イスⅡ【甘くて苦い】
甘くてねっとりとした香りがふいに鼻腔をくすぐって、ああこの季節がやってきたのかと思い至る。
嫌いではないがこうも廊下を歩いているだけで甘い香りに包まれると辟易もする。図書室の古い紙の匂いが恋しい。
カルデアでのバレンタインの時期がやってきたのである。
「チョコレート?」
イスカンダルが星型のポップなチョコレートを掲げてふむふむと裏や表を眺めている。
なかなか大きい型取りだったがイスカンダルは持つと赤子がおもちゃで遊んでいるようだった。
「チョコレートだ。おそらくマスターの手作りの」
王と二人で並んで歩いているところをマスターに捕まり、ノルマのように渡され去っていった。
アムニスフィア家が叡智が集結した施設のくせにマスターの故郷である日本の風俗に染まっているのはなんとも気が抜けるというか滑稽だ。こういうお祭り気分は悪くないが良くもない。
「知識としては知っているが、見るのは初めてだな、多分」
共に駆けた第四次聖杯戦争で数々の菓子を物色していたお前がチョコレートを見るのが初めてのはずないだろうというセリフは心の中で言うにとどめた。
「それはそうだろう。紀元前から存在していたものだが、ヨーロッパに伝わったのは16世紀頃だ」
「ふむ」
Ⅱ世の言葉を聞いているのか聞いていないのか王はせんべいでも食べるかのようにバリっとかじった。
「む?おお、これは美味いな」
喜色満面なイスカンダルを見て、チョコレートくらいでいちいち可愛らしい反応をするなと悪態をつく。彼がいちいち喜んだり楽しそうな素振りをするたびに、いちいち自分も胸を高鳴らせてしまうからだ。
思考がおかしな方向にいってしまうことに気づき、Ⅱ世は咳払いをすると
「あまり食べすぎるなよ。薬にも使われていたほどだ。栄養価が高すぎて過剰な摂取は毒となる。まあ、サーヴァントには関係ないだろうが…」
と取り繕うように注意を促した。
「つべこべ言ってないで貴様も食え」
イスカンダルは星形の尖った部分をパキッと割るとⅡ世の口に突っ込む。
「んむ…。スパイスと…洋酒が入ってるな…」
初めに感じたの甘味だった。そこからじわじわと唐辛子のようなスパイスの辛味、そしてカッと熱くなる洋酒の芳香が広がる。
誰にでも同じチョコレートを渡しているかと思っていたが、マスターなりに趣向を凝らしているらしい。というのも日本のチョコレートはスパイスを入れるのは一般的ではない。
「なんとも酩酊するような菓子ではないか。なかなか侮れぬなあ」
「そもそもチョコレートというのはエンドルフィンの分泌による興奮作用やセロトニン生成による精神安定の作用があって媚薬にも使われたというが…」
とまで言って、何を言ってるのかとハッとした。本当にこのお祭りムードは良くない。心が浮き足だってしまうのだ。何かそういう魔術でもカルデアに施されているのでないか?と疑うほどにネジが緩む。
「それは誘っておるのか?」
王が口の端にくっついたチョコレートをペロリと舐め取る。その舌の動きでⅡ世の理性は溶けてしまった。
誘うも何も最初からそのつもりで同じ部屋にこもっていたのだが、成程媚薬というのはあながち嘘じゃないらしい。
いつもよりスイッチが入るのが早かった。
「...貴方こそ」
Ⅱ世は酒をあおるようにぱきっとチョコレートを齧り取ると、チョコレートのカケラを咥えたまま王に唇を押し付けた。
イスカンダルはⅡ世の唇とチョコレートを同時に食むように口に含んだ。
甘くて苦くて辛くて熱い。
チョコレートのカケラは2つの舌の間でゆっくり溶けていった。