、神代の胸元を押しやろうとする。と、ぺた、といつもと違う感触に目を瞬いた。温かくて、布とは違うしっとりとも言える感触。まるで神代と手を繋いだ時のようなその感触に、じわぁあ、と顔の熱が更に増していく。

    「…ふふ、人前で大胆だねぇ、天馬くん」
    「っ〜〜〜…!!?」

    顔を覗き込むようにしてオレへにまりとした顔を見せてくる神代に、声にならない叫び声が口をつく。慌てて手を引っ込め、神代の腕から逃れる為に体をよじる。くるりと神代に背を向け逃げようとすれば、腹回りに腕が回されてしっかりと押さえ込まれた。ぐぐーっ、と背中側からのしかかるように神代が体重をかけてきて、余計に逃げられなくなってしまう。

    「んっ、…ど、どこに触ってっ…!?」
    「虫除けだよ。キスなんていつもの事でしょ?」
    「いい加減にしないなら別れるからなっ…!!」

    項に柔らかいものが触れ、ぴりっとした痛みが走った。恥ずかしさに耐えきれず、つい大きな声で叫ぶように『別れる』と言ってしまった。その瞬間、ぴたりと神代の動きが止まり、渋々体が離される。くるりと顔を後ろへ向かされ、「ごめんよ、天馬くん」と落ち込んだ顔の神代が謝ってきた。あっさり引いた神代に驚きつつも、言い過ぎてしまったと気付き、「お、オレの方こそ…」と返す。
    そんなオレの返答を聞いた神代は、ころっと落ち込んだ表情を笑顔に変え、「ありがとう、大好きだよ」と言ってのけた。

    「だ、騙したなっ…!?」
    「おや、人聞きが悪いね。可愛い恋人が会いに来てくれて、嬉しさのあまり加減ができなかっただけだよ」
    「っ……、」

    さも当たり前のように言った神代に、開いた口が塞がらない。良いのか、それで。こんなにも周りに人がいるのに、お前はそれでいいのか。仕事がクビにでもなったらどうするんだ。
    べしっ、と神代の腕を軽く叩いて、力の弱くなった神代の腕から抜け出る。「暫く近付くな…!」と睨むように神代へそう言えば、また傷付いた様な表情をされた。だが、今度は騙されてなるものか。
    ふい、と顔を背けてマネージャーさんの後ろに隠れると、神代が肩を落としつつも近寄ろうとしてくる。じり、じり、と間合いを測って神代を睨めば、目の前でマネージャーさんがくすくすと笑った。

    「類くんが面白いって言った理由、あたしも分かるなぁ」
    「ふふ、天馬くんの反応が可愛らしくて、ついね」
    「ぅ……」

    何故だかバカにされている気がするのは気の所為か…。
    マネージャーさんと神代の雰囲気がどことなく似ていて、力が抜けてしまう。「先に着替えてきた方がいいんじゃない?」と首を傾ぐマネージャーさんに、神代は時計を確認して頷いた。

    「それなら、控え室に行こうか」

    そう言って神代は上着のチャックを半分程閉め、マネージャーから受け取ったガウンのようなものを着てからオレの手を掴んだ。当たり前のように手を引く神代に、じわりと顔が熱くなる。こんな事をしていいのだろうか。モデルとなれば、それなりにスキャンダルの問題もあるはずだ。こんな風に堂々とオレに触れて、変な噂が流れたらどうするつもりなんだ。
    それに、もしオレが女装した男だと知られたら、余計に変な噂が…。

    「どうかな? 撮影現場の雰囲気は」
    「…とてもワクワクしている。雑誌では見ることの出来ない仕事の裏側を覗いてる気分だ」
    「君が楽しめているなら、誘ったかいがあるよ」

    すれ違う人たちが、オレたちを見ている。繋ぐ手をちら、と見て、神代の方へ顔を向けた。神代の顔は、デートをする時の表情だ。撮影の時とは違う、なんというか、甘い、ような顔…。
    そんな表情をする神代が、不意にふわりと微笑んできた。繋ぐ手に力が入り、反対の手の指の背で頬をそっと撫でられる。

    「ふふ、見惚れる程かっこよかったかい?」
    「…っ……、違うっ…!」
    「それは残念だねぇ」

    全然残念そうな顔をしない神代に、かぁあ、と顔に熱が集まる。何故、この状況で平然としていられるんだ。
    何故、楽しそうなんだ。この手はなんだ。そんな顔で覗き込むな。
    そんな顔をされては、心臓が破裂してしまう。

    「み、……な…」
    「…なんだい? 天馬くん」
    「そ、んな、顔を…ここで、見せるなっ……」
    「…っ……」

    叫びたいのに叫べない。目の前に、キラキラとした神代の顔があって落ち着かない。いつもと違い、撮影の為に薄らとメイクをされているから余計にかっこよくて困る。神代の顔にドキドキさせられているのを、周りに知られるのも恥ずかしい。
    ぎゅ、と目を強く瞑って顔を俯かせれば、神代はそのまま黙ってしまった。ぴくりとも動かない神代の様子を不思議に思い、恐る恐る片目を開ける。が、上手く見えずそっと両目を開けた。
    その瞬間、ぱっ、と繋ぐ手が離され、体が大きく揺れた。膝裏と肩を捕まれ体が神代に抱えられていると気付くのに、たっぷり三秒かかってしまった。

    「ひゃっ…、か、神代っ?!」
    「本当に君は、僕を煽る天才だね」
    「はぁ?! なにをっ…?!」

    ざわっ、と廊下が一気に騒がしくなるのも構わず、神代はそのまま真っ直ぐ廊下を早足に進んでいく。
    そんな神代の腕の中で、オレはそれ以上何も言えずに黙るしかできなかった。
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