超ド級サプライズ例えば、二人並んでラーメンを食べている時。
例えば、ポートエルピスで果てしない海とその先に拡がるホロウを眺めている時。
例えば、(ありきたりなハッピーエンド……)と思わせる映画を観た直後。
ふと、アキラくんの細く、白く、長い指が僕の頬に掛かる髪を掬う瞬間がある。
その度に、「………なあに?」と聞いてみれば「……どんな表情をしているのか気になって」なんて言う。真横からだと、長い髪が存外表情を隠してしまうらしい。
「………あんたと居る時は大抵ゆるゆるのにっこにこだと思うけど」
「そうなのかい?」
「そうだよ」
大切で、大好きな人と居られる時に顔を顰めている方が難しくない?
そんな気持ちを込めてつい、と唇を尖らせてみればまるで愛しい愛猫の仕草を慈しむかのようにくふくふと喉の奥で笑って尖った唇の先に柔らかな温度が触れる。
(ああ、そうだ…………)
触れるだけで直ぐに離れていってしまった温度が引き金だったかのように、とある瞬間のことも思い出す。荒い息遣いと、しっとりとした空気、それらが部屋に充満する中で僕が彼を見据える時も確かこうして髪を掬われる。重力に逆らわずに垂れる髪が、僕の顔を隠してしまうらしい。その度に、「キス、して欲しいのかと思って」と口付けを落とせば「わかっているくせに」と怒られる。その繰り返し、その穏やかなやり取りが好きだ。
今だって、もう真正面から捉えられている筈なのにアキラくんの指は僕の毛先を弄ぶ。そうして、跳ねた毛先を耳にかけて「……ふふ、真っ赤」なんて言って笑うのだ。
あんただって、大概頬も耳も何処も真っ赤だよ。
「………アキラくんってさあ、もしかして、僕の顔、好きだったりする?」
耳に掛かった髪に満足したように離れていこうとした指先を、手首を掴んで引き留める。びくりと震えたそこに甘えるように擦り寄って、なんてことのない質問をした。
「……?悠真だから、好きなんだよ」
きゅう、と心臓が傷んだのはきっと発作のせいじゃない。
仕事終わりにアキラくんと会う約束を取り付けた日、珍しく何もかもの仕事をテキパキとこなし真正面から「早退をしても良いでしょうか!」と授業参観で親が見に来た小学生のようにお行儀よく手を挙げて問えば存外すんなりと許可が降りた。もちろん授業参観なんてものに縁はなかったし、親が見に来たこともない。けれど、堂々と口にした発言が肯定されるのはきっと心地好いものだったのだろう。
早退したよ、なんて事敢えて秘匿してまるでドキュメンタリーのサプライズを仕掛ける司会人のような心持ちでルミナスクエアの中のとある場所を目指す。定期的に世話になるそこは、六分街のあのビデオ屋と処方を取りに行く薬局に次ぐ場所だろう。
カランカラン、と聞き馴染んだドアベルが訪れを告げる。
「早いね」
「仕事を終わらせて来たんだ」
「……例の恋人の為に?」
「言わなくても分かってる癖に」
軽口を叩ける数少ない相手はずっと世話になっている馴染みだから、なのだろう。もしくは僕がここの太客だから、なのか。『あの浅羽悠真の行きつけ』なんて広告を出せば売上は右肩上がりだろうに、そういう「いやらしい」ことをしないところも気に入っている。
案内されるままに席に着けば、後方に立った男は「今回は間隔が短いんじゃないか?」なんて僕の大して伸び切ってもいない髪の先を弄りながら言う。
「うん、今日はね………」
僕の言葉に「………正気か?」と言わんばかりの目が鏡越しに向けられた。それでも僕の気持ちは変わらない。だって、
「愛しい恋人の反応が気になっちゃって仕方ないんだよね」
一番に見せるなら彼が良い。
道中で知人やファンの子に話し掛けられたり気付かれることも避けたかったし、そんなの「いちばん」じゃあないから。
だから、会う約束は「ビデオ屋、行っても良い?」の一言から幕を開けた。
用事を終え、用意していたパーカーを深めに被って店を出る。
『今からむかうね』
そう伝えた時間は定時ピッタリ、相手の既読も勿論早く『お疲れ様、気をつけて』なんて。他愛のないやり取りに口角が緩んだ。
大通り迄行くことすらもリスクに思えて、店の中からタクシーは手配済だ。
ーどちらまで?
ー六分街まで
簡素なやり取りの末に車はゆっくりと走り出す。普段は「次の休日はいつでね」「じゃあ何をしようか」だとか「新しいビデオを入荷して」「ふうん、ホラー?」「……その可能性が万に一つもあったとして僕がわざわざその話題を振るとでも?」なんて言い合いながら進む道が随分と呆気なく感じる。何かがぽっかりと抜け落ちたような感覚は、普段は曝け出されることのなかった頬や首筋を滑る車内の冷たい空気にも似ていた。
随分長く感じた道のりの終着を見送って、足取り軽く目的地へ。コン、と気のないひとつのノックは「僕」の証。
看板は既にクローズになっていることから、彼の「期待」もあけすけに見えて何とも言えない心地になった。
慎ましく隠された彼の心に緩む口元を引き結んで、中から近付く足音に身を構える。
3.2.1………
開いた扉の向こう側では待ち人が切れ長の目を丸くしていた。
「………はる、まさ…………?」
深く被ったフードを指してのことだったのだろう、「そうだよ」と肯定しながらフードを取ればアキラくんの目は更に大きく見開かれた。
「………………え、その、かみ」
「驚いた?」
どうして、とか。なんで、とか。普段は良く回る頭も口も回り切らない様子ではくはくと唇を開けては閉めてを繰り返す。ああ、どうしようもなく、愛しくて可愛い。
「気分転換?ってやつ?」
本当は違う。気分を変えたい時は違う方法を知っているし、髪型なんてそれこそ幼い頃から変えた記憶がない。だって、必要が無かったから。流石に伸びれば切るし、あの長さと形を維持していたのは単に一番「しっくり」くるからだ。
「どう?」
「……………にあうよ、とても」
赤らめた頬を隠しながら、アキラくんは「お帰り」「お疲れ様」を僕にくれた。
「思っていたより早かったけれど……」
「ああ、タクシーで来たからね」
髪を切ったタイミングについては「今日」と答えれば、「今日?」なんて単純な返答。今日のアキラくんは随分と頭が回っていないようだった。
「ああ、心配には及ばないよ。仕事はきちんと終わらせて、合法的な早退ってやつで仕込んで来たからね」
「仕込んで………って」
だってそうじゃない、これは僕の限られた時間の内の「数ヶ月」或いは一年に及ぶ期間の結晶を掛けたサプライズだったのだから。
「ね、どう?」
「……………聞きたがるね、似合っているよ」
その答えに、今度こそ口角は無くなった。
夕食はラーメンでも、と二人並んで随分行き慣れた店でラーメンを啜る。いつもであれば、「髪がスープに付いてしまいそうだ」と食べる前に髪を耳に掛けられてしまうけれど今日はその触れ合いはなかった。当然だ、もうそれだけの長さがないのだから。なのにどうだろう、僕より先に食べ終えたアキラくんは何処かソワソワした様子で僕が食べ終えるのを見ていたし、二人で「ご馳走様」と手を合わせる前には短くなった毛先に触れた。
シャワーを浴びた後に髪を乾かしてくれるのはいつもの事だったけれど、乾かした後に毛先に触れる指先が普段より長くねちっこく感じたのだって気のせいじゃない。
今日はどんな映画を観ようか、そんなやり取りの後に選ばれた一本を観ている最中だって滅多に映画の途中に視線を寄越すことなんてしないのに今日は何度か刺さるような視線を感じた。そうして見終えた後も、余韻に浸るようにうっとりとしながら感想を口にするアキラくんの指が触れるのは僕の髪の先だった。まるで、長い頃に「そう」していたように「……きみがどんな表情をしているか気になって」とでも言いそうな雰囲気で。
もう、隠すものなんて無くなった筈なのに。
「…………長い方が、好きだった?」
「え」
名残惜しさにも似た触れ方が気になって問うてみれば、反射のようにパッと指先が離れていく。その手を追って、手首をするりと掴みとって、すべすべと触り心地の良い手の甲に擦り寄るように頬を寄せて唇を尖らせた。
「………かみ、名残惜しそうだったから」
伝えれば、行動は全て無意識だったのだろう。薄暗い部屋の中でも解るくらいの色を、アキラくんの頬が灯していく。テレビの電源を消していなくてよかった、そう思うと同時に流れてくるメニュー画面のメロディが何処か鬱陶しく思えた。
「……………そ、う、ではなくて………」
やっぱり何処か回りきらない頭をどうにか回して言葉を紡ぐアキラくんの語彙は、「似合っている」「珍しくて」なんて単調なものばかり。けれど、僕の心を揺らすには十分だった。
「……………すき、だから………はるまさの、髪に、触れるのが」
十分?とんでもない。
彼からの滅多に聞けない「好き」に、テレビはやっぱり消しておくんだったと思うのは直後の話だ。