Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    shiiiin_wr

    @shiiiin_wr

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 🙌
    POIPOI 25

    shiiiin_wr

    ☆quiet follow

    現パロの付き合ってないローコラ
    バレンタインネタです
    コラさんにべた惚れ(片思い)なローがコラさんの家で見つけたチョコの贈り主に翻弄されたり突っ走ったりするお話

    バレンタインの日のローコラ その兄弟とおれが初めて出会ったのは、兄弟の兄であるドンキホーテ・ドフラミンゴが主催した懇親パーティーでの席だった。
     ドンキホーテと言えば、国でも有数の資産家であり実業家として名を馳せている一族だ。手広く事業を手掛け、直接的な経営だけでなく様々な分野に支援や援助の手を伸ばしている。
     国内でドンキホーテの名を知らないものはいない。その名の影響力は国内外のあちこちに伸びている、名門中の名門。その一族の跡取りが主催したパーティーに呼ばれるということは、きっと名誉なことなのだろう。だが、おれの本音としてはそんな席に時間を取られる位なら家で医学書でも読み進めるか、担当患者の治療方針について父に相談する時間を確保したかった。
     金持ちと知り合ったところで、患者の命が救えるわけじゃない。それよりも知識や技術へ少しでも多くアプローチすることの方が重要だと、最初は出席を断ろうとした。だけどおれの意思を制したのは、おれに招待状を融通してくれた人だった。
    「出来るだけ多くの患者を救いたいと思うなら、ご実家の融資先を増やすのも重要なのでは?」
    「……それは」
    「トラファルガー医院が経営難に陥っているとは聞いてはいません。ですが、病院を維持するための資金は多くあるのに越したことはないでしょう?」
     穏やかな口調で語りかけられた相手の指摘は確かに間違っておらず、気まずさを感じて口を閉じた。資金調達という名目を抜きにしても社交の場がそもそもあまり好きではないし、興味もない。だが、それを理由に招待を断るのはあまりにも子供じみている。
    (ドンキホーテの援助を得ることが出来たら確かに有難い、が……)
     祖父がこの地で開業し、跡を引き継いだ両親が大きくした生家の医院は、高度治療を施せるだけの設備と規模を備えた病院だ。国外からも父や母を頼って足を運ぶ患者が存在する位には、名前や実績を知られていると思う。
     そして、医療を出来るだけ多くの人に公平に広く行き渡らせたいと願う父母の方針もあって、病院の規模の割に儲けはかなり少ない。今すぐにでも潰れてしまうような経営状況ではないが、気軽に設備の更新を出来るほど潤沢な資産があるわけでもなかった。
    最近も、老朽化した施設の更新を掛けるために、父が難しい顔をしてそろばんを弾いていた。
    (お堅い連中のご機嫌伺いは面倒だが、ドンキホーテ家と繋がりを得ることでメリットがないわけじゃない。上手く融資の約束を取り付けることが出来たら、父が導入を諦めた設備にも手が届くかも……)
     今まで設備面で断念していた治療に手を伸ばせるかもしれない。そうすれば、未来で救える人を増やすことが出来る。思い浮かんだ未来予想図は簡単には諦めきれず、断るつもりだった招待に少しだけ迷いが生まれる。
     今、あの家の采配をしているのは健在の当主でなく、長男のドンキホーテ・ドフラミンゴらしい。家督を完全に譲ったわけでもないようだが、当主は数年前から一線から身を退いているそうだ。そして跡目の長男は、先代ほどの慈善家ではないが吝嗇でもない。審査の基準は厳しいようだが、見込んだ相手には相応の資金援助をすると聞いていた。
    (どうする……?)
     逡巡するおれの背中を押すように、「一度くらいなら、ドンキホーテ家の夜会に顔を出してみても損はないと思いますよ」と誘われる。
    「ドンキホーテ家の御長男は、彼の目に適った人間に対して援助を惜しむような人ではありません。もちろん、彼の基準に達することが出来る人間はそれほど多くはありませんが……上手く縁を結べれば、きっとご実家の助けになります」
    「分かりました」
     ここまで言葉を尽くして説得してもらって、無下にはしにくい。目の前の人の娘の執刀を担当したのが縁で知り合った相手だが、娘の主治医だったおれに大層感謝してくれて、この人自身が日頃からおれや病院に対して支援の手を差し伸べてくれている。
     今回のことも本当に純粋な親切心でおれに招待状を融通してくれたのだと思うから、彼の顔を立ててやりたい気持ちもあった。
     謹んでお受けしますと応じて、おれはドンキホーテ家の夜会に出席することを決めた。


     そうして足を踏み入れたドンキホーテ家のパーティーは、正直場違い感が否めない場所だった。思わず漏れかけた舌打ちを引っ込めながら、辺りを見回し嘆息する。
    (落ち着かねェ。なんでこんなにどこもかしこも派手なんだ)
     主催者であるドフラミンゴの趣向が反映されているのだろうか。室内を飾り立てる派手な色合いや装飾品、テーブルに並ぶ豪奢な料理に気持ちが冷めていく。
     おれの素性を知って声をかけてくる連中にも、あまり好意的な印象を抱けなかった。どこか値踏みされているような、そんなイヤな視線を感じる。損得勘定を前提としたやり取りが心底から鬱陶しかった。
    (帰りてェ)
     やっぱりこんな場に足を踏み入れるんじゃなかったと、じわりと後悔が湧き上がる。
     この後にドフラミンゴ本人と会話をする時間を用意してもらっているから、最低限の挨拶だけ済ませたらさっさと帰ろう。
     はァ、と重い溜め息を堪えていると、ふと室内の人間が色めき立つ。どうやらようやく主役の登場のようだ。声の方向へ視線を向けると、二人の男が視界に映る。
     同じ金の髪を持ち、長身痩躯で背格好も似ていた。色違いのスーツを纏い、スタイルの良さを際立たせている。
     遠目からでも一目で兄弟だと分かる姿に(そうか、あれが)とぼんやり思う。
    (先に立っているのが、跡継ぎのドンキホーテ・ドフラミンゴだろうな……後ろにいるのは、あー、ドンキホーテ兄弟の弟、か?)
     絵になる兄弟はどうやら女性陣に絶大な人気があるようだ。黄色い声があちこちで飛び交うのが聞こえて来た。
     ドンキホーテ家の子供たちは2歳違いの兄弟らしい。だが、派手好きでやることなすこと目立ち話題を掻っ攫っていく兄と違って、弟に関する評判はほとんど聞かない。今日もこの場に姿を現すとは思っていなかった。珍しい人物の登場に思わず好奇心を向けて、兄よりも弟を観察してしまう。
    (兄弟だけあって、顔立ちは結構似てるんだな)
     兄の背後で影のように付き従っている姿からは、ドフラミンゴほどの活力やカリスマは感じられない。パーツの一つひとつが整いすぎていることもあって、どこか幽鬼のような印象を受ける。目にかかりそうな長めの前髪が少し鬱陶しく見えたが、金糸の隙間から覗く紅の瞳は印象的だった。
    (あの眼、綺麗だな……)
     同性相手に抱く感想としては似つかわしくないかもしれないが、宝石めいた双眸に素直に目を奪われた。もっと近くであの眼差しを浴びてみたい。今は冷めた色しか浮かんでいない瞳が、どんな風に色づくのか見てみたかった。
     だがまずは、彼にアプローチする前に兄の方と話を付けなければならないだろう。
     正直自分がドフラミンゴの気に入るタイプであるか期待は持てなかったが、あいつはあっさりとおれ……というか生家の病院への融資を決めてくれた。
     顔を合わせて開口一番に「まさかこんな場所でトラファルガー・ローの顔を見るとはな。トラファルガー医院の跡取りは、親と違って拝金主義なのか?」と、中々失礼な物言いをぶつけられたのが癇に障って色々と言い返したのだが、どうやらそれが面白かったらしい。
     最終的に、「お前が望むだけの額は都合をつけてやる」という言葉を引き出せて、不快な場所に赴いただけの成果は得られた。
     目的は果たせたことだしそのまま帰ってしまっても良かったのだが、やはりドンキホーテ兄弟の弟が気になる。自分から話をしてみたいと思う相手と出会うのは滅多にないことなので、後ろ髪を引かれた。
     少しの時間で良いから、個人的な会話が出来ないだろうか。そんな欲求を抱えてグズグズと居残っていたら、目当ての人物が一人で壁の花と化しているところを見かける。転がり込んできた機会を見逃したくなくて、手元のグラスを新しいものに交換して彼の元へ足を向かう。
     話術にそれほど自信があるわけではないが、何とか彼の目に留まりたかった。ちょっとでもおれの顔を覚えてほしいという一心で近づき、声をかける直前で身なりを整えてから声をかける。
    「すみません。隣、良いですか?」
    「え? あ、あぁ。構わないですけど」
     そっと近づいて声をかけると、彼は僅かに目を見開いておれを見下ろす。すぐに微笑に切り替えておれが並ぶだけのスペースを開けてくれたけど、直前の瞠目していた表情が気になった。
    (何かマナー違反でもしていたか?)
     ある程度の振る舞いは頭に叩き込んできたつもりだが、こういう華やかな場に慣れていない。粗相でもあったかと心配した疑問は、すぐに解消された。
    「一応の確認なんですけど、おれと兄をお間違えじゃないですよね?」
     問いかけられた台詞に(あァ)と納得が浮かぶ。ゴマをする相手を間違えているんじゃないかと気になったのだろう。実際、この場では兄ばかりが注目されていて、弟に対する扱いは悪気なくぞんざいだった。
     普段の様子を知らないが、この人が兄の付属物としてばかり扱われている光景が目に浮かび、隠れて奥歯を噛み締める。
    (おれを、あんたを兄貴のスペア扱いするような奴らと一緒にしないでくれ)
     誤解を解く意味も込めて「間違ってなんかない」と大きく首を振る。
    「ドフラミンゴとはもう話をした。あいつと仕事以外の話をしようとは思わない。それよりも、おれはあんたの方に興味がある」
    「……ドフィよりもおれの方を優先するなんてトラファルガー君って、変わってるなァ」
     ドフラミンゴと会話をしたときに、この人も兄の傍に控えていた。その時におれの顔と名前を覚えてくれていたみたいで、嬉しくなる。
    「良かったら、おれのことはローって呼んでくれないか?」
     意中の人の意識の端に引っ掛かっていたことが嬉しくて、つい口が滑った。初めて会うのに名前で呼んでほしいなんて、少し早急に距離を詰めすぎかもしれない。だが、彼にはできれば姓ではなく名前で呼んでほしかった。親しくなりたいという勇み足気味のおれの申し出は「分かった」と、あっさりと受け入れられる。
    「よろしく、ロー。おれはドンキホーテ・ロシナンテ。親しい人たちはおれのことをロシーとか、コラソンって呼ぶ」
     言って、優しく微笑みかけられる。ロシナンテさんからは兄のような強烈な華やかさは感じられなかったが、春の陽だまりみたいな笑い方はむしろおれの好みだった。
     その日はそのまま、会がお開きになるまでロシナンテさんのことを独占させてもらった。参加者が興味を引きたいのはドフラミンゴばかりで、その弟には興味がないらしい。おかげでおれは思う存分ロシナンテさんの声や表情……兄とは似ても似つかない穏やかな内面に触れることが出来た。
     ロシナンテさんに気付かれないように(あァ、いいな)と、胸中で噛み締める。
    一目惚れにも近い衝動だったが、ロシナンテさんを綺麗だと惹かれたのは間違いじゃなかったようだ。
     時間の経過を忘れるくらい話し込んでおれは本格的にあの人に恋慕を抱き始めていたし、どうやらロシナンテさんの方もおれのことを気に入ってくれたらしい。
     楽しい時間をありがとう、とおれに笑いかけてくれた表情には、親愛の情がいっぱいに含まれていた。
    「ローと話せてよかった。ドフィが開くこういう場所っておれはあんまり好きじゃないんだけど、ローのおかげで久しぶりに楽しめたよ……あー、でも、ごめんな。ずっとおれの相手をさせちまって」
     付け加えられたフレーズに、コラさんの自己評価の低さが垣間見える。本来は大らかで魅力に溢れた人物なのに、兄の影に押し込められてどこか歪な物が感じられた。
    (この人の好さがわからねェなんて、見る目のないやつばかりだな)
     胸中で小さく切り捨てながら、「ロシナンテさん」と話しかける。
    「またあなたと会いたい。ロシナンテさんの話を聞くのは楽しかったし、おれももっと話したいことがある。まだ全然話し足りねェよ」
     告げた台詞に形のいい双眸が見開かれた。驚く顔を無視して連絡先の交換を申し出たら、おずおずと頷かれる。
    「ローって本当に変わってる」
     小さく呟かれた声はまるっと無視して『次』の約束を取り付けてからロシナンテさんと別れた。


     接する機会が増えれば増えるほど、ドンキホーテ・ロシナンテという人間に夢中になる。
     好きだと思う気持ちに歯止めが利かなかった。どうも世間では弟よりも兄の方が注目を浴びる機会が多いらしいが、ドフラミンゴには興味をそそられない。
     どれだけのカリスマを備えていようがおれとスタンスが似通っているドンキホーテの長兄は見ているだけで疲れたし、心を開きたいとも思えなかった。
     それよりも、途方もなくお人好しで優しいあの人の傍に居たいと思う。
    「何でローは、ドフィじゃなくておれを構うんだ?」
     そんな問いかけをロシナンテさんから受けたのは、一度や二度じゃない。イヤミや当てこすりじゃなくて本気の疑念に「ドフラミンゴよりもロシナンテさんの方を好ましく思っているから」と答えると、彼はいつだって不思議そうに瞳を瞬かせて見せた。
     身勝手な連中が己を兄の代替品や二番煎じ扱いすることに怒ることもなく、現状を凪のように受け入れている。
    「ドフィは出来過ぎる兄だから」
     そう言って、ロシナンテさんは家族のことを大切に愛していた。歳が近い兄弟だから時には喧嘩をすることもあるらしいが、本質的には家族を大事に思っている。
     家族や親しい人を傷付けられたら激しい怒りを見せるのに、自分のことには無頓着で大雑把だ。
     ロシナンテさん本人よりもおれの方があの人の扱いに鬱憤が溜まった。そしてそれ以上に、どんな評価を押し付けられても自分を見失わない強さがあるロシナンテさんの心を好きだと思った。
     想えば想うほど、彼の何もかもが欲しくなる。視線も心も何もかもをおれのものにしたい。
     元々おれは、好いた相手の全部を欲しいと思う性質だ。親愛の枠なんかとっくに飛び越えて、彼の人生に丸ごと居座る権利を欲している。
    (あの人はまだ、おれをそういう目で見てくれちゃいねェだろうけど)
     現段階でのロシナンテさんは、思いがけずに出来た年下の友人を純粋に可愛がってくれているだけだ。その友達がまさか自分の貞操を狙っているなんて、考えもしていないだろう。
     ロシナンテさんからの無垢な好意に対してあからさまな恋慕を返していることへの罪悪感はゼロではなかったけれど、それでもどうしたって想うことは止められない。
     ロシナンテさんと過ごす時間を増やして、まずは少しでもおれを意識してもらう所から地道な努力を始める。
     初めて食事へ誘った時は分かりやすく彼は戸惑っていたが、本心からロシナンテさんと親しくなりたいという気持ちを伝えることが出来てからは、殆ど断られることはなくなった。
     どうやらロシナンテさんは個人的に親しくしている人間はあまり多くはないらしい。何回目かの食事の席で、自身の交友関係について言葉少なに語ってくれた。
    「おれの周りにいるのって、大体が家同士の繋がりとかドフィ経由で知り合った人たちばっかりでさ、個人的におれに声をかけてくれたのは、ローが初めてかもしんねェ」
    「ふーん?」
     おれはドフィと違ってドジだしどんくさいからなァとロシナンテさんは自身の交友関係の狭さを評していたが、その評価は半分くらい間違っている。
    (この人の人間関係の狭さは、あのブラコンの所為だろ)
     ロシナンテさん自身はちっとも気が付いてないようだが、彼の兄はとんでもなく狭量で度し難いほど過保護な男だ。ロシナンテさんと個人的に会うようになって早々に、あいつからは牽制と脅しを受けた。
    『ロシナンテを泣かせたり悲しませたりしたら、分かってんだろうなァ?』
    「はァ?」
     一体どうやっておれの個人的な連絡先を入手したのか知らないが、敵意剥き出しの台詞に嘆息する。
    (なるほど。ロシナンテさんが表に出てこないのは、こいつの所為でもあるのか)
     本人のあずかり知らぬところで囲ってかごの中に閉じ込めるような真似をして、あまり健全とは言えないやり方だ。生憎と、こんなセリフで一つで大人しくなるような可愛らしい性格もしていない。
     ドフラミンゴからの連絡は堂々と黙殺し、ロシナンテさんとの距離を縮めることに神経を注ぐ。ロシナンテさん本人から拒絶を受けたのなら無理強いは出来ないが、彼がおれのことを許してくれるのなら遠慮する気は更々ない。
     そして有難いことにロシナンテさんもおれに小さくない好意を寄せてくれて、お互いの家を行き来するようになるまで然程時間はかからなかった。
     彼に対する呼び方が『ロシナンテさん』から『コラさん』へと変わるくらいのタイミングで、向こうからおれに一歩を踏み込む提案を受ける。
    「上手くもてなしてやれないかもしれねェけど、ローがイヤじゃなかったらおれの家に遊びに来ないか?」
     そう言って、コラさんが一人暮らししているというアパートメントに招待された。コラさんと親しくなってから知ったのだが、彼は何年か前に実家を出て一人で生活しているらしい。
    「何でもかんでも家任せなのは恥ずかしいだろ? おれだって、せめて自分一人の面倒は見られるようになっておこうと思って」
     そう言って、家の援助なしで生計を立てているのだと言った。
    「へェ? コラさんはすごいな」
     ドンキホーテ家の次男ならば、一生遊んで暮らせるだけの立場のはずだ。だけど、持って生まれた特権に甘え切ったりすることを良しとしない矜持は、素直に尊敬できるものだった。
     そんなおれの称賛に、コラさんはどこか困ったような顔をする。
    「働いているって言っても、しがないライターだけどな。それに、おれに割り当てられてる株の配当金とかも生活費として当て込んでるから、完全に独り立ちしてるとは言い難いし」
    「いや、充分だろ。資産を上手く使ったり増やしたりするのだって、コラさん自身の才覚だ」
     重ねて彼の生き方へ好意を伝えると、今度はくすぐったそうな面持ちでコラさんは表情を綻ばせた。
    「ローはおれを喜ばせるのが上手いなァ」
    「そうか? おれは思ったことを単純に口にしてるだけだ」
    「だからそういうところだって……ローのおかげで、何かちょっと自信が持てそう」
     そう言って「ありがとな」としっかり言葉にしてくれるコラさんが、おれにとっても優しい感情を与えてくれる。
     コラさんが纏っている穏やかな温度を手放したくない。もっと一番近いところで感じていたい。好いた相手に触れる権利を手に入れるために、おれはコラさんに男として意識してもらう必要があった。
    (焦りは禁物……だけど、延々と手をこまねいているつもりもない)
     少しずつ楔を打ち込んで、コラさんがおれを見る目を変えたかった。だが、がっつき過ぎて逃げられてしまったら台無しだ。下手を打ったらコラさんの実兄がすっ飛んでくる光景も目に浮かんだし、慎重に事を進める必要があった。
     コラさんが好きだという好意を必要以上に隠す気はないし、機会があれば少々強引に思慕を示す。おれの言動にコラさんが戸惑ったり息を詰まらせたりする姿を見るのは、存外楽しいものだった。
    「もう、ロー……!」
     上ずった声でおれを窘めたところで、(かわいいな)という感想しか浮かばない。わたわたと慌てるコラさんに笑みをかみ殺していると、彼は更に自分から墓穴を掘った。
    「お前なァ……! こんなおっさんを無駄にドキドキさせて、どうするつもりだよ!?」
     ローは顔が良いから、そんな気がないって分かっててもなんかドキドキする。
    ぼやくように呟かれた独り言に、とうとう押し殺せなかった微笑を口元に浮かべてしまう。
     小さく笑うおれを見てコラさんはムキになったみたいに言葉を重ねたけれど、彼の台詞の半分も頭に入ってこなかった。それよりも、次はどんな風にちょっかいを掛けてやろうかと、好きな子を虐める子供みたいな発想が脳裏を占めていく。
    (もっとおれに翻弄されてくれよ。コラさんのかわいいところ、まだまだ引きずり出してやろうと思ってるんだから)
     おれのアプローチでコラさんの感情が揺らめいているのなら良い傾向だ。しかも、困惑はあれど嫌悪はないようだから、どうやらこの片思いは脈がある。
     ジワジワと外堀を埋めるように振る舞いながらコラさんと接するおれにとって、季節のイベントは悩ましいポイントだった。あまり手を掛け過ぎて相手の警戒心を高めたくない。でも、スルーするにはもったいなさすぎる。
     特にバレンタインは、コラさんのことが特別なのだと示すにはもってこいのイベントだった。
    (さて、どうするか)
     街にバレンタインの気配を感じる前から、密かに計画を練る。何も贈らないという選択肢はないけれど、あまり高価すぎるものや気合の入ったチョコは、彼を委縮させてしまうだろう。おれのことを意識してほしいのだが、加減を間違うと意図とは裏腹に距離を作ってしまうかもしれない。
     コラさんは愛煙家で酒もよく嗜むけど、甘いものも嫌いではないようだった。甘すぎる味付けのスイーツは好まないようだが、控えめな甘味なら喜んでくれる。
     用意するものを散々悩んで妹や友人たちにアドバイスを求め、評判の良いパウンドケーキを取り寄せた。最近は外で食事をとるよりもどちらかの家で飲むことの方が多いから、酒のつまみとして二人で食べれば良い。
     出来ればバレンタイン当日に会う約束を取り付けたかったのだが、上手く仕事が調整できなかった。14日とその前後はプライベートの時間を確保するのが難しく、職場に缶詰めになる。何とか仕事を消化してバレンタインがあった週の休日に片恋相手の家を訪ねれば、どこかコラさんの表情がぎこちない。
    「あ、ロー」
    「?」
     いらっしゃい、という声音が硬かった。普段通りを取り繕おうとして失敗している想い人の面持ちに、何だか心の裏側がざわつく。
    (コラさん……?)
     何だろう。出会ってから初めて、余所余所しさのようなものを感じる。急にコラさんの心が遠くなってしまった気がして、じわりとイヤな汗が肌の上に浮いた。けれどこの不可解な表情に関して、おれには心当たりが思い浮かばない。そもそも、コラさんと顔を合わせること自体が久しぶりなのだ。
     会ってもいないのにコラさんに何か不快な思いを抱かせたのだろうか。
     彼の心の内を探りたくて意識を割きつつ、「コラさん、冷蔵庫を借りて良いか?」と声をかける。
     そのまま返事を待たずにケーキやそれ以外にも持ち込んだものを仕舞わせてもらおうと、キッチンへと足を向けた。勝手を知り尽くしている友人の家だ。コラさんもいつものように「うん」と頷きかけた後、「あ! 待って、ロー」と慌てた様な声を上げた。
    「今、冷蔵庫にちょっと、ローに見られたらマズイもんが……!」
    「え?」
     制止されても急に動きを止められない。冷蔵庫の扉に手をかけていたのをそのまま開いてしまい、中段に鎮座していた綺麗な包みが視界に飛び込んでくる。
    (……は?)
     ぎりぎり声に出さずに済んだが、きちんとラッピングされた箱の外観に反射で苛立ちが湧いた。コラさんがおれに見られたくなかったもの。隠そうとしたものが、おれの感情に爪を立てていく。
     扉を開閉した僅かな時間でも、冷蔵庫に大事にしまわれていた包みがチョコレートの箱だということは理解できてしまった。しかも垣間見えたロゴから察するに、値も質も最上級のブランドだ。
     いくらコラさんがブルジョワだとしても、義理で贈り合うようなラインじゃない。
    「これ……っ!」
     焦燥と身勝手な怒りによって、身体の奥でカッと熱が上がる。
    (なんで……! 一体どこのどいつがこんなものを!?)
     おれがこれだけコラさんの時間を独占していれば、他の誰かがこの人にちょっかいを出す隙なんか無い。そんな思いはただの慢心だったらしい。顔も知らないコラさんへのチョコの贈り主に、思い切り感情を搔き乱される。
     なにより、あの包みを受け取ったということはコラさん自身も相手のことを憎からず思っているということだ。順調に距離を縮めていたつもりだったのに、おれの独りよがりだったかもしれない不安が忍び寄る。
    (あァ、くそっ……! 当日に会わなかったのは失策だった。無理にでも都合をつけてコラさんに会いに行っておけば……!)
     思いながら、拳を握り込む。波打つ感情を何とか落ち着かせようとすれば「……ロー?」とコラさんがおずおずとこちらに呼びかける。
    「冷蔵庫に入ってたもの、見ちまったか?」
    「……あァ」
     頷くと、傍らのコラさんの気配が揺れる。おれと同じくらい動揺している姿が、平静を欠いた心を更に逆撫でていった。
    (さっきから気まずそうにしてるのは、おれに知られたくない交友関係があるからか?)
     親しくしていると思っていた相手が抱える隠し事を不意打ちで知ってしまい、上手く受け止めることが出来ない。感情のままに話すべきじゃないと分かっているのに、口は勝手に言葉を紡いでいく。
    「なんだよ。バレンタインにチョコを貰うなんて、コラさんも隅に置けないな。しかも、こんな良いとこの品を。なァ、コラさんにこのチョコを贈った相手はどんな人なんだ?」
     無機質な問いかけに、コラさんは大きく視線を彷徨わせた。どうしてお前がそんなことを気にするんだと、彼の眼差しが告げている。
     コラさんの戸惑いももっともだけど、どうしても口を噤むことが出来ない。詰問口調にならないように自制するのが精一杯だ。おれ以外にコラさんを狙っている人間がいるなら、悠長なことはしていられない。少しでも探りを入れたくて問いかけた言葉に、コラさんは心底から困ったような顔をした。
    「ロー、そんな……別に、誰だっていいだろう?」
    「よくねェよ……!」
    「えっ?」
     咄嗟に尖った声で言い返してしまって、コラさんの気配が怯む。微かに怯える姿に(やってしまった……)と思いながらも、感情を抑えることが出来なかった。
     コラさんに近づく存在に、思考をぐちゃぐちゃにされる。
     おれ以外がこの人に触らないでと、子供じみた執着をぶつけそうになっていた。
    (ッ、だっておれは、この人を! コラさんのことを……!)
     自分が抱いているのが筋の通った意見でないことは十分承知している。だけど、理屈じゃ心は制御できない。
     これまで必死に飼い殺してきた恋慕が、腹底で唸り声を上げていた。こみ上げる感情のまま口を開きかけて、必死に衝動を抑え込む。
    (落ち着け。こんな気持ちをぶつけても、コラさんの心が離れるだけだ)
     分かっている。頭ではちゃんと自分の立場を理解できている。彼の交友関係に関して無神経に口を挟めるわけがない。そう思うのに身の裡ではぐるぐると割り切れない熱が渦巻いていて、その焦燥が音となって飛び出していく。
    「なァ、コラさん。あんた、おれには言えないような相手と付き合ってるのか」
    「は? そんなわけないだろ。おい、ロー。さっきからお前、なんだか様子がおかしいぞ」
    「だって、コラさんが……!」
     あんたがきちんと説明してくれないからだ。中途半端に隠そうとするから、恋心を上手くコントロールすることが出来なくなる。
     コラさんの一番はおれでありたい。出会ってからずっと、コラさんに囚われっぱなしなのだ。せっかく慎重に距離を詰めてコラさんに意識させてきたのに、実を結ぶ前に横から掻っ攫われてしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
    「コラさん、おれは…………っ!」
     感情のままに声を張り上げかけて、ギリギリのところで踏み止まる。
    (駄目だ、このままじゃこの人に何を言っちまうかわからねェ)
     束縛も嫉妬もぶつける権利なんか持ち合わせていないのに、衝動に押し負けてコラさんにひどいことを言ってしまいそうだった。
     これ以上の失言を重ねる前に、「ごめん、コラさん。今日はちょっと帰る」と強引に会話を切り上げる。
    「あ、ロー!」
    「悪い……また連絡するから……」
     それだけ言い置いて、コラさんの視線を振り切るようにして家を出た。外の空気に触れた途端、先ほどの醜態が胸を詰まらせる。
    (何をやってるんだ、おれは……)
     恋敵の存在に翻弄されて、彼を失望させるような言動ばかりを取ってしまった。何とかコラさんの好感度を稼いでいたのに、自分の手で台無しにした後悔が募る。
     暫く距離と時間を置かなくちゃ、コラさんと顔を合わせられそうになかった。


     気まずいやり取りをしてから、あっという間に二週間が過ぎる。その間にいくつかメールでのやり取りはしたけど、直接顔を合わせられずにいた。コラさんからもこちらの様子をうかがうメッセージは貰えたけど、会いたいとは言ってもらえない。
    (……そりゃそうだよな。チョコの一つであんな独占欲を滲ませて、嫌な思いをさせちまって)
     はあ、と勤務中にもため息が止まらなかった。このままコラさんとの仲を終わらせるつもりはないが、どうやって仕切り直せば良いか分からない。
    (コラさん、まだおれと会ってくれるかな……?)
     不安が振り払えずに思考は弱気になっていく。電話をしようとスマホを手に取って、操作する手が途中で止まってしまうのを何度も繰り返した。
     文字じゃ何も伝えられないからせめて声を聞きたいと思うのに、コールする勇気が持てない。
     コラさんは、おれのことをどう思っているんだろうか。少しでもいいからここから挽回の余地はあるのか。
     そんな風に久しぶりの休日を迎えてもウダウダと逡巡を続けていたおれの手の中で、スマホが突然震えだす。通知はコラさんからの着信を示していて、考える間もなく端末を耳に宛てていた。
    「コラさん……?!」
    「あ、あんたが” ロー”ね!」
    「あ?」
     通話の先から聞こえてきたのは、若い女の声だった。想い人とは似ても似つかぬ声に、一瞬で苛立ちが沸き起こる。
    (こいつがあのチョコの贈り主か……?)
     勝手にコラさんのスマホを持ち出しておれに電話をかけてきて、一体何のつもりだ。
     問い質す前に向こうが先に口を開いた。
    「コラさんが大変なの! あんた医者なんでしょ?! 早くコラさんの家に来て……!」
    「?!」
     声の主がコラさんの恋人なのかどうか、正体は全く分からなかった。だけど、切羽詰まった声で伝わられる想い人の窮状にいても立ってもいられず、慌てて家を飛び出す。

    *****

    「扁桃腺の腫れもなし。どう見てもただの風邪だな」
    「だから言ったろ、ベビー5」
    「そんな! だって……! 昔っからコラさん、風邪なんかひいたことなかったじゃない!? なのにコラさんがベッドから起き上がれないでいるから、私心配で……!」
    「いくら体が丈夫でもおれだって偶には体調を崩すこともあるさ。心配してくれるのはありがてェけど、ベビーは騒ぎ過ぎだ」
    「……ごめんなさい」
     駆けつけたコラさんの家で、家主がベッドで寝込んでいる姿を見た時は肝が冷えた。だが、落ち着いて診断すれば何のことはない。熱がいくらか高いだけで何の変哲もない単純な風邪だった。
    「飯食って大人しく寝ておけば、すぐに良くなる。コラさん、食欲はあるんだろ?」
    「ああ。熱が高くてちょっとフラフラするけど、それ以外は問題ねェよ」
    「それならわざわざ病院に行く必要もないな。ゆっくり休めばいい」
     おれに自分の体調を申告する声もハッキリとしていたし、これなら点滴も必要ないだろう。風邪を引いた本人よりもよほど慌てたベビー5とか言う女がおれを呼びつけて、必要以上に騒ぎ過ぎただけだ。
    (ま、彼氏が寝込んでたら心配するだろうけど)
     気持ちは分からなくもない。あんなチョコを贈るくらいにはべた惚れなんだろうし、好いた相手が臥せっていたら気が気でないだろう。
    (……おれだって)
     コラさんの体調不良を一番先に知りたかった。望んだポジションを別の誰かが掴んでいることを見せつけられて、ぎりぎりと心が軋む。
     必死に気持ちを押し殺して、『ベビー5』というコラさんのカノジョの様子を観察する。おれの目の前で交わされる二人のやりとりからは、それなりに長く付き合いのある気安い関係性が感じ取れた。
    (年齢はコラさんよりだいぶ若いな。多分おれの方が近そうだ)
     腰まで伸ばした黒髪が艶やかで、丈の短いスカートから伸びた脚は惜しげもなく脚線美を披露している。
     見た目はまァ、悪くない。
     それに、そそっかしいがコラさんに対する情も本物だろう。
    (くそ、面白くねェ)
     コラさんとの仲がどこまで進んでいるのか知らないが、絶対に二人きりにはさせたくない。何が何でもこの場に居座ってやろうと心に決めると、コラさんがベビー5に話しかける。
    「ベビー5、今日はわざわざ届け物をありがとな」
    「良いのよ。私も久しぶりにコラさんと会えて嬉しかったし。本当はもう少しゆっくり話がしたかったけど、待ち合わせに遅れちゃうから私はそろそろお暇するわね」
    「ん……?」
     てっきり二人で過ごす約束をしているのかと思ったら、おれの予想は外れていたようだ。ベビー5はさっさと立ち上がって手荷物を纏め始める。そんな彼女を引きとめもせずにコラさんは「ベビーはこの後デートなんだろ? 恋人さんによろしくな」と声をかけていた。
    「んん?!」
     恋人さん、ってどういうことだ。コラさんがベビー5の意中の人ではないのか。口を挟む間もなくベビー5は嬉しそうに頷いて「そう、彼と久しぶりのデートなの。行ってきます!」とコラさんの家を去っていった。
    (あいつがコラさんの恋人……もしくは彼女候補じゃなかったのか?)
     あんなに親しそうだったのに、お互いに下心は一欠けらもないらしい。思考がどつぼにハマりかけるおれに「ローも呼びつけて悪かったな。あとは一人で何とか出来るから」と、おずおずと声を掛けられる。
    「忙しいんだろ? おれのことは気にしないで良いから、ローも帰って大丈夫だぞ」
    「いや、おれは残るよ。ちょうど今日は休みだったし、大したことはなくても病人を一人にしておきたくない」
     今日はおれがあんたを看病するよと言い切れば、コラさんの表情が困ったように歪む。
    「ロー。そんなに気にしなくても、おれはただの風邪だし」
    「おれが居たら、コラさんは休まらないか?」
    「えっ、いや、そういうわけじゃねェけど」
    「じゃあおれに、あんたを看させてくれよ」
    「ロー」
     ずるい言い方をしている自覚はあった。でも少々強引にでも、コラさんの反論を封じる。「コラさんを一人にしたくないんだ」と言えば、弱弱しい表情のまま彼はおれの滞在を受け入れてくれた。
    「ごめんなァ、ロー。お前の時間を取っちまって」
    「そんなこと、コラさんは気にしなくて良い」
     あんたが早く治ってくれるのが一番だと言えば、ようやく微かな笑みを浮かべてくれる。
    「あーあ、ベビーにもローにも心配かけちまって、何だか情けないな」
    「偶には調子を悪くすることだってあるだろ。コラさん、普段は一人で頑張ってるんだし」
     言って、「少し眠った方が良い」と睡眠を促す。先ほども伝えた通り薬や病院に頼るよりも、心身をしっかり休ませるのが回復への早道だ。
    「コラさんは自分の体調のことだけ考えておけばいい。家のことは適当にやっておく。あ、あとで粥でも作っておくから、目が覚めたら食べてくれ」
    「うん。ありがとう、ロー」
     そう言って、布団に潜り込んだコラさんはしばらくすると寝息を立て始めた。仕事が立て込んでいたのか、疲労が溜まっていたようだ。
    (さて、おれは……)
     軽く掃除でもしておこうか。だけどこの前に来た時と変わらず、家の中はきちんと片付けられている。やることもなくて手持ち無沙汰にキッチンへ向かうと、あの日の光景が蘇った。
     冷蔵庫に収められた、高級チョコの包み。間違いなく本命に渡す類のもの。あれの贈り主が気になって、すぐにおれの気持ちは乱されてしまう。
     そっと扉を開けてみたら、2週間前と同じ位置にラッピングが施された箱が見えた。そしてあの日は気づけなかったけれど、箱に巻かれたリボンにメッセージカードが挟まっているのが分かる。
    (あのカード……)
     あれに贈り主に関する何か手がかりが書いてあるだろうか。署名があれば、相手の名前くらいは分かるかもしれない。
    (でも、私的なメッセージを盗み見るなんて……)
     最低だ。コラさんに本気で見限られても文句は言えない。だけど、顔も名前も知らない相手に嫉妬し続けるのも苦しかった。いっそこの恋が完全に手折られた方が、おれも諦めがつくかもしれない。
     最後は自棄に蹴飛ばされてリボンに挟み込まれたカードへ手を伸ばす。表面にはシックなデザインが施されていて、何か書いてあるとすれば裏面の方だった。
     ベルベットのような手触りのカードを裏返して目を走らせた瞬間「え?」と声が出る。
     てっきりおれの知らない名前が書かれていると思ったのに、視界に飛び込んできたのは見慣れた名前だった。
    『ローへ』と、コラさんの筆跡で書かれている。
    (は? え……? なんで、おれの名前がカードに……)
     動揺のままメッセージを読み進めると、そこにはおれに対する感謝の気持ちが綴られていた。
    『ローと出会えてよかった』
    『いつもありがとう、ロー』
     短い文章だからこそ、彼の気持ちが真っすぐに伝わってくる。
     コラさんの癖のある丸っこい字に視線を奪われながら、胸中では色んな感情と考えが通り過ぎて行った。
     もしかして、とぼんやり思う。
    (おれは何か勘違いをしていたのか? てっきりこのチョコレートはコラさんが誰かから贈られたものだと思っていたけど、本当は、コラさんがおれの為に用意してくれたものなのか……?)
     分からない。それにこの予想が当たっていたとして、今度は別の疑問が湧き上がる。
    (これが本当におれのためのチョコだとしたら、どうしてこれがずっと冷蔵庫に置きざりになっているんだ。そもそも、バレンタイン当日はコラさんと会う約束なんかしてなかったのに)
     彼はいつこれを用意してくれたんだろう?
     カードまであるのに、どうして手元に置き続けて……。
     なぜもどうしても延々と湧き出て来るが、途中で我に返る。答えの分からない問いに拘泥するよりも、もっと先にやるべきことがあった。
     原因は分からないが、コラさんはおれにバレンタインのチョコを渡しそびれた。その上、渡せなかったチョコレートを処分することも出来ずに、こうして抱え込んでしまっている。
     おれの詰問に瞳を惑わせていた姿を思い出すと、ぎりぎりと胸が痛む。コラさんはこんな風に優しい情を向けてくれているのに、おれはちっとも気づけないで自分勝手な気持ちをぶつけてしまった。
    (コラさんの話を聞かねェと。おれが何かしでかして擦れ違ってんなら、謝りたい)
     勝手に漁ってしまったことも含めて、彼には頭を下げる必要がある。焦る気持ちのままに冷蔵庫からチョコとカードを取り出して、コラさんが眠る寝室へと戻る。おれが扉を開けたタイミングでコラさんは目を覚ましたらしく「あ、ロー。悪いんだけど、眠ったら喉が乾いちまって。キッチンから水かなんか持って、来て……」と不自然に言葉を途切れさせた。ベッドの上で上体を起こしたコラさんの視線が、包みを持ったおれの手元に落とされている。
    「ロー、それ……!」
    「ごめん。コラさん。勝手に見ちまって」
    「っ!」
     告げた台詞に、コラさんの紅の瞳が一瞬で張り詰めた。今にも泣きそうに表情を歪ませる人に近づくと、「ロー」と震える声がおれの名を呼んだ。
    「そのチョコ、おれ……ローに……」
    「うん、おれの為に用意してくれたんだよな?」
    「……あァ。でも、……っ」
     ベッドの傍に近づくと、コラさんの身体が硬く強張った。何かを言いかけて、音に仕損じたまま口を噤む。ギュッと身体を緊張させているけれど、同時におれに何か伝えたいことがある気配も感じ取れた。コラさんが話してくれるのを聞きたくて、彼が再び口を開くのを待つ。
     僅かに逡巡した後に何かを諦めた仕草をして、コラさんの説明が始まった。
    「バレンタインの日に偶々用事で外に出てさ。街の雰囲気に充てられて、おれもローにチョコを渡したいなって急に思いついたんだ。ローと出会ってから幸せなことばっかりだから」
     そう言って、コラさんがおれの顔色を伺う。
    「おれにとって、ローは特別なんだ。だからこそ、目に見える形で感謝の気持ちとかそういうのを示しておきてェなって思って……。おれは流行には疎いけど、最近のバレンタインは愛の告白だけじゃなくて、色んな気持ちを伝える手段として扱われてるんだろう?」
    「あァ、そうだな」
     問いかけに首肯すると、コラさんの面持ちが少しだけ緩む。おれの反応をいちいち伺っている仕草に胸奥がざらついたが、あえて口を挟まずにコラさんの話に耳を傾けた。
    「あの日、目についた店でとりあえずチョコを用意してカードも書かせてもらって、ローの勤務先に行ったんだ。会えなくても、差し入れを預ける位は平気かと思って」
    「え、コラさん。うちの病院に来てたのか?」
    「うん」
     頷かれて、今度はこちらがたじろぐ。全然知らなかった。それに、おれに訪問客があったとは聞いていない。どうやらこの辺りで行き違いが生まれているようで、コラさんの話に集中する。
    「ローの病院の場所はおれも知ってたし、丁度昼休みに当たる時間だったから、短い時間ならローを呼び出しても許されるかなって……そうしたら偶々、中庭にいるローの姿を見つけて」
    「そうだったのか。悪い、コラさんが来てくれたことに気が付いてなかったみたいで」
     勿体ないことをした。それに、せっかく足を運んでくれたならコラさんから声をかけてくれたらよかったのに。
     思わずつぶやいた台詞に、コラさんの表情が切なく歪む。
    「できなかったんだ」
    「え……?」
    「あの日、患者さんや他のスタッフに囲まれているローを見て、声をかけそびれちまった……どうしても、話しかけられなかったんだ。おれ、色んな思い違いしてたから」
    「? どういうことだ?」
     コラさんが言っていることがよく分からない。不可解な物言いを訝しく思うと、自嘲の笑みを刻んだままコラさんが言う。
    「おれにとってローは特別で唯一だけど、ローは違う。沢山の人に囲まれて慕われている場面を見て、おればっかりが気持ちを募らせてることに気が付いちまった」
     そう言って「バカだよなァ」とコラさんが自身を蔑む。
    「ローは優しいし親切だけど、それは誰に対してもだ。おれにだけじゃない。なのにおれは、何だか勝手にローの特別になれたつもりになってて、それでいつの間にか酷い勘違いをしちまって」
     違うのに。自分はトラファルガー・ローを取り巻く人間の内の一人でしかないのに。
     突き付けられた認識に居た堪れなくなって、おれに声をかけることも出来ずに帰ってしまったらしい。その後も折角用意したチョコを渡すことも出来ずに、ひっそりと自宅に仕舞い込んで。
    「ごめん、ロー」
     そう言って、こちらに謝る声が切なかった。コラさんが謝罪の言葉を口にしなければならない筋合いなんかどこにもない。だというのに彼は自分を責めて、おれとの関わり方を迷って怖がるようになっていた。
     誤解で表情を強張らせる想い人を少しでも慰めたいのに、上手い言葉が見つからない。
    「コラさん」
    「……なァ、ロー。変な勘違いをしないように気を付けるから、これからもおれとの付き合いを続けてくれるか?」
     言い募る瞳には、張り詰めた情が込められていた。おれのことを想ってくれているのがありありと伝わる慕情に、どうしようもなく胸を締め付けられる。
     ああでも、痛ましく思うのと同じくらい、コラさんがおれを意識しているのが嬉しいという身勝手な感情も湧く。
     コラさんが感じ取っていたものは、決してこの人の勘違いや思い上がりなんかじゃない。そのことを少しでも伝えたくて、今度はおれが口を開く番だった。
    「コラさん、おれの話も聞いてくれるか……?」
    「うん」
     緊張した面持ちを浮かべる想い人に、どんな言葉を伝えようか考える。コラさんは本心を打ち明けてくれた。おれだって、彼の誠意に見合うものを返したい。
    「チョコのこと、おれが色々と至らなくてごめん。コラさんの気持ちを察してやることも出来ずに、むしろ、問い詰めるようなこともしちまった……でも、コラさんがおれの為に用意してくれていたのを知れたのはすげー嬉しい」
     告げた台詞に、コラさんは軽く唇をかみしめる。険しい表情のまま首を横に振り「慰めなくていいから」と、投げやりな声を出す。
    「今更傷ついたりしないから、そういう慰めはいいって。大体、おれが用意しなくてもローはたくさんもらってるだろう?」
     別におれのなんて、と卑下する声を「おれは、他の誰でもない。コラさんから貰えたことが一番うれしいんだよ」と遮る。被せた台詞にコラさんは小さく目を見開いて、おれの表情を見つめた。その視線を見返しながら「おれだって、コラさんが特別なんだ」と言葉を重ねる。
     初めて言葉を交わしたあの夜からずっと、この優しい人を振り向かせてみたかった。おれだけを瞳に映してほしくて、おれをコラさんの一番にしてもらいたくて、足掻いてきたのだ。
     間違いなくおれは、彼に本気の恋慕を抱いている。
    「コラさんの勘違いなんかじゃない。おれは、コラさんのことが誰より特別だよ」
    「……うそだァ」
     想いを込めて囁いた台詞を、コラさんは素直に受け止めてくれなかった。ゆるゆると首を横に振って、「そんなわけない」と否定する。
    「ローがおれを好きになってくれるわけないじゃないか」
    「なんで? おれはコラさんのことがちゃんと好きだよ。どうしてコラさんは、おれの言葉を信じてくれねェの?」
    「だってローは、もうとっくにたくさんの人に好かれてるじゃねェか。お前がおれを選ぶ理由なんかどこにもない」
     そう言って、おれの台詞を真っ向から拒絶する台詞に苦笑する。
    (ほんと、こういう所が変に頑固なんだよなァ)
     優しくて情の深い人だけど、どこか頑ななところがあった。そういう不器用なところも含めて好きだから問題ないが、告白を受け止めてもらえないのはさすがに困る。
    「コラさん」
    「っ、なに」
    「好きだよ。嘘でも間違いでもない。本気であんたのことが好きだ」
    「……!」
     言いながら、ベッドに身体を預ける想い人を腕の中に囲う。逃げ場を失くしてやれば正面からおれの恋慕を受け止めるしかなくなって、コラさんは白い肌を朱に染めた。
    「ろっ……!」
    「好きなんだ。愛してる。おれはずっと前から、コラさんの心が欲しくて仕方なかった」
    「!?」
     分かりやすくおれに翻弄されてくれる姿が可愛くて、思わずその唇に触れそうになる。顔を寄せた直前でぎりぎり理性が戻ってきてくれて、暴挙を犯す前に大事なことを口に出せた。
    「コラさん、返事を聞かせてくれないか?」
    「へ?」
    「おれは、あんたが好きだって言っただろう?」
     なら、コラさんは?
     おれのことを恋愛対象として見てくれるのか、きちんと言葉で聞いておきたい。コラさんがおれを『特別』って言ってくれたことに、自惚れてもいいのか?
    「ねェ、コラさん」
     言って、と囁いた声にコラさんは小さく息を呑んだ。
    「ぁ、おれは……」
    「うん」
    「ローのこと、おれだって……――!」
     躊躇いを振り切りぶつけられた台詞に思わず笑んでしまってから、コラさんとの距離をゼロに縮める。触れた指先から伝わる仄かな熱を宿した体温が愛しくて、おれはきっとこの日の告白とキスの味を一生忘れない。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💒😭💒💖😭👏🙏😭🙏💒💖🍫😭❤👏💖👏💯💖💯🍫💯💖🍫😭💖💖💖💘😭💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works